【試し読み】豹変したオオカミ系男子はこじらせ女子を逃がさない

作家:幸村真桜
イラスト:nira.
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2020/2/28
販売価格:500円
あらすじ

風見たすきは健診センターで働く看護師。28歳になっても処女のまま、恋愛に少し臆病になってしまった、いわゆる「こじらせ女子」だ。いつものように企業へ健診に訪れたある日。誰が見ても爽やかで素敵な男性・一ノ瀬大翔から、たすきは突然一通の手紙を渡される。「ずっと気になっていました」──モテそうな人なのに、どうして私に?と不思議に思うたすきだったが、草食系っぽい大翔は意外に積極的で……!? 彼のことをもっと知りたいとどんどん惹かれていき、彼となら恋ができるかもとたすきは思い始めて──。恋は人を変えるし強くする! 草食系男子がオオカミになってしまった出逢いは、健康診断から──。

登場人物
風見たすき(かざみたすき)
健診センターの看護師。過去のトラウマにより恋に臆病になった28歳処女のこじらせ女子。
一ノ瀬大翔(いちのせひろと)
たすきに一目惚れし、手紙で思いを伝える。爽やかで優し気な顔立ちで草食系の雰囲気だが…
試し読み

きっかけは一通の手紙から

 健診センターの朝は早い。健診センターとは、いわゆる健康診断をメインに行う医療機関のことだ。
 ここ、桜宮さくらのみや総合健診センターでは、施設内で行う人間ドック。会社に訪問して健康診断を行う巡回事業所健診。公民館や集会所に出向き市の健診を行う住民健診を主に行っている。さらに胃、大腸、乳腺に子宮、各種がん検診も実施しており、その仕事内容は多岐にわたる。
 風見かざみたすきは、桜宮総合健診センターに勤める看護師だ。今年で二十七歳になるが、あどけなさを残したかわいらしい顔立ちは実年齢より彼女を幼く見せる。
 以前は総合病院に勤めていたが一身上の都合からそこを辞め、二年前に今の会社に就職した。
 健診センターなら、病院よりは楽だろう。
 そんな安易な考えで入社したのが良くなかったのか、当時はお局さんたちにきつい洗礼を受けた。実際、健診センターの仕事は決して楽ではなかった。人の生き死にに携わることはないが、病院とは違う大変さがある。
 桜宮総合健診センターの看護師は、毎日割り当てられる仕事内容が違う。覚えれば同じことの繰り返しだが、多彩な仕事内容はそこに至るまでに時間がかかる。さらに、事務仕事や雑務が多く慣れるまでは本当に苦労をした。
 これまでに何度辞めようと思ったか分からない。でも一度始めた仕事をすぐに投げ出すのが嫌で、もう少し、もう少しと頑張っているうちに二年という月日が流れた。
 今ではすっかりお局さんたちにも気に入られ、頼りにされるまでに成長した。よく頑張ったと自分を褒めてあげたい。
 今日もたすきは、その日に割り当てられた勤務をこなすため、六時に会社に出勤する。健診センターの朝は、本当に早いのだ。四月の新年度を迎え、この時期になると健康診断を実施する企業が増えるため毎日県内の様々な場所を飛び回っている。
 本日の出発時間は六時半。たすきは必ず、その前に巡回場所の健診会場の情報を確認する。入社して二年が経っても、それは変わらない習慣だ。
「よし、そろそろ申し送りを始めますか」
 出発の十分前になったのを見て、日誌を片付けて立ち上がる。そして一緒に健診に出るメンバーに、それぞれの分担を伝えていく。
 親子ほど年の離れた職員ばかりだが、今日の看護師の責任者はたすきだ。それなりの緊張感を持ちながら、必要な情報はすべてここで伝えなければと、一度頭の中で伝達事項を整理してから口を開いた。
「今日の健診場所は一ノ瀬いちのせテクノロジーさんです。三日間の予定の今日が初日ですね。協会一般と定期健康診断で胃部検診があります。予定人数は百人前後です。特殊健診があるので、代謝物の検体を預かるのを忘れないようにしてください。では、よろしくお願いします」
 それを合図に、健診へ向かう準備が始まった。ひとつの健診会場へは、大型バスを運転するドライバー兼受付、医師、放射腺技師、検査技師、看護師。大体十数人がチームになって向かうことになる。
「風見さん、今日の受付の場所って二階だっけ?」
 バスを運転しているドライバーの本田ほんだ健人けんとの声に、たすきは外に向けていた視線を運転席に向けた。
