【試し読み】異世界から聖女を呼べと無茶振りされた神官は、コスパの都合で聖女になる
あらすじ
「異世界から聖女を呼べ」フィオナをはじめとする神官達は、夢見る国王の無茶な命令に頭を抱えていた。近年災害などもなく平和なこの国で、莫大な予算をかけて聖女を召喚するなど明らかに無駄。思案していたフィオナは、そこであることに気付く。隣国で召喚された聖女は、黒髪。そして今、美貌の王子が(なぜか)愛でているフィオナの髪も――黒。この国では珍しい髪色が役立つ時が来た。「私が聖女ということにしましょう」すべては予算と労働環境を守るため。王子と神官長の協力のもと『コスパの聖女』として国王を騙すことを決意する!! 髪セクハラ常習犯である過保護な王子とともに駆け回る、フィオナの偽(?)聖女ライフの行く末は…!?
登場人物
国王から聖女召喚という無茶振りを受け、自ら『コスパの聖女』となった神官。
銀髪碧眼で類まれなる美貌を持つジーン王国王太子。フィオナの黒髪が大好き。
試し読み
プロローグ
「異世界から聖女を呼べ」
国王が発した短い一言に、その場の全員が動きを止めた。
フィオナ・エヴァレットの隣に立つ神官長のこめかみはピクピクとせわしなく動いているが、もちろん国王がそれに気付くことはない。
仮に気が付いたところで、気遣ってくれるとも思えないが。
「……それはつまり聖女召喚をしろ、ということでしょうか」
誰もがわかりきっていることをあえて問うのは、聞き間違いであってくれという神官長の願望だろう。
あるいは遠回しに「それはないよな?」と圧をかけているのかもしれないが、相手は国王。決して悪い人ではないが、夢見る壮年と呼ばれる人物だ。神官長の意図を汲んで引いてくれるはずもない。
「そうだ。隣国のスラヴァーでは『豊穣の聖女』を召喚したそうでな。黒髪の乙女が現れてから国内の農作物は大豊作だそうだ。我が国も十年前に『豊漁の聖女』を召喚しようとして失敗したが、今度こそ!」
拳を掲げて高らかに宣言する国王に、控えていた宰相が激しくうなずく。
「素晴らしい! 聖女召喚の暁には、我が国も更に栄えることでしょう!」
「うわあ」
無責任な煽り方にフィオナの口から低いうめき声が漏れたが、神官長に肘で突かれたので慌てて背筋を正す。
国王に宰相に神官長と国の重鎮ばかりが集うこの場で、神官長補佐でしかないフィオナに発言権はない。どうにかしてほしいという一縷の望みを託して神官長を見上げると、半分諦め気味の様子でうなずかれた。
「わざわざそんなことをしなくとも、我が国は十分に豊かだと思いますが」
楽しそうな国王と宰相の間に割って入った声は麗しく、その持ち主は更に麗しい。ライナス・ジーンが首を傾げると、それに合わせて白銀の髪が輝いた。
絶世の美女ならぬ絶世の美青年と呼んでいい整った容姿の王太子に問われ、国王もぴたりと動きを止める。
「だが、ライナス。聖女の力で豊作に豊漁だぞ。ロマンがあるだろう」
「ロマンで国を動かすのは賛成しかねますね」
「ロマンなくして、国は成り立たぬ」
国王と王太子のロマンをめぐる戦いに、フィオナはただ視線で応援をすることしかできない。もしもフィオナに発言する権利があったならば、「ロマンよりもお金が必要だ」と国王を説き伏せたいところである。
とにかくライナスに頑張ってもらい、聖女召喚などという馬鹿げた方針は撤回してもらわなければ。神官長も当然反対だろうし、王太子であるライナスも味方なのだから何とかなるはず。
だがしかし、フィオナの予想はまさかの方向で覆された。
ライナスの訴えを聞き、神官長がそれに同意してうなずくのを見て、国王は頬を膨らませたのだ。
もう一度言う。頬を、膨らませたのだ。
いくら容姿が整っているとはいえ、壮年男性のその仕草にときめく人はあまりいない。
それどころか、嫌な予感がする。
少し引いた方がいいと神官長に伝える間もなく、国王は何かを振り払うかのように首を振り、そして叫んだ。
「──とにかく、聖女召喚は決定だ!」
宰相以外の全員が、一斉にため息をつく。
権力を持った夢見る壮年なんて、迷惑なだけだ。この後を考えただけで頭が痛くなり、フィオナはそっとこめかみを押さえた。
「ということで……聖女を召喚することになりました」
神官長の報告に、一斉にため息がこぼれる。神殿の一室に集まったのは高位の神官達だが、その表情は一様に暗い。
