【試し読み】今度は、君が愛される番~敏腕上司を一途にさせた耽溺の夜~


作家:葉嶋ナノハ
イラスト:キラト瑠香
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2022/8/19
販売価格:900円
あらすじ

一晩中、彼の虜になった、あの夜──恋人がダメ男になることに懲り恋愛を封印した野花みどり。今後は他人の幸せを応援する〝歩くマッチングアプリ〟として生きようと思っていた。しかしとあるバーで何もかもが好みの男性と出逢い、甘く濃厚な一夜を過ごしてしまう。「お願いだから、体だけ愛してください」 みどりは再び会いたいと熱烈に乞う彼をホテルに置き去りに──あれから2年。勤務先が大手企業に買収され、新たな上司として丘田広樹が現れる。御曹司だが仕事に厳しく紳士な彼になぜか疼いてしまう心と体。みどりは抜擢された業務に奔走するなか丘田と二人きりで出張することになって……「もう絶対に逃がさないからな?」

登場人物
野花 みどり(のばな みどり)
酒造メーカーの営業として働く。付き合うとダメ男なると恋愛を封印中。何もかもが好みの男性と一夜を共にするが……
丘田 広樹(おかだ ひろき)
みどりの会社を買収した企業のゼネラルマネージャー。みどりの新しい上司として現れる。
試し読み

