【試し読み】猫に転生した私、公爵令息を救いたい~もふもふ要員のはずが世界を滅ぼす魔物でした~


作家:一分咲
イラスト:仁藤あかね
レーベル:夢中文庫アレッタ
発売日:2022/8/12
販売価格:500円
あらすじ

気がついたら、猫だった。独身アラサーOLだったはずが、小説『光の乙女と漆黒の騎士』のヒロイン・ジェニファーの飼い猫ミスティに転生した私は、週七勤務も永遠に終わらないタスクも無茶ぶりしてくる上司も存在しないこの世界で、大好きなジェニファーと一緒に幸せな毎日を送っていた。ジェニファーがアカデミーに入学すると、猫のミスティは公爵令息のルイス様(モブにしては神々しすぎるルックスとスペックの持ち主)と出会う。とびきり優しい彼のことがミスティは大好きになるけれど、猫である自分は彼とおしゃべりすることもできない……。さらに、ミスティはただのもふもふ要員ではなく〝悪役〟であることを思い出してしまい──!?

登場人物
ミスティ
小説『光の乙女と漆黒の騎士』の主人公の飼い猫に転生した元独身社畜OL。
ルイス・アーヴァイン
公爵令息。『光の乙女と漆黒の騎士』のメインキャラではないが神々しすぎるルックスとスペックで……?
試し読み

【第一章】

「ミスティ! ミスティー! どこにいるの?」
「にゃーん」
 私を呼ぶ鈴を転がすような声に、お気に入りの木の上からくるりと回って着地する。
 タタッと駆けて主人のもとに辿り着くと、彼女は夕焼けみたいな瞳を輝かせて微笑んでくれた。
「またお庭の木の上にいたのね。私も一緒に本を読んでもいいかしら?」
「にゃーん!」
 もちろん! と返事をした私はご主人様を大好きな木の下まで案内する。
 私のあるじ――ジェニファー・スピアリットは十五歳になったばかりのかわいらしい少女。
 トパーズの瞳に滑らかな胡桃色の髪は、前世で私が知っていたどんな人よりも美しく可憐だ。
 ジェニファーが私お気に入りのオリーブの木の下に腰を下ろし、本を広げたのを見て私は彼女の膝にぴょんと乗る。
 すると、頭を優しく撫でてもらえた。うーん、気持ちいい……。
 そのまま、午後の暖かい日差しに包まれて微睡まどろむ。
 ここには週七勤務も永遠に終わらないタスクも無茶ぶりしてくる上司も情緒不安定な後輩も存在しない。
 ジェニファーと一緒に遊んでご飯を食べ、寝て暮らす毎日って本当に最高。
 はぁ、幸せ。

 気がついたら、猫だった。
 確かに、「大きな目が猫っぽい」とか「前世は絶対猫だね」とか言われたことはあった。
 でも、まさか猫に生まれ変わるとは!
 夢見がちではないけれど空想は好きな二十七歳アラサー独身だった私もさすがに驚いた。
 生まれ変わったきっかけは、たぶん過労死? のようなものだと思う。
 私の前世は激務と評判の某職種。いつも通りの残業を終えた私は終電に揺られてよろよろと最寄り駅に着いた。
 タクシーを使わずに終電で帰れてよかった……と思うぐらいには疲れ果てていた気がする。
 終電で寝過ごすのを防ぐために呼んでいた小説『光の乙女と漆黒の騎士』を手に持ち、私は目をこすりながら閑散とした駅の階段を下りる。
 次々に飛んでくるメールやタスクを気にせず最後にぐっすり眠れたのは一体いつだっただろう。こんな暮らしをしていたら寿命が縮む。でもこの仕事、意外と嫌いじゃないんだよね……。
 そんなことを考えていると、突然の頭痛に襲われた。
「……っつ!?」
 なにこれ。頭が割れそうに痛い。まるでざくざくと刺されているかのような猛烈な感覚。到底立っていることはできなくて、うずくまってしまう。
 その瞬間、階段の中ほどにいた私の世界がぐらりと揺れた。
 ――あ、落ちる。
 全身が危険を察知したのを最後に、私の世界は真っ暗になった。

