【試し読み】十年眠っていた魔女は、成長した勇者に重たく愛されています


作家:ミズメ
イラスト:藤村ゆかこ
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2022/8/9
販売価格:700円
あらすじ

森でひっそりと暮らしていた魔女のシルヴィアは、訳アリの幼い兄妹、ライルとフィオナを拾い共に生活することに。――愛おしい日々を送ること五年が経ったある日。ライルに突如『勇者の紋章』が表れると、その力を利用しようとした王国にシルヴィアと兄妹は引き離されてしまう。捕らえられたシルヴィアは何とか脱出するも、力を使い果たしそのまま深い眠りについた――十年後。目を覚ました彼女の前には成長した兄妹の姿が。「今日こそ僕と結婚してくれますか」あたたかな日常が戻ったかと思いきや、何故かライルが毎日求婚してくるように!? 世界<<<<魔女な勇者ライルの重めの愛に、魔女シルヴィアは混乱しきりで……!?

登場人物
シルヴィア=ヘンツェ
森の中でのんびりと暮らす魔女。森の中で生き倒れている兄妹ライルとフィオナを気まぐれで拾い、5年間育てる。
ライル
10歳の頃、シルヴィアに拾われる。ある日勇者の紋章が浮かび上がったことで事態は急変、消えてしまったシルヴィアを探してそこから10年近く奔走することに。
試し読み

プロローグ

「これは……!」
 白い法衣ほういに身を包んだ神官は、日課である見回りの最中に思いもよらない場面に遭遇した。
 神殿の地下、厳重に施錠せじょうされたその一室にある水鏡みずかがみに青白い光が浮かんでいた。
 光は波紋にあわせてゆらゆらと揺れ、部屋中に月明かりに似た幻想的な光景が広がる。
「は、はやく司教様にお伝えしなければ……!!」
 真っ青になった神官は、転げるように廊下をかけてゆく。
 水鏡が光った。その事実をいち早く伝えるために。

 レリークヴィア聖王国は、四つの大陸と諸島からなる世界の西大陸に位置する。
 古くから創造神ディオネを深く信仰し、その名を冠した聖ディオネ神殿は王都でもひときわ目を引く荘厳そうごんさがある。
 そしてその神殿の地下には、宝具とされる水鏡が奉納されている。
「司教様! 司教様! 大変です、水鏡が……っ」
 若い神官は息を切らしながら、司教のいる部屋へと飛び込んだ。
 古い伝承がある。
 この世界に魔王が復活した時、水鏡は対となる勇者の居場所を指し示す。
 天は荒れ、雷鳴がとどろき、勇者たる者の身体に紋章が現れるとされている。
 その紋章が浮かび上がった者には強い光の力が宿り、魔物に対して一層の威力を発揮すると言われている。
 そのため、国ではこの水鏡を管理し、勇者が現れた場合は迅速にその身を保護しなければならない。
「ついに……この時が……」
 報告を受けた司教は、頭を抱えた。
 魔王と勇者に関する伝承は、教会で古くから語り継がれてきたことではある。だが、数百年の間、水鏡は凪いでいた。
 最近になって、僻地の教会から度々魔物の目撃例や被害についての報告があり、それについても調査を進めていた矢先のことだ。
「……急ぎ、聖王陛下に謁見を申し出ねばなるまい。由々しき事態である」
 司教はそう言うと、深刻な表情のまま神官たちを従えてそのまま城へと向かうことにした。
 この国を治める元首は聖王と呼ばれる。
 賢王と名高い先代国王からこの国を引き継いだアウレーリウス=ギレンセンによる統治はこれまでで最も栄華を極めており、黄金期とまで言われている。
 望めば何でも手にすることのできる聖王。その人となりは、お世辞にも素晴らしいとは言えない。猜疑心さいぎしんの強い聖王の御世では近年、神殿とのいさかいや対立が増えてきたところでもある。
(さて、陛下はどのようにご判断されるか……)
 願わくはその判断が、民を思ってのことであるように。
 司教は神にそう祈りながら神殿を後にした。

