【試し読み】セレブ社長の雇われ婚約者


作家:長曽根モヒート
イラスト:霧原すばこ
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2022/8/2
販売価格:800円
あらすじ

元彼が残した借金の保証人となってしまい途方に暮れるみよしの前に、とある企業の社長・君津が現れる。去年亡くなったみよしの父が専属運転手を務めていたという彼は「困ったことがあったら娘を頼れと言われた」と話すが、他人の相談に付き合っている余裕はない。こちらは借金の返済に追われているのだ。みよしは君津を追い返すが、数日後に借金取りが職場にまで押しかけてくると、再び彼が現れる。そして、借金を肩代わりすると申し出るのだが──「君は、借金の代わりに僕と結婚するんだ」代わりに課せられたのは婚約者のふり。さらになぜか同居まで!? ※本作品は過去に配信されていた作品を加筆修正したものです。書下ろしエピソード付き。

登場人物
前園みよし(まえぞのみよし)
婦人服の通販サイト運営会社に勤務。結婚を考えていた彼氏に一方的に別れを告げられた挙句、500万の借金が発覚してしまい……
君津直之(きみつなおゆき)
父が専属運転手をしていた会社の社長。途方に暮れるみよしの前に突然現れ、借金を肩代わりすると申し出る。
試し読み

   1

「ごひゃくまん……?」
 いつもと変わらない日曜の昼。突然訪れた客によってその平穏は終わりを告げた。
「彼氏さん逃げちゃったんで。おねーさん、保証人のところに書いてある前園まえぞのみよしサンでしょ?」
「そ、そうですけど、彼とはもう別れてて」
「いやカンケーないっしょ。名前書いちゃってんだし」
 いかにもチンピラといった風貌の男は、面倒そうに借用書をちらつかせる。
 そこに書かれているのは元彼、三上みかみ翔太しょうたの名前。そして保証人の欄には自分の名前。
「そうですけど……でも、五百万なんて……」
 数ヶ月前に親の入院費でどうしても必要だと言うから書いたものだ。保険がおりたら返せると言っていたのに、まさか返済していなかったなんて思わなかった。翔太と別れたのは一ヶ月も前だ。
「つっても返済期限も結構過ぎてるし、もうおねーさんから回収するしかないんだけど、どう? 返せそう?」
「え……っと……、そんなお金……」
 逃げ場を探すように、部屋を振り返る。
 真新しい2LDK。一ヶ月前に引っ越してきたばかりで、家具も家電も新品そのもの。まだ開けていない段ボールが隣の部屋に置いてある。
 結婚を見据えて一緒に住もうと誘われたのが先々月の話。なんやかんやと言いくるめられて引っ越しにかかる費用は全て私持ちだったから、今の貯金はゼロに等しい。
 引っ越し直後に別れるとわかっていたらこんな引っ越し絶対にしなかったし、借金の保証人にだって絶対ならなかったのに全て後の祭りだ。
 すでにひとりで払いきれない家賃を今後どうするかという問題だってあるのに、その上多額の借金なんて到底抱えきれない。
「兄弟とか両親とかに頼んでかき集めてもいいし」
「ひとりっ子ですし、母は幼いときに亡くなって、父も去年……」
 私が六歳のときから親ひとり子ひとり。父親とずっと二人で生きてきた。再婚することもなく、ただ私を最優先に考えてひたすら働いた父。高校卒業後に就職し、収入もようやく安定してきて、これで少しは親孝行ができると思っていたのに、去年の夏、交通事故であっさりとこの世を去ってしまった。
「はー、じゃあ天涯孤独かあ。頼るあてがないと大変だよなあ。人を信用するのも慎重にならないといけないし、ね」
 大げさに同情したような男の言葉は、私の胸を深く突き刺した。言い返せない。翔太を信用した自分が悪いんだとわかっている。
「また近々様子見に来るからさー、それまでに返すあて見つけといてよ。今いくつだっけ?」
「二十五です」
「じゃあキャバでもヘルスでもなんでもできるじゃん。逃げようとしなかったらウチのとこは結構良心的だからさあ、変なこと考えないでちゃんと返してね」
 バタン、とドアが閉まる。その音はやけに重々しく、大きく、心臓まで響いた。
(借金なんて……どうしよう)
 今は婦人服の通販サイトを運営している会社に勤めているが、そこまで高給ではない。それどころか引っ越しのせいで生活はぎりぎりだ。家賃さえ来月払えるか怪しいのに、五百万円なんてどこから出るというんだろう。今ある持ち物全てを売り払ったって足りないことは目に見えている。
「……あ、電話」
 元々は翔太の借金なんだから、本人を捕まえればいいんだ。そう思って電話をかけてみるけれど、当然ながら通じなかった。
 借金取りだって、まずは本人を捕まえようとするだろうし、彼らに捕まらないなら私がいくら連絡したところで無駄だ。
 不通を伝えるツー、ツー、という電子音を聞いていると徐々に実感が湧いてくる。
(本当に、逃げたんだ)
 私が借金を背負うことを知っていて元彼は逃げた。本当は親の治療費ですらなかったかもしれない。私は唯一の肉親を失っていて、だからそう言えば簡単に騙せると思ったのかも。
(ううん。今はそんなことどうだっていい……お金をなんとかしなきゃ)
 借金を返すために新しく借金をするのは意味がない。貯金もない。それなら、自分で働いて返すしかないだろう。でも、どうやって?
 ――「キャバでもヘルスでもなんでもできるじゃん」
(無理無理無理。ひとりとしか付き合ったことないんだから……そんな)
 ずっと事務職ばかりやってきた自分に、まともな接客ができるとは思えない。男性経験だって元彼しかないのに、水商売なんて無理だ。
 我知らず震える身体を抱きしめる。
 手段は選んでいられない。そうわかっていても、なかなか決心はつかなかった。