 耳に入り込むしっとりしたジャズが、酒の酔いを体に浸透させていく。

 お盆明けの八月中旬。時刻は二十二時になろうという頃。
 東京、まるうちに建つビルのバーで、野花のばなみどりは会社の後輩、中島なかじま沙優さゆとカクテルを飲んでいた。
「野花さん、本当にこのままでいいんですか?」
 カウンターテーブルにグラスを置いた沙優が訴えてくる。
「いいの、いいの。知ってるでしょ? 私のそばに寄ってくる男は、みんなダメンズになっちゃうんだから」
 みどりは苦笑いをして、今飲んでいるものと同じ、リモンチェッロのカクテルを注文した。レモンの果皮を使ったリキュールをジンとソーダで割る、甘酸っぱく爽やかなカクテルだ。みどりの一番のお気に入りでもある。
「かしこまりました」
 目の前のバーテンダーが答える。みどりは目を細めて彼の手元を見つめるが、酔いと近眼のせいでよく見えない。
 ここへ来る前に引っかけた居酒屋で、メガネのネジが緩んでいたのか、片方のテンプルが外れてしまった。小さなネジは見つからず、仕方なく裸眼の状態でいる。隣に座る沙優の顔も、かなり近づかないと認識できないくらいだが、飲んでいるだけなら支障はなかった。
「相手の男がダメンズになるのは、野花さんのせいじゃありませんよ」
 沙優が盛大にため息を吐く。
 彼女は可愛らしい見た目にそぐわず、思ったことをはっきり言う。歯に衣着せないところが気持ちのいい、ひとつ年下の後輩だ。みどりを慕って一緒にごはんを食べることも多い。恋愛を諦めたみどりを心配してくれる、優しい面も持っていた。
「男を甘やかす私に責任があるのは、わかってるのよ。好きになった人をダメ男にするのはイヤだから、私は男の世話を焼くんじゃなくて他人の幸せを成就させることを楽しみにしてるの。これでも毎日充実してるんだから」
「確かに、野花さんの手にかかって成立したカップルは、今年だけでもすでに三組……。野花さんを頼って別の営業所からも恋愛相談が来るほどですし? だからって、自分の幸せをないがしろにしないでくださ──」
「私の夢は『仲人』をすることなのよ……!」
 みどりは沙優の言葉を遮り、手にこぶしを握る。そのこぶしを沙優がぺしっと叩いた。
「何言ってんですか。仲人は夫婦じゃないと出来ないですよね? 恋愛を諦めてたら、その時点で無理ですよ? わかってます?」
「そうなのよ……、夫婦にならないと不可能なのよ。とはいえ憧れるわ。人のお世話をして、それが成就される場としては最高峰の位置づけだもの。最近は仲人を立てる人が減っているらしくて、それも悩ましいけどね」
 肩を落としたみどりは、バーテンダーからカクテルを受け取った。
 今に限らず、みどりは小学生の頃から人の世話が好きだった。
 忘れ物をしたクラスメイトが困らないように、消しゴムに鉛筆、ハンカチやティッシュの予備を何個も学校へ持って行く。通学途中は張り切ってお年寄りに声をかけ、半ば強引に荷物を持って一緒に歩き、そのおかげで遅刻したことは数え切れない。先生に注意をされても、自分が満足していればそれで良かった。
 母子家庭で暮らしてきたみどりは、幼い頃から母の手伝いを率先して行った。自分が誰かの助けになることを実感し、それがこのうえない喜びとなっていく。
 そして高校生の時に出来た、初めての彼。勉強に打ち込んでいるからバイトが出来ないと言うので、デート代はいつもみどりが出していた。参考書を買うお金を貸してほしいと言われ、バイト代やお年玉の一部を渡すことに。しかし彼は、そのお金をゲームセンターや友人との遊びに使っていたと知り、別れた。……儚い初恋だった。
 次の彼は大学の先輩。優しい先輩に応えるために尽くしまくった。しかし彼には妙な性癖があり、たびたび露出の多い服を着るよう強制し、人前でも平気で体を触ってくる。それでも愛されているが故なのだと我慢していたら、三股を掛けられていたことが発覚。別れ話をした際にセフレの関係を要求されたが、拒否をして別れた。
 次の恋人は就職してすぐ、営業先で知り合った年上の男性。みどりの仕事を認めてくれ、大人で頼りがいがあった。……ように見えたのは最初だけで、みどりが尽くすのをいいことに金をせびり出した。大学の奨学金を払わなければならないので金は渡さなかったが、彼にはすでに婚約者がいたことを知る。問い詰めると、逆ギレした彼に顔を殴られた。その場で別れられたのは不幸中の幸いだろう。
 とまぁこんな感じで、恋人という存在には良い思い出がない。
 みどりはダメな男が寄ってくる体質……いや、それは違う。おせっかいで世話好きで、好きになったら相手の悪いところが見えずに尽くしてしまう。そんな自分の性格が原因なのだと気づいてから、みどりは恋愛を封印すると決めた。そして自分ではなく他人の幸せを願うことにシフトチェンジしたのである。
 最近再婚した母に迷惑をかけないためにも、これが一番いいのだ。
「そんなふうに決め込んで、寂しくないんですか?」
「寂しい……?」
 沙優が放った言葉に、みどりの胸がざわめく。
 店内に流れるジャズの曲調がアップテンポなものに変わった。
「今時おひとりさまなんて当たり前ですし、結婚を考えろとまでは言ってません。でも、恋愛自体をやめるなんて寂しいじゃないですか」
 沙優はイラついた口調で話しつつ、ジンロックを飲み干す。
「だ、だって好きな男に尽くすじゃない? そうすると、もっともっとって相手が求めてくるのよ。愛情を求めてくるのならいいの。でもお金とか、体だけとか、おかしな性癖をぶつけてきたり、挙げ句の果てに暴力を振るい出す男までいたんだもの。恋愛はやめたほうがいいって思っちゃうわよ。そもそも私がそうさせてしまうのが悪いんだし……」
 みどりが弁明を続ける間に、沙優が三杯目をバーテンに注文した。彼女はみどりよりも酒に強い。
「とにかく、私と一緒にいたら相手を不幸にする。そして私も不幸になる。いいことなんて何もないの」
「それって、ずいぶん前の話ですよね?」
「まぁ、最後の彼は四年前になるけど……」
「昔話は忘れましょうよ。世の中そんな男ばっかりじゃないんですから。野花さんのいいところをわかってくれる男性が、必ずどこかにいるはずです。野花さん、モテるんだし」
「私は全っ然、モテませーん」
「ていうか、体が寂しくないんですか?」
「はうっ」
 沙優に太ももをきゅっと掴まれ、おかしな声を上げてしまう。
「胸はFカップ、お尻はきゅっと上がってて、ウエストは締まってて細い。野花さん、こーんなにいい体してるのに、放っておくなんてもったいないです」
 ぐっと顔を近づけた沙優が、みどりを間近で見つめた。さすがにこれだけ近づけば、彼女のクリッとした目としっかり視線が合う。
「さ、沙優ちゃん?」
「メガネを取ればこんなに美人。髪もお肌もつやつやじゃないですか。二十六歳で枯れてる場合じゃないですよ。男を作って、この体ごと愛されるべきですっ」
「……褒めてくれてありがとう。沙優ちゃんって、見た目と違って肉食よね。お酒も強いし。そういうギャップがあるところ、好きだけど」
 と、沙優に返答するも、彼女の視線はこちらにはなかった。
「ほら……、さっきからこっちをチラチラ見てる、あのふたり組の男性とかどうです?」
「ふたり組?」
 顔だけ振り向くと、ソファ席に男性らしきふたりが座っている。
「あの人たちと一緒に飲んじゃいましょうよ」
「沙優ちゃんが好みの男性なら協力したいけど、私、結構酔いが回ってるし、メガネしてないからよく見えな──」
「私じゃなくて、野花さんにどうですかって言ってるんです。よく見たらめっちゃイケメンなふたりですよ。顔の良さは私が保証します。危ない感じがしたら即帰りましょう。じゃ、行ってきますね」
「ちょ、ちょっと、私はいいんだってば、沙優ちゃ……」
 立ち上がった沙優を止めようとしたが間に合わず。彼女の背中を目で追うと、男性のひとりがこちらへ向かってきていた。
「あの、良かったらあちらで一緒に飲みませんか? 男ふたりなんですが……」
 男性の爽やかな声がみどりにも届く。
「ええ、もちろん。こちらもお声掛けしようと思っていたんです。ね? 野花さん」
「……そうね」
 沙優の強い声に気圧され、みどりも席を立った。