一 森の魔女

 レリークヴィア聖王国の西の果てに、オロールという小さな町があった。
 そして、その町の近くには鬱蒼うっそうとした暗い森が広がっている。
『魔女の森』という異名があり、人喰い魔女が棲むとの伝承が根深く残るこの森の奥地へは、よっぽどのことがなければ人々も近づくことはない。
 その森の奥の奥。重なり合うように生い茂る木々がアーチのようになっているその場所に、赤い屋根の小さな一軒家がぽつんと建っていた。
「……うーん。そろそろ出かけたほうがいいかもしれないわね」
 とある昼下がりのことだ。
 窓の外に広がる曇天を見上げて、その家の唯一の住人、シルヴィアは悩ましげに呟いた。
 どんよりとした灰色の空からは、近いうちに雨が降り出しそうな気配がする。身体にぺとりと貼り付くような湿り気のある空気に急かされたシルヴィアは、急いで作業を切り上げて、外出の準備をすることにした。
 シルヴィアは森の奥の小さな家で薬を作り、それを売ることで生計をたてている。
 その薬は度々訪れる知り合いの行商人と取引をすることもあれば、町に出て直接売りに行くこともあった。今日はちょうど、月に一度、町に薬を卸しに行く日。その帰りに、必要な果物や調味料を買いに行こうと思っていたところだ。
 薬は必要なときに必要な分だけ売る――祖母から言いつかっていたとおりに、慎ましやかに暮らしている。
 窓から離れ、テーブルに散乱している器具や色とりどりの小瓶を元の場所に片付けていると、足元に「にゃあ」と黒い毛玉がすり寄ってきた。ふわふわで心地がいい。
「まあ、ニクス。お腹が空いたの? 私はそろそろ出かけようと思って」
 シルヴィアに名を呼ばれた毛玉――黒猫のニクスはごろごろと甘えたように喉を鳴らした。
 いつもどおりのかまってほしいアピールだ。
「だめよ。時間がないの。雨に降られると面倒だもの」
「にー」
 不服そうに目を細める黒猫を何度か撫でてから椅子の上に置いて、シルヴィアは身支度を調えることにした。
 とは言っても、今着ている服の上に普段からよく着ている黒いローブをかぶるだけ。
 彼女が指をひとふりすると、籠が戸棚のほうから飛んでくる。テーブルに残っていたいくつかの小瓶はひとりでにその籠に飛び込み、そして、小瓶を収納した籠は、そのまままっすぐに彼女の手に収まった。
 シルヴィアは〝魔法〟を使った。それこそ呼吸をするように。
 テーブルの上に残っていた紫色の液体が入った小瓶を無造作にローブのポケットに突っ込むと、愛猫のほうを振り向く。
「じゃあニクス、ちょっと行ってくるわ」
 扉を開けると、外気がぶわりと室内に入ってきた。
 少々蒸し暑く、土が匂い立つ。
(これは本当に、雨が近いわ。急がないと)
 天を仰いだシルヴィアの銀髪は、生ぬるい風に靡いてふわりと舞った。
 曇天の下のかすかな光でも、その銀糸のように美しい髪は、きらきらと輝いている。
 あまり外気に触れない白い肌は陶器のようにつるりとしていて、髪と同じ銀のまつ毛に縁取られた紫の瞳は、ぱっちりとしている。
 その美しい風貌は、目にした者が思わず見惚れてしまうほどの魅力があった。
 ――銀髪に紫の瞳をもつ美女、シルヴィア=ヘンツェは森にむ魔女だ。
 この世界には、『魔法』と呼ばれる超自然的な不思議な力が存在している。
 大気には酸素や水素などと同様に魔素まそと呼ばれる成分が含まれていて、魔法使いと呼ばれる者たちは、魔道具と詠唱えいしょうによってその魔素を集め、火を出したり、物を浮かせたりという不思議な現象を起こすことができる。
 非常に有益で便利なこの力は、人間の誰もが平等に扱える訳ではなかった。
 ここレリークヴィア聖王国では、魔素との親和性があるかどうか、その適正について国民が一律に検査を受ける。
 その結果、国に認められた者は、特別な訓練を受けてようやく魔法を扱うことができた。
 個人の能力の差によって階級は様々であったが、国の承認を受けた魔法使いになることは、この国において、国民の名誉だとされていた。
 だが、『魔女』と呼ばれる存在は、その性質が魔法使いのそれとは大きく異なる。
『魔女』は魔法を用いる際に、大気中の魔素を用いることはない。
 自らの体内に満ちる魔力を使って魔法を扱うことが出来る。
 それは古来に魔女の祖先と言われる者たちが悪魔と契約を交わしたからだとか、魔女自身が魔物だからだとか、言い伝えは様々あるが、そのどれもが正確には伝わっていない。
 ただとにかく、人間にとっては恐ろしい存在なのだ。
 どこにいるのか、どんな姿なのか、それを知る人はほとんどいない。大半の国民にとっての魔女の存在は夢物語――ただ、どこかに確実に存在するということだけは、しっかりと語り継がれていた。
『気まぐれに人を拐かし、人の子を喰らう、呪術で人を呪い殺す』
 魔女はそういうものである。
 今でも夜になれば「早く寝ないと魔女が来るぞ」と親は子どもたちに寝物語のように話し、子どもらはその存在に恐怖する。実際に会ったことはなくとも、魔女は人々の畏怖いふの対象だ。
 そして魔女について語る書物には、黒いローブにぼさぼさの白髪頭、かぎ鼻に、鋭い爪を持つ老婆の姿が描かれている。
