【試し読み】こじらせ社内恋愛~一夜の過ちのはずが、同期に溺愛されました~

作家:りりす
イラスト:炎かりよ
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2020/2/18
販売価格:500円
あらすじ

珠美と笹井は同じ部署で働く同期。遠慮なく何でも言い合える、気心知れた関係だ。密かに珠美は笹井に恋心を抱いていたが、その想いを打ち明けるつもりはなかった。居心地がいい今の関係を変えたくない。抜群に仕事しやすい相手である笹井と、気まずくなりたくない。ずっとそう思っていた。それなのにある夜、酔った勢いでうっかり笹井と一線を越えてしまい……。今さら素直になれない珠美とイケメン出世頭(なのに実はこじらせ童貞)である笹井の、すれ違いオフィスラブ。書下ろし番外編付き。

登場人物
川原珠美(かわはらたまみ)
同期である笹井が好きだが、気心知れた関係が壊れてしまうのを恐れ、想いを伝えられない。
笹井大樹(ささいだいき)
爽やかイケメンで仕事もできるためモテるが、実は恋愛経験ほぼゼロのこじらせ男子。
試し読み

1 同じ部署の同期

 ──何かおかしいとは思ってたけど。
 川原かわはら珠美たまみは、肩を落としてスマホの終話ボタンをタップした。そしてそのまま、知り合ったばかりの男性の連絡先をブロックする。友人の結婚式でその男性と意気投合したのは先週末のこと。穏やかな雰囲気の彼とは話も弾み、好印象だった。
 たぶん、結婚式という非日常の空気にのまれていたのだ。そうでなければ、出会ってすぐにデートの約束なんてすることはなかったはず。普段なら絶対にもっと慎重だったのに……そしてその結果がこれ。
「まさか、結婚してるなんて思わないでしょー……」
 本当に危なかった。一歩間違えれば泥沼。気持ちを切り替えるきっかけになれば、他の誰かに目を向けることができればと思って受けたデートの誘いだった。それなのに、こんなオチだなんて。
「……っ、時間」
 自己嫌悪に陥りそうになったところで我に返り、休憩室を出る。時刻は二十時過ぎだが、珠美が所属するシステム開発部は長時間の残業が当たり前。仕事はまだいくらでも残っている。
 席に戻ると、同じチームで仕事をしている先輩社員──榛名はるな星夜せいや、名前だけはイケメンなポッチャリ男子。アンパンを擬人化したアニメキャラによく似ている──は、パソコンのディスプレイから目を離さないままで器用にカップラーメンをすすっていた。
「長電話めずらしいな、川原。とうとう男ができたか」
「……泥沼寸前で撤退しました」
「修羅場かよ。今のプロジェクト終わるまで刺されんなよ? 死ぬなら二次開発が終わってからにしろ」
「先輩のやさしさが足りない」
 珠美は夜間処理の進行状況を確認し、出力された帳票の中身をパラパラ眺めた。今のところ問題なしだ。
「榛名さん、それ夕食ですか?」
「今日の夜間処理コケそうな気がするんだよなー。お前も食っておけば?」
「えー、縁起悪い……」
 六年先輩の榛名は有能なシステムエンジニアだ。緻密な設計やコーディングをこなすのはもちろんのこと、ユーザーへの説明も資料化もお手のもの。他の開発メンバーとの調整もうまく、有事の際は誰より迅速にリカバリする。普段はボーッと食べてばかりいるが、社内で指折りの腕の持ち主。その榛名が「コケそう」と言うとき、その勘は大抵当たるのだ。
 今のうちにコンビニに行ってきたほうがいいだろうか。いや、終電で帰れることを信じてこのまま頑張ろうか。
 迷いながら作業していると、つむじがツンとつつかれた。「タマ、おつかれ」と低い声が降ってくる。同じシステム開発部に所属する同期、笹井ささい大樹だいきだ。
「……猫みたいに呼ぶのやめてって言ってるでしょ」
 横目で睨む珠美に構わず、笹井は隣の席にどっかり座る。
「お前、メシ食わないの?」
「んー、まだいらない」
 バタバタしているうちにタイミングを逃し、昼食をとったのが十六時だった。まだお腹は空いていない。でも笹井は、珠美の言葉に眉を寄せる。