 ソファ席に移動したみどりたちは、それぞれ男性の隣に座り、向かい合わせになった。
「ふたりとも、お酒強いんだね」
 先ほど沙優を誘った男が、彼女の隣でにこやかに言う。
 みどりと沙優は酒造メーカーに勤めている。自社の新作はもちろんのこと、日々、他社の製品を飲み比べているため、酒に強い社員は多かった。みどりは「そこそこ」飲めるほうで、沙優は強い。
「どこの居酒屋に行ってたの? 俺らもさっきまで別の店で飲んでたんだ」
「東京駅地下のお店ですね」
 沙優が静かに答える。
(どっちの男性も声はいいけど、ぼんやりして顔がよく見えない。それに、久しぶりにたくさん飲んだせいで……ちょっとまずいわ、これは)
 コホンと咳払いをしたみどりは、飲みかけのカクテルに口を付けた。
 火照った体と視界の悪さ、頭の回らなさが、隣に座る男性の存在を大きくしている。そしてなぜか……彼の声や雰囲気が、みどりの体を疼かせるのだ。
(沙優ちゃんに、体が寂しくないかと聞かれてドキッとした。本音を言えば私だって寂しい。二十六歳で男性と関わるすべてを諦めるのは、つらいかもしれない。人生百年という時代に、このままセックスどころかスキンシップもしないで枯れていく……。って、人生百年の終わりまで、あと何十年よ?)
 カクテルを見つめながら、ぞっとした。
(いやいや、だからってこの男性に何を期待してるの。とりあえず当たり障りのない話をして、適当なところでお店から出よう。この疼きは家に帰ってから、ひとりで解消すればいいんだし)
 今夜はどんなイケメンとのシチュエーションを妄想しようか……などと思いながら、適当に会話を進める。男性たちの名前や年齢、職業なども聞いたが……次の瞬間には覚えていないほど、みどりは酔いが回っていた。
「いいの?」
「……はい?」
 隣の男性に問われて顔を上げると、彼は正面の席を指さしている。
「彼女、あいつと別の場所に飲みに行くって言ってるけど」
「え、あ、沙優ちゃん?」
 沙優はすでに立ち上がってバッグを手にしていた。彼女の隣にいた男性も身支度を始めている。
 驚くみどりに、沙優がぺこりとお辞儀した。
「野花さん、お先に。私のことはご心配なく。彼とふたりでお話がしたくなったので、先に出ていますね」
「沙優ちゃん、大丈夫?」
「私はまったく酔っていませんし、大丈夫ですよ。野花さんも、丘田おかださんに『しっかり』送ってもらってくださいね? 視界が悪いんだから、彼にしがみついて歩くんですよ? では丘田さん……野花さんをよろしくお願いします」
 沙優はみどりに笑顔を送ってから、男性を見た。
「ああ、もちろん」
 隣に座る男性がうなずいた。丘田という名前だったのか……とぼんやり考えながらも、彼の声にみどりの胸がドキドキと大きな音を立てる。たぶんこれは酔いのせいではない。……よからぬ期待に胸が高鳴っているからだ。
「嫌がるようなことをしたら絶対にダメだからな」
「わかってるよ。お前もな」
 男性らは互いを指さして、注意し合っている。
(なんなの、このシチュエーションは)
 沙優にハメられた気がしてならないが、自分の本能に従えという誘惑に逆らえそうにないのもまた、事実だった。

