【試し読み】イジワル御曹司の一途で遠回りな愛情表現


作家:春密まつり
イラスト:花峰ふゆ
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2022/8/16
販売価格:500円
あらすじ

営業部に所属する楠本紗和は、御曹司である課長の大須賀が苦手。男女問わず人気の彼は、なぜか紗和には意地悪だった。それなのにふたりで行った泊まりがけの出張で、なぜか大須賀と情熱的な一夜を過ごしてしまう。苦手なはずの大須賀に戸惑いながらも、熱を湛えた彼の姿に紗和はときめきを抑えきれない。しかし、大須賀はそれきり普段通りに……!?――一夜のつもりで弄んだのなら、困らせたい! 反撃を決意した紗和は二人きりの食事に誘ってみたのだが――「楠本が可愛いのが悪い」予想に反して大須賀はどんどん甘くなって……!?

登場人物
楠本 紗和(くすもと さわ)
商社の営業部に所属。意地悪な上司大須賀が苦手。
大須賀 駿(おおすが しゅん)
紗和の上司で御曹司。男女問わず人気者だが、なぜか紗和にだけ意地悪。
試し読み

01.意地悪なひと

 苦手な人がいる。
 具体的に言えば、自分のことをあからさまに嫌っているあの人が苦手だ。
 楠本くすもと紗和さわは憂鬱な気分のままレモンサワーを一口飲み進める。紗和の働く営業部で大きなプロジェクトの契約が決まり、決起集会という理由をつけて駅前の居酒屋で飲んでいる。営業部全体の雰囲気が良く、みんな仲が良いため飲むことがメインだ。
 新卒から専門商社の営業部で働く紗和はもう五年目の中堅。もともと明るい性格なのと人と接するのが好きなこともあって営業という仕事は合っているらしく、順調だ。さらに社内での人間関係も順調でいうことはない。
 ただ約一名との関係性を除いては。
「悪い。遅れた」
 個室のドアが開かれると、スーツ姿の男性が顔を出す。すでに飲んでいた全員が待ってましたとばかりに入り口に視線を向ける。
「課長お疲れさまでーす!」
 遅れて現れたのは営業部の課長、大須賀おおすが駿しゅんだ。
 ダークグレーのスーツを着こなしさっぱりとした黒髪は清潔感もある。きりっと凛々しくて男前なのにどこか色気のある顔は笑うと少し可愛いのがギャップだ。
 しかも彼は社長の息子、いわゆる御曹司というやつだ。半年前に突然営業部配属になり、課長というポジションを務めている。
 男性なら嫉妬しそうな立場と容貌だが、リーダーとしての資質もあり仕事ができて完璧なので誰も太刀打ちできないのだろう。男性社員からは信頼されていて、人気もすごい。紗和も、彼の真摯なクライアント対応やどんどん仕事をとってくる姿は尊敬している。
 なのにどうして彼が来ただけでこんなに憂鬱な気分になるのだろう。
「課長こっち空いてますよ!」
 特に駿を尊敬している男性社員が手招きするも、彼は「お前絡んできそうでやだ」と断り、紗和のほうへと向かってくる。嫌な予感が的中してしまい、こっそりとため息を吐いた。
「みんな、お疲れ」
「お疲れさまでーす!」
 このルックスなので当然女性社員からの人気もある。紗和も人として挨拶をしないわけにはいかないので小さい声で返した。他に席が空いているにもかかわらず端にいる紗和の隣に座るなんて、嫌がらせだろうか。彼は紗和の手元に視線を向ける。
「楠本はレモンサワーか。俺もそれにしようかな」
「一杯目はビールじゃないんですか?」
「たまにはな」
 駿の分のレモンサワーを注文し、再び全員で乾杯をした。普段多忙でなかなか話す機会のない駿と話がしたい社員が多く、紗和の周囲が一気に騒がしくなった。けれどおかげで彼と話をしなくて済む。紗和は隣に座る同僚の夏帆かほと他愛のない話をしていた。夏帆はオフィスでも隣の席なので仲が良い。
「この前合コン行ったんだけど、すっごいかっこいい人と連絡先交換できたの~」
 彼女はとてもうれしそうに笑うので、なぜか紗和までうれしくなってくる。
「すごい、よかったね!」
 紗和には縁のない話だが、人の話を聞くのは好きだ。紗和自体、彼氏がいたのは数年前。大学時代に付き合っていた人とは就職をきっかけにすれ違い別れることになってしまった。それからは仕事に一筋だ。