何故か王太子のライナスまで参加しているせいで直接口に出していないが、不満を抱えているのは明白である。
「陛下は、常は穏やかで下々の意見も取り入れる名君なのですが、時折こういった……その、ロマンに毒されるようで」
神官の一人が気を使っているようで使っていない意見を述べると、フィオナの隣に座っているライナスが苦笑した。
「俺のことは気にするな。いないものと思ってくれていい」
そう言いながらライナスはフィオナの黒髪をすくい取り、楽しそうに微笑んでいる。
「殿下は何をしにいらしたのですか。陛下の命に従うかどうか監視しているのですか?」
発言するでもなくただフィオナの髪をいじっている美貌の王太子の意図がわからず問うと、宝石のように輝く菫青石の瞳を細めた。
「まさか。俺個人の意見を言わせてもらえば、聖女召喚は必要ないと思っている」
その一言に、神官達が安堵の息を漏らす。だが、事態はまったく変わっていない。
「陛下は簡単に聖女召喚と言うが、そのための魔法の構築だけでも膨大な時間がかかります。まったく、面倒なことになったものですよ」
神官長のため息に、神官達も追随する。王太子のライナスが味方だとしても、王命は覆らないのだからどうしようもない。
「だが、十年前にも聖女召喚を試みただろう? そういった準備の記録はないのか?」
「あるにはありますが、たいした役には立ちませんよ。フィオナ、説明して差し上げて」
神官長に促されたフィオナは、自身の髪をいじるライナスの手を払いのけるとその菫青石の瞳を見据えた。
「聖女を召喚するとなると、まず異世界との空間を繋いで扉を固定する必要があります。次に聖女に相応しい人物の魔力を探して辿り、その人を引っ張ってきます」
十年前の資料の手順を説明すると、ライナスは大人しくそれを聞いている。
黙って座っていると人形と見紛うばかりの美しさで、ちょっと感心してしまうほどだ。
「異世界だって動いていますから、十年前と同じ場所に聖女がいるはずもありません」
聖女といえども、相手は人だ。
当然生活している以上は動くので、それを辿って探さなくてはいけない。
「空間を繋ぐ魔法を一から構築するために、神殿の神官達の業務がほぼ中断します。次に繋いだ道を扉に固定するにあたって、魔力源として魔法騎士を根こそぎ駆り出すことになるでしょう」
何をするのにもエネルギーが必要だが、この場合にはそれが魔力だ。
神官達は道を繋ぎ、扉を固定し、聖女を探すという仕事があるので、扉の維持に魔力を割いている余裕などない。そして異世界との空間を繋ぐ扉を維持する魔力が、少なく済むはずもなかった。
フィオナは魔法騎士をよく知らないが、十年前の記録から察するに総動員しないと間に合いそうにない。
「この作業が数時間で終わる保証はなく、交代制になります。神殿なり王宮に泊まり込みになりますし、その場合の衣食住の手配に特別手当も必要でしょう」
「そんなにエネルギーが必要なのか?」
驚くというよりも呆れた様子のライナスに、神官長がため息を返す。
「下手にエネルギーを節約すれば、どこかに綻びが出ます。……聖女の腕だけ召喚しても、意味がないでしょう?」
「それはまあ、確かに」
納得するライナスの前に、フィオナは十年前の聖女召喚の資料を差し出す。分厚いそれには、当時の神官達の苦労が滲んで溢れんばかりだ。
「この記録によれば、神官や魔法騎士以外にも、魔法石やら何やらと必要なものが沢山あるのがわかります。必要物品を集めるだけでも、結構な手間暇とお金がかかりますね」
ライナスはちらりと資料に目を通すとさっさと机の上に置き、今度はどこからか取り出した櫛でフィオナの髪を梳かし始めた。
ことの大変さを理解しているのかいないのか。フィオナは楽しそうに髪を梳く美貌の王太子をじろりと睨んだ。
「ここまでの手間をかけても、聖女を呼びたいものなのですか?」
今更ライナスに言ったところでどうしようもないとはわかっているが、納得がいかないものはいかない。
「十年前は『聖女召喚で豊漁になる』と聞いて実行したらしいよ。陛下は魚が好きだから」
「平和で豊かな国の弊害ですね。無駄遣いもいいところです」
本来ならば王太子であるライナスにこんな口をきくのは不敬なのだが、長年の知人なのでつい気が緩んでしまう。それに、フィオナの一言で激昂して処罰を与えるような人ではないとわかっている。
やたらと髪を触ってくるのはどうかと思うが、基本的に優しい人なのだ。