 本田は事務の中でも若手で、三十三歳。優しさが前面に出ている風貌のまま、温和で親しみやすい彼はセンター内で老若男女問わず人気がある。仕事もやりやすく、たすきにとっては頼れる兄のような存在だ。
「昨年は、確か一階の玄関のところでやってましたよ」
「そっか。今年はどうしようかな、寒いよね、あそこ」
「そうですね。そのへんはおまかせしますよ。荷物を上げるのが大変じゃなければ、二階でも」
 そう言って、たすきはまたバスの外に目を移す。この移動中の時間がたすきは好きだ。窓から見える景色に癒される。海もあり、山もある。同じ県内でも、たすきの地元は真逆の位置だ。彼女は、自然たっぷりのここが生まれ育った場所より好きだった。
 海の水面が朝日に照らされてキラキラと輝いている。こういう景色を見ていると、朝が早い健診センターの仕事も悪くないなと、たすきはいつも思うのだ。
 そうしているうちに、バスは今日の健診会場である一ノ瀬テクノロジーに到着した。バスを降りて、健診に必要な機材を会場に運び出す。健診に使う機材は重いものが多く、この運搬作業がなかなかの重労働だ。
 すべて運び終えると、今度は健診ができるように会場のセッティングを行う。準備がある程度終わったところで、たすきの元に本田がやってきた。
「用意はできたかな? 予定人数も多いしお客さん来てるから、少し早いけど始めていい?」
「はい、大丈夫です」
 そして、その日の健診が始まった。受付が始まると、一気に会場が人であふれかえる。
 今日のたすきの担当は腹囲測定。プライバシーを守るため、簡易的なカーテンで仕切られた狭い空間の中で途切れることなく訪れる受診者の腹囲をひたすら測り続ける。
 少しでも手が空くと採血や視力の手伝いに入ったりと、なかなか忙しい。皆、仕事の手を止めて健診を受けに来ているのだ。検査に長い時間をかけるわけにはいかない。たすきも他のスタッフも必死だ。
 丁寧に親切に、はもちろん。ある程度のスピードが求められるところが、この仕事の特徴だとたすきは思っている。
 大分人がはけてきたところで、腹囲のカーテンの中で思わずホッと息をつく。額に浮かんだ汗を拭っていると、そのカーテンの中に誰かが入ってきた。
「……あっ!」
 その声に振り返ると、カーテンの中に入ってきた人物は一歩後ろに下がった。そのまま固まっているその男の顔を見上げると、なぜか驚いた顔でたすきを見下ろしている。
(どうしたんだろう。知り合い……ではないよね)
 短めの黒髪に、浅黒い肌。整った顔をしていて、キリッとした眉にくっきり二重のくりっとした瞳は優しそうな印象を与える。いかにもスポーツマンという雰囲気の爽やかな容姿をしている男だ。
 まだ固まっている男を不思議に思いながら首を傾げる。それから、健診中だということを思い出した。
「腹囲測定ですよね、用紙をお預かりします」
 声をかけると男は、はっとしたように手に持っていた受診表をたすきに差し出した。やはり知り合いではないなと、受診表を受け取って確信する。その名前に、たすきは見覚えがなかった。
 では、なぜこの人物は自分を見て驚いているのだろうか。
 疑問に思いながらも、たすきは自分の仕事をしなければとその男に向き直る。
一ノ瀬いちのせ大翔ひろとさんですね。こちらにどうぞ」
 見た目通り、名前まで爽やかだ。『名は体を表す』という言葉があるが、ここまで名前通りの容姿の人物も珍しいなとたすきは心の中で感心する。
「奥に立ってもらってもいいですか?」
「は、はい」
 たすきの誘導にぎこちない動きで移動してきた大翔を見上げると、その顔は見事なほどに真っ赤に染まっていた。
(本当にどうしたんだろう。もしかして、健診を受けるのが初めてなのかな)
 その尋常ではない様子に、内心で首を傾げながらも健診を進めようとメジャーを手に持つ。
「では測りますので、おへそ周りを見えるようにお願いします」
 たすきの指示に、大翔は恥ずかしそうに上着を持ち上げた。見事に割れた腹筋がチラリと見えるが、残念ながら臍は見えていない。たすきは、困った顔で真っ赤になっている大翔を見上げた。
「えっと、申し訳ないんですが、お臍周りなのでもう少しおズボン下げていただいても……」
「え!?」
 そうお願いすると、大翔はさらに真っ赤になった。それにつられて、たすきの頬もほんのりと赤く染まる。