 魔女は忌諱きいするもの、されるもの。それが民と魔女にある共通認識だ。
 百年前、とある魔女が人間に捕らえられ、火あぶりの刑に処されたという記録も残っている。魔女は畏怖と討伐とうばつの対象。数百年前とも言われる魔王の消滅から、現在では魔女が人にとって最も恐れるべき存在となっていた。
「あ、ちょっと、ニクス! どうしたの?」
 シルヴィアが開けた扉から、退屈そうに丸まっていたはずの黒猫が、彼女の脇をするりとすり抜けて、外に飛び出していった。
 ニクスを追うために、シルヴィアも慌てて家を出る。
 黒猫は、脇目も振らずに一目散に駆けてゆく。
 一体どうしたというのだろう。普段はあまり外を好まない気性であるニクスの様子を不思議に思いながら、シルヴィアはその後を追った。
「ニクス、待ってったら! ……あら?」
 黒猫を追っていたシルヴィアが見つけたのは、二人の子どもの姿だった。
 年端のいかない少年少女が、大きな木の根元のところでお互いに肩を預けるようにして寄り添って座り込んでいる。
 ニクスは子どもたちの周りをくるりと回ると、金の瞳をシルヴィアの方へと向けた。
「こんなところに人が来るなんて珍しいこともあるものね。教えてくれてありがとう、ニクス」
 シルヴィアはおっとりとした口調でそう言うと、ニクスの頭をふわりと撫でて、その身体を抱き上げた。ニクスは満足そうに喉を鳴らしている。
「生きているわね」
 子どもたちは固く瞳を閉じていて、一見すると良くない状態であるかのように見えたが、よくよく観察すると肩は上下に動き、吐息も聞こえる。
「見たところ、普通の子どもたちのようだけれど……この森に魔女がいるという伝承を知らなかったのかしら。それとも、あえてここまで来た理由が、何か……?」
 考察をしながら、シルヴィアは二人の子どもをさらに注意深く見つめた。
 この森は、古くから魔女の棲む場所であるため、至る所に幻惑げんわくの魔法がかけられている。
 正しく道を知っている者、あるいは導かれた者でなければ、この森の奥の家までたどり着くことは出来ないようになっていたはずだ。
「おばあさまがかけた結界が揺らでいるのかしら? ……うーん、そうではないみたいね」
 彼女がぱちりと指を鳴らすと、一瞬だけ周囲の風景が揺らいだが、直ぐに元に戻った。確認したところ、結界に異常はない。
 ということは、この子どもたちは、何らかの理由でここまで入り込めたようだ。
 この、『魔女の棲家すみか』に。
「だとすると……導かれた者、ということになるのかしら」
 シルヴィアはボソリと呟いた。
『森が迷い人を魔女の棲家に導くことがある』
 先代の森の魔女である祖母から、何十年かに一度、そのようなことがあると聞いたことがあった。
 だが、祖母と暮らしていた頃にこの家に同業の者以外が訪ねて来たことはなかったし、それはシルヴィアが一人暮らしを始めてからも同じだった。
 つまり、この家に正式ではない客人が現れたのは、シルヴィアがこの森で暮らし始めてからは初めてのことだ。
 どきどきと早鐘を打つ胸を押さえながら、シルヴィアは自身を落ち着かせるために、ふうと一つ息をつく。
 少し緊張しながらも二人にゆっくりと手をかざすと、彼女の手のひらにはぽうっと淡い光が灯った。
(この子たちからも……少し、他の人間とは違う波動を感じる。魔力があるのかもしれない。それが理由で捨てられたのかしら)
 周囲には人の気配はない。
 全てはシルヴィアの推測に過ぎないが、親と共にこの森に入り、二人だけがはぐれて迷子になったとは思えない。そもそも家族で立ち入る場所ではないのだ。
 木の幹を背もたれのようにして眠る子どもたちをさらに観察するため、シルヴィアはその場にしゃがみこんだ。
 シルヴィアに抱き上げられていた黒猫は、その手をするりとすり抜けて彼女の隣に降り立つと、呑気にあくびをした。
 ひどい様だ。シルヴィアは二人を見て顔を歪めた。
 子どもたちの服はひどく汚れていて、所々に繕った後や破れた箇所がある。履いている靴のようなものは先端から指が覗いているし、ペラペラとはげかかった靴底から見える足裏には血が滲んでいる。
 一体どのくらいの距離を歩いて来たのだろう。
 頬はこけていて、顔色が悪い。揃いの茶色の髪には艶はなく、ばさばさとしている。その様子は、町で時折見かける浮浪者のようだ。
 ところどころについている小さな擦り傷や切り傷からは多少の出血はしているが、目立った外傷はないようだ。
 過度の疲労により、彼らが泥のように眠ってしまっているのだと容易に想像がついた。
「……ここに置いておくわけにもいかないものね。きっとおばあさまも仕方がないと言ってくださるわ」
 立ち上がったシルヴィアが指を振ると、二人の身体はふわりと宙に浮いた。
 シルヴィアが踵を返して家の方に歩みを進めると、その背中を追うようにして、ふわりふわりと浮いた子どもの身体がゆっくりとついてくる。
 そしてその後ろを、とことこと黒猫のニクスが歩いてくる。
 ──森でひっそりと暮らしていた魔女のシルヴィアが、人間の子どもたちを拾った。
 それは彼女たちにとって、大きな出会いだった。

