【試し読み】引きこもり令嬢の困った日常1~探偵助手もお付き合いも謹んでお断りします!~


作家:狭山ひびき
イラスト:文月マロ
レーベル:夢中文庫アレッタ
発売日:2022/8/12
販売価格:400円
あらすじ

「エリカ・アルドリッチ。殺人容疑で逮捕する!」――不穏な第一声とともにアルドリッチ邸に乗り込んできたのは変わり者と噂の刑事ジョゼフ・バークレイ。エリカのハンカチが殺人現場に残されていたというが、引きこもり令嬢に殺人なんてできるわけがない。事件の内容を聞いたエリカは、巷で流行りの探偵小説を模倣したものではないかと推理する。探偵おたくの家政婦マーサは興味津々。捜査はなぜか無関係なはずのエリカを巻き込んで進められた。――事件を解き明かしていく聡明で凛としたエリカの姿にバークレイ刑事は……!? はやく事件を解決して平穏な引きこもり生活を取り戻したい! 引きこもり令嬢エリカの困った日常が幕を開ける!

登場人物
エリカ・アルドリッチ
人見知りの引きこもり令嬢。ひょんなことから事件に巻き込まれてしまう、平穏な引きこもり生活を取り戻せるか!?
ジョゼフ・バークレイ
エリカを逮捕しようと突然やってきた刑事。事件を解き明かしていく聡明で凛としたエリカの姿に……?
試し読み

