【試し読み】午前0時のおいしい魔法3~さよならのためのガルビュール~


作家:烏丸紫明
イラスト:Laruha
レーベル:夢中文庫アレッタ
発売日:2022/8/12
販売価格:500円
あらすじ

神戸旧居留地の一角にひっそりと佇む、お夜食専門のビストロ『tete-a-tete』(テテ・ア・テテ)。オネェ言葉のイケメンシェフ・千紘が作る魔法のような料理を求めて、今宵もまた顔なじみのお客さまがやってくる──はずだった。その日、ウェイトレスの莉乃が店にやってくると見知らぬ男性に声をかけられる。千紘に用があると言う彼を店に通した莉乃は、「戻ってきてくれ」と土下座しながら懇願する男性の姿にあ然としてしまう。わけがわからないまま、千紘に言われるとおりに今夜は営業をお休みすると常連客に連絡。そのまま2週間以上が経ったある日、ようやく千紘から連絡が──でもそれは、莉乃が望んでいたものではなくて……

登場人物
結城莉乃(ゆうきりの)
好奇心旺盛な22歳。『tete-a-tete』の美味しい料理に魅了され給仕を手伝う。千紘には基本塩対応。
須藤千紘(すどうちひろ)
長身美形の29歳。『tete-a-tete』のシェフで、調理技術とセンスは天才的。なぜかオネェ言葉。
試し読み