   ◇◇◇

 森の奥にある、緑のつたに覆われた赤い屋根の小さな一軒家。
 ぎいぎいと軋む木の扉を開けると、煉瓦れんが造りの大きな暖炉がまず目に入る。
 火にかけられた黒い鉄製の大きな鍋が、グツグツと煮立っている。鍋に添えられた木べらはひとりでに勝手に動き、鍋の中のものが焦げ付かないようにかき混ぜている。
 壁際にずらりと並ぶ食器棚や薬棚といった戸棚には、色とりどりの瓶が並ぶ。効用が分からないそれに不用意に触れれば、間違って怪我をしてしまいそうだ。
 この家の主であるシルヴィアが人差し指を一振りする度に、家の中のものがそれぞれ意思を持って動き出す。ほうきは床を掃き、はたきは埃を落とし、布巾ふきんは水拭きをする。
 そして、ダイニングテーブルの上にあるポットは、こぽこぽと温かな湯気をたてながら湯を沸かしていた。
 暖炉の横にあるかまどのオーブンからも何やら香ばしいかおりが漂ってきて、小さな家は朝の香りでいっぱいになる。
 カタ……と物音が聞こえて、暖炉のそばのロッキングチェアで読書に夢中になっていたシルヴィアは、ゆっくりと顔を上げた。
 銀の長い髪がゆらりと揺れて、黒のローブの上に落ちる。
「あ、あの……僕たち」
 螺旋らせん状の木の階段を、そろりそろりと下りて来ていたのは、揃いの茶色の髪を揺らすあの子どもたちだった。
 拾ったときは髪もぼさぼさで泥汚れもあった二人だったが、シルヴィアによって身綺麗にされていたため、その整った容姿や表情がよく分かった。
 二人はよく似ている、と思う。兄妹なのかもしれない。少女を庇うようにして立つ少年は、シルヴィアのことを真っ直ぐに見ている。
「あら、ようやく目が覚めたのね」
 彼らを拾ってから丸一日が経過している。あの後すぐに降り始めた雨はすでに止んだ。

※この続きは製品版でお楽しみください。

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。