   プロローグ

 少し立て付けの悪い窓を開けると、レンガ色の屋根の端っこの方に真っ白い鳩がとまっていた。
 この鳩は我がアルドリッチ家の飼い鳩ではないのだが、一か月ほど前からここに居着いている。
 といっても、鳩は朝になるとどこかに飛び立っていって、日の暮れたころに戻って来てはここで羽を休めているだけで、巣を作っているわけでもないので、居着いているという表現は少々違うのかもしれないけれど。
 ほかに仲間もいないので、群れからはぐれた鳩なのかもしれない。
「シロ、今日は少しお寝坊さんね」
 鳩に向かって話しかけると、クルックーと鳴きながらくるんと丸い目をわたしに向ける。
 シロというのは、わたしがこの鳩につけた名前だ。一か月も姿を見ていると愛着がわいてくるもので、たまに食べかけのパンくずを与えたりしている。
 彼か彼女かはわからないが、鳩はわたしの言葉を理解したように、ばさりと朝の空へと飛び立った。
 ここ――貴族街でも一番端っこのあたりに位置するアルドリッチ家の邸からは、王都を東西に横切る運河、アズール川がよく見える。
 邸といっても、つい六年前に騎士爵をいただいたばかりの我がアルドリッチ家は、二階建ての小さな家に、殺風景な狭い庭があるだけで、世間一般に言うところの貴族のお邸とはかけ離れているのだが、騎士爵を授与された父がいつの間にか我が家のことを「邸」と呼ぶようになったので、一応そう呼んであげているだけである。
 曽祖父から受け継いだ家は古く、あちこちガタが来ている。つい最近も雨漏りを発見して、父が屋根に上って修繕したばかりだった。普通のお貴族様は自ら屋根に上って邸の修繕などしないのだが、我が家はほとんど庶民に近いから仕方がない。
 なにせ、使用人を大勢雇うお金もないから、マーサという通いの家政婦が一人いるだけなのである。彼女に大工仕事を頼むわけにはいかない。
 それでも、血筋をずっとたどれば、どこかの公爵家にたどり着くとかで、父は昔からプライドだけは人一倍高かった。
 貴族なんてものは、ずーっとさかのぼればどこかしらの良家とつながりがあるものだから、何もうちだけではないと思うのだけど、それを指摘すると父も兄たちも怒りはじめて非常に暑苦しいので、小心者のわたしは心の中だけで嘆息するにとどめている。
「今日は何をしようかしら」
 複数ある騎士団のうち、第三騎士団の団長を務めている父は朝早くに登城しているし、父と同様に騎士団に所属している暑苦しい兄たちも同時刻に家を出る。
 母はわたしが五つの時に流行り病で早世して、この時間この家にいるのはわたし一人である。
 あと一時間もすればマーサが来るだろうけど、来たところでわたしはどこかへ出かけるわけでもない。
 なぜならわたし、エリカ・アルドリッチは、引きこもりだからだ。
 大声で喚き散らすように喋る父や兄たちに囲まれて育ったわたしは、子供のころから自分の意見を言うのが苦手だった。
 そのせいかまともに友達もできず、気が付けば人見知りで、自分の狭い部屋の中で一人でいるのが好きな子供に育ってしまった。
 三つ子の魂百までとはよく言ったもので、十七歳になっても人見知りはまったく治らなかった。だから基本的に外には出たくないし、油断しているといろんな人から話しかけられるパーティーなんてもってのほか。
 今は初夏でシーズンオフだからいいものの、社交シーズンがはじまれば、やれパーティーだと父や兄が連れ出したがるので、せめてシーズンがはじまるまではどこにも行かずに心静かに過ごしたい。
「この前買った本も読んじゃったから新しい本がほしいけど……外には出たくないな」
 アルドリッチ家は貴族街の端っこにあるので、すぐそばのアズール川の橋を渡れば、すぐに商店街が見えてくる。大通り沿いにある本屋までは徒歩で三十分といったところだ。だから、買いに行こうと思えば行ける距離だけど――面倒くさい。
 ちなみに商店街を南に進めば市民街で、商店街には貴族のみならず市民も集まるから人が多い。引きこもりのわたしには、人ごみの中を歩くのは少々ハードルが高いのである。まったく出かけないわけではないけれど、できる限り出かける回数は少なくしておきたかった。
「今度マーサに頼んで適当に買ってきてもらおうかな」
 家政婦であるマーサは貴族でも貴族の血縁者でもないので、市民街に住んでいる。ここに来る途中に商店街を通るから、何でもいいから数冊買ってきてと頼めば買ってきてくれるだろう。マーサは最近はやりの探偵小説に心酔していて、せっせと布教活動をしているから、新刊は出ていないかと、よく本屋に顔を出しているのだ。
 そんなことを考えながらぼんやりと窓の外を見下ろしていると、家の門の前に辻馬車が停まったのが見えた。マーサは雨の日くらいしか馬車を使わないので、彼女ではないはずだ。
 今は父も兄も仕事でいないのに誰だろうと目を凝らして、わたしは思わず顔をしかめた。
「……やだ。バークレイ刑事じゃない……」
 角度によっては金髪にも見える薄い茶色の髪の長身痩躯の若き刑事ジョゼフ・バークレイ。
 ついこの前、いわれのない言いがかりで、一時は殺人犯にされかかったことを思い出して、わたしはばたんと窓を閉めた。
 あの事件は真犯人も逮捕されて解決済みのはずなのに、今日はいったい何の用だろう。
 むむっと眉を寄せていると、狭くて何も植わっていない庭を横切ったバークレイ刑事が、我が家の玄関の呼び鈴を鳴らしたようだった。
 緑青のこびりついた銅製の呼び鈴の、ちょっと鈍いリンという音に顔をしかめる。
 できれば居留守を使いたいが、バークレイ刑事はわたしが引きこもりなのを知っている。
 マーサもまだ来ないし、わたしが応対するしかあるまい。
 仕方がないと嘆息して、わたしは階段を下りて玄関へ向かった。
 扉を開けると、顔だけはいいバークレイ刑事が、トパーズ色の瞳を細めて微笑んだ。
「やあ、いい朝ですね」
「……そうですね」
 まさか挨拶をするために来たわけでもあるまい。
 この時間だと、刑事はまだ出勤前だろう。出勤前にわざわざ我が家に寄ったのはどうしてだろうか。
 なんだか両手を後ろにして、そわそわしているようにも見える。
 客が訪ねてきた用事をこちらから質問しなければならないのかと、不条理を感じながら、わたしが口を開きかけた時だった。
 バッと勢いよくバークレイ刑事が両手を前に突き出してきて、わたしは咄嗟に身構えてしまった。……びっくりした。突き飛ばされるかと思った。
 けれども、バークレイ刑事は両手を前に突き出して、やや上体を俯かせたままピタリと制止しているから、わたしを突き飛ばそうと思ったわけではあるまい。
 なにより、彼の手には一輪の赤い薔薇が握られていた。
 何故、薔薇?
 この薔薇をどうしたいのだろうかと困惑していると、少々上ずった声で彼が言った。
「ア、ア、アルドリッチ嬢! 俺と交際してください!!」
 青天の霹靂だった。

