【試し読み】マッチョ嫌いの令嬢は引きこもりたいのに幼なじみの騎士が許してくれません!
あらすじ
「手ぇ離したら、お前逃げるだろ?」「当たり前じゃない!」――エルサは『呪符づくり』を趣味兼仕事として、とある事情により必要最低限の外出しかしない引きこもり令嬢。そんな彼女に密かに思いを寄せ、なにかと外へ連れ出そうとする幼馴染の騎士ルディ。ところが、エルサは……ルディの〝体型〟が苦手だった。苦手視されている自覚から思いを伝えられないルディだったが、ある日、細身の同僚騎士がエルサをデートに誘ったと聞き焦る……! しかしライバルには別の思惑があって……?
登場人物
幼少期のトラウマのせいで外出嫌いの引きこもりに。外へ連れ出そうと度々現れるルディの体型が苦手。
エルサの兄の親友。幼い頃から親交がある。引きこもるエルサの身を案じ、外へ連れ出す。
試し読み
酒精の匂いの立ち込める部屋の隅で、少女は身体をこれ以上は無理なほど小さく縮めて震えていた。
部屋の中央では、鍛え上げられた身体を持つ男たち五、六人が大きな声で笑いながら酒の入った瓶を煽り、口々に今回の仕事の成功を祝っている。
「随分と簡単にいきやしたね」
「自分が狙われるなんて露ほども思ってないお貴族様なんて、こんなもんだろ」
「違ぇねぇ」
がはは、と大声を上げて笑う男たちとは対照的に、少女は自分自身の気配を消すように、呼吸すら密やかだ。だが粗野な男たちの中にあって異色な少女はどうあっても目立つ。今も男たちの一人が下卑た視線を少女に向けていた。
「せっかくだから、味見してぇな」
「阿呆。あれをどう使うか知らされてねぇんだ。下手なことすると、こっちの首が絞まるぞ」
「だってよぉ、ここんとこ女っ気がなかったし」
「たんまり金が入ったら、娼館でも何でも行けるだろうよ。焦るな焦るな」
そんな会話を聞いて青ざめ震える少女に一人が気付き、指差してゲラゲラと笑い始めた。酒が回っているせいもあるのだろう。その笑いは男たち全員に伝播し、余計に脅えた少女は今にも気絶してしまいそうなほどに顔色を悪くさせていく。
「悪いな、お嬢ちゃん。恨むなら貴族の家に生まれた自分の運命を恨みな」
少女はもう何も聞きたくないとばかりに、両耳を押さえて俯いた。
「それにしてもよぉ、なんで『攫え』なんて仕事が来たんだ?」
「下位貴族風情がお偉いさんの目に留まったのが許せねぇんだとよ。オレらにすりゃ貴族に下位も上位もねぇと思うけどな」
「まぁ、何にしろ、お貴族様のよく分からねぇ縄張り争いのおかげで、こんな楽な仕事にたんまりと金が入るんだ。御の字だろうが」
大口を開けて笑って、酒と肴を食い散らかす男たちは、自分たちがいかに危うい橋を渡っているのか気付いていない。既に破滅の足音はすぐ傍まで来ていた。
王都の中でも第五区と呼ばれるこの区画は、食い詰めて夜逃げした者も少なくはなく、その空き家にゴロツキが勝手に居着くなどして治安は悪くなる一方だった。ここいら一帯をスラムと呼ぶ者さえいる。彼らのように汚れ仕事に手を出す者たちは、一時しのぎだったはずのこの場所に根を下ろし、仲間を増やしていく。さすがに見過ごせない規模になったこの場所に、王都の治安を守る騎士団が対策に乗り出しているという情報も、残念ながら彼らは知りえない。
現に、今、とある貴族の令嬢を誘拐した彼らの拠点の周囲は、騎士たちによって包囲されつつあった。第五区に住む者の中には、騎士団にパイプを持ち、情報を売っている者もいる。今回も、明らかに場違いな少女を担いで移動するところを、ばっちり見られていたのだ。
「あと数分も経たないうちに、教会の鐘が鳴る。それを突入の合図とするぞ」
小隊を指揮する隊長の言葉に返事をした騎士たちは、玄関や勝手口、窓などおよそ退路にされそうな場所を塞ぐように陣取っていく。
王都には区画ごとに教会が建てられており、その全てが決められた時間に時告げの鐘を鳴らす決まりとなっていた。鐘に刻まれた魔術陣が音を鳴らすことによって周囲に守護の魔力波を生み、定期的に王都を守る障壁を補強しているのだが、王都に住む民にとっては、単なる時告げの鐘でしかない。特に、時計など高価なものを持たない一般市民にとっては重要だ。
部屋の隅で震えている少女の耳にも、時告げの鐘の音は届いた。本来なら、邸で家族と一緒に過ごしているはずだったのに、と枯れ果てたはずの涙がまたこぼれる。
ドゴンッ!
