【試し読み】ウォルディ伯爵家の隠しごと~オニキスの死霊術師は夜の街を駆ける~

作家:柊一葉
イラスト:Laruha
レーベル:夢中文庫アレッタ
発売日:2021/6/4
販売価格:1200円
あらすじ

「次の旅は、神の加護があらんことを」昼間は儚く美しい伯爵令嬢を演じるリッカは、深夜の街に蠢く『人ならざる者』に祈り、銃を向けた──。一八八八年イギリス・ロンドン。貧困街イーストエンドを舞い、銀色の短剣と小型銃を手に夜を駆ける少女の名はリッカ・ウォルディ。二年前に起きたとある事件により、十歳で家族を失った彼女は、〝個性豊かな〟使用人たちと邸で暮らしながら、夜は執事のレイと共に事件により生まれた哀しき者たちを狩り続けている。『死霊術』にまつわる秘密を抱えたお嬢様と執事は平穏な幸せを取り戻すため、今日もロンドンの夜に消えていく──。話題のweb小説を電子書籍化。書き下ろし番外編収録!

登場人物
リッカ
昼間は可憐な伯爵令嬢を演じているが、夜は貧困街に蔓延る『人ならざる者』と戦う。
レイ
金髪碧眼の美青年。冷静沈着で仕事のデキる優秀な執事としてリッカを支える。
試し読み

【第一章】オニキスの姫君は執事の膝がお気に入り

 一八八八年九月、イギリス。
 ロンドンの貧困街、イーストエンドでは娼婦が殺害される猟奇殺人事件が発生していた。
 発見された遺体は無残にも切り裂かれ、本来なら現場に残されているはずの血痕はほんのわずか。娼婦を連れ込んだ犯人が自室で殺害し、その後遺体を人知れず運んで遺棄しているのだろうと人々は噂した。
 被害者の数は増え続け、怪奇事件として憶測が憶測を呼ぶ。
 けれどそれは、支配階級が住むロンドンの貴族街シティ・オブ・ロンドンの平穏を脅かすものではない。
 夜間の外出を控える者は増えるものの、パーティーや会合が催されればそこは従来通りの賑わいを見せ、煌びやかな世界はまやかしの平和を仕立て上げる。
 テムズ川に隣接するシティ・オブ・ロンドンの一等地、そこに豪華な邸を構えるウォルディ伯爵家を除いては──────。
 ここは、華やかな世界とは無縁の伯爵家。
 二年前のある事件以降、一人の令嬢が使用人たちと共にひっそりと暮らしていた。
 ウォルディ伯爵家は、漆黒の宝石・オニキスで財を成したことでその存在を広く知られている。
 娘のリッカ・ウォルディは、十二歳の伯爵令嬢。
 父親はイギリス人、母親は元・芸妓の日本人で、彼女の容姿は黒目黒髪というこの時代のイギリスではかなり珍しい色彩だ。
 美しい黒髪と特産の宝石をかけて「オニキスの姫君」と呼ばれている。その華奢な体躯は少女のそれで、大輪の花を咲かせる前の蕾のような清らかさだと評判だった。