「今度紗和も合コン行こうよ!」
「うーん……」
 出会いを避けているわけではないけれど、積極的に探しているわけでもない。特に合コンという場は苦手意識が強く、参加したいと思ったことがない。
「楠本は彼氏できないのか?」
 反対側で盛り上がっていたはずの駿が紗和たちの会話に混ざってくる。彼の手に握られたグラスはレモンサワーではなくハイボールに変わっていた。もう一杯目を飲み干したのだと思ったらペースがはやくて驚く。
「っ、いきなりなんですか」
「恒例行事だろ」
 駿は笑顔を見せるが、それがからかっている表情なのはわかっていた。
 半年前に彼が配属になって飲み会が行われたのは数える程度だが、駿は毎回紗和にそんなことを聞いてくる。最初は失礼な人だと思ったが、今では嫌われてるのではないかと思い始めていた。
「やだー課長それセクハラじゃないんですかー?」
 夏帆や他の女性社員がそう言いながらもなぜかうれしそうにしている。彼が話に混ざってくれたことがうれしいんだろう。
「楠本はいいんだよ。な?」
「……セクハラですよー」
 紗和は笑って誤魔化した。
 彼がこんなに意地悪なことを言ってくるのは紗和にだけだ。
 他の人には基本的に優しい上司。彼が異動してきた当初は紗和に対してもそうだったはずだが、気がついたらからかうようなことを言われたり意地悪を言われたりばかりだ。そのことが紗和にはずっと引っかかっている。何か彼の気分を害するようなことをしてしまって、嫌われてしまったのだろうかと悶々と考えてしまうこともある。
 きっと今日の夜もベッドに入ったらこのもやもやを思い出してしまうんだろう。
「楠本は彼氏作る気ないのか?」
 なぜか駿は食い下がる。
「……今は特に考えたことないですね……」
 どうして課長と恋愛トークをしているのだろうと不思議に思ったが、彼はすでに何杯か飲んでいるみたいだし酔っているのかもしれない。それならまともに会話するのもばからしい。かといっておもしろいことも言えないので正直に答えるしかなかった。
「私は彼氏作る気ありますよ!」
 夏帆が声を上げる。駿の視線も彼女に向かい、ほっとする。前のめりになった夏帆に駿が苦笑した。
「まあ、そうだろうな」
「課長は恋人は?」
「俺は仕事が恋人かなあ」
「うわーその言い方ずるい」
 紗和を挟んで二人が恋愛トークを繰り広げる。ついていけないのに間にいるせいで逃げることもできない。
「じゃあ、出会い探したり、合コン行ったりしないんですか?」
「俺は行かないだろ」
 駿は笑うが、確かに合コンに参加してこんな人が現れたら驚いてしまう。女性に困らなそうなルックスなだけに信用できないかもしれない。
「彼女欲しくないんですねえ」
「……うーん」
 駿は顎に手をやり考え込むしぐさを見せる。
「あ、意味深」
 夏帆の突っ込みに駿が誤魔化すように笑うと紗和を見た。目が合う。
「楠本は作る気ないんだろ?」
 急に話が紗和に降りかかる。完全に傍観者となっていたので紗和は動揺から持っていたグラスを、音を立てて置いてしまった。
「そ、そんなことは、ないこともないですけど……」
「なんだよそれ」
 今は仕事が楽しいけれど、イベント時期になるとたまに寂しくなったりもする。合コンで出会おうという気になったことはないが、そうなるとずっと一人かもしれないと考えることもある。
「じゃあ紗和、今度合コン誘うからね!」
「……う、うん」
 なぜかそんな流れになってしまった。でもいつ開催されるかわからないしとりあえず頷いてみた。
「いや、やめたほうがいいだろ」
 すると隣から制止の声が強く響く。
「えーなんでですか」
 紗和が困っているのがわかって助け船を出してくれたのだろうか。駿に目を向けると、彼はにこりと微笑み紗和を見た。
「どうせ振られてつらい思いするって」
 助け船とは程遠いセリフに、一瞬でも期待した自分がバカだった。駿が意地悪だということを忘れかけていた。
「えー、ひどーい!」
 紗和が嘆くより先に夏帆が騒いだので怒るタイミングを失ってしまった。それでも彼女は本気で怒っている風ではなく駿と話をしているうれしさが滲んでいた。