 ふたりきりになったとたん、丘田はみどりに近づいて座り直した。大人のフレグランスが間近に香り、みどりの鼓動がさらに大きくなる。
 彼のスーツの袖口からチラリと覗いた時計に目が留まった。顔を近づけないとわからないが、趣味が良さそうなものに思える。深いグレイのスーツはオーダーしたように、すっきりした彼の体型にぴったりだ。足下の間接照明に照らされた革靴が美しく黒光りしている。嫌みのない品の良さが、彼の全体からにじみ出ていた。
 話し方は落ち着いていて、いつまでも聞いていたくなる声。清潔にカットされた黒髪に、たぶん……大きな目と形の良い鼻と唇。面食いの沙優がイケメンと言うのだから間違いない。
 丘田はみどりの好む雰囲気を醸し出している。妙に意識してしまうのは、それが理由なのだろう。
(ああ、すぐにでもメガネのレンズで彼の顔をはっきり見たい……!)
 と思ったが、テンプルが片方取れたメガネを使ってじろじろ見るのは、さすがにみっともないのでやめた。
「さっき彼女が言っていた、視界が悪いっていうのは?」
 丘田が顔を傾けるようにして、こちらを覗き込む。心の声を聞かれたのかと心臓が飛び出しそうになったが、ポーカーフェイスを保った。
「ちょっと近眼なんです。特に問題ありませんので気にしないでください」
 問題ありまくりなのだが、壊れたメガネの説明は割愛する。
「そうなんだ? 俺も車を運転する時はメガネ掛けるよ」
「普段は裸眼で大丈夫なんですか?」
「そうだね。このくらいの距離なら何も問題ない」
 彼がさらに顔を近づけてきた。
「っ!」
 動揺しつつも、今がチャンスとばかりに彼の顔を凝視する。まばたきなど一切せずに見つめた、その顔は──。
(本当にイケメンだった……!)
 想像通り、いや想像以上に、みどりの好み、ど真ん中の男性だったのだ。
「ねえ、野花さん」
 彼の声が甘いものに変化している。
「俺たちもここを出ない? このあともう少し一緒にいたいんだ。できればその……朝までずっと」
 言い終わらぬうちに、みどりの右手が彼の大きな手に握られる。
(あ、ダメ。男の手なんて、久しぶり……。あったかくて大きな手に包まれるの、気持ちいい……。この手で体も触られたら……)
 と、うっとりしそうになったところで、ハッとした。
 このまま流されてもいいのだろうか。
 さっきあれほど「恋愛はしない」と沙優に宣言したクセに、このていたらくは……。
(でも、ただ押してくるだけじゃなくて、ためらいがちに迫ってくるのが好みだわ。声もいいし、手の力強さからいって体のほうも良さそう。……なんとなくだけど)
 たったこれだけの触れ合いで妄想が止まらなくなっている。
(ああ、もういっそのこと何も考えずに心と体に素直になってしまいたい。お酒のせいにしちゃいたい。今夜だけなら……その先がなければきっと大丈夫……よね?)
 みどりは彼の手を、ぎゅっと握り返した。
「わかりました。出ましょう」
「え、本当に?」
 驚きつつも嬉しそうに反応した丘田が、さらに手を強く握ってきたが、みどりは自身を落ち着けるために静かな声で続けた。
「ただし、今夜だけという約束にしてくださいね」
「……今夜だけ? なぜ?」
 彼が不審そうな顔をする。
「なぜって、あなたも今夜だけのつもりじゃ──」
「俺は違う。勝手に決めつけないでくれるかな」
 嘆息する彼を見て、みどりは少々焦った。
「私、セフレにはなりませんので」
「俺だってそんな関係はイヤだ。今夜だけじゃなくて、また会いたいんだよ」
 真剣な彼の声を聞いて混乱が生じる。意味がわからない。彼の言葉が本気だったとしたら、それはそれで困るではないか。
 みどりは小さく深呼吸し、理由を話すことにした。
「私に近寄ってくる男性は、私と付き合ったとたんにダメンズになってしまうんです。素敵だと思った人も、みんな」
「ダメンズ? え、ダメな男になるってこと?」
「私が尽くしすぎるせいで相手の男性がどんどんダメになって、結局私もひどい目に遭わされて別れるというパターンです。何人かお付き合いしましたが、全員そうなりました。そこまでくると原因は私に他ならないと思っています」
 勢いで今夜だけならいいが、続けてしまえば、また苦い思いをするのは確実である。
「あなたをダメ男にしたくはありませんので、今夜限りでお願いします」
「そんな約束はできない。俺は──」
「じゃあ、ここで失礼します。とても楽しかったです、さようなら」
 みどりがバッグを持つと、丘田も慌てて荷物を手にした。
「ちょっと待って、俺も出るよ」
「……」
 好みの男性だったのに。
 今夜だけ肉食になる決心ができたのに。
 恋人を作らなくなってから数年間、こんなふうに思えた男性はいなかったのに。……残念だ。
 みどりはよろけそうになるヒールを踏ん張って、席を立った。

