【試し読み】午前0時のおいしい魔法1~頑張り屋さんのためのポテ~

作家:烏丸紫明
イラスト:Laruha
レーベル:夢中文庫アレッタ
発売日:2021/12/3
販売価格:600円
あらすじ

神戸元町、旧居留地。正式名称、『神戸旧外国人居留地』──レトロで、クラシカルで、かつアバンギャルド。個性的で、いい意味でエキセントリックな街の一角にひっそりと、その店はある。深夜にだけ開店するお夜食専門店『tete-a-tete』(テテ・ア・テテ)。明るく元気なウェイトレス・莉乃とオネェ言葉の謎めくイケメンシェフ・千紘が提供する料理は、まるで魔法のように悩める人たちの心と身体に染みわたり、そして虜にしてしまう。深夜0時を待つワクワクするような時間、美味しい料理に、お腹が満たされた満足感。店を見つけることができた幸運なお客さまは、今夜もまた癒やしを求めてやってくる。

登場人物
結城莉乃(ゆうきりの)
好奇心旺盛な22歳。『tete-a-tete』の美味しい料理に魅了され給仕を手伝う。千紘には基本塩対応。
須藤千紘(すどうちひろ)
長身美形の29歳。『tete-a-tete』のシェフで、調理技術とセンスは天才的。なぜかオネェ言葉。
試し読み

 街が眠るには、まだ少し早い。

 二十三時ジャスト。アンティークランタン型のポーチライトに明かりを灯す。
 裏口にしては、なんとも立派な──古めかしく重厚な真紅の扉に、〈OPEN〉と書かれたプレートを下げる。
 さぁ、夜がはじまる。
 まるで、『ここから先は特別な場所ですよ』と主張しているかのようなそのドアを開けると、地下へと下りる階段が姿を現す。
 コンクリート剥き出しの壁。蛍光灯一つあるだけの、うす暗くて飾り気のない古い階段には、両側に様々な形のランプやランタン、テーブルライトなどが置かれていて、それらの暖色系の柔らかな光が、優しく足もとを照らす。
 その明かりに誘われるように階段を下りていくと、あたりに漂うとろけそうなほど美味なる香りが、鼻をくすぐる──なんてささやかなものではない。全身を包み込み、熱烈なハグをしてくれる。
 瞬間、お腹がぐぅ~っと鳴く。ああ、この匂い、たまらない!
 私はゴクリと生唾を呑み込むと、階段を一気に駆け下りた。
千紘ちひろさん! お腹が空きました!」
 店内に飛び込むなり、大きな声で訴える。
 カウンターの奥で鍋の火加減を見ていたシェフが、肩越しにこちらを振り返って、楽しげに目を細めた。
 私の『お腹が空きました』は、『お店を開けてきました』と同義。準備万端整った店内をグルリと見回して、シェフは満足げに頷いた。
「ごくろうさま。じゃあ、あと一時間頑張って
「ううう~!」
 こんな美味しそうな匂いの中、一時間も食べるのを我慢しなくちゃいけないなんて、ほとんど拷問だ。だけど、仕方がない。それがこの店のルールだから。
 今日こそは、お腹の音をお客さまに聞かれないように頑張ろう。
 そんな無駄な決意をしていた、その時──。コツコツと、階段を下りてくる足音がする。私はハッとして、視線を巡らせた。
 この店の挨拶は、『いらっしゃいませ』ではない。
「こんばんは」
 いらっしゃったお客さまに、私はとびっきりの笑顔を向けた。
「よい夜ですね!」

