【1話】亡霊騎士と壁越しの愛を
■プロローグ
『今後とも、よろしくお願い致します』
『ああ、よろしく頼む』
ミシェル=ヘイム=ダールと、ガウス=ヴァルデシア。
昨日夫婦として認められた二人の最初の会話は、扉越しだった――。
その上二人は一言も発さず、やりとりはほんの少しだけ開いた扉の隙間から差し入れられた、手紙を通してである。
背後に控える使用人たちが呆れている気配を感じながらも、夫の文字を見たミシェルは内心大喜びだった。
(本当に、顔を見る必要も話す必要もないのね!)
ミシェルは、幼い頃から訳あって表情が顔に出ない。そのため、興奮とは裏腹に冷え冷えとした表情を浮かべている。しかし夫からかけられた初めての言葉を、彼女は喜びの中でぎゅっと抱きしめていた。
そうしていると扉の向こうの夫が遠ざかる気配がして、その事にもミシェルは内心大喜びだった。
普通の妻なら自分に関心のない夫に腹を立てるところだろうが、ミシェルは違う。
何故なら彼女は男性が苦手だった。男性どころか、人間が苦手だと言っても過言ではない。
幼い頃に受けた呪いのせいで、ミシェルは城の地下で長い間孤独に暮らしていた。そのせいで家族以外の人間と関わる事も少なく、社交の場にもあまり出ない。
お陰で十八になるまで友達もおらず、初対面の人間にはどうしても臆してしまうのだ。
だから自分には結婚など縁遠いと思っていたし絶対にしたくないと思っていたが、対面で相手をしないで済むなら悪くない。
(それにこのお屋敷も、とっても素敵だわ)
手紙を抱きしめたまま、ミシェルは日の光が差し込む窓辺へと移動する。
窓にはおどろおどろしい血の魔紋が刻まれており、城から一緒にやってきた侍女のジェーンはそれに顔をしかめている。でもミシェルからしたら、こうして窓辺に立てるだけで嬉しい事なのだ。
夫が施したその魔紋は、ミシェルの呪いを――日光に当たる事が出来ないという呪いを一時的に消すものである。
昼間は窓のない部屋で過ごす事しか出来なかったミシェルにとって、日の光は新鮮だった。
(太陽って、暖かいのね)
差し込む光に手をかざし、ミシェルは窓ガラスにもそっと触れてみる。
窓の外から見えるのは、おどろおどろしい雰囲気の薄暗い森だけれど、城の石壁に比べたらずっとマシだ。
(ここが、今日から私の家……)
あまりの幸せにほっと息をこぼすと、何故だか背後でジェーンが「おかわいそうに」と目元を押さえている。
年老いた彼女はこの状況を哀れんでいるのだろう。
感情が顔に出ないせいで何やら誤解されているのはわかったが、嬉しいと言っても空元気だと思われてしまいそうな気がして、ミシェルはひとまずそれを無視した。
そして新しい家の空気を思いきり吸い込み、これからの生活がより良いものになりますようにと心の中で祈ったのだった。