「栄養足りないぞ、タマ。残念な身体がますます残念なことに」
「ちょっとそれセクハラ」
「お前相手にセクハラするほど困ってねーから。心配してるんですー」
「はいはいご苦労さん。アリガトネー」
「うわ、かわいくねぇ」
「笹井にかわいいなんて思われなくて結構です。せいせいするわ」
 いつもどおりポンポン言い合いながら、笹井が持ってきた見積書に目を通す。来月から新しく始まるプロジェクトの追加見積だ。笹井の課が中心になって進めるこのプロジェクトには、珠美も少しだけ関わることになっていた。
 慣れない営業が間に入ったので、見積書が出るのが遅かった。やっと手元に来たそれを、事前に作っておいた資料と慎重に照合する。
 珠美が首を傾げた。その疑問を察し、笹井がすばやく電卓を叩いて必要な数字を算出する。
「……かなり渋いね」
「営業が頑張りすぎたからな。まあ運用費で何とかペイするってことで……これでハンコもらえると助かる」
「ん。了解」
 相手によってはグズグズ言い出して無駄な時間がかかるところだが、珠美は余計なやりとりをしない。笹井のことだから上への根回しも営業へのフォローも万全なはず。その信頼があるから、何も言わず印鑑を押す。
 笹井も珠美がすぐ印鑑を押してくれると思っていたようだ。見積書の話はこれで終わりとばかりに、いつのまにか珠美愛用の猫型クッションを抱えてモフッている。珠美はその手をファイルの角でぶっ刺した。
「いってぇ! お前それ本気のやつ!」
「さっさとオペレーター室戻りなよ、今日責任者でしょ」
 持ち回りで担当する夜間処理の責任者は宿泊勤務で、別フロアのオペレーター室にいることになっている。いつまでここで油を売っているつもりなのか。珠美の冷たい視線に、笹井は仕方なく「はいはい」と猫クッションを手放す。
「タマさ、明日飲み行かない?」
「行きません」
「行こうぜ、金曜じゃん。遅くなったらうちに泊まってもいいし」
「……っ、バカなの? 行かないし」
 快活な笹井は声も大きい。フロアのあちこちから女性陣の鋭い視線が飛んできたのを感じて、珠美は身をすくめる。
 いつも珠美と子供っぽい言い合いばかりしている笹井だが、外見だけ見れば男前だ。爽やかに整った顔立ち、長身の身体に合った趣味のいいスーツ。ついでに有名大学出身で頭もよければ要領もいい、仕事のできる男でもある。
 そうなれば、多くの女性社員から狙いを定められるのは当然のことで。そして女性社員にはそっけない態度の笹井が珠美にだけはしつこく構うとなれば、珠美が嫉妬の標的になるのも当然のことで。
 ……もう少しモテる男としての自覚を持ち、言動に気を遣ってもらえないだろうか。
 そう思いながら、珠美はため息をつく。そして笹井がいなくなって再び作業に没頭していると、今度は榛名がチラチラと視線を送ってくるのを感じる。
「……付き合ってませんからね」
「いいじゃん、こっそり付き合えば。変な泥沼男つかまえるより安心だろ」
「嫌ですってば。社内で殺人事件が起きますよ」
「死ぬなら二次開発終わってからでよろしく」
「……やさしさをください」
 こうして邪推されるのもいつものこと。本当にやめてほしい。迷惑だ。
「あ、榛名さんエラー出てます」
「ほーらね。やっぱりな、コケるって言ったろ?」
「なんでドヤッてるんですか、もー。あー、これ終電間に合わなくなるやつだし……」
 うんざりした表情でエラー箇所の対応を始めながら、珠美はデスクの上の電話をチラリと見た。きっと夜間処理の責任者である笹井から、内容確認の内線がかかってくる。「これはお前も泊まりだな、おめでとう!」とニヤニヤした声で。想像しただけでムカつく。
 珠美はさっき笹井がモフッていた猫のクッションをそっと抱え直した。
 笹井との関係。それは遠慮なく言いたいことを言い合える同期で、時には犬猿の仲なんて言われたりして、でも抜群に仕事しやすい相手。それ以上のことがあるなんて思われるのは、本当に困る。
 いつのまにか笹井に対して抱いてしまった恋心──そんなの、絶対誰にも知られたくないのだから。

