【試し読み】高嶺税理士事務所の非日常~依頼人はみなさま訳ありで~
あらすじ
霊と会話出来てしまう、そんな特殊な能力を持つとは知らずに相澤真雪をアルバイトで雇ってしまった税理士・高嶺元(はじむ)。彼女が連れてくる依頼人たちは幽体離脱中のおばあさんや、この世に心残りがある幽霊ばかり。彼らが遺していく家族への想いや心配事を聞いては毎回激しく同情する真雪。そうしてやや?強引に、なんとかしてあげて欲しい、と真雪に泣きつかれる高嶺は、最初は怯えて嫌がるものの、毎度なにかと税理士という職業ゆえの関心をそそられながら、気づけば巻き込まれていく──訳ありな依頼人たちと織りなすハートフルなストーリー。 ※本作品は同タイトルで過去配信した内容に書下ろし番外編を加えたものになります。
登場人物
霊感体質で霊と会話が出来る。アルバイト先である税理士事務所に幽霊ばかりを連れてくるが…
税理士。真雪が連れてくる依頼人に怯えつつも、真面目で義理堅い性格のせいか巻き込まれがち。
試し読み
第一章 真雪さん、お客さんを獲得する
「先生、お願いがあるんです」
「え?」
新聞を読んでいる高嶺元が顔を上げた。突然の言葉に目が動揺を浮かべている。いきなり〝お願い〟されるのは不安なのだろう。
真雪からしたら、なにが楽しくて生きているのかわからないと思うほど真面目そ~に見える人間だ。
(新聞って……マンガくらいにしようよ。つまんないじゃない)
と、思ったりなんかする。真面目すぎて頭から正体不明の植物でも生えてくるんじゃないかとか、もっと明るく楽しくいい加減じゃないと結婚できないよとか、どうでもいいことを考えてしまったりなんかしてしまう。といっても、まだ知り合って一週間しか経っていないのだが。まだ一週間しか経っていないのに、高嶺が独身であることだけは聞き出して知っている真雪であった。(注・ただし、タイプではない)
渋谷の駅から歩いて五分弱の雑居ビル。その三階の窓横に据えられている看板には、『高嶺税理士事務所』とあった。
そろそろ暑くなってくる東京の六月中旬。相澤真雪がここ高嶺税理士事務所でアルバイトを始めてようやく一週間が経とうとしているところだった。
二〇平米ほどの広さで、一部をパーティションで仕切り、来客時打ち合わせ用に机と椅子を置いている。それ以外のメインの場は、二人分の机と本棚、コピー機、小さな冷蔵庫、その他小物があるだけでけっこう狭い感じだが、雇い主である税理士の高嶺と真雪の二人では充分と言えば充分だ。ただ、三十歳の高嶺と二十四歳の真雪の二人きりという状況が良いのかどうなのかは疑問ではあるが。
実際に高嶺は気にしている様子で、面接時でも「ご家族は良いと言っている?」と、何度も確認したものだった。そのつど真雪は「大丈夫です。了解してくれています」と明るく答えたのだが、高嶺は最後まで釈然としない様子だった。
とはいえ、高嶺の立場から「若い女性と二人きりは危ないからダメ」とは言えないだろう。それは自分が危険な男と言っているようなものだ。あるいは、襲われても仕方ないよ? と取られても困るだろう。
一方、真雪的にも突っ込んだことは言えないところだ。襲われてもいいなんて一ナノも思っていないが、先生には興味ありませんから~なんて失礼なことは言えない。互いに大人の対応をするしかないと思う。真雪としては、緩そうな職場で働きたいだけだったので、ここは理想に近い求人で、辞退したくなかったのだ。
朝は十時が始業時間だ。東京の通勤ラッシュを避けての開始で、終わるのは六時。しかしそれは真雪の就業時間で、高嶺には関係ない。だから真雪は高嶺が何時頃まで事務所で働いてるのかよく知らない。そもそも開業したての高嶺にどれだけ客がいて、どれだけ繁盛しているかなど、さっぱりわからない。ただ、開業時からアルバイトを雇おうと思うのだから、ゼロということはないのだろうと考えている。
(それにしても……開業時からいるお客さんってどんなケースがあるんだろう。親類とか、友達とか? まぁ、それでも少数よね? わたしのアルバイト代とここの維持費と先生の住んでるところの家賃と光熱費だけで売り上げ飛んじゃうかも? いや、待てよ。親と一緒だったら不要とか。え、パラサイト? つーか、先生のプライベート&プライバシー、まったく、これっぽっちも知らないから、なんとも言えないけど)
真雪的には閑古鳥モードだと勝手に思っている。
そんな胸中傍若無人な真雪の仕事は雑用と電話番だ。掃除機をかけ、拭き掃除をし、ゴミを処理して数少ない食器を洗う。それくらい。お客さんが来れば(まだ一度も来たことはないが)、お茶を出す役目も仰せつかっている。