 ウォルディ伯爵家の昼下がりは、幸福を絵に描いたような光景。
 白やペールブルーで彩られた部屋で、リッカはソファーに身体を横たわらせ、執事であるレイの膝枕ですやすやと心地よさそうに眠っている。
 執事らしい衣服に黒い手袋を身に着けた青年の膝に、主人のリッカが頭を乗せてすやすやと眠る様子はおなじみの光景だ。
「お嬢様、そろそろ起きる時間ですよ」
 レイが声をかけるも、リッカはしっかりと瞼を閉じたまま。
 そんな主を見て、彼はかすかに口角を上げる。
 執事のレイ・ポートマンは、十年前にリッカの父親に雇われた。二十五歳という若さで、この家の執事兼当主代行、リッカの教育係を担っている。
 金髪碧眼、凛々しい顔立ち。そしてすらりと長い手足はスタイルの良さをひと目で感じさせる。街を歩けば女性たちの視線を集め、夜会に顔を出せばご夫人方に誘われることもしばしば。
 しかし、恋人がいるという話は誰も聞いたことがない。
 二年前の事件以降、一人になってしまった悲劇の令嬢を支えるために生きているのだとわかりやすいお涙頂戴話が尾ひれをつけて広がっていき、彼は執事の鑑として高い評判を得ている。
 事の真相は、ウォルディ伯爵家の者だけが知っていた。
 この邸には、料理人二人と使用人五人、庭師が二人いるだけで、広大な敷地と邸にしては使用人が極端に少ない。
 秘密を守る者たちだけで、今日までひっそりと日々を過ごしてきた。
 柔らかな光が差し込む部屋で、レイの膝で眠るリッカは人形のように美しい。
 纏っている衣装が、繊細なレースが縫いつけられた白いブラウスに緋色のスカートというドレスエプロンであるから、よけいに人形のような作られた美を醸し出す。
 二人のお昼寝風景は伯爵家の日常。「執事が昼寝なんて」「ご令嬢がはしたない」などと彼らを咎める者はいない。
 ところがこの日、リッカの平穏を乱す「客」がやってきた。
 馬車がやってくる車輪の音。そこにある二つの気配。
 邸の広い敷地の外の出来事であり、常人には察知できない距離にもかかわらず、それをいち早く察知したレイはスッと視線を窓の方へ向けた。
「…………」
 招かれざる客が来た。レイは瞬時に悟る。
 いつものようにもうしばらく主を眠らせてあげたいが、そうもいかないようだ。
 彼の右手はリッカの肩に添えられていて、規則正しく上下するのはリッカがまだ夢の中にいる証拠。黒い手袋をした手で黒髪を梳くと、安らかだった表情がしかめっ面に変わった。
 レイは小さく息を吐き、表情を元に戻して声をかける。
「お嬢様、起きてください」
「…………」
 返事はない。
 リッカが呼びかけだけで目を覚ましたことはこれまでないのだから、当然ともいえる。
「まったく」
 一人ぼやいたレイは、彼の膝に乗っている黒い塊をポイッと乱暴にのけて立ち上がり、招かれざる客を迎えるために部屋を出ようとした。
 勢いよく座面に頭が落ちたリッカは、ここでようやく目を覚ます。
「んー、レイ?」
 ソファーの上で、目を擦りながら甘えた声を上げる。ドレスは、スカート部分が少しシワになっていた。
「もう夕方? まだ眠い……」
 あくびをしながらソファーに座ったリッカは、そのか細い手で目を擦る。
 すでにドアノブに手をかけていたレイは、美しい笑みを浮かべて振り返った。
「お嬢様」
「んー?」
 レイは、どんな女性も虜にするような微笑みで言った。
「お客様がいらしたので、伯爵令嬢に見えるよう取り繕ってください」
「え!! 嘘!?」
 リッカはしゃきっと背筋を伸ばし、慌ててスカートや髪を整える。
 レイは廊下から聞こえる足音で、侍女が来たと判断してそのまま部屋を立ち去った。
 ──ガチャ。
「お嬢様? お目覚めでしょうか」
「アンリーヴ! 誰か来たらしいから、支度をお願いっ」
 ソファーから立ち上がったリッカは、レイと入れ替わりに入ってきた侍女に身支度を整えるよう告げた。

***

 レイが感じ取った「招かれざる客」は、馬車に乗ってやってきた。
 ロンドンのシティ警察を名乗る二人組は、突然の訪問を詫びつつも堂々と伯爵家の門をくぐり、リッカへの面会を求める。
 現在、ウォルディ伯爵家の人間はリッカしかいない。
 表向きは五つ上の兄・ウスイが当主となっているが、その兄は行方知れず。世間には、留学しているということで通している。
 女性は家を継ぐことができないため、父が亡くなり兄までいないと知れるとリッカはすべてを失いかねない。
 そのため、レイを中心とした使用人一同で、すべてを隠し通すことになったのだ。
 このことを知っているのは、外部の者では叔父夫婦とそして従兄いとこだけ。
 ウスイはリッカと違って父親似の茶髪だったため、容姿や年齢の近い従兄がときおり兄のふりをして社交をこなすことで、世間の目をごまかしてきた。
 応接間のソファーに座るのは、リッカ。そのすぐ隣には、執事のレイが立っている。
 正面に座った二人の警察官と会話するのは、当然のことながらレイである。
「本日はどのような御用向きで?」
 リッカは余裕のある笑みを浮かべ、ただそこに座っているだけ。深窓の令嬢の仮面を見事に被り、執事に守られるか弱い姫君を演じていた。
 警察官の男たちは一人が四十代で、もう一人が二十代。濃茶色の礼装を着た年配の男は、名をアルヴィ・ハイムと名乗った。身なりや所作からして、裕福な家の出であることはうかがえる。
「本日は、こちらの落とし物についてお尋ねに上がりました」
 レイの問いかけに答えたのは、アルヴィの隣に座る若い方だった。
 この男はシングリッド・ゼヴォートと名乗り、見た目は二十代前半。日に焼けて傷んだ茶髪は残念なものであるが、目鼻立ちは整っていて女性に好まれる容姿である。背格好も申し分ない。
 ただ、グレーの礼装は借りものなのかあまり似合っていないとリッカは思った。貴族の家に行くから身なりを整えろ、そう言われてきたのかもと推測する。
「この髪飾りに、見覚えはありませんか?」
 シングリッドが取り出したのは、桜の花びらを模した銀細工。長さ五センチほどのそれは、女性が髪をまとめた際に留めるバレッタだ。
 リッカとレイは、テーブルの上に置かれた髪飾りを見て、しばらく無言で凝視する。二人とも笑みはそのままで、あやしい動きは一切見せない。
(橋のところで落としたんだわ。ここまでわざわざ持ってきたってことは、これが私のだってわかっているのよね。どうしたものかしら)
 内心焦るリッカの隣で、レイは瞬時に対応を考えていた。
(だからさっさとトドメを刺せと言ったのに……。よりによって警察に拾われるとは。この意匠は世に二つとない特注品ですから、ウォルディ伯爵家にたどり着くのは簡単だったはず。とはいえ、真実にはたどり着けないでしょうから適当に言い訳しましょうか)
 そんな二人に向かって、シングリッドが改めて尋ねた。
「で、どうでしょう?」
 確信をもって問いかける声に、リッカはちらりとレイを見る。だが執事は主と目を合わせず、一歩前に歩み出てそのバレッタを手袋越しの手に取った。
「これは亡き奥様の遺品でございます。間違いありません」
 素直に認めたレイを見て、シングリッドが不満げに眉根を寄せる。
 しかしレイは笑顔で逆に質問した。
「無くなったとばかり思っておりました。一体、どこで発見されたのでしょうか?」
 その顔は、これが見つかって本当に驚いている、そしてホッとしているという風に見える。
 シングリッドは咳払いの後、落ち着いた声で説明した。
「昨夜、イーストエンドで娼婦が惨殺される事件が発生しました。その現場近くの橋で、この髪飾りが見つかったのです。レンガの割れ目の中に、引っかかるようにして……」
「そうですか」
 ほぅ、と納得する表情のレイに、シングリッドは尋ねる。
「この髪留めはいつ紛失したものですか?」
「一年ほど前でしょうか。旦那様がお亡くなりになって初めての命日に、邸を空けたのです。そのときに、一部の部屋に盗人が入った形跡があり、絵画などが盗まれていたと記憶しています」
「そのときに警察へは?」
「もちろん届けましたよ」
 実際に盗人が入ったことはあったのだが、盗まれたのは絵画と本だけだった。しかも、価値としてはかなり低いものばかり。
 レイはそのあたりについては明言を避け、この場に適切な回答を口にした。
「髪飾りに関してはお嬢様が叔父方の別荘に忘れたかもしれないとおっしゃって。盗人に持っていかれたかどうか判断がつきませんでしたから、警察への報告はしなかったのです」
「そうですか」
 二人のやりとりをじっと見つめるリッカ。いつ自分に質問が飛んでくるかとひやひやしていたが、さすがに十二歳の伯爵令嬢に尋ねる気にはならないらしく、ただちょこんとそこに座っているだけでやり過ごせた。
「見つかってよかったです。きっと、盗んだ者がイーストエンドの住人だったのでしょうね」
 ニコニコと笑うレイ。その言葉や表情におかしなところはない。
 この頃のロンドンは鉄道が開通したことで急激に労働人口が増加し、貧困に喘ぐ人々がイーストエンドに集中していた。
 スリや強盗、殺人といった犯罪は日常的に発生していて、貧困街で盗品が見つかってもなんらおかしくはない。
 しかも、リッカやレイは貴族階級の人間だ。イーストエンドで髪飾りを落とす方が、一般的には考えられないことだった。
 ただし、目の前の男は二人がイーストエンドを歩いていたと思っているようで、なおも疑問をぶつける。
「一年も前に盗まれたものが、これほどまでに美しい状態で発見されると?」
 シングリッドは含みのある言い方で執事を見つめる。
 その露骨な追及に、レイは少し困ったように笑って首をすくめた。
「さぞ大事にしていたのでしょう。盗んだ人物の考えることなどわかりませんが、この銀細工の精巧な意匠であれば、コレクターに高値で売れる可能性がありますから。大事にしていてもおかしくはないのでは?」
「それならなぜ、道端に落とすのです?」
「さぁ? それは落とした者に聞いていただかないと。執事の領分ではございません」
 レイは微笑みを崩さない。
 しかし、シングリッドがいつ貴族の逆鱗に触れるか気が気でない相棒のアルヴィは、終始口元を引き攣らせていた。
(お貴族様を怒らせるなっ、頼むからもうやめてくれ!!)
 アルヴィの悲痛な表情に気づいたリッカは、「かわいそうな人ね」と憐れむ目を向けた。
 だがここでさらに、シングリッドは不躾なことを聞く。
「失礼ですが、昨夜はどちらにいらっしゃいました?」
「昨夜ですか? 私ですか?」
「はい」
 明らかに疑っているシングリッドに対し、レイは嫌な顔一つせず対応する。
「お嬢様がお休みになられるまで、そこにいる使用人のアンリーヴと私はそばにおりました」
 レイが視線を向けた先には、茶を用意した侍女がいた。アンリーヴは十八歳の若い侍女で、メイドであり掃除婦であり……何でもこなす万能な女性だ。
 少し赤みがかった髪はくるくるとウェーブがかかっていて、人懐っこい性格で使用人たちにかわいがられている。
 彼女を一瞥したシングリッドは、まるで興味のないようにレイに視線を戻した。
「その後は?」
「部屋に戻り、書類仕事を片付けていました。それが終わったのは夜更けですから、その後は部屋で眠って朝を迎えました」
「そうですか」
 すらすらと答えるレイに、隙はない。もっとも、邸の中で何をしていたかなど何の証拠もないのだが、それが嘘だという証拠もない。
 レイはまるで幼子を軽くいなすような姿勢で、シングリッドの追及を躱す。
「他に何かご質問は? あぁ、こちらの髪飾りはお返しいただけるのでしょうか?」
 苛立ちを抑え、シングリッドは頷く。
「もちろん、所有者にお返しするのが筋ですから」
「よかった。お嬢様のもとに遺品が戻って本当によかったです」
 美しい微笑みを浮かべるレイを見て、リッカは心の中で呆れていた。
(普通に考えたら、いくら形見でも切り裂かれた遺体のそばに落ちていたらちょっと戸惑うでしょう。レイってそのあたりが無神経なのよね)
 もう用は済んだとばかりに、シングリッドに退室を促したのは隣に座っていたアルヴィだった。
「貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。シングリッド、帰るぞ」
「……はい」
 レイを睨んだままのシングリッドは、渋々といった雰囲気で腰を上げる。
 慣れない客を前にしたリッカは、彼らが部屋から出ようとしてホッと胸を撫で下ろした。
 しかし帰り際、シングリッドがリッカに向かって最後の疑問を投げかける。
「リッカ・ウォルディ伯爵令嬢。あなたはお父様から、『死霊術』について何か引き継いでいませんか?」
 その言葉に、扉の前に立っていたレイがかすかに反応した。
 まさか自分に話しかけられると思っていなかったリッカは、思わずシングリッドをじっと見つめてしまう。
「死霊術、ですか」
「はい。悪魔憑きや悪魔祓い、邪神信仰などではありません。死者を操る秘術です」
 リッカは少しの間、考えるそぶりをする。
(何この人。うちのことをどこまで知っているの? 直接聞いてくるなんて)
 どこのオカルトだ、と一般的には笑って流せる話を、警察が真剣に尋ねるのだから違和感はいなめない。
 リッカはまるで知らぬ存ぜぬといった態度で、くすりと笑って小首を傾げた。
「そんなものがあれば、亡きお父様にお会いできるかもしれませんね。お母様にも会いたいですわ。けれど残念ながら、私に思い当たるところはございません」
 そう、これが正解。相手の意見を真っ向から否定せず、少しだけ話に乗った上で否定する。これはレイから習ったことだった。
 シングリッドは、無邪気に微笑むリッカを見て押し黙った。
「「…………」」
 袖口から覗く白い手は細く、十二歳にしては背丈も小さい。
 じっと令嬢を観察しながら、東洋人の血が濃いからか或いは病弱だからかと漠然とした理由を頭の中で巡らせた。
 リッカは笑みを崩さずまっすぐに見つめ返していたが、シングリッドが何を考えているかわかり、かすかに怒りを声に滲ませる。
「そんなに珍しいですか? 東洋人との混血が」
 シングリッドは慌てて目を逸らし、「いえ」と小さく呟いた。
 気まずい空気が廊下に漂ったそのとき、二人の間にレイがすっと身体を入れた。
「どうかお引き取りを。お嬢様のお身体に障ります」
 レイは、追い立てるように玄関を示す。
「…………それではまた」
 シングリッドの声は、リッカには届かない。
 レイに見送られた二人の警官は、来たときと同じ馬車に乗って伯爵邸を後にした。

 招かれざる客が邸を去った後、応接室にはリッカとレイ、アンリーヴの三人が集まっていた。
「もう、ちょっと小さいことがそんなに問題? 失礼しちゃう!」
 さきほどとは違い、子どもらしい表情で文句を言うリッカ。百四十センチという背丈は十二歳にしては小柄だが、これから伸びると思えばそれほど問題ではないはずだと彼女は主張する。
 アンリーヴはそんな主を優しく慰めた。
「かわいらしさは女性の武器ですわ、お嬢様。私のように年嵩に見られるよりは、いいことですよ」
「えー、早く大人になりたいのに……」
 テーブルには、赤褐色の紅茶がゆらゆらと湯気を立てている。ロンドンは夏でも涼しく、九月にもなれば肌寒い日が増える。
 お気に入りの紅茶とプディングを前に、リッカは顔を緩ませた。
 しかし、食べようとしたところでレイが冷めた視線を向ける。
「お嬢様。さきほどの回答は彼らの不信感を煽るものでしたよ」
 まさかの不合格に、リッカはびっくりして目をみはる。
 スプーンを持った手が、ピタリと止まった。
「どうして!? ちゃんとできたじゃない!」
 レイは眉間にシワを寄せ、低い声で言った。
幼気いたいけなか弱いご令嬢を演じるのでしょう? それなのに、死霊術の話に乗ってどうするのですか。あれは『気味の悪い話に嫌そうな顔で答える』が正解です」
「ええ……!? ひっかけ問題?」
「お嬢様が勝手にひっかかっただけです」
「バレッタみたいに?」
 バレッタが橋にひっかかっていたという話を持ち出すリッカに、レイは呆れた視線を向けた。
「うまいこと言おうとしないでください。言えてませんからね?」
「厳しいわ、レイ」
 落ち込むリッカの背を、まるで姉のようにアンリーヴがそっと撫でる。その姿は侍女とお嬢様ではなく、家族のような空気を醸し出していた。
 アンリーヴはレイを見て、宥めるように話す。
「けれど、レイ? あのシングリッドという男は、リッカ様に直接死霊術について聞いてきたのですから、ウォルディ家のことをあらかじめ調べられていたのでは? ヘタに怯えたふりをするよりも、何も受け継いでいないと答えたのはある意味で正解だとわたくしは思います」
 うんうん、と頷きながらキラキラとした目を向けるリッカは愛らしいお嬢様にしか見えない。
 まさか、十二歳の伯爵令嬢が夜な夜なイーストエンドの街を彷徨っているとは誰も思うまい。
 ロンドンを恐怖に陥れている、猟奇殺人についてすべてを知っているとも。
 レイは顔をしかめるも、二人に何か言うのは諦めて話題を変えた。
「それにしても、昨夜まさか橋のところにバレッタを落としたとは……迂闊でしたね。回収が遅れたことで、警察に目をつけられてしまった」
 その言葉に、リッカは申し訳なさそうに俯く。
「帰るときには眠くて眠くて、バレッタが落ちたことに気づかなかったのよ。昨日は月が陰っていたから魔憑きカスピエルが多かったでしょう? 一気に七体もいて……それにしても被害者が出るなんてね。まさか取り逃がしていたなんて」
 カスピエルとは、禁術によってこの世に無理やり引き降ろされた魂のこと。
 人の目には、かすかに漂う黒い霧にしか見えないが、失われた肉体を探し求めるカスピエルは闇に覆われた街を徘徊する。そして、不満や憎悪を抱いている人間に憑依し、精神を狂わせて身体の一部を内側から引き裂いてしまう。
 警察は凶器を探しているが、見つかるはずはない。切り裂いているのは、人ならざるものなのだから。
 憑依して一時間以内なら、助ける方法はある。
 リッカの持つ特殊な小銃で心臓を撃ち抜けば、取り憑かれた者は意識混濁の症状がしばらく出るだけで、命は助かる。
 昨夜は異様なほどに魔憑きカスピエルが多く、一人で戦うリッカは苦戦を強いられた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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