   一、ジョゼフ・バークレイはなぜ交際を申し込んだのか

 ジョゼフ・バークレイ刑事は、一輪の薔薇をわたしに押し付けると、逃げるように立ち去ってしまった。
 去り際にちらりと見えた彼の耳が赤く染まっていたことが、どうしようもなくわたしを不安にさせる。赤くなっていた。つまり、今しがたの「俺と交際してください!!」は冗談ではなかったのだろう。
 わたしは何気なく空を見上げて太陽の位置を確認すると、わたしの返事も聞かずに彼が急いで立ち去った意味を知った。そろそろ、彼の就業時間だ。
 わざわざ朝の忙しいときに来なくてもいいのに。
 嘆息しつつ、受け取ってしまった薔薇の花をどうしようかと考える。このままにしていたらしおれて枯れてしまうだろう。それは可哀そうな気がするが、かといって、我が家には花瓶などという洒落たものは存在しない。がさつな父や兄たちが、そんな可愛らしいものを必要とするはずがないからである。
「……お母様のものが残っていないかしら?」
 五歳の時に亡くなってしまった母のことはあまり覚えていない。線の細い儚い印象の人で、優しかった気がする。その程度だ。絵姿が残っているが、それを見る限り随分と綺麗な人だったようである。そんな人が、あの四角い顔をしたうるさくて面倒くさい父とどうして結婚したのだろうか。一生解けそうもない謎である。両親のロマンスなんて、三文芝居にも劣るだろうから、興味もないけど。
 母の私物の多くは、物置に収められていたはずだ。
 わたしは薔薇を片手に、一階の階段裏にある狭い物置へと向かった。
 扉を開けると、埃なのかカビなのかわからない独特な匂いが漂ってきて、思わず片手で鼻を押さえる。物置の中には使わないものしか収められていないから、当分開けていなかったのだろう。覗き込んでみたが、物置の中は薄暗くてよく見えなかった。
 あきらめよう。
 この中をひっくり返すのは、体力と精神力に多大なるダメージを負いそうな危険な予感がする。
 わたしは花瓶の発掘を諦めてキッチンへ向かうと、コップに水を入れて薔薇を挿した。ようやくそこで、そういえばまだ朝食を取っていなかったと思い出す。
 わたしはもともと食の細い方なので、特に朝食はマーサの目がないために忘れてしまうことが多い。
 マーサが朝食にと昨日のうちから作ってくれていたスープの入った鍋を開ければ、もう底が見えるほどに減っていた。
 大食漢が三人もいるから、大体いつもこんな感じだ。このまま鍋を火にかければ焦げ付くことがわかりきっているので、冷えたままのスープを皿に注ぐ。スープ皿に半分ほどの量が残っていた。
 特別何かが食べたかったわけでもなかったので、冷えたスープだけを手早く飲んで、テーブルの上の薔薇を見つめる。
「どうしよう、これ……」
 誰かに告白されたことがないのでわからないが、もしかして花を受け取ってしまったら、交際の申し込みを了承したと受け止められるのだろうか。
 申し訳ないが、バークレイ刑事の告白を受けるつもりはさらさらない。というか、わたしは誰とも結婚する気がないのだ。こんな引きこもりで人見知りなわたしが、誰かと結婚してうまくやっていけるはずがないからである。丸一日部屋にこもりっぱなしの妻など誰がほしがるものか。
「それに…………バークレイ刑事だし」
 はー、とため息が漏れる。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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