 ◇

 結局、エラー箇所の対応は徹夜作業になった。ここまでのトラブルになるとは思っていなかったらしい榛名は、「ああもう、これ修正したの誰だよ」とイライラしながらチョコレートバーをかじっている。
「だから鈴木すずきくんですってば。まあ二年目ですし、このくらいのミスは……」
「その鈴木が休んでるのが納得いかねぇ」
「そりゃインフルエンザのくせに出社して来やがったら私がとどめを刺しますよ」
「俺もインフルになりたい」
「無理です、私と榛名さんは風邪ひとつひかないあれなんで」
「あー、健やかな自分が憎いぜー……」
 それでも何とか午前中には目途がつき、課長から「榛名と川原は作業終わったら帰れば?」とのお言葉もいただいたのでホッとする。昼食をとって軽く残務処理をすれば、あとは楽しい週末だ。珠美は昼休みのチャイムと同時に思いきり伸びをした。
 昨夜は全然眠れていない。この仕事に就いて徹夜には慣れたけれど、座りっぱなしの身体はすぐバキバキになる。ついでに目元も指先で揉んでいると、「珠美、お昼行けるー?」と通路の向こうから声をかけられた。笹井と同じ課の同期、野島のじま結衣ゆいの声だ。珠美は「行けるー」と言いながら立ち上がる。
 ちょっとだけフラリとして、慌てて机に手をついた。「ちゃんと食え」とうるさく言い残していった笹井を思い出す。たしかにちょっと貧血気味かもしれない。笹井の言うとおりなのが何だか癪だけれども。
「珠美お腹すいてる? できれば軽めのランチだとありがたいんだけど」
「あー、私も。ガッツリしたもの無理だわ」
「じゃあこの前のカフェかな」
 二人は駅の近くにあるカフェに向かう。ベーグルサンドが売りのこの店は、手作りのフレーバーティーもとてもおいしい。甘酸っぱいカシスのアイスティーを飲んでいた珠美に、結衣が唐突に言い出した。
「ねえ、笹井と珠美って何もないの? 最近よく一緒にいるじゃん」
「仕事で関わってるからでしょ。……自部署のプロジェクト一覧見てないのかな、野島さん。やる気出してくれないと困るよ」
「何それうちの課長の真似? 似てる」
 笹井と結衣が所属する課の課長は、今年度から嫌味なおじさんに変わった。その上司の真似にククッと笑いながらも、結衣は追及の手を緩めない。
「いいと思うけどなー、試しに付き合ってみたら? それか一発ヤッちゃう?」
「……一発。あんたオッサンか」
 少しクセのあるふわっとしたショートカット、細くて小柄。結衣はパッと見た感じは守ってあげたくなるような小動物系だ。でもその中身は、周囲でめぼしい男はだいたい食ったと豪語する肉食系。本人曰く「同期には手をつけないとか不倫はしないとか、いろいろ細かいルールを自分に課しているビッチ」らしい。
 さっぱりした性格の結衣とは付き合いやすいが、時々切り返しに困る発言をしてくる。そしてことあるごとに笹井を推してくるのはなぜなのか。珠美は「ないない」と力強く手を振ってみせた。
「そもそも私はノーモア社内恋愛だよ、結衣ちゃん」
「まだそんなこと言ってるのー?」
 入社したばかりのころ、珠美は他部署の先輩社員と付き合った。ほんの短期間で別れたのだが、正直あまりいい思い出ではない。別れたあとしばらくは、ずいぶん仕事がやりにくくなった。結衣と笹井はその彼とのことを知っていて、二人にも余計な気を遣わせたと思う。
 そして決めたのだ。「社内恋愛は面倒、次は絶対社外の男性にしよう」と。……まあそう言いつつ、不覚にも笹井を好きになってしまったのだけれど。
「それに私、榛名さんの下から抜けたくないから。同じ部署の人と付き合ってるのバレたら異動になるかもしれないでしょ。絶対無理」
 社内恋愛は禁止ではないが、歓迎もされない。夫婦やカップルを同じフロアに置かないのが暗黙の了解で、同じ部署内での社内恋愛が発覚すると、次回の人事異動で間違いなく異動対象になる。榛名と同じチームで仕事をするのは大変だけれど、やりがいもあると珠美は思っている。今後このまま社内に残るとしても転職するとしても、もう少し榛名の下で経験と実績を積みたい。恋愛沙汰で異動になるなんて不本意で、それは絶対避けたいのだ。
「そういや、いいなあと思った人いたんだけどね。駄目だった」
「えっ、そんな人いるの? 笹井は?」
 スマホをチラチラ眺めていた結衣が、急に食いついてくる。
「……やけに笹井を推すよね」