「なんで俺が、その場限りの遊びで喜ぶ男だと思ったんだ?」
 店を出て一緒にエレベーターに乗り込んだとたん、丘田がみどりを壁に押しつける。
「えっ!」
 思わぬ展開にみどりは声を上げた。
「俺は君の過去の男たちとは違う。君と一緒にいることでダメになるような、そんな弱い男じゃない」
「な、何を」
 今さっき出会ったばかりで何を言っているのか。だいたい、今夜限りの関係の方が彼にとってもラクだろうに。
 みどりは彼の真剣な眼差しから逃げるように、目を逸らした。
「私、かなり酔ってるから。あなたのことはきっと、明日には忘れてるし」
「忘れさせないよ。自信ある」
 女を欲する男の直情的な声に、みどりの体がゾクゾクと震える。
「わ……忘れるってば」
「じゃあ聞くが、なんで今夜だけならいいんだ? 男と深い関係になるのを拒否してるんじゃないのか?」
「それは、その……体が寂しかった、から」
 追い詰められて、つい答えてしまった。そんな自分を不思議に思う。
 過去の男たちに自分から体を求めたことはない。彼らがしたい時にして、彼らを満足させて終わり。体の欲求が不満だらけでも、そういうものだと思っていた。家でひとり自分を慰め、不満を解消すればいい──。
 しかし今夜はいつもの自分とは違った。丘田のそばにいるだけで、みどりは欲情している。沙優の言葉が引き金になったとはいえ、自分から「抱かれたい」と思ったことに驚いていた。
「俺は君を抱きたい。でも体だけの関係はイヤだ。だから忘れさせないって言ってるんだけど?」
「そんな……、んっ!?」
 ぐっと後頭部を押さえられて、あっという間に唇が重なった。
「ちょ、ちょっと……! あ、ふっ、んんっ!」
 逃げようとしたが、再び彼の唇に捉えられる。深く重なった唇から、彼の生ぬるい柔らかな舌が口中に入りこんでくる。腰に回した彼の手に力強く引き寄せられ、体が密着した。絡まった舌で甘い唾液を味わううちに、みるみる力が抜けていく。
「っ、はぁ……」
 どうにか唇を離して息継ぎをしたが、未だ丘田の腕の中からは逃げられない。
(いきなり深いキスをしてくるなんて想定外だわ。そもそもキス自体……四年ぶり? 酔いと相まって頭がクラクラしてきた……どうしよう)
 あれこれ考えようとしていたが、再び唇を押しつけられて思考が停止した。
「んむっ……!」
 体が熱い。みどりの膝が小さく震え始める。このままどこかへ堕ちてしまいそうだ──。
 強引なキスをする彼の手がみどりの腰を撫でさすった時、チン、という到着の音が響き、エレベーターが止まった。

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