(わぁ、こっちが恥ずかしくなるくらい顔が赤い。二十五歳ってなってるけど、腹囲を測るのは初めてなのかな)
 腹囲測定は、本来三十五歳の節目と四十歳以上が対象だが、それも会社の方針により異なる。一ノ瀬テクノロジーは、毎回春の健診では年齢に関わらず全員測定があるはずだ。
 数値を入力するパソコンの画面にチラッと目をやると、しっかりと昨年の値が表示されていた。
(恥ずかしいのかな。でも、私も仕事だしな)
「ごめんなさい、お臍周りを測るって決まってて」
 申し訳なく思いながら眉を下げるたすきに、大翔は慌てたようにベルトを緩めた。
「お、俺こそごめんなさい。これで大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
 可哀想なほど真っ赤な顔の大翔に、たすきは安心させようとニコリと微笑みかけた。その笑顔にビクッと身体を震わせた大翔は、右手で左胸……心臓を押さえた。
 早く計測してしまおうと膝をついていたたすきは、そんな大翔の様子に気づかずに臍の周りにメジャーを巻きつける。
 いつものように手を背中のほうに回して、メジャーが服に当たっていないか確認していると、くすぐったいのか大翔の身体がピクピクと震えた。
「ごめんなさい、くすぐったいですよね?」
「だ、大丈夫……です」
 ふいっとたすきから目を逸らした大翔は左胸を押さえていた右手で口元を押さえた。そして、なにかを堪えるようにぎゅっと目を瞑る。
(本当になにかスポーツやってるんだろうな。細いのに、すごい筋肉)
 そんな大翔にまったく気づかず、たすきは見事に割れた腹筋に感心しながら計測を終えて立ち上がる。
「はい、お支度整えていただいて大丈夫です」
 数値を入力して、受診表を身支度を整えた大翔に差し出す。
「ご協力ありがとうございました。あとは……外のバスでレントゲンです。それで終わりですから」
 次の検査の案内をしても、大翔はなかなか用紙を受け取ろうとしない。
「あの……?」
 不思議に思ってその顔を見上げると、大翔はウロウロと視線をさ迷わせていた。どうしたのだろうと首を傾げていると、大翔はなにかを決意したように勢いよく顔を上げる。
「あ、あの」
「は、はい」
 そう言ったきり、大翔は再び迷うように視線を揺らした。
(どうしたんだろう、本当に。もしかして、どこか具合でも悪いのかな? 顔が真っ赤だし、熱があるとか?)
 大翔の様子がおかしいことを、体調的なものなのかと思ったたすきは彼の顔を覗き込んだ。
「あの、大丈夫ですか? 顔も赤いし、具合が悪いんじゃ……」
 心配するたすきに、大翔は慌てたようにぶんぶんと勢いよく首を振る。
「ち、違うんです。き、緊張して……。あ、あの、これ、あとで見てください! お、お仕事中にすみませんでした!」
 まくし立てるようにそう言って、ポケットから出したなにかを無理やりたすきの手に握らせた。代わりにたすきが抱えていた受診表を持って、足早にカーテンの中から出て行く。
 たすきは唖然としながらその後ろ姿を見送った。それから、手の中に大翔が残したものに視線を向ける。綺麗な薄いブルーの、シンプルな封筒。その色がたすきの好きな色だったことは偶然なのだろうか。
 しばらくそれを見つめていたが、仕事中だということに気がついてハッとする。ボーッとしている場合じゃなかったと、ひとまず受け取った封筒を白衣のポケットに突っ込んでカーテンから外に出る。
 大翔の姿を探すが、もうレントゲンに向かったのかすでに見当たらなかった。封筒の中身が気になりながらも、たすきは自分の仕事に専念することにした。
「次の方どうぞ。カーテンの中にお入りください」
 健診も終わりに差し掛かった頃、たすきがカーテンの中から声をかけると、入ってきた人物はたすきを見て驚いたように目を見開いた。
「あれ、君……」
 そう言った男は、ジロジロとたすきの顔を眺めてからニヤリと笑った。茶色の癖のある少し長めの髪に、垂れ目がちな瞳。整った顔をしたイケメンに分類されるだろう男だ。だが大翔とは違い、いかにも軽薄そうな雰囲気を醸し出している。
(なんなの、この人。ちょっと感じ悪いんですけど)
 ニヤニヤしながら不躾な視線を向けてくる男に、たすきは思わず顔をしかめた。
「ごめん、ごめん。腹囲測定お願いします」
 怪訝な様子に気づいたのか、男は笑顔を浮かべて受診表を差し出してくる。