恋する乙女のためのエチュベ

 まだ街が眠るには早い時間。
 神戸旧居留地にある、紅茶好きだったら知らない人はいないとまで言われる有名な紅茶専門店『livre d’imagesリーヴルディマージュ』。その『livre d’images』の地下階にある、お夜食スペ専門のビストロ――『tete-a-teteテテアテテ』。
 今宵も、顔馴染みのメンバーが思い思いの時間を過ごしている。
「ああ、いいわねぇ……」
 いつものカウンター席に座る常連の一人、職業モデルのお姉さん――綾乃あやのさんが、うっとりと呟く。艶やかな黒髪に、しゃんと伸びた背筋。フリルとリボンが特徴的な白シャツにトレンドのマリンパンツを合わせて――ああ、今日も本当にお綺麗だ。
 その視線の先には、この店唯一の四人席。柔らかな曲線美が美しい、赤いベルベットのモフソファーで楽しげに話しているのは、同じく常連のお二人だ。御年六十一歳、お洒落でダンディなロマンスグレーのおじさま――法律事務所の所長をしている新條しんじょうさん。そして、もうすぐ八十歳になられるという、小柄で上品な老婦人――美代子みよこさん。
 実は、先日の一件から、お二人はなんだかとってもいい感じなのだ。
 今も、新條さんがいつものダンディな大人の余裕をすっ飛ばして、顔を赤らめながら一生懸命に話していて、美代子さんは穏やかに微笑みながら、新條さんをまっすぐ見つめている。
「ホントよねぇ」
 カウンターの奥で作業をしているシェフ――須藤すどう千紘ちひろさんも、嬉しそうに微笑む。
 ゆるいカーブを描いた、まるで夏の太陽のように輝く金髪。凛々しい双眸は、深い海の蒼。引き締まった頬。薄くて形のいい唇。すっと通った鼻筋。眉毛は男らしく、顎から喉仏が少し目立つ首へのラインは、なんとも精悍で野性的。
 さらには、一八〇センチ超えの長身。ほどよく筋肉もついた、完全なるモデル体型。
 美形と表現しても、差し支えないと思う。黙っていれば、百点満点のかっこよさ。文句なしのイケメンだ。繰り返すけど、黙っていれば。
「やっぱり恋って素敵よねぇ。乙女心がきゅんきゅんするわぁ」
「は? 千紘さんに乙女心なんて備わってないじゃないですか」
 その言葉に、私――結城ゆうき莉乃りのは眉を寄せた。
 だって、千紘さんは『反抗期だから』っていうわけのわからない理由でオネェ言葉を使ってるだけ。千紘さんは身も心も男性。性的指向――つまり、好きになる相手の性別は、異性である女性。千紘さんはマイノリティではなく、完全マジョリティだ。
 だから、千紘さんは身も心もしっかり男性。よって、乙女心などというものは備わっていない。
 私の言葉に、千紘さんはむぅっと頬を膨らませた。
「ヤなこと言うわねぇ、莉乃ちゃん……」
「事実ですから」
 ぴしゃりと言うと、同じくカウンター席に座る菜摘なつみさんがふふっと楽しげに笑う。今年、三十二歳。華やかな綾乃さんとはまた違ったキャリアウーマンタイプの綺麗なお姉さんだ。
「莉乃さんは、本当に千紘さんに塩対応ですね」
「そうですね。私、綺麗なお姉さん以外には、基本的に塩対応です」
「本当に綺麗なお姉さんだけですか? 最近、新條さんととても仲が良いように見えますけど」
「あ、ダンディなおじさまも好きです。新條さんは私の理想のパパ像なんですよね」
 そう言うと、千紘さんが作業の手を止めてこちらを見る。
「え? だったら、アタシにもデレてくれてもよくない?」
「はい? 千紘さんっておじさんなんですか?」
 え? そうなんですか?
 さすがにそんなふうには思ってなかったんですけど……。
 目を丸くすると、千紘さんはまたも不服そうにぶすっとする。
「ちょっと待って? なんで新條さんは『おじさま』で、アタシは『おじさん』なのよ?」
「なんとなくですけど……。でも、どちらにしろ千紘さんは該当しませんよね?」
「……確かに『おじさま』でも『おじさん』でも、傷つくお年ごろではあるわよね。『おじさま』って呼ばれても、『まだお兄さんだもん!』って思うわよ」
 千紘さんが「でも、なんだか釈然としないわ。なんでかしら……」とため息をつく。知りませんよ。
「『おじさま』って呼んでほしいなら、そうしますけど……」
「呼び名だけ変わって、相変わらずの塩対応が目に見えるようだから、遠慮するわ。アタシのガラスのハートが耐えられる気しないもの」
 そうですね。それがいいと思います。
「千紘さんにはなくとも、私にはしっかり乙女心が備わってるから、もうきゅんきゅんきゅんきゅんして仕方がないのよ! ああ、私も恋がしたいっ!」
 肩をすくめながら作業に戻る千紘さんを見ながらそう言って、綾乃さんが拳を握り締める。
 そして、ほんのりと頬を赤らめ、カウンターテーブルに頬杖をついた。
「実は、ずっと前から気になってる人がいるのよね」
「え? そうなんですか?」
「カメラマンなんだけど、はじめてのお仕事でご一緒させていただいた方なの」
「へぇ!」
「ただ、彼を攻略するのは至難の業でね……」
 綾乃さんが参ったとばかりにため息をつく。
「彼、ものすごくモテるのよ。一緒に仕事をしたモデルはもれなく全員、例外なく、恋に堕ちてしまうと言われてるぐらい」
「も、もれなく全員?」
「例外なく、ですか?」
 何それ、すごい。
 思わず、菜摘さんと顔を見合わせる。
「そうなの。名が売れているのはもちろんだけど、彼の写真は被写体の心を写す――。すごいのよ。どんなに上辺を装っても、隙を見せまいと武装しても、彼の写真に写るのは心を丸裸にされたありのままの『私』なの。最初見た時、びっくりしちゃった。写真の中の私は、しっかり表情を作ってるのに、ものすごく不安そうだったから」