「……え?」
 翌日。アパートに帰り着くと、部屋の前に知らない男が立っていた。
 一瞬、また借金取りが来たのかと身を固くする。でもよくよく見るとその男は昨夜見た者とは明らかに雰囲気が違った。
 横を向いて顔がよく見えなくても、着ている物は上等なコートだし、靴もピカピカだ。髪も綺麗に後ろに流し、いかにも別世界の住人。
 だからといって油断はできない。また新手の借金取りということもありえなくない。警戒しながらおそるおそる近づくと、相手は一六〇センチの私が見上げるほど背が高かった。一八〇センチはあるだろう。
「あの……そこ、私の部屋なんですけど……」
 男がこちらを向く。
 瞬間、頭の中が真っ白になった。
(なんて、綺麗な人)
 珠を彫ったように滑らかで美しい顔。中性的な雰囲気はどこか浮き世離れしていて、天国から来たような神々しさがある。
 色素の薄い茶色い髪はゆるゆるとウェーブがかっていて、穏やかそうに見せている。すっと伸びた鼻に、薄く笑みをたたえた唇。睫毛が長い。透き通るような虹彩の凛とした目元は、見ているだけで妙に落ち着かない気持ちになった。
 そばに寄ると、花とスパイスが混ざったような重厚な香水の香りが鼻をかすめる。途端に胸が騒いだ。ここは私の家の前のはずなのに、まるで彼の領域に不躾に侵入した闖入ちんにゅう者にでもなったような心地で、逃げ出したくなった。
 我を忘れそうになる私を、心の中の冷静な自分がビンタする。しっかりしなさい。ついこの前も騙されたばっかりなのに。
「君が前園みよしさん?」
 凜とした声で名前を呼ばれる。夢見心地になるような、穏やかな声だ。羽毛でくすぐられるような柔らかな声音に、我に返りかけた自我が再びため息をこぼす。
「良かった。君を探していたんだ」
「私を?」
 こんな完璧な人間が、私になんの用があるんだろう。
 いまだその顔に釘付けになりながらなんとか返事をすると、男はにっこりと笑って部屋を指さした。
「まずは中に入れてくれる?」
「は、はい」
 急いで鞄に手を突っ込み慌ただしく鍵を探して、ふと止まる。
 言われるまま見ず知らずの男を部屋にあげていいものか。この前来た男は借金取りだった。でもどう聞けば失礼にならないだろう。たとえ相手が借金取りでも気分を害するのは避けたい。よく知らない相手ならなおさらだ。
「あの……その前に、どなたですか?」
「ああ、そうだね。名乗ってなかった。僕は君津きみつ直之なおゆきといいます。君のお父さんの知り合いだよ」
「父の……?」
 彼は名刺を差し出した。どこか見覚えのある企業のロゴが入っているが、それ以上に目を引かれたのは彼の肩書だ。
「代表取締役、君津直之……ってことは、社長?」
「そうだよ。ねえ、寒いから中に入れてくれないかな。僕はここで三十分待ってたし、家が嫌なら近くの店でもいいよ。とにかくあったかいところで話を聞いてほしいんだ」
 困ったように微笑んで、寒そうに両手を合わせる。その仕草がたまらなく可愛い。
(いや、違う違う。そうじゃないでしょ)
 少なくとも借金の取り立てではなさそうだ。父との関係も気になって、私は急いでドアを開けた。
「へえ。外から見たときは狭いんだろうなって思ってたけど、本当に狭いんだねえ。おや、一部屋空いてる。物置かな」
「ちょ、ちょっと!」
 君津と名乗った男は内覧会にでも来たように、さも当然と部屋という部屋を見て回った。
 さして部屋数はないけれど来客の予定なんかなかったから当然散らかっている。慌てて止めるが彼は制止する声を一切聞かない。まるで王様みたいな振る舞いに私は唖然となった。
「ふん、なかなかいいね」
 最後にリビングに戻ってくると、彼は満足したようにソファに腰掛けた。その下には昨日脱ぎ捨てた私の服があるが、君津は気にした様子もない。それでもなけなしの羞恥心で室内に干していた下着は急いで脱衣所に隠した。
「あの、ちょっといいですか」
 部屋に椅子はソファしかない。隣に座る勇気はなくて、お茶を出すとテーブルを挟んだ向かいの地べたに正座する。
「なあに?」
 明かりの下で改めて見ても、やはり綺麗な顔だ。穢れのない宝石みたいに美しい瞳に一瞬言葉を失う。
