【試し読み】お狐さまの入れ替わり暮らし~あやかしと過ごす愉快で奇妙な七日間~

作家:Mikura
イラスト:伏見おもち
レーベル:夢中文庫アレッタ
発売日:2021/10/8
販売価格:400円
あらすじ

「そ、そんな……困ります!」「それはそうであろうな。しかし、どうしようもない」──狐の妖術に巻き込まれ突如始まった、女子大生の千里と神社に住む狐との奇妙な入れ替わり生活。狐の姿は普通の人間には見えないが、狐が入った千里のほうはおかしな言動をとって奇異な目で見られるわけにいかない。術が解けるまでの間、千里は狐に自分らしい言動を教えながら周りにバレないよう生活していくことを決めたのだが……人間の暮らしを知らない狐は服を脱いで過ごそうとするわ、生の肉を食べようとするわ、内気な性格の千里もさすがに口を出さずにはいられない。千里の平穏な日常は遥か彼方、唐突に始まってしまった波乱の日々……一体どうなる!?

登場人物
稲荷森千里(いなもりちさと)
内気な性格の女子大生。妖術に巻き込まれ神社に住む狐と魂が入れ替わってしまう。

妖術の失敗により千里と入れ替わる。術が解けるまでの間、千里のフリをするが…
試し読み

一、おきつねさまの失敗

 雑木林が横に広がる遊歩道。付近には建物も少なく、国道から遠いこの辺りの細い道路は車もほとんど通らないため辺りはシンと静まり返っている。都会と違って田舎の夜は暗くなるのが早い。ぽつりぽつりと街灯があるだけで店の明かりがないからだ。
 暖かい春が訪れ明るい時間が伸びてきたとはいえ、午後七時にもなれば完全に日は沈み、空は藍色が深くなってくる。そんな薄暗く寂しい夜道を、稲荷森いなもり千里ちさとは肩を落としながら歩いていた。
(帰ったらレポートやらなきゃ……)
 千里は昨日、二十歳を迎えたばかりの大学生。これくらいの歳の学生といえば、時間のゆとりがあり、毎日が楽しいものだというイメージがある。
 しかし千里はせっかくの誕生日ですら楽しむ余裕などなかった。誕生日プレゼント代わりに渡されたのは自分が所属する読書サークルで使う資料で、メンバーから頼まれてそのまとめを今日までに作らなければならなかったからだ。
 そして現在。まとめの資料は無事に渡せたものの、そちらを優先したせいで提出期限が迫っている大学のレポート課題を思い憂鬱になっているところである。
(……なんで断れないのかなぁ)
 人に頼みごとをされると断れない。そのせいか、様々なことを任されて自分のことが後回しになってしまい、いつも忙しい。悠々自適なのんびりキャンパスライフとは縁遠いのが千里の日常だった。
(ん? 誰かいる……?)
 後ろから聞こえた小石の転がる音で誰かが後ろにいることに気づく。それだけなら気に留めることでもないのだが、かなりゆっくり歩いているはずなのにその気配の主はいっこうに千里を追い抜く様子はない。それどころか千里が足を止めれば背後の気配も止まる。これは、進行方向が同じなのではなくて。
(私についてきて、る……?)
 あとをつけられている。そう思った瞬間、千里は走り出した。誰かは知らないが、暗い夜道で女性のあとをこっそりとついてくるような相手がまともであるはずもない。そしてそんな相手に家を知られてしまうのは、もっと恐ろしい。
(やだ、どうしよう、どこにいけば……っ)
 とにかく走って、逃げなければ。どこかに隠れて相手が去るのを待つべきではないか。でも、この辺りに隠れるような場所があっただろうか。
 走り続けて息が切れ始めた時、小さな鳥居が千里の視界に飛び込んできた。神に縋る気持ちがあったのだろうか、自然と足はそちらに向かう。
「ひゃっ!?」
 石の階段を駆け上り、鳥居をくぐった途端。目を開けていられないほどの眩い光が弾けたように広がって、千里は思わず腕で顔を覆った。
(な、何だったの……?)
 おそるおそる腕を下げる。何故か視界がとても低い。見覚えのある靴を履いた足が目に入る。そして視線を上に向ければ、そこには驚いた顔でこちらを見る自分の、稲荷森千里の顔があった。
「……なんということだ」
 それは自分の声によく似ているが千里らしからぬ口調で、その人物の髪の色は明るい茶髪であり、何より深く眉間に皺を刻む険しい表情が鏡で見るものと違いすぎて別人にしか見えない。しかし、赤の他人と言うには似すぎている。
 何故自分がもう一人いるのかと混乱しながら視線を落とした千里は、そこで見えた手が真っ白な毛に覆われた、獣の前足であることに気づいてしまった。
「え、ええ……?」
 首を動かして自分の体を確認すればそこにあるのは全身真っ白な動物の体。どう見ても人間ではない。状況に理解が追い付かず目を回しそうになっていると、人間の千里が独り言を呟き始めた。
「分身の術ではなく入れ替わりの術になってしまったか……しかも、人の子を巻き込んでしまうとは。はて、どうしたものか」
「どうしたものかって……何がどうなってるんですか……?」
「私とおぬしの魂が入れ替わってしまったのだ」
 曰く。この神社に住む白い狐は先ほどまで新しい妖術の実験をしていた。分身の術を作ったつもりがどうやら入れ替わりの術が出来上がってしまったようで、タイミング悪く術の発動と同時にここへ駆け込んできた千里がそれに巻き込まれ、狐と魂が入れ替わってしまったのだ、と。
(つまりこの人は人間じゃなくて狐で、私は狐と体が入れ替わっていて……うう、頭がこんがらがりそう)