頑張り屋さんのためのポテ

 神戸元町もとまち、旧居留地。正式名称、『神戸旧外国人居留地』──。
 今から百五十年近く昔の江戸時代の末期のこと。黒船来航に端を発した鎖国政策の終了により、世界に向けて、横浜・長崎・函館・新潟・神戸の五港が開港。
 当時は、それまで二百年以上続いた鎖国政策のため、ほとんどの日本人は外国人を見たことがなくて、そのため政府は、無用な混乱を避けようと、外国人の住む場所を制限することに。それが『居留地』。神戸では海に近い神戸村──現在の元町付近が外国人居留地と定められた。
 神戸居留地ではヨーロッパの近代都市をお手本として、街路樹が美しい格子状街路、緑豊かな公園、明るく街を照らすガス灯に下水道などが整備されて、美しさとともに機能も兼ね備えた街並みが作り上げられたそう。
 現在でもその面影はしっかり残っていて、立派な近代洋風建築が立ち並び、まるでヨーロッパの街のようなおもむき
 文化的に価値の高い歴史的建造物が数多く立ち並んでいるけれど、『古い』という言葉はまったく似合わない。人々に昔から愛されている高級ブランド店から、時代の最先端をゆく海外の個性派ショップまで、まるで時代の流れの中にいるかのように、古いものも新しいものも入り乱れて、人々を楽しませてくれる街だ。
 そんな──レトロで、クラシカルで、かつアバンギャルド。個性的で、いい意味でエキセントリックな街の一角に、うちの店はある。
「……千紘さん」
 この店唯一の四人席。柔らかな曲線美が美しい、赤いベルベットのモフソファーに横になっている女性を見下ろして、私──結城ゆうき莉乃りのは眉を寄せた。
「女の人を連れ込むのは、自室にしてくださいよ。叔父さんに言いつけますよ?」
「は……?」
 思いがけない言葉だったのか、カウンターの奥で仕込みをしていたシェフ──須藤すどう千紘さんが、驚いた様子で肩越しにこちらを振り返った。
 ゆるいカーブを描いた、まるで夏の太陽のように輝く金髪。凛々しい双眸は、深い海の蒼。引き締まった頬。薄くて形のいい唇。すっと通った鼻筋。眉毛は男らしく、顎から喉仏が少し目立つ首へのラインは、なんとも精悍で野性的。
 さらには、一八〇センチ超えの長身。ほどよく筋肉もついた、完全なるモデル体型。
 美形と表現しても、差し支えないと思う。黙っていれば、百点満点のかっこよさ。文句なしのイケメンだ。
 繰り返すけど、黙っていれば
「……何を言ってるの?」
 千紘さんが仕込みの手を止めて、身体ごとこちらを向く。
「ヤダ、莉乃ちゃん。アタシがそんなことすると思う? 見くびらないで!」
 ショックだと言わんばかりに、その綺麗な顔を大げさにしかめる。私は内心そっとため息をついた。
 そう。このオネェ言葉さえなければ。
 もちろん私は、LGBT──性的マイノリティに理解がないわけでも、偏見があるわけでもない。心が女性だったり、あるいは性自認がはっきりしなかったりするなら、千紘さんがオネェ言葉を使うことをどうこう思ったりはしない。
 けれど、千紘さんは身も心も男性。性的指向──つまり、好きになる相手の性別は、異性である女性。千紘さんはマイノリティではなく、完全マジョリティ。
 それなのに、オネェ言葉を使うのだ。何度か理由を聞いてみたけれど、必ず『今、反抗期だから』というわけのわからない答えが返ってくる。
 だから──というわけでもないけれど、千紘さんが何か言うたびにもったいないと思ってしまう。だって、ほかは本当に非の打ちどころのないイケメンっぷりだから。
「もちろん、女の子を連れ込むなら、自宅にするわよ。いつ邪魔が入るかわからない場所じゃ、落ち着いて楽しめないでしょ!? イロイロと!」
「あ、そっちですか」
 神聖なる職場でそんなことするわけないって言うのかと思った。
「そりゃ、そうよ。連れ込んだら、ちゃんと連れ込んだ目的を完遂したいじゃない。だから、連れ込む場所は大事よ。第一条件は、絶対に邪魔が入らないところ!」
「……なるほど。目的ですか」
 妙な説得力のある言葉に、頷く。
「じゃあ……こちらの女性は?」
「お店の前でうずくまってたのよ。その時はまだかろうじて意識があったから、救急車を呼ぶか訊いたら、ただの貧血だから少し休めば大丈夫だって言うから……」
 そういえば、顔色が悪い。ほとんど土気色だ。
「横になったとたんに意識飛ばしちゃったんだけど、呼吸音にとくに乱れはないし、そのまま休ませてあげてたのよ」
「それ、何時ごろの話ですか?」
「ええと……二十一時ごろかしらね?」
「じゃあ、もう一時間ぐらい、ここでお休みなんですね」
 それなら、そろそろ起こしてあげたほうがいいと思う。家がこの近くじゃないかもしれないし、そうすると帰りの時間が心配だ。一時間休んでもまだ動けないようなら、病院に行くべきだし。
 私がそう言うと、千紘さんは「そうね」と頷いて、再び私に背を向けた。
「じゃあ、お茶を淹れるわ。その間、店内の掃除をお願い」
「はーい」
 元気よくお返事をして、私は箒を手にくるりと回れ右をした。
 神戸旧居留地に、『livre d’imagesリーヴルディマージュ』という紅茶専門店がある。店名はフランス語で『絵本』の意。昭和初期に建てられた、二階建てのレトロなビル。フランスはパリのアパルトマン──あ、この場合はメゾネットかな? 小さな集合住宅。そんな感じの石造りの建物。クリーム色の壁のいたるところに精緻な彫刻が施されていて、窓には優美なデザインのアイアンフェンス。異国感溢れる観音開きの巨大で重厚なドアから一歩中に入ると、その名のとおり絵本で見るような『非日常』が広がる。
 一階は、紅茶と雑貨のショップ。白い漆喰の塗り壁に、ギシリと鳴く古い飴色の床。所狭しと並ぶ、紅茶や食器たち。毎日キッチンで焼き上げられる、たくさんの種類の焼き菓子たちも。見ているだけで心がときめく。
 階段を上がった二階は、サロン・ド・テ。つまりティーサロン。メルヘンチックな一階とは違い、しっとりと落ち着いた雰囲気。アンティークの家具や雑貨に囲まれて、美味しい紅茶を楽しむことができる。
 旧居留地でも有名な──とても人気のお店だ。
 けれど、そのレトロなビルに実は地下階が存在することを、知っている人は少ない。
 ビルの裏口の真紅のドアが、その入り口。
 そもそも路地とも言いがたいような細い道を通って、ビルの裏手に回る人は少ない。普通なら、そんなところに用などないから。しかも、看板も何もない。
 しかし、その秘密の地下階に、この店──ビストロ『tete-a-teteテテアテテ』はある。
 上階と同じく、白い漆喰の塗り壁に廃材を再利用した床。無垢材のカウンターには六席。その背後には二人席が三つ並び、さらにその奥──壁際には、アンティークのミシン台とライティングテーブルを利用した一人席が二つ。それらは壁を向いている。お一人さまのカウンターテーブルといった感じだ。そして、唯一の四人席が一つ。
 椅子もテーブルも、フランスの蚤の市で気に入った物を買ったとかで、一つとして同じ物がない。
 そのほかにも、古びた装丁の本が雑多に並べられたアンティークのブックケースやクラシカルなフレンチテイストの食器や雑貨で飾られたカップボードやチェストが。それらも、シリーズ家具ではなく、テイストはバラバラだ。
 そんな──一見ちぐはぐで雑多な感じがするのに不思議と調和していて、何故だかホッとする。『家庭』という言葉がよく似合う、温かくて優しい空間。
 くつろぐには、これ以上の場所はないと私は思っている。
「莉乃ちゃーん。お茶の準備、できたわよー」
 チリ一つ残さないよう丁寧に丁寧に、隅々まで掃き掃除をして、集めたそのゴミを片付けた瞬間、千紘さんが私を呼ぶ。
 私は返事をして、箒を片付けたあと、しっかりと手を洗って、ソファーで眠る女性のもとへ。ソファーの脇に膝をつくと、その身体を優しく揺さぶった。
「あの、えーっと……」
 名前がわからないのは、こういう時不便だ。なんて声をかけていいかわからない。
 年齢は、三十代前半といったところだろうか? グレーのタイトなパンツスーツがよく似合っている。いかにも『働く女性』といった感じだった。間違いなく私よりも年上だし、『お姉さん』でいいかな?
「あの、もしもし? お姉さん、大丈夫ですか?」
「……ん……」
 声をかけながら何度か揺さぶると、女性がビクリと身を震わせる。
 ややあって──長い睫毛がゆっくりと持ち上がる。定まらない視線が、ぼんやりとあたりを彷徨う。
「……? ……」
「お姉さん、大丈夫ですか?」
「……え……?」
 女性が私を見、再びのろのろと周りを見回す。
「……ええと……?」
「店の前にうずくまっておられたんです。それで、お店で休んでいただいたんですよ。覚えていらっしゃいませんか?」
 どうやら、なかなか現状が把握できないらしい。簡単に状況を説明すると、女性はゆっくりと手を上げて、額をさすった。
「ああ……そっか……そうだった……」
「思い出せましたか?」
「ええ……ごめんなさい……。ご迷惑をおかけしてしまって……」
 私は首を横に振った。迷惑をこうむった覚えはないから。
「気分はどうですか? 起き上がれそうですか?」
「……はい。大丈夫だと……」
 女性が頷いて、慎重に起き上がる。緩慢な動きだったけれど、頭がふらついている様子はない。私はホッと息をついて、素早く立ち上がった。
 そして、カウンターでほわっと温かな湯気を上げていたマグをトレーに載せると、すぐさま女性のもとへ戻った。
「あの、紅茶なんですけど……。紅茶は飲めますか?」
「え……? あ、はい。好きです……」
「よかった。ほかにも、アレルギーなどはございませんか?」
「はい……。とくには……」
「じゃあ、こちらをどうぞ」
 私はふんわりとよい香りのするマグカップを、女性の前に差し出した。
「これは……?」
「薬膳ミルクティーです。茶葉はミルクティーに最適なアッサムブレンドを。ドライフルーツのなつめとともに煮出して、常温の牛乳と合わせました。あとはシナモンを少々。甘みは黒糖で少しだけ」
 シェフに訊くまでもない。私もいつも飲んでいる、おなじみのドリンク。なつめは気を補い、身体を温め、冷え性の改善に貧血の予防などの効果がある。シナモンも、身体を温め、血行を改善。当然、冷えやむくみにも効き、毛細血管を保護するため、シミやしわ、たるみの予防になるなど、女性には嬉しい効能ばかりだ。
 女性が両手でマグカップを包み込むようにして、それを受け取る。ヒヤリと冷たい指先が、私の手をかすめた。
「……! 美味しい……」
 一口飲んで、女性がほうっと息をつく。
「……温まります……」
「よかったです。ゆっくり飲んで、身体を目覚めさせてあげてください」
 にっこり笑顔で言うと、女性が私を見上げて──それからふと、周りを見回した。
「ここは……?」
「ビストロ『tete-a-tete』です」
「ビス……トロ……」
 私の言葉を口の中で反芻し、女性は再びガランとした店内に視線を巡らせた。
「……あの……今日はお休みか何か……ですか? もしかして私……お休みなのに、お邪魔してしまったんでしょうか……?」
「いえ、そうじゃありません。お客さまがいないのは、まだ開店前なだけです」
「え……?」
 女性が驚いた様子で目を丸くし、手首を返して腕時計を確認する。
「で、でも、もう……」
 驚くのも無理はない。もう二十二時過ぎ。普通のビストロならば一番忙しい時か、そろそろオーダーストップかという時間だ。
 でも、うちの店は『普通のビストロ』ではないから。
「うちは、二十三時開店なんですよ」
「……! 二十三時、開店……?」
「ええ。二十三時開店で、お食事は午前〇時から。メニューは、日替わりで二種類のスペをご用意しております。そして、午前二時に閉店です」
「スペって……」
 女性が私を見上げたまま、小首を傾げる。
「お夜食、ですか……?」
「あ、ご存知なんですね? はい。フランス語でお夜食のことです」
「あ……じゃあ、テテ・ア・テテって……もしかして、テイタテイトゥのこと?」
 その素晴らしい発音に、思わずパチパチと拍手する。
「そうですね。『二人だけで』『差し向かいで』『内緒話』といった意味のフランスの言葉です。だけどそのままだと覚えにくいから、ローマ字読みにしたんだそうですよ。だから、テテ・ア・テテ」
「へぇ……」
「響きがとっても可愛いでしょ~?」
 それまで黙々と作業をしていた千紘さんがこちらを振り向いて、笑顔で言う。
「すごく、気に入ってるの!」
「え……? ええと…………」
 突然会話に入ってきたオネェ言葉の超絶イケメンに、女性が息を呑み、言葉を失う。そのまま、ひどく戸惑った様子で視線を揺らすのを見て、私は内心ため息をついた。ああ、わかる。わかるよ。情報量が多すぎるよね。私もはじめてこの店に来た時は、千紘さんのパーフェクトなイケメンっぷりに驚いていいのか、ときめいていいのか、感動していいのか、同時に外見にまったくそぐわないオネェ言葉にツッコミを入れていいのか、それともセンシティブな問題としてスルーしたほうがいいのか、もう何をどうしたらいいのかわからなくなって、脳みそショートしかけたもの。
 私は小さく肩をすくめて、千紘さんを手で示し、女性ににっこりと笑いかけた。
「アレはうちの店長でシェフの須藤です。反抗期真っ只中の二十九歳。オネェ言葉は反抗心の表れだそうなので、気にしないでください。つまりちょっとおかしな人です。街で見かけても無視してくださいね」
「え……?」
「ちょ、ちょっとぉ! 莉乃ちゃん! なんてこと言うの!」
 千紘さんがカウンターの向こうで、コールドテーブルをバンバン叩いて抗議する。
「え? 何か間違ってましたか?」
「……何一つ間違ってないけども」
 じゃあ、黙っててください。やかましいんで。
 ピシャリとそう言ってやると、千紘さんがシュンとして作業に戻る。
「あ、あの……いいんですか……?」
 女性がオロオロと、小さくなってしまった千紘さんの背中と私を交互に見る。
「大丈夫ですよ。お気になさらず。いつものことですので」
 あの程度でへこたれる変態ではないので。
 私の言いようがおかしかったのか、女性がほんの少し口もとを綻ばせる。──うん、よし。ちょっぴりだけど、笑顔が出た。もう大丈夫そうかな?
 私はホッと息をついて、トレーを抱え直した。

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