 このままでは駄目だ。思考を停止させるまっすぐな目から逃げるようにそっと視線を逸らすと、床に落ちていた女性誌が目に留まった。そこに、さっき見たばかりのロゴが入っていた。
(あ、そうか。この人の会社って……)
 女性向けの高級ブランドの会社だ。それも美容やファッションや食品など幅広く展開している大きなところ。どれも私には手が出せないようなお高い商品だけど、CMなどでもよく見るから知っている。美容系が強いイメージだったので男性が社長であることを意外に思った。それも、こんな若くて完璧な人なんて。
 見たところ君津は私とそれほど大差なく見える。二十代半ばから三十代前半といったところだろう。ブランドイメージに相応しく肌は艶やかで瑞々しい。加齢によるシミや皺が一つも見当たらない。この人が広告塔になったら、もっと客が増えそうだな、なんて場違いなことを考えた。
「あのそれで、父とはどういったご関係で……」
 正体がわかるとなおさら、関係が全くわからない。神々しい見た目に加え、彼が大企業の社長だということを思い出すとさらに緊張してもじもじしてしまう。ただ見られているだけで非常に気まずい。
「お父さんから聞いてないの?」
「はい。あの、父は去年亡くなっていて」
「それは知ってるよ。でも、そっか……お父さんの仕事は知ってた?」
「えっと、運転手?」
 生前、父から仕事の話を聞いたことはほとんどなかった。元々無口なたちで、長年どこかの会社の専属運転手をしていたようだけれど詳しくは知らない。
 葬式のときには会社の重役らしき男たちが数人来ていたけれど、当時の私は余裕がなく、その頃の記憶はほとんどなかった。
「そう。僕の運転手だったんだ」
「あなたの?」
「うん。ここ数年はずっと海外にいてね、連絡を受けたときにはもう全てが終わっていたんだけど……」
 そのとき初めて、彼の微笑みに影がさした。
 目を伏せて、どこか遠くを見る。長い睫毛が、頬に影をつくった。それを振り切るようにして、再び私に視線を移す。
「挨拶に来るのが遅くなってごめんね」
 とても悲しそうに笑うから、私は急いで首を振る。
 父が死んだときは悲しかった。ショックだったし、色んな人を憎んだりもした。でも一年経って少しは前を向けるようになった。なにより、こんな風に微笑む人を責めたりできない。
「あれは、事故だったんです。だからそんな顔しないでください。でも、位牌はここにはないんです。お墓も父の実家のほうにあって……」
 ここにきてようやく、君津の目的が何なのか思い至った。けれどここに位牌はない。急いで墓の住所を出そうかと腰を上げると、彼がそれを制した。
「いや、いいんだ。もちろんあとで教えてほしいけど、僕が今日ここに来たのは君に用があったんだ」
「私に?」
「君のお父さんにはよく話を聞いてもらってたんだ。当時は信用できる人がいなくてね……何気ない話をしたり、ちょっとした相談をさせてもらったりね。周りにいる人たちとは違う見方をしてくれるから、結構参考になったよ」
 君津は遠くを見て懐かしむように目を細める。それだけで、彼が父と過ごした日々が伝わってくるようで、私は僅かに頷いた。
「なんとなく、わかります」
「本当?」
「ええ。私もよく友達とうまくいかないとき、相談しましたから」
 あまり人付き合いがうまくない私には、友達と呼べるほど親しい人間はいない。自分のしたいことを口にするのが苦手なせいで、学生の頃にはハブられることも少なくなかった。そんなとき、つい八つ当たりで父にきつくあたった。もしくは無言で部屋に閉じこもってみたり。でも父はそんな私を怒らずに、辛抱強く待って、ゆっくりと話を聞いてくれた。
「そっか。うん。いいお父さんだったんだね」
 不思議な感覚だった。父が死んでから誰ともこんな話をしたことはない。口にするのが辛かったからだ。でも君津と話しているとまるで嫌じゃない。多分、今までの人と違って君津には私に対する同情が見えないからかもしれない。
 忘れかけていた大事な思い出を見返すようで、穏やかな気持ちになった。それと少しの後ろめたさ。脳裏に、隣の部屋に置いてある段ボール箱が過ぎった。
 葬式の後、使いものにならなかった私の代わりに親戚が父の遺品を整理してくれた一箱だ。私は、いまだにその中身を確認する気になれずにいた。