突然響いた大きな音と振動に、少女はびくっと震え、自分を抱きしめるように両腕に手を回した。さすがに異変に気付いた男たちは酒瓶を投げ捨て、各々の得物を手に取る。
「おい、ガキを確保しとけ!」
その声に、先ほど「味見したい」と言い放っていた男が、少女に手を伸ばした。脅え切った少女は、男に触れられたくないあまりに、慌てて逃げた。か弱い貴族の少女だからと手足を縛っていないことが災いした形だが、荒事に慣れている男を相手に逃げきれるはずもない。難なく少女の手首を捕まえた男は、この緊急時に手を煩わせたという憤りのままに拳を振り上げた。
ドカッ、と鈍い音が響いた。ただし、殴られたのは少女ではない。拳を振り上げた男の方だ。
突入した騎士の一人によってふっ飛ばされたその男は、大きな音を立てて壁に激突した。いつまでも衝撃が来ないことに、そして乱入してきた荒々しい足音に、少女がおそるおそる顔を上げたときには、恐ろしい男の姿は視界の端にも引っ掛からなかった。
「お前はそこのお嬢さんについていてやれ!」
「はいっ!」
荒くれと騎士が入り混じって争い合う中、少女の前に一人の青年が立って、手を差し伸べた。
「大丈夫か? すぐに家に帰してあげられると思うから、待っててくれ」
少女を散々に脅えさせた筋骨隆々の荒くれたちと異なり、その青年は細身の体躯で、掛けられた声も優しいものだった。残念ながら青年の顔は涙で滲んだ視界ではよく分からなかったけれど、少女は荒くれと対極にある雰囲気の青年に頷いてみせた。
荒くれどもが騎士の手から逃れようと足掻いている中、少女は自分を背に庇うようにして立つ騎士の背中を、ただ、見つめていた。
★━━━━★
「いーやーっ! 帰るったら帰るんだってば!」
「はいはい。ちゃんと定期的にお日様の光を浴びておかないと、健康に良くないぞ」
強制的に馬の上に乗せられた少女がギャンギャンと吠えるのを適当にいなしながら、青年は彼女の後ろにひらりと乗った。密着した方が楽だろうに、なぜか拳一つ分を空けた状態で、馬を歩かせ始める。
「ちょっと下ろしてって!」
「街に出る用事があるんだろ? 護衛代わりについてってやるから安心しろって」
「いらないから! 護衛ならハビエルが……あれ?」
「あぁ、ハビエルはオレが帰した」
「なんでそんなことをするのよ!」
見事な赤毛を一つに編んでまとめた少女は、観念したようにため息をつくと、外套のフードを深く被った。後ろに座る青年が「お日様の光を浴びないと」と言ったことに対する無言の抗議ともとれるが、そうでないことを付き合いの長い青年は知っていた。
「エルサ、この辺りじゃ、そんなに人も歩いてないだろう」
「そういう問題じゃないわ。視界に入るのが嫌なだけよ」
エルサと呼ばれた少女は、その胡桃色の瞳をまっすぐ前に向けた。フードで狭まった視界に入るのは、おそらく馬の後頭部だけだろう。苦笑した青年は、軽く馬の腹を蹴って、商店が立ち並ぶ通りへと軽く走らせた。
大小様々な商店が立ち並ぶこの区画は第三区と呼ばれ、主に貴族の邸宅が占める第二区に隣接する地域では高級店が、一般市民の住宅が配されている第四区に隣接する地域ではいわゆる庶民向けのものが扱われている。子爵令嬢であるエルサは、高級店よりもう少し奥まった場所に用事があった。本当は家に仕える護衛とともに赴く予定だったのだが、青年──ルディが邪魔をしたのだ。
「なぁ、迷子になられると困るから、手ぐらい握ろうぜ」
「お断りよ」
エルサは何がなんでも拒む姿勢を見せ、自分の手も外套の内側にひっこめた。
二人はルディの顔見知りの商店で馬を預かってもらい、本来の目的であった店へと徒歩で向かっているところだった。何度も通った道なので、エルサが迷うということはまずありえない。それでも手を繋ごうと提案する青年の意図は全く別のものだった。
「あそこまで行くのに、どうして手なんて繋がないといけないの」
「えー? 昔は『おにいたん、おてて』って言ってくれたのになぁ。すっかりケチになっちゃって」
「そんな昔のことは切って捨てて燃やしたわ」
エルサとルディは、昔から交流があった。というのも、エルサの兄であるユレンとルディは同い年で、親同士も交流があったことから子供同士の付き合いも深かったのだ。何度もルディはエルサの家へ来たことがあったし、エルサもルディをもう一人の兄のように慕っていた。ただし、それもルディが騎士の道を歩む前までの話だった。訓練などで忙しくなったルディの足は自然と遠のいたのだ。