そんな雑用をこなしている真雪の横で、高嶺は午前中いっぱい新聞を読む時間にあてている。時々電話がかかってきて対応する時は、読書タイムは午後にずれ込んだ。納得するまで読まないと気が済まない性格らしい。
ここに事務所を構えてまだ二週間だそうで、最初の一週間は机だのコピー機だのネットの開通だのの準備に追われ、終わってようやく開業し、今に至るわけで、この最初の一週間の際に真雪の面接、採用と相成った。とはいえ、その採用は真雪の超ごり押しだったのだが。
「お願いって、なに?」
「先生にしかできない大切なお願いなんです」
高嶺の目が「嫌な予感」と力いっぱい語っている。対して真雪の目にも「まだなにも言ってないのに、なによ、その目つき、失敬な」という感情が浮かんでいるが、双方、言葉に出して言うことはなかった。
まだ一週間しか経ってないのに、互いの性格をなんとなく掴めている二人──そんな感じである。
真雪としては、本当は正社員になるべく就活したかった。だが、父の病気によってその時期を失い、まだ本調子ではないのでなるべく融通の利く仕事に就きたくアルバイトにしたのだ。そこで決まった(決めた?)のがここ高嶺税理士事務所で、看板通り税理士が開く事務所だった。
その父に、バイトが決まったことを電話で報告した時は、「お前、そんな若い独身の男の事務所で二人きりって大丈夫なのか!?」と心配をされたものだ。
「お父さんが原因で就活できなかったのに! 文句言わないでくれる!?」
と、一蹴すると、電話の向こうの父は明らかにしょぼんと小さくなったことがわかった。それでも、
「だけど……やっぱり心配じゃないか。若い男と終日狭い事務所で二人きりなんて」
と、ブツブツ言っている。父の不安は誰でも抱くことで、それはつまり、高嶺が「ご家族は良いと言っている?」と尋ねたことズバリであるのだ。
とはいえ真雪には真雪の考えがある。なにも無謀を爆走させたわけではない。
(お父さんの心配はわからなくはないけど、事務所を開いたばかりの人が、いきなりセクハラ&パワハラをしてせっかくの独立をふいにするとは思えない。しかも資格業って犯罪を起こせば取り消しになったりするんでしょ? だよね? 違う? わたしが一発警察に行くかマスコミにリークしたら、この先生、資格どころか人生棒に振るのよ。ないわよないわよ。だから大丈夫)
と、男のことをあまり、いや、ほとんど知らない考えであったが、さらに続けて思う。
(三十歳っていうけど、なんだかすっごく奥手そうだし、それにとっても気弱そう。わたしのほうが先生をコントロールできちゃうよ、たぶんだけど)
とまで考える真雪である。
面談の時、若くて社会経験のない真雪に向け、
「えーっと、社会経験がないのか……じゃあ、ちょっと」と言ったところを、
「これから経験するので大丈夫です! よろしくお願いいたします! 先生!!」と、押し込み、
「えーっと……」と、思案する高嶺に、
「大丈夫です! わたし、どんな雑用もウェルカムなんで! 〝こんなことをするために就職したんじゃなーい!〟って言う女と違いますから! お茶汲みでもトイレ掃除でも、なんでもこい! ですから」と、さらに追い込み、
「いや……ここのビルは共同使用だから、トイレ掃除は管理会社がやるそうだけど、でもやっぱり社会人未経験ってのは……」と、それでもけん制しようとするところを、
「だったら先生が教育してくださいっ。毎日ガッツリ勉強して、一日でも早く一人前になって先生のお役に立ちますから!」
と、強引に採用させたのは他ならぬ真雪であったのだ。
(絶対、押しに弱い。だからきっといろいろやりやすいと思う。でもまぁ、タイプじゃないからヘンなことしないけど)
シルバーのハーフフレームメガネをかけた高嶺はそのあたりにゴロゴロ転がっているごく普通の男で、身長は一七五センチぐらい。中肉中背で特に鍛えているといった感じもなく、一生懸命勉強してきました的な外見だ。顔つきは優しそうではあるが、見るからに生真面目だといった感じで、真雪的には人として頼りになりそうだが、男としての魅力はまったく感じない……という具合だった。
(大丈夫、開いたばかりの事務所が盛況になるように頑張って手伝うから)
とかなんとかぼんやり考えつつ一週間を過ごした。幸か不幸か、開いたばかりの事務所なのに、そこそこ電話がかかってきて、それらしい体裁にはなっていた。
(んー、親戚や友達だけにしては、そこそこ電話あるよね? しかも口調も丁寧語だし。ってことは、やっぱり純粋な顧客? んー、なんで開いたばかりで顧客がいるんだろう? つか、どれくらいいるんだろう。閑古鳥モードじゃないのかな?)