 目覚めると、私は知らない場所に倒れていた。
 頬をくすぐる草の感触と土の匂い。あれ……ここ、駅の階段でも病院でもない……?
 一体私はどこに寝ていたんだろう。
 とりあえず身体を起こさなきゃ。このまま地面にはいつくばっているのはちょっと嫌。
『……ん?』
 身体を起こしたはずなのに、地面が全然遠くならない。というか、視界が全然変わらない。どういうこと……?
『あれ。これって私の手……? え、な、なに、これ、』
 私の目の前にあるのは、銀色に輝くふわふわモコモコの手。
 そして、肉球。え、にくきゅう?
 一体何なのこれ。事態を把握できないまま、近くに泉のようなものが見えたのでそこに行って恐る恐る自分の顔を見てみた。
『……!?』
 私は、見事に猫になっていたのだった。
 白く光る銀色の毛に、吸い込まれそうに深く透き通ったブルーサファイアの瞳。全身はバランスよくすらりとしていて、毛並みもいい。
 これは美猫。自分でも思わず見惚れてしまうほどの美猫だった。
 泉から顔を上げて周囲を見回してみる。
 この泉のふちは石でできていて、ところどころ綺麗な石が埋め込まれている。明らかに、観賞用につくられたものだ。
 泉の先に見えるのは、大きなお屋敷。古めかしい感じはするけれど、ピカピカに磨かれた壁は清潔感があって何だか温かい。
 まるで、よくあるおとぎ話の世界のよう。
『あれ、私夢を見ているのかな?』
 きっとそうに違いない。
 安易に結論付けた私は、目が覚めるのを待つことにした。
 頭上をゆっくり流れていくふわふわの雲と、花の香りを運んでくる柔らかな風、目に映るのはかわいらしいメルヘンな世界。
 けれど、目は一向に覚めることがなくて、気がついたら夕暮れになっていた。
 いよいよこれはおかしいなと思っていたら、遠くに見えていた大きなお屋敷から一人の女性がやってきた。
「ミスティ。こんなところにいたの? 今日一日、あなたのことを探していたのよ」
 ……ミスティ? それ誰?
 ぱちぱちと目を瞬いていると、彼女は私を慣れた仕草で抱き上げた。ふわりと匂うバニラの香りに一日何も食べていない空腹のお腹が鳴って、突然現実味を感じる。
 この人……誰なのだろう? 見た感じは二十歳前後ぐらいだと思うけど、なんて言うか……私が知っているその世代と違う。全体的に優雅で、身のこなしがきれい。
 そのうちに女性を呼ぶ声がした。
「奥様! ジェニファーお嬢様はミルクを飲まれた後、よくお眠りになっています」
「アンジェラ、ありがとう」
 ……ジェニファー……?
 ……アンジェラ……?
 はたと気がついた。
『なんか知ってる……。電車の中で読んでいた小説の主人公と家庭教師の名前、だったような』
 永遠に終わりそうにない夢と、妙にリアルな感覚、階段から落ちる直前まで読んでいた小説の主人公の名前。
 もしかしてこれって、ラノベでよくある異世界転生というものなのでは……!
 ――つまり私は死んだ……?
 過労でなのか階段から落ちてなのか知らないけれど、私は死んで異世界に来てしまったらしい。
「そんな……」
 ファンタジーの世界に憧れはあった。
 でもまさか死ぬなんて!
 しかも、そこで終わらずに転生できたはいいけれど、猫とかある!?

 こんな感じで、一応はそれなりに凹んだ。
 二十七歳で親孝行もしないままあっさり死んで両親に申し訳ないとか、やり残したことがあったのにとかいろいろな悔しさも人並みにあった。
 けれどそこは割愛したい。
 だって、今の私にはこんなに楽しくて素敵な毎日があるんだもの。