「ルディ様もお忙しい身でしょうから、わざわざ公休日のたびにおいでいただかなくても結構ですのよ?」
「わぁ、ひどい。オレはかわいいエルサのことが心配で心配でたまらないから、こうやって足を運んでるのに。オレの真心ってば全然通じてないのな」
ルディは、大げさに困った表情を浮かべて見せた。情けない表情を浮かべているというのに、少しくすんだ金の髪が陽光にきらめき、精悍な顔立ちは頼りがいさえ感じさせる。
思わず見とれてしまったエルサは、すぐにふい、と視線を逸らした。彼の首から下が視界に入ったからだ。
ルディは別に身体に醜い傷痕があるわけでもないし、これ見よがしに威嚇する刺青があるわけでもない。ただ、騎士として鍛え上げられた筋肉はシャツを内側から盛り上げ、袖から伸びる腕も隆々として引き締まり、余分な贅肉など見当たらない巨漢であった。そこがエルサには大問題だった。
エルサは、まだ社交界に出る前、十を少しばかり過ぎた頃に、誘拐された苦い記憶がある。誘拐犯たちは粗野で粗暴で理知の欠片もなく、何より、筋肉は裏切らないとばかりに、みな、見事な体躯を有していた。半日足らずとはいえ、そんな集団に囲まれて恐怖に震えていた記憶は、エルサを見事なマッチョ嫌いにしてしまったのだ。
あの頃の記憶を振り払うようにまっすぐ前を見据えたエルサは、目的の商店へと向かう。
「お邪魔いたしますわ」
「……おや、お嬢様。今日はいつものお付きじゃないんで?」
「気にしないで」
「はっはぁ、ハビエルのやつ、追っ払われちまったんですな。可哀想に」
子爵家の護衛であるハビエルのことも、何度もここへ来たルディのことも知っている店主は、にやりと笑いながら口ヒゲを弄った。
「どうでもいいから、いつものを見せてください」
「あぁ。そろそろ来る頃だと思ってたんですわ。そこに掛けてお待ちくださいませ」
店主が奥に引っ込むと、エルサは指定された席に座る。斜めに掛けたポシェットからルーペを取り出す。すると、後ろについてきていたルディが、出がけに本来の護衛ハビエルから預かった(奪ったとも言う)平たい箱をテーブルに置いた。エルサは目の前に置かれた箱を見て、じろりとルディに冷たい目線を送ったものの、箱のふたを持ち上げた。
それは空っぽの箱で、いくつもの仕切りによって細かく区切られていた。
奥から戻ってきた店主は、小さなザルに無造作に盛られた色とりどりの小石をエルサの座るテーブルに並べた。
「相変わらず雑な管理ですのね。事故が起きても知りませんわよ?」
「大した力もないクズ魔石は、そうそう爆発もしませんがな。魔術師塔で管理しているほど魔力濃度の高い魔石ならいざ知らず」
魔石と呼ばれる鉱石がある。天然のものであったり、人工的なものであったりと区分はあるが、共通して何らかの属性の魔力を帯びている鉱石だ。内包している魔力が高ければ、魔道具と呼ばれる機巧のエネルギー源として使われたり、専門職である魔術師によって魔術の補助に使われたりする。
店主の言うように王城の一角にある魔術師塔で管理されるレベルの魔石になると、内包している魔力も濃密で、例えば火の魔力を帯びている魔石ならば、ちょっとした衝撃で爆発も起きかねない危険なものである。逆に今、店主がエルサの前に持ち出したようなものは「クズ魔石」と呼ばれ、大した魔力も帯びていない、単なる少し綺麗な石でしかない。
近年、クズ魔石も同じ属性を寄せ集めれば十分に実用に耐えうるという研究報告も出ているが、残念ながらクズ魔石はクズ魔石のままで、その扱いは変わっていない。何しろ、寄せ集めれば集めただけ、重さも体積も大きくなってしまうのだ。それならば、普通に純度の高い魔石を使った方が早い、というのである。
「で、どうします?」
店主はザルの中身を拾い上げてルーペで確認しては、持参の箱にぽいぽいと入れていくエルサに問い掛けた。
「いつも通り、全部いただくわ。──あら、珍しい、闇属性なんて久しぶりに見たわ」
「あぁ、なんでも純度の高い闇の魔石が発掘されたらしくて、周囲の鉱石の一部がそれに晒されていたせいか、闇の属性を帯びちまったって話ですわ」
「そうなんですか。それでその魔石は魔術師塔へ?」
「あぁ、闇の魔石なんて一般に流通させたら大変なことになるってんで、塔で管理するって聞きましたな。まぁ、この程度のクズ魔石なら問題ないってことなんでしょう」
