【試し読み】誇り高き王女がとろける辺境伯の豹変蜜事

作家:こいなだ陽日
イラスト:ウエハラ蜂
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2020/2/12
販売価格:600円
あらすじ

セルマはヴェーリーン国の第三姫。決まっていた婚約話が消えた直後、彼女はやむない事情で隣国の辺境伯バーンハルドのもとへ嫁ぐことに。王女の誇りを持って育ったセルマは国のための結婚──それが愛のないものだったとしても受け入れる覚悟はできていた。結婚前の準備として辺境伯の元で一ヶ月間過ごすことになったセルマ。しかし、なかなか夫となる男との初対面が叶わない。挨拶もできていない状況から少し強引に会いに行くと、彼は凜々しく逞しい美丈夫だった。だが、セルマに一目惚れしたという彼はどこか頼りない。そんなある日、嫉妬にかられて見せたバーンハルドの別の顔にセルマは激しくときめいてしまって!?

登場人物
セルマ
国のために辺境伯バーンハルドのもとへ嫁ぐ。結婚前の準備として辺境伯の屋敷で一ヶ月過ごすが…
バーンハルド
凜々しく逞しい外見とは裏腹に、セルマを前にすると緊張してしまう気弱で頼りない一面がある。
試し読み

第一章 突然の婚約

 セルマ=ヴェーリーンの桃色の唇から、微かな溜め息がこぼれた。
 窓から入りこんでくる風で、鮮やかな金の髪がたなびく。美しく手入れされた庭園を眺めながら長いまつげを伏せると、遠慮がちに声をかけられた。
「姫様。風が冷たくなってまいりました。窓はもう閉めたほうがよろしいのでは?」
 声をかけてきたのは、腰に立派な剣を携えた銀髪の騎士である。その胸元にはいくつもの勲章が飾られ、彼の功績の多さを称えていた。
「頭を冷やしたいから、涼しいくらいが気持ちいいわ」
「あなたはこの国の姫なのです。風邪をお召しになったら、侍女たちは大騒ぎですよ。どうか、お身体をいたわってください」
「……そうね、その通りだわ」
 セルマが頷くと、騎士が窓を閉める。
 セルマはこのヴェーリーン国の第三姫だ。年は十八で、そろそろ輿入れする年頃である。実際、その予定で隣国と話が進んでいたのだが──
「今頃、王様が姫様のためにふさわしい相手を探してくださっていますよ」
「ええ、そうだといいのだけど……」
 セルマは側に仕えている騎士を見た。
 彼の名はエリオット。長身で彫りの深い顔立ちをしており、銀の髪が見事だ。
 この国の姫は護衛となる騎士を側に置く習慣があり、セルマの護衛騎士がこのエリオットである。騎士として多くの功績を挙げた彼は、護衛以外でも優秀でよく気が利き、セルマが気落ちしているとこうして話しかけてくれた。
「結婚相手がエリオットみたいな人だといいのに」
「それは光栄です」
 エリオットはにこりと微笑み、セルマの言葉を軽く受け流す。その様子から、彼は過去にさぞかし女性にもてただろうとうかがえた。
「ああ……もう! 本当にエリオットみたいな人がいいわ。他に女を作るような男は言語道断よ」
 そう言いながら、セルマは唇を尖らせる。
 実は王族であるセルマには、隣国の王子との結婚話が進んでいた。身分も釣り合っていたし、互いの国での晩餐会でよく顔を合わせていた。成婚すれば国同士の絆も深まり、貿易もより盛んになるだろうと思われていたのだ。
 しかし、正式に婚約をする直前に、その王子がメイドとの間に子供を作ったという情報が流れてきた。
 セルマの国では姫が嫁ぐ際に、相手となる夫はその身分に関わらず、側室や妾をもたずに生涯の伴侶は姫だけにするという制約を相手に課す。
 婚約間近だったことから、相手の国ともよく話し合った。その王子はどうしてもメイドを側室に迎えたいらしく、結局、婚約の話はなくなった。
 正式な婚約こそしていなかったものの、そういう方向で話が進んでいたので、セルマの国は面子めんつを潰されたかたちとなる。相手の国も国交関係がこじれることを懸念してか、大量の賠償金が極秘裏に送られてきた。国庫はかなり潤い、国としても満更ではない。「正式な婚約はしていなかった」と本件については不問とし、国交も今まで通りに続けることとなった。
 当の本人であるセルマといえば、結婚するつもりでいたのにその話が白紙になったので、急に気が抜けてしまった。
 正式な婚約者ではなかったから、相手の王子に恋心を抱いていたわけではない。そもそも、王族の結婚は義務であり、恋心とは無縁のものだ。よって、好きでも嫌いでも時期が来れば決められた相手に嫁ぐものだと思い、覚悟を決めていた。
 その予定がなくなった今、自分が悪いわけではないけれど、魅力がなかったせいかと心がもやもやしてしまう。
 正式な婚約をしていなかったので、相手との接触は舞踏会で踊るくらいの健全なものだった。王子の側にいるメイドのほうが、よほど彼と親密な交流ができただろう。
 それをわかっていても、なんだか嫌な気分になってしまうのだ。
 今頃、父親である王が必死で相手を探してくれている。それでも、王族の結婚はそう簡単にはいかない。相手が見つからないまま、適齢期を過ぎてしまうのではないかと不安になってしまう。
 ヴェーリーン国において、姫は政略の駒である。国に利益をもたらす相手に嫁ぐことが一番の使命であり、他国の王族に嫁いでも、貴族に嫁いでも対応できるように、セルマは厳しい教育を受けてきた。
 しかし、妙齢を過ぎてしまえば政略の駒として役に立たず、そんな姫に民の血税を使うわけにはいかない。よって、未婚のまま年を取った姫は辺境の修道院に送られ、そこで余生を過ごすことになる。
 そうなれば、今まで学んできたことがなんの意味もなくなってしまう。セルマは、それがとても嫌だった。
 あんなに頑張って勉強して、王族として完璧な立ち振る舞いをしてきたのに、その行く先が修道女とはやるせない。
「私、結婚できるのかしら……」
 その呟きに、エリオットが答える。
「大丈夫ですよ。姫様はとても魅力的ですから」
 セルマを不安にさせないように即答した彼はとてもいい男で、エリオットのような男性と結婚したいとセルマは思うのだった。