などと思いつつも、私語をするほどの仲ではないし、そんな関係でもないし、顧客はいるんですか? と失礼な質問をするほどアホでもない。真雪はムズムズする口を一生懸命きゅっと結んで我慢していた。
とにかく言われたことだけきちんとやって、嫌われないようにしよう、出しゃばらないようにしよう、そう思っていた真雪であったが、昨日の日曜日の出来事で事態が変わってしまったのだ。
「ぼくしかできないって……なに?」
「先生が税理士だからです。それ以外に理由はありませんよ」
「…………」
高嶺の目つきがなんだか怪しい。真雪は胡散臭がられていることに気づきながらも、そのことは無視した。
(なによ、普通こういう時、なにを言われるんだろう? まさか告白? ドキドキ、じゃないの? その目、失礼しちゃう)
と、思いつつも冷静に続けた。
「昨日、ちょっとお店の経営のことで相談されまして」
「相澤さんが?」
「えぇ、そうなんです。でも、わたしにはさっぱりわからないので、先生、代わりに聞いてもらえませんか?」
「……え?」
「お客さんはそれなりに来ているのに、なぜか売り上げが伸びないんですって」
そう言った途端に、高嶺の目つきがほんのわずかだが、変わった。
「他は?」
「他?」
「うん。それだけの情報では、まったく状況なんてわからない」
真雪は眉をひそめた。
「だから、わかんないから先生に代わってほしいんですよ。その人のところに一緒に行ってもらえないでしょうか?」
「……来てはくれないの? 来てくれたら会うけど」
「高齢なんです!」
力を込めた口調に高嶺は面食らったように目を丸くした。なにか言いたそうだが、それを制して真雪が続ける。
「お店はお孫さんのものだそうです。お願いします!!」
「いやぁ~でも……」
「先生は客を選ぶんですか!?」
真雪の勢いに高嶺は面食らいつつも、ちょっとムッとしたように口をへの字に曲げた。
「そんなことないよ」
「だったらお願いします!」
「……まぁ、いい、けど」
「ホントですか! じゃあ行きましょう!」
と、真雪が勢いよく立ち上がると、高嶺はますます驚いた様子でハーフフレームメガネの奥の目が魚のようにまん丸になっている。
「今から!?」
「そうです。善は急げです! 行きましょう!」
「でも……」
「急ぎの要件とかあるんですか? 今日は外出の予定もないでしょ? それともどなたか訪ねて来られるんですか!?」
叫ぶように言いつつ壁にかけているホワイトボードを指さす。本日どころか今週一週間予定はナシで真っ白だ。
「ないけど……」
「でしょ? 暇なんだからいいじゃないですかっ。行きましょう!」
「……暇って言わないでよ」
「実際、暇なんだからホントのことです」
「でも……いきなり行っていいの? 迷惑じゃないの?」
「いいんです! 先生、ほら、早く!」
真雪のかなり強引な促しに高嶺はしぶしぶ従った。ハンガーにかけているスーツのジャケットに袖を通し、必要なものをカバンに詰める。その間に真雪は戸締まりをして、高嶺が事務所から出ると消灯して鍵をかけた。
「どこまで行くの?」
「お茶の水です」
「……そう」
ルートはいくつもあるが、渋谷からJRで行くことになった。代々木で総武線に乗り換えたら、ラッキーにも座れた。
真雪はさっそくカバンからスマートフォンを取り出してメールやらなんやらをチェックしようとしたが、ちょっと気になってチラリと高嶺を見ると、なんだか分厚い本を開いているではないか。
「それ、なんです? もしかして仕事関係?」
まさかのお勉強?
と、思って尋ねると、高嶺は表紙を見せてつぶやくように言った。
「小説だけど」
「小説? こんなに分厚いんですか?」
「うん。でもこれ、上巻だから」
「え……これで半分?」
「面白いよ、ミステリで。読み終わったら貸そうか?」
「……わたしはミステリは、ちょっと」
「そう」
気のない返事をすると、そのまま黙り込んでしまった。
(まずったかな?)
と、一瞬よぎったが、どこをどう考えてもこんな分厚い本を二冊も読む気になんてなれない。
(マンガだったらわかるけどさ)
なんて思ってみたりなんかする。
(それにしても……)
真雪は首をひねった。いいと思って採用をごり押してみたが、この高嶺という税理士も、そもそも税理士という仕事も、よくわからない。真雪のイメージでは経理の専門家、くらいだ。
経理と言われると、つい「暗い」「細かい」「うるさい」と思ってしまうのだが、これも真雪の勝手なイメージである。なぜそんなイメージがついてしまったのかは判然としないのだが。
(経理とか会計とか、よくわかんないのだけど、毎月毎月同じ作業をして、毎年毎年同じ作業をして、ってさ、つまんないんじゃないのかな? なんかこう、面白い出来事とか、イベントとかでぱーっとしたほうが楽しい気がするんだけど)
そう思ってから真雪はやや俯き加減になった。
(人のことを言うなら、自分がそっちに行きゃいいのよね。好んで税理士事務所でバイトしようと思ったのはわたしなんだから。でもまぁ、穏やかに過ごせそうだし、おとなしそうな先生だし、いっか)
結局、真雪もこういう性格なので、深く考えることはなかった。
電車がようやく御茶ノ水に到着した。
※この続きは製品版でお楽しみください。