「そうだけれど……少し、感謝もしている」
「殿下も魚が好きなのですか?」
「違うよ。まあ、今回は隣国の豊作が羨ましかったらしいね。確かに国益にはなるし」
豊作が羨ましいというのはわかるし、それをもたらす術があるというのならば欲する気持ちも理解できる。
だが、結果だけではなくて過程を見てもらわなければ。いつだって苦労するのは、下の人間なのだ。
「コスパが悪すぎます」
「コスパ?」
「コストパフォーマンス。費用対効果です。要は、手間暇とお金に見合っていません」
フィオナの訴えを聞いてはいるのだが、ライナスの手は髪を梳くのをやめる気配がない。周りの神官は何も言わないものの気になるらしく、ちらちらと視線が刺さる。
「豊作にしたいのならば、他に方法があります。農地や灌漑設備を整えるとか、種や苗を研究改良するとか。聖女の力の有効範囲と期間は知りませんが、その後を考えれば聖女に頼らない方法を模索した方がいいはずです」
聖女が一度現れれば未来永劫豊作だというのならば、フィオナも気合いを入れて召喚業務に携わるだろう。だが、実際にはそんな都合のいいことは起こらない。
過去にも色々な国で聖女召喚が行なわれたらしいのに、そういった話を聞いたことがないのだから恐らく間違いない。
「大体、一般的には国の危機に一縷の望みを託して聖女を呼ぶものではありませんか?」
フィオナが知る限り、この十年大災害と呼ばれるようなものは起きていないし、魔物の被害も対応できる範囲内だ。戦争をしているわけでもなく国も豊かなのだから、聖女なんて必要ないではないか。
「まあ、昔は水害が数年おきに発生したり、酷い凶作の年もあったらしいよ。この十年ほどは、何もなくて落ち着いたものだけど」
ライナスの言葉に神官長もうなずいているところを見ると、やはりこの国は聖女を必要とするような状態ではないようだ。
「わかっているのなら、殿下が止めてくださればいいのでは?」
愚痴だし八つ当たりだとわかってはいるものの、言わずにはいられない。神官長も窘めないところを見ると、恐らく同じ気持ちなのだろう。
「俺は先日ようやく王太子になったばかりだし、陛下の少年心は止められるものではないよ。宰相も全面的に後押ししているから、難しいね。困った人達だよ」
愁いを帯びた息を吐きながらも、フィオナの髪をいじる手は止まらない。
いつの間にか三つ編みをし始めているが、王太子なのに無駄に器用なものだ。
「殿下、真剣に聞いてください。あるいは、出て行ってください。一体何をしにいらしたのですか」
「フィオナの髪に触れたいだけだよ」
にこりと微笑むその麗しい姿に、神官達が呆れとも感嘆ともとれる息を漏らした。
「髪なら、ご自分の髪をどうぞ。綺麗な白銀ですし、長さもありますから三つ編みも思いのままですよ」
ライナスは月の光を紡いだかのような輝く白銀の髪をひとつに束ねている。わざわざフィオナの髪など使わなくても、好きなだけ梳かすことも三つ編みすることもできるのだ。美貌の王太子ならば三つ編みも似合うだろうし、一人でやってほしい。
半ば八つ当たりで訴えたのだが、ライナスに気分を害した様子はない。
それどころか、何故か嬉しそうに口元を綻ばせている。
「フィオナに綺麗だと褒められるのは、嬉しいな。でも、俺はこの美しい黒髪に触れたいんだ」
そう言うなり、ライナスはフィオナの髪を手ですくうと、そっと唇を落とす。美しい王太子の絵画のような仕草に、思わず感心して眺めてしまう。周囲の神官達もまた驚くというよりは何だか呆れた様子だ。
それもそのはず。ライナスがフィオナの髪に触れるのも、こうして髪にキスするのももはや日常茶飯事。さすがに一般神官達は見たことがないだろうが、神官長補佐を務めるフィオナの周囲の高位神官達は常日頃からこの光景を目にしているのだ。
フィオナはライナスの手から自身の髪を奪い取ると、じろりと睨む。
「いくらこの国では黒髪が珍しいからといって」
そこまで口にして、ふと手にした髪に視線を落とす。
フィオナの髪は漆黒。
淡い髪色がほとんどのこの国では、かなり珍しい色だ。
「……黒髪、珍しいのですよね」
「そうだね。少なくとも近隣諸国では滅多に見ることがないな」
だからこそライナスは興味を持っているのだろうが、今はそれどころではない。
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