 綾乃さんがうっとりと目を細める。
「その誰にも真似できない卓越した技術、磨き抜かれたセンス――それだけ確固たる腕を持っているのに決して慢心しない謙虚さと、さらなる上を目指し続ける向上心。ひたむきに地道な努力を続ける精神力。それだけ能力があって、精神的にも強い人は、それを他者にも求めがちっていうか……必要以上に気が強い人が多いんだけど、他人の小さな失敗には嫌な顔一つしない大らかさ、穏やかさ、そして優しさを持っていて、モデルに対しても、スタッフに対しても、いつだって細やかな気遣いを忘れない……。写真を見せてくれた時の、彼の言葉が忘れられないわ。『不安で仕方ないんだね。その心が写真に写ってしまってる。でも、自分のせいだなんて思わないで。ましてや、自分に魅力がないだなんて。これは、君の不安を取り除けなかった僕のせいだ。まだ僕が君に信頼されてないからだよ』って……」
 綾乃さんが私を見て、少し照れくさそうに笑う。
「そして、『じゃあ、まずはリラックスするために話をしようか』って、カメラを下ろして、まっすぐ目を見て、いろいろな話をしてくれたの。さっきも言ったけど、彼は売れっ子なのよ? スケジュールなんて分刻みなの。それなのによ?」
「それは……嬉しいどころの話じゃないですね……」
 初仕事なんだから、不安なのは当たり前だ。当たり前なんだけど、そこまで優しく、丁寧に心のケアをしてもらえることって、実は少ないように思う。
 作家の世界でも、新人だからって新人扱いはあまりしてもらえない。
 デビューしても、業界のことや、その出版社やレーベルでの原稿の作り方や決まり事などは教えてもらえるけれど、自分の物語を紡ぐことができるのは自分だけなのもあって、物語の作り方なんてものは教えてもらえない。ましてや、売れる作品の書き方なんてものも。今、こういうのが流行ってるよ。次、こういう傾向の作品が来るんじゃないか――そんな予想はある程度教えてもらえるけどね。
 自分の作風は――作品は、自分で努力して作り上げるしかない。
 そのくせ、まだデビューして半年だから、まだ二作目・三作目だからって、売れ行きが悪くても見逃してもらえる――なんてことはない。そんな甘い世界じゃない。数字が悪ければ、新人だろうと関係なく、すぐに仕事はなくなってしまう。むしろ、新人のほうがなくなってしまう。
 だから、私がいるライトノベル作家の世界でいうと、一冊出しただけで終わる人も三十パーセント近くいる。一年で筆を折る人は、約三十五パーセント。三年生き残れる率は五十パーセントと言われている。
 モデルの世界とはかなり違うけれど――でも基本的にクリエイティブな世界は、新人には厳しいところだと思う。新人だからって、新人扱いしてもらえないっていうか。いかにも新人という仕事をした――そして、新人であることを言い訳にした時点で、潰されちゃってもおかしくないところなのだ。
 だから、これは嬉しい。惚れちゃうのも無理ないと思う。
「そうなのよ。そんな――彼自身の魅力も相まって、虜にならざるを得ない人なの。だから、ライバルは彼と仕事をしたモデルの数だけいると言われているわ」
「それは……確かに難易度高いですね」
 大きく頷くと、綾乃さんが「わかってくれる? でも、それだけじゃないのよ」と肩を落とした。
「とても華やかな世界で、その世界を彩る美女たちに常に囲まれているからかしら? 彼の好みは、黒髪で清楚でお淑やか。地味で堅実で、家庭的なタイプらしいの。業界人は最初から眼中になくて、内助の功って言うの? しっかり家庭を守って、陰から自分を支えてくれる女性がいいそうよ」
「え……? ってことは……」
「……そういうこと。ヒドイと思わない? 一緒に仕事をしたモデルたちの心は例外なく掻っ攫っておいて、でもそのモデルたちはこの業界で出会ってる時点で彼の恋愛対象外なのよ?」
 綾乃さんが頬杖をついたまま、大きなため息をつく。
 う、うわ~。その人を攻略するのって、もう最高難易度どころの話じゃないような気がするんだけど。こんなこと綾乃さんには絶対に言えないけれど、それって望みある?
「あ……! もしかして、綾乃さんがずっと黒髪ロングでいるのって……」
『tete-a-tete』で出会ってから、綾乃さんの仕事を目にする機会が増えたのだけれど、綾乃さんはデビュー時からずっと黒髪ロングだ。わりとモデルさんは髪形や髪色をよく変えるイメージなんだけど、綾乃さんはそこは一貫していて――なるほど。そういう事情だったのか。
「そうなの。たとえ恋愛対象外だったとしても、少しでもいいから彼の目にほかのライバルたちより綺麗に写れたらなって」
 綾乃さんが再び照れくさそうに笑う。
 その笑顔はまさに乙女心全開といった感じで、少女のようにキラキラと輝いていて、見惚れてしまうほど可愛かった。
「素敵な話ですね」
 つられて笑うと、綾乃さんは「そうかしら? かなり絶望的な話だと思うけど」と軽く茶化して苦笑した。
「今まで仕事が大好きで、大変だけど楽しいし、刺激的だし、やりがいも感じているから、恋は一旦いいやって思ってたの。でも、乙女全開になっちゃった! 私も素敵な恋がしたい~!」
 綾乃さんが再び拳を握って叫んで――「ねぇ、莉乃ちゃん。そう思わない?」と、私を見る。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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