「だって一番仲いいでしょ、結局。そんなに嫌がらなくても」
「嫌なわけじゃないけど……」
 珠美は言葉を濁す。
 そう、嫌っているわけではない。彼は案外細やかな気遣いを見せるし、どんなに忙しくても穏やかに振る舞うところなどは、むしろ尊敬している。ただ、笹井と親しい同期というポジションはとてもやりにくいのだ。女性社員からの嫌味や、地味な嫌がらせ。結衣も笹井と仲がいいが、何でもハッキリ言う彼女には手を出しにくいのか、嫉妬の矛先は珠美に集中している。
 入社して五年目。任せてもらえる仕事も増えた。必要以上に他の女性社員の反感を買って、仕事に支障が出るのは避けたい。それだけでなく、笹井と遠慮なく何でも言い合える今の関係も気に入っている。だから珠美は、笹井への気持ちを結衣にも打ち明けていなかった。できることならこの気持ちは手放して、社外の人と新しい恋ができればいい。そう思っていたから。
「とにかく笹井とはありえないからね」
 全力でそう言ったとき、後ろから「俺が何?」という聞き慣れた声がした。
「あ、笹井。おつかれー」
「一緒していい?」
「どうぞ。宿泊明けでしょ、帰れないの?」
「あとちょっと仕事残ってる」
 結衣としゃべりながら、笹井はごく自然に珠美の隣に座る。
「タマもトラブル対応大変だったな。解決してよかったじゃん」
「おかげさまで。ねえ、シャワーしてないからあんまり近付かないでくれる?」
「えっ、化粧崩れてるのも髪ボサボサなのもいつもどおりですけど」
「……腹立つな」
 しばらく三人で雑談をしながら食事を続けていたが、珠美のスマホに着信が入った。榛名からの呼び出しだ。珠美は二人に謝って、先に会社に戻っていく。
 その後ろ姿が完全に見えなくなってから、笹井は「緊張したー……」と両手で顔を覆った。
「何でそんなにドキドキしてんのよ。中学生か」
「だっていい匂いするし……シャワーしてないときのタマの匂いって何かもう」
「待ってやめてキモい。せっかく珠美とのランチにご招待したのに残念だったね。飲みにでも誘ったら?」
「もう誘った。そして断られた」
 彼は肩を落としてアイスコーヒーを飲む。結衣は頬杖をついて、しょぼくれている笹井を見つめた。
 笹井は入社一年目から珠美が好きだった。珠美が他の男性社員と付き合い始めてからも諦めず、ずっと近くで彼女を見守ってきた笹井。その気持ちがいじらしく思え、結衣も彼の恋を応援してきたのだ。……まさか五年も応援し続けることになるとは、結衣も思っていなかったけれど。正直「五年もあったのにグズグズしやがってお前」と言ってやりたかったことも、一度や二度ではないのだけれど。
「もう告白すればいいのに。どうするつもりなのよ、この先ますますチャンスがなくなるよ?」
「うん、まあそうなんだけど」
「しゃっきりしな童貞」
「……軽々しく口にするな、俺の秘密を」
 笹井が身を乗り出して「誰にも言うなよ、特にタマに」と言うので、結衣は「いや、言わんわ」と呆れた声を出す。この顔で二十七歳童貞。そんなの他の女性社員に言ったところで、絶対誰も信じないだろう。
「笹井、拗らせすぎだよね」
「別に拗らせてない。本当に好きな女に捧げたいと思ってたらこの年になっただけだろ」
「捧げるって。童貞ウケる」
「童貞バカにすんなビッチ」
 仕事ではいつも自信満々で、周りの社員みんなから頼られて、女性たちの憧れの的で。そんな笹井が、珠美のことになるとからっきし駄目だ。たぶんこの先、今までみたいな関係ではいられないのに──タイムリミットは着々と近付いてきているのに。
「いっそ既成事実作る? 酔わせて確実にヤれるテク伝授しようか?」
「……ビッチ怖い。つーか、俺はタマに捧げるときにはそれなりのシチュエーションでって思ってるからな。妄想聞きたい?」
「いや、勘弁してください。童貞の妄想のほうが怖いわ」
 結衣は呆れたようにため息をつきながらも、「二人がうまくいくといいな」としみじみ思う。五年も一緒に頑張ってきた仲のいい同期。できれば二人まとめて幸せになってほしい。
 まあそうは言っても、イケメンのわりに恋愛経験ほぼゼロで、五年も片思いを続けてきた笹井のことだ。この先も道は険しいかもしれないけれど。

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