 私が複雑な気持ちで頷くと、君津は微笑んだ。
「三年前、仕事の都合で海外に行くことになってね、そのとき言われたんだよ。何か困ったときに自分がいなかったら娘を頼れって。君だよね」
「……ん?」
 話が思わぬ方向に向かって、反応が遅れた。なんとなく猛烈に嫌な予感がする。
 君津はそれを察しているのか、怪しいほどにっこりと完璧な笑顔を浮かべた。
「僕は今困ってる。聞いてほしくて来たんだよ」
 じっくり、秒針が五回進む音を聞いてから、口を開いた。
「つまり、悩み相談?」
「そうだよ」
「社長のあなたの、相談?」
「社長っていうのはあんまり関係ないけど……いや、関係あるのかな?」
「私がそれを、父の代わりに聞くってことですか?」
 君津は少し考えるように首を傾げて、それから頷いた。
「うん、そうだね。場合によっては解決策が欲しいな」
 ついさっき出会ったばかりのときには天使に見えた存在が、今は脳天気な金持ちにしか見えなくなっていた。いや、きっと最初からそうだった。その見た目に惑わされていただけで。
 途端、愚かな自分に呆れた。一体何度痛い目を見れば学ぶのだ。
 人の相談を聞いている余裕なんか今の私にはない。彼はきっと、来月の家賃が払えるか、他人のせいで背負った借金をどうやって返していけばいいのか、そんな悩みとは無縁だろう。そう思うと、無性に腹が立った。八つ当たりか、恵まれた環境に嫉妬しているのかもしれない。わかっていても、イライラは止められない。
(だってこの人は、なんでも持ってる)
 私の持っている服を全て合わせても、脇に置いた君津のコート一着分の値段にはきっとかなわない。身につけているスーツや時計、靴下だってそう。格が違う。生き物として別次元。だから私の悩みなんか彼には関係ない。こちらが従うのがさも当然とばかりの態度で要求する。私にも悩みがあるなんてこと、きっと考えもしないだろう。
(私は借金を抱えたけど、誰にも相談なんかしてない)
 ムカムカしてたまらなかった。うっとりするような彼の纏う香水の匂いすら、今は吸い込みたくなくて息を浅くする。
「なんて傲慢なの。帰ってください」
「え?」
 私は腰を上げてその腕を掴んだ。儚げな見た目に反してスーツの下にある腕は太くたくましい。
「忙しいんです、明日も仕事があるし。私だって困ってることはあります。でも誰にも相談しない。それが大人でしょう」
「え、ちょっと待ってよ」
「待ちません。帰ってください」
 君津はまだ何かを言いたそうにしていたけれど、ぐいぐいと追いやって部屋から追い出した。傍らにあったコートも忘れずに押しつける。
 ずっと王様然と振舞っていた男がぽかんとしている目の前でぴしゃりとドアを閉めたとき、少しだけ胸のもやが晴れた。でもそんなことに優越感を感じているのに気づくとすぐ自分にがっかりした。どれだけ小さい人間なんだろう。
「……疲れた」
 結局今日も何の金策も見つからないまま一日が終わってしまった。
 仕事で疲れているのにその上能天気の金持ちの相手をする余裕なんか残っていない。世の中の不平等さなら、これまでも嫌というほど味わっているのに、神様はどれだけ私に嫌がらせをしたいんだろう。
 また大きくため息をついてドアの向こうの気配を探ると、諦めたのか君津はいないようだった。
 ホッとして、けれどどこか勿体ないような心地に思わず首を傾げる。
 まるで君津ともう少し話したかったみたいじゃないか。あんな無礼な人間、これまで一度だって会ったことがないのに。しっかりしろと冷静な私が再び頭の中で自分を叱責する。
(わかってる。そう何度も間違えたりしないわよ)
 人を信用するのはこりごりだ。翔太の保証人になったことで今こんな大変な目に遭っているのに、性懲りもなくまた今度は君津にいい顔をしようというのか。顔がいいから? 大企業の社長だから? 父の雇用主だったから? 関係ない。また簡単に他人を信用するなんて馬鹿がすることだ。
 妙な願望が芽生えるのは、きっと部屋に残った彼の匂いのせいだろう。甘く、仄かに渋い、胸の奥をさざ波立たせるようなこの香り。
 愚かな考えを振り払おうと、せっかく温まってきた室温が下がるのも構わずに私は部屋中の窓を開け放った。

   ***

「前園さん、最近疲れてるみたいだけど大丈夫?」
 声をかけられてハッとした。
 君津が訪ねてきてから四日。私はいまだ借金返済の目途が立たずにいた。昼に仕事をしていては気軽に面接に行く時間も取れず、求人情報サイトを眺めても光明は見えない。
 借金は返済期限を過ぎているので、こうしている間にもどんどん増えているだろう。そのことを思うと夜も眠れないが、日ごろ残業が常の職場では掛け持ちの仕事を見つけることも簡単ではない。今の会社を辞めて別の仕事につくことも考えたが、父を亡くしてしばらく何も手につかず仕事をクビになった際、唯一採用してくれた会社だ。恩があるし、こんなことで辞めたくない。
「大丈夫です。すみません」
「ならいいけど。最近寒くなってきたし、あんまり無理しないでね」
 隣の席に座る皆川みなかわ先輩の気遣いに感謝する。でも風邪を引くくらいならまだましで、実際にはもっと大きなトラブルが私に迫っていた。
 時計を見るともう夕方だ。窓の外はすでに暗くなっていた。時間帯のせいか、休憩に出ている人が多くオフィスには数人しか残っていない。私もそろそろ休憩に行こうかと考えていると、名前を呼ばれる。
「前園さーん、お客さんが来てる」
 顔を上げると、オフィスの出入り口の辺りに場違いに柄の悪い男が見え、途端に震えが走った。
「あの、困ります……職場まで来られても」
 急いで来客者を連れ、人目を避けるために外に続く非常階段に出た。
 部外者はあまり来ない会社だし、こんなチンピラが来たら借金取りだと一発でわかってしまう。一体どこで職場まで突き止めたんだろう。十一月のキンとする冷たい外気も合わさって自然と震え出す身体を抱きしめる。

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