「冗談だって」
 駿は悪びれもせず笑う。その笑顔すらもかっこいいなんてずるいし悔しい。夏帆も見とれていた。
 それからも時折からかわれながら、駿が他の女性社員に呼ばれるまでその話は続いていた。結局紗和は合コンに参加しないほうがいいという結論になったが、腑に落ちない。逆に合コンに行って彼氏を見つけてやろうかという気にさえなった。
「課長、あんな冗談言うんだねえ」
 最後には夏帆は驚いた顔をしていた。
 むしろ彼女が駿がああいう人だということを知らないのが驚きだ。
 紗和は駿と話す飲み会はいつもこうなるので、結局標的にされているということだ。だから楽しいはずの飲み会もこんなに憂鬱になるんだ。
 二時間半ほどの飲み会も無事に終わり、十時近くなる。
 ノー残業デーの水曜日に開催された飲み会なので明日も朝から仕事がある。二次会に行こうと盛り上がっている人たちから抜けて、紗和は一人で帰ろうと考えていた。
「楠本は二次会行かないのか?」
 人だかりの中心にいたはずの駿はいつの間にか紗和の隣に立っていた。紗和は先ほどのもやもやがまだ残っているので、目が合ったけれどすっとそらしてしまった。
「帰りますよ」
 またなにか言われるんじゃないかと、必要以上に冷たい態度をとってしまう。
「俺も帰る」
「え? 二次会行かないんですか?」
 駿がいないとみんな寂しがるだろうし、確かいつも二次会は参加していたはずだ。意外な発言に目をまるくする。
「明日も仕事だろ? それにまだ仕事が残ってるから帰ってやらないとな」
「……大変ですね」
 駿は仕事をいくつも抱えているし課長の業務だってある。忙しいのは当たり前だ。
 二次会はどこにしようかと話し合っている人だかりに向かって駿は手を挙げた。彼らの視線が一気に注がれる。
「じゃあ、お先ー」
 女性社員だけではなく男性社員からも「えー」など残念な声が聞こえたが、駿はそれを無視して彼らに背を向ける。
「行くぞ」
「え? あ、はい」
 背中を押され、自然と二人で歩き出していた。
 数分で駅に到着し、一緒に改札へ入ると同じホームへと向かう。
「あれ、課長もこっちでしたっけ?」
「ん。こっちに用がある」
「そうですか……」
 駿がどこに住んでいるかは知らないが、仕事帰りや飲み会の帰りに一緒になったことはなかった。一緒に電車に乗るのは少し気まずいが、ここまで来て別の電車に乗るにはあまりに不自然だ。紗和たちは数分で到着した電車に乗り込んだ。平日の夜遅くなだけあって人はまばらだが、二人で入り口脇に立つ。
「仕事はどうだ?」
 上司としてよくある質問だ。さっきの飲み会ではさんざん恋愛について聞いてからかってきたくせに二人きりになってから仕事の話題なんて、逆なんじゃないだろうか。
「すごく楽しいですよ」
 嘘を吐く必要もないので紗和は相手が上司だという意識もなく、正直に答えた。すると駿が笑った。
「俺もこの仕事は楽しい」
「でも、大須賀さんはいつも大変そうですよね」
 課長という立場がそうさせるのか、社員の管理からクライアント対応などの実務まで様々なことに手をつけていて、みるからに多忙を極めている。部長よりも忙しいのではないかと思うくらいだ。
「まあ、忙しいのも遣り甲斐があるが、もっと一つの仕事を丁寧に、深く取り掛かってみたいと思うよ」
「……そういうものですか」
 紗和にはまだ達することのできない境地だ。けれど確かに課長として満遍なくいろいろな業務に携わっていたり、とってきた仕事を部下に振り分けたりする姿を見ているので気持ちがわからなくもない。紗和も一つの仕事にじっくり取り組みたいと思うタイプだ。とはいっても経験が足らない紗和はいろいろな仕事をしてみたいとも思う。
「私はまだいろんなことやりたいですね」
「……男もか?」
「え?」
 一瞬何を言われたのか本気でわからず目を丸くして聞き返すと、駿がにやりと口角を上げた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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