 この狐はいわゆる妖怪と呼ばれる類のものだろう。読書好きの千里だがホラー系は好みのジャンル外なので妖怪については詳しくない。けれどそういうものがキャラクターとして出てくることは知っている。だが、あくまでも創作物。想像上の生物であってこの世に本当に存在するものだと思ったことはなかった。
 それだけでも混乱するのに、今の千里はその妖怪の狐と体が入れ替わってしまっている。訳が分からず泣きそうな気持ちなのにどうやらこの体は涙が出ないらしい。いつもの千里なら目が熱を持っていそうなものだが今の体には何の変化もないのだ。
(だって狐だもんね、泣くはずないよね……うう……早く戻してほしい)
 魂が入れ替わったといっても苦しかったり辛かったりすることはなく、体の構造は明らかに違うが特に違和感もない。それでも己の体ではないという事実が落ち着かない気分にさせる。「早く戻してください」とお願いしなければならないが、妖怪相手にどう言えばいいのかと考える千里の頭上から盛大なため息が降ってきた。
「何故こんな時間にこのやしろに来るのだ。おかげで面倒なことになったではないか」
「わ、私のせい……?」
 千里とて好きで無人の小さな神社に足を運んだ訳ではない。でも、自分のせいだと言われてしまうとそうなのではないかと思ってしまう。段々と身が竦んで小さくなっていく、そんな千里を見ていた千里の体──もとい狐は、緩く首を振った。
「……いや、確認を怠った私の責任か。普通、人の子に私の姿は見えないからな。して、おぬしはここに何用だったのだ。名は何という?」
「え、あ、私は稲荷森、千里……です。ここには……人から、逃げてきて……」
 女性らしい高い声なのに、込められた力が強い。そんな迫力に押されるような気持ちで正直に答えると、器用に片眉を上げた狐は振り返って神社の外を見た。
「……今は追手もいないようだな。して、千里よ。暫く我々はこのままの姿で過ごさねばならない訳だが」
「え? それってどういう……?」
「おぬしの体では妖術を扱えぬ。故に、解くこともできぬ。術が解けるまで時が過ぎるのを待つ他にないのだ」
 千里はただの人間で、その体では狐も術を使えない。狐の体に入っている千里は狐の術の扱いなど知らない。つまり、この術の効果が切れるまで一人と一匹の体は入れ替わったままということで。
「そ、そんな……!! 困ります!!」
「それはそうであろうな。しかし、どうしようもない」
 千里の脳内を提出期限が迫っている課題や、単位を落とす訳にはいかない授業、その他諸々の問題が駆け巡る。小心者で内気な人間にこのような試練を与えるなんて、神様は鬼畜すぎるのではなかろうか。
(どうして私がこんな目に……)
 体から力が抜けて地面にぱたりと倒れこむ千里に、狐は少々ばつが悪そうな顔をした。
「巻き込んでしまったのは私だからな、協力はする。そう落ち込むでない」
「……それは……私のフリをしてくれる、ってことですか……?」
「そうなる。まあ、任せておくがよい。狐は化かすのが得意なあやかしだ」
 そう言って動物が前足で顔をかくような仕草をして、人の体では勝手が違うのか驚いたような顔をするその姿に千里は猛烈な不安を覚えた。しかし、幸いなことに相手は協力する気がある。
(戻れないなら……この人が変なことをしないように、私がいろいろ教えないと……)
 本当にできるのかという不安はあるが、千里がこの狐を誘導する形で「稲荷森千里」として不自然でないように過ごしてもらうしかない。
「あの、じゃあ……よろしくお願いします。貴方は……なんと呼べばいいですか? 名前は……?」
「私のことはヨウコとでも呼べばいい」
「ヨウコさん、ですか?」
 随分人間らしい名前だ。しかも名前の雰囲気からすると女性である。オスの狐じゃなくてよかったかも、と考えている千里にヨウコは呆れたように言った。
「それでよい。名は魂を縛るものだ。他者にやすやすと名乗るものではないのだぞ。おぬしも妖相手に名乗るのはやめておけ」
(ええ……さっき私に名前訊いたよね……?)
 ヨウコは仮の名であって、本名ではないらしい。妖怪の間では本名を教えるのは余程親しく信頼できる相手だけであるという。
 しかし千里は先ほど名前を訊かれたし、それに答えて名乗るなと呆れられるのは理不尽だ。そんな不満を口に出すこともできず押し黙る千里に背をむけた狐──ヨウコはすたすたと歩き出した。置いていかれる訳にはいかない、千里も慌ててついていく。
「人の子は夜になると家に帰るのであろう? 早く案内するがいい」
(うう……私の体で偉そうに振舞うのやめてほしい……)
 堂々と胸を張り、大きな一歩を踏み出す姿はとても自分とは思えない。本当にこの狐は千里のフリができるのだろうか。周りに不審がられはしないのか。胸に広がる不安を吐き出すように、深いため息を吐きながら大股で歩く己の体の前に出た。
「そっちじゃなくて、こっちですよ。家を知らないのに先に行かないでください……」
「む。そうか。では先に行け」
 千里が入ってしまった白狐しろぎつねの体は中型犬程度の大きさしかない。その小さな歩幅に合わせて改めて歩き出した姿もやはり威風堂々たるもので、自分の姿でなければ格好いいと思えたかもしれなかった。だが、いつも俯きがちな自分がまるで威厳ある女王のような態度でいるのを見ていると落ち着かない。
(これからどうなっちゃうんだろう……)
 こうして千里と態度の大きなお狐さまの、奇妙な入れ替わり生活は始まった。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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