「あ、はい。えっと……村上むらかみ大智だいちさんですね、腹囲測らせていただきます」
 それを受け取り計測の準備をする。恥ずかしがっていた大翔とは逆に、大智はためらいもなく服を持ち上げた。たすきが腹囲を測っているあいだも、大智はニヤニヤとしていてなんだか感じが悪い。
「はい、ありがとうございます。昨年と変わりないですね。お支度整えていただいて結構です。次は……ドクターの診察がまだですね。診察を受けてからレントゲンにお願いします」
 次の検査への案内を口にしながら受診表を差し出すが、受け取ってもらえない。本日二度目の出来事だ。
「あの、なんなんでしょう」
 ニヤついた顔で見つめられて、たすきの顔が険しくなっていく。大翔のときは不快に思わなかったが、今回はからかわれている気がして嫌な気持ちになる。
「ねえ、さっき一ノ瀬大翔って奴がきたでしょ。あいつ、ちゃんとたすきちゃんにラブレター渡した?」
 いきなり馴れ馴れしく下の名前で呼ばれて、眉間にシワが寄る。なんとも軽い。たすきはこういうタイプの人間が苦手だ。
「は?」
 一瞬、なんのことか分からず首を傾げるが、すぐに真っ赤な顔をしていた大翔のことを思い出す。無意識のうちに、封筒の入ったポケットに視線を向けていた。それだけですべてを察したらしい、大智は満足そうにニッコリと微笑んだ。
「そ、渡せたんだね。ならよかった。あいつ、本当に草食系だから心配してたんだ。大翔、すげぇいい奴だからさ。よろしくね、たすきちゃん」
 それだけ言って、たすきの手から受診表を奪いカーテンの中から颯爽と出て行ってしまう。その後ろ姿を呆然と見送り、思わず深いため息をついた。
(なんだろう。今日の健診、すごく疲れた)
 ぐったりしながらカーテンの中から出ると、大智が最後だったのか会場はガランとしている。その彼は今は、ドクターの診察を受けているようだ。
「縮小しましょうか。二台ある機材は、一台にしましょう」
 そろそろ終わりだろうと思っていると、受付をしていた本田が会場に顔を出した。
「風見さん、受付終わりね」
「あ、お疲れ様です」
「うん。ついでに荷物、持って行っていいものがあれば戻るついでに持ってくけど」
「すごく助かります。ありがとうございます」
 ありがたい申し出に、素直に甘えることにする。笑顔で本田にお礼を言うたすきを、診察を終えた大智が見ていた。
 その視線を無視して、片付けても差し障りのない機材を本田に渡した。そして健診が終了すると、嵐のように撤収作業が始まる。見事な連携でバスに荷物を積み込み、忘れ物がないか会場内を確認してからその場をあとにする。
「よし、と。機材は揃ったけど、忘れ物ないよね?」
「はい、会場の点検してきました」
 本田と最後の確認をしていると、どこからか視線を感じた。不思議に思いながら後ろを振り返り、ギクリと身体を強張らせる。
 そこには大智がいて、本田と話すたすきを真剣な眼差しでじっと見つめていた。たすきと目が合うと、ニッコリと笑ってヒラヒラと手を振ってくる。
「風見さん、あのお客さんと知り合いなの?」
 不思議そうな顔で本田に聞かれたたすきは、眉をしかめて首を横に振った。
「いえ、知り合いというわけでは……。多分、からかわれているんだと思います。そういうこと、たまにありますから」
 手紙のことを話すわけにもいかず、無難にそう答えた。それに本田はああ、と納得したように頷く。
「風見さん、かわいいからね。気をつけないと」
「え? そんなことは……」
「いや、本当に。俺だったら放っとかないもん」
「……はい?」
 思いがけない言葉に顔を上げると、本田はすでに運転席に向かって歩きだしていた。それを見て社交辞令かなと思いながら、たすきもバスに乗り込む。
 椅子に座ってほっと息をつき、ポケットに入ったままの大翔から受け取った封筒に手をやる。内容が気になるところだが、人目があるところで見るのは危険な気がした。
 どんなことが書かれているかは分からないが、お客さんに手紙をもらったなんて知られたら、好奇心旺盛なお姉さま方に根掘り葉掘り聞かれて大変なことになりそうだ。
 開けるのは家に帰ってからにしようと思い、鞄にそっと封筒をしまう。そして、たすきは仕事を終えた頃にはすっかりその存在を忘れてしまっていた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。