エルサは、店主の話を聞きながら、ルーペ越しに魔石に見惚れていた。暗い紫色の魔石は、確かに闇の魔力を内包している。これを使ってどうしてくれようか、と考えているのだ。紫色なんて、雷の魔石ぐらいしかなかった。毒属性は不気味な赤黒い紫だし、さすがに使えない。
無意識に笑みを浮かべるエルサを、後ろのルディも満足そうに眺めていた。内情をうっすらとしか知らない店主は、このお付きはお嬢様にゾッコンなのかな、と憶測を立てる。
魔力の影響を遮断する処置が施された箱に、エルサは無造作にクズ魔石を入れていく。だが、しっかりと色で分別はされており、綺麗に仕分けられたクズ魔石の山は虹のようにも見えた。
「あとはビッグスパイダーの糸ですけど……そうね、二巻きほどいただける?」
「はいはい、ありますよっと」
糸をしまい、その代わりにポシェットから金貨銀貨を取り出したエルサに、店主は揉み手をせんばかりに満面の笑みで受け取る。
「毎度ありがとうございやす」
「また来ます。仕入れておいてくださいね」
「もちろんですとも」
クズ魔石の詰まった箱はルディが取り上げ、エルサは渋々空っぽの手で店を出た。
「せっかくここまで来たんだから、何か食べてくか? あっちの通りに新しいお菓子の店ができたらしいぞ」
「……別に」
「まぁそう言うなって。なんでもひんやりしてもちもちした食感の新しい菓子らしくって、中はふわふわしっとり甘いんだとか」
「……もちもち……ふわふわ……しっとり」
エルサは甘い物が好きだし、ルディもそれを知っている。特に大好きなのは、ふんわり焼き上げたシフォンケーキだ。小麦ベースの生地なのに、パンとは全然違ってふんわりしっとり甘いのがエルサは不思議で仕方ないけれど、すごく大好物だった。パンの代わりに毎食シフォンケーキでもいいぐらいだ。
「ユレンだって、最近忙しいって言うし、甘いものはあいつも嫌いじゃないだろ?」
「お兄様に……お土産……」
ルディが次々と心に響くワードを並べられるのは、ひとえに付き合いの長さゆえだ。
「た、ただ単に、新しいお店を見るだけだからねっ」
「あぁ、分かってる。偵察ついでに買って行こうな」
「そうよ。お兄様だってたまには甘い物を食べて一息ついたらいいんだわ」
まんまとルディの誘惑の手口に乗せられてしまったエルサは、彼を案内役にし、それでも頑なに手を繋ぐようなことはせずに、お目当ての店へと足を向けた。
「あれ、ルディじゃないか。なんだ、女連れか?」
その声に、呼びかけられたルディは舌打ちを隠しもしなかった。
「コンスタンティノ。女連れって見れば分かるのに、どうしてお前は声を掛けてくるんだろうなぁ?」
剣呑な響きを含ませながら、声を掛けてきた騎士へ応対するルディを視界の端に入れて待っていたエルサは、はっと我に返った。
(そもそも、どうしてお菓子屋さんに行くことになったんだったかしら?)
新しいお菓子の店ができたから? でも、それは今エルサ自身が向かわなくても、帰ってから誰かに行かせればいいだけだ。
敬愛する兄にお土産を買うため? ユレンは確かに忙しいのだけれど、だからこそ帰宅するのは遅い時間帯で、そんな時間に甘い物を食べてもらうのもどうかと思う。
(わたし、うまいこと言われて騙されていないかしら?)
気付くのが遅いと言われてしまえばそれまでだが、それでも自分で気付けたことを褒めつつ、エルサは再びルディを窺った。
幸いに、ルディに声を掛けてきた同僚の騎士はしつこい性格をしているらしく、まだ彼を解放する様子はない。
(今しかないわ)
もともと護衛のハビエルを連れて、徒歩で来る予定だったエルサだ。このまま徒歩で帰ることに何のためらいもない。気になるのはルディが持ったままのクズ魔石の箱だが、義理堅いルディが持ち逃げするとは考えにくい。彼ならば邸まで届けてくれるだろう。
そこまで考えて、エルサは邸へ一人で帰ることにした。邸までは慣れた道のりだし、外套をすっぽりかぶったエルサを見て貴族令嬢だと看破する者もいないはずだ。それならば、わざわざルディに付き合う必要性もない。
エルサは足音を殺して、そっと話し込む二人から距離を取ると、くるりと踵を返してすたすた歩き出した。
──そして、その判断をいくらもしないうちに後悔することとなる。
※この続きは製品版でお楽しみください。