 小説『光の乙女と漆黒の騎士』の世界に転生してから十五年の歳月が経っていた。
 私の主人は小説の主人公、ジェニファー・スピアリット。異世界に転生してしまったことを理解したときに、私を抱っこしていた女性の娘だ。
 ジェニファーは小説での描写そのままに、明るく前向きでかわいく美しい、とっても素敵なご令嬢。
 どんなことにも一生懸命だし、賢くて優しいから周囲からの人望も厚い。それなのに少し性格的に抜けてぽーっとしたところなんかもあって……。
 とにかく、ジェニファーは小説のヒロインにふさわしいレディだと思う。私も大好き。
 一方の私はどんなキャラなのかというと、特別な説明は必要ないただのジェニファーが飼っている猫だった。
 表紙のカバーイラストでもヒロインに抱きしめられていた、要するにもふもふ要員である。
 ちなみに、もふもふ要員としてのご都合主義なのか、なぜか私は十五年経っても老いることがなく、ぴかぴかツヤツヤの美猫だった。
 死んで転生したことはそれなりにショックだったけれど、私はあっさり切り替えた。
 毎日ジェニファーと一緒に本を読み、お菓子を食べ、陽当たりのいい長椅子でお昼寝をし、とにかく幸せな毎日を送っていた。
 けれど、気がかりなこともある。
 私とジェニファーがいる世界は『光の乙女と漆黒の騎士』の世界なのだ。
 お話の世界ということは、どんなに平和で楽しい毎日でも起承転結や主人公をピンチにするエピソードがこの先に待っているということで……。
 しかも、私は『光の乙女と漆黒の騎士』の内容をいまいち覚えていなかった。
 読んだのは、電車の中で一度きり。そこからもう十五年も経ってしまっている。
 登場人物の名前や重要度、あらすじは時折思い出していたので何となくわかるものの、ジェニファーをどんなピンチが襲うのかは謎のまま。
 もちろん、忘れている私が悪いことにかわりはないのだけれど。
「ねえ見て、ミスティ! アカデミーの制服が届いたのよ。とてもかわいいでしょう?」
「みゃーん」
 考え事をしていたところを現実に引き戻される。
 私がどんな言葉をしゃべっても、ジェニファーには『みゃーん』と猫の鳴き声にしか聞こえていないらしい。
 それは少し不便だけれど、猫だから仕方がないよね。
 ジェニファーとお話ししてみたかったけれど、私たちの間には会話はなくても絆がある。だから大丈夫……!
「ねえ、ミスティ。ちゃんと見てる?」
「みゃっ……みゃーん」
 しまった、適当に答えていたのを見破られてしまった。
 改めて、意識をジェニファーへと向ける。すると、彼女の手にはとてもかわいらしい制服が広げられていた。
 貴族令嬢にふさわしいネイビーのひざ丈ドレスに揃いのジャケット。華美ではないけれど、ところどころのディティールが女の子らしくてかわいいデザインだった。
 前世で例えるなら、お嬢様学校の制服、というのがイメージにぴったりで。
 もちろん、これを着るのはジェニファーをはじめとした貴族令嬢たち。
 令嬢付きのメイドが丁寧に仕上げた髪型にあわせるのだから、デザインは質素に近くても、実際に着るとそうはならない。
 まぁ、うちのジェニファーが一番似合うんだけれどね!
「あっ。もしかして似合いそうだって思ってくれたかしら? よかった! ふふふっ。アカデミーに入学するのが本当に楽しみだわ」
 ほぼ母親の気持ちでジェニファーを眺めていた私だったけれど、『アカデミー』という言葉にぴりりとした緊張を感じる。
 なぜなら、『光の乙女と漆黒の騎士』のお話は主人公であるジェニファーが十五歳になってアカデミーに入学するところから始まるからだ。
 男爵令嬢のジェニファーは持ち前の明るさと天使のようなルックスですぐに人気者になり、ある出来事をきっかけに『光の乙女』の力を目覚めさせる。
 ちなみに、ある出来事が何なのかはすっかり忘れた。
 けれど、とにかく『光の乙女』ジェニファーは『漆黒の騎士』になるヒーローと出会い、彼の心の傷を癒していく……というストーリーだったような。
 あと数か月もすれば、ジェニファーはアカデミーに通い始める。そして、私はもふもふ要員として一緒に入寮し、毎日窓辺でうたた寝することになるのだ。……たぶん。
『光の乙女と漆黒の騎士』の表紙にいたヒーロー……『アレックス』はかなりのイケメンだった気がする。
 小説の内容を細かく覚えていないことは不安だけれど、とにかく私はヒーローのお顔が見てみたい。
 せっかく異世界転生したんだもん。日本にはいない類の、あらゆる言葉を尽くして表現されるイケメンに会ってみたい!
 このお話はハッピーエンドだった。
 だからきっと、私はもふもふ要員としてアカデミーでの生活を楽しめるはず。きっと、何の心配もない。
 ジェニファーにはいろいろと試練が待っているかもしれないけれど、そこはこの物語の主人公なのだから頑張ってもらいたい。この先はヒーローも出てくるし、たぶん大丈夫。
 もちろん私も助けるよ! うん。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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