    ◆   ◆   ◆

 正式な婚約の直前に、その話が白紙に戻ったことは城内でも大きな騒ぎとなった。だが、まさかそれ以上の事件が起きるなど、セルマは予想もしていなかった。
 ある日、姫を含めた王族と国の重鎮が会議室に集められた。国政に関わる王子ならともかく、姫まで呼ばれるのは異例のことである。
 姉姫は既に嫁いでいるので、セルマは三つ下の妹姫を引き連れて会議に参加した。勿論、護衛騎士のエリオットも一緒だ。彼が座る席はないが、壁際で待機して会議を見守っている。
 会議の中で、大臣から告げられた内容にセルマは絶句した。
「我が国から隣国に派遣していた大使が、禁止薬物の服用で辺境伯に拘束されました」
 セルマの国は四つの国と隣接している。今回大使が拘束された国は、セルマが婚約を予定していた王子がいる国とは別の国だった。
「禁止薬物だと?」
 兄である王子が声を荒げる。
「はい。我が国では鎮痛薬として広く使われているものですが、正しい処理をしないと幻覚を引き起こし、依存性が生じてしまうものでして、隣国では禁止薬物に指定されているのです」
「ああ、そうか。確か隣国は薬の研究が遅れていたね。でも、問題なのは正しい処理をしていないものだろう? 我が国で正しい製法で作った薬ならなんの問題もないんじゃないか?」
「それでも、隣国の法律では禁止薬物に定められておりますので……」
 セルマは兄と大臣のやりとりを黙って見守っていた。
 国が派遣している大使が捕縛されるなど前代未聞の事態だが、なぜ姫である自分がこの場に呼ばれているのだろうか?
 この国の姫はゆくゆくは他国に嫁いだり、国内の貴族に降嫁したりする。嫁ぎ先に余計な情報を流さないためにも、重要な国政には関わらせてもらえないことがほとんどだ。特に、こういった不祥事は絶対に耳に入らないようにされている。
 セルマが隣をちらりとうかがうと、妹姫も戸惑いながら席に座っていた。彼女も、なぜ自分がこの場に呼ばれたのかわからないらしい。
「大使を拘束しているのは辺境伯なのか? 国境を警備する辺境伯なら逮捕権を持っているだろうが、その連絡は国からではなく、辺境伯個人から届いたのか?」
「はい、そうです。本件につきましては辺境伯のところで抑えていて、まだ国としての問題に発展していないようです」
「……つまりは、辺境伯がなにか要求を出しているんだな?」
 腕を組みながら、兄が溜め息を吐く。
「辺境伯との個人的な話し合いで本件を公にせずにいられるなら、それが一番いいだろう。……で、その辺境伯はなんと言っている? 金か? それとも──」
 言葉を止めて、兄がセルマと妹に視線を向ける。
(もしかして……)
 セルマはそこでようやく、なぜ姫がこの場に呼ばれたのかを理解した。
 王子の問いかけに、父である王が口を開く。
「今話題に上がっている辺境伯……アッペルマン辺境伯だが、実は二百年前に我が国の姫と婚約していた。我が国の記録にもその旨が残っているが、当時、なんらかの事情で婚約が解消されたようだ」
 婚約解消といえば、セルマもつい最近経験したばかりである。もっとも、正式な婚約はしていなかったので、婚約解消と表現するのは少し違うのだが。
「アッペルマン辺境伯の出してきた条件はふたつ。ひとつは、二百年前の婚約解消に対する王家からの謝罪と賠償金。もうひとつは、二百年前に解消した婚約を再び取り結ぶこと……つまり、この国の姫をアッペルマン辺境伯家に降嫁させること。このうち、どちらかひとつを受け入れれば、大使の薬物使用は不問に処し、身柄を解放するとのことだ」
 父王の言葉に妹姫は驚いて目を見開く。その隣で、セルマは静かに頷いた。
 話を聞いた兄が訝しげに訊ねる。
「ちょっと待て。謝罪を要求しているということは、二百年前にこちらに非があるかたちで婚約解消となったのか?」
「向こうはそう言っているが、なにせ二百年前のことだ。当時を知る者もいなければ、婚約解消の経緯はどこにも残っていない。現時点ではっきりしているのは、当時アッペルマン辺境伯家と婚約していたことと、その婚約を解消したことだけだ」
「婚約解消といっても、セルマみたいに相手側に問題があったかもしれないだろう? アッペルマン辺境伯の言うことを鵜呑みにして、不明瞭な事柄への謝罪をすることは国として許されない。王家がそんなことをしたら最後、近隣諸国や貴族から舐められるぞ」
 兄が首を振る。
「そうだ。賠償金を払うくらいなんともないが、現時点の情報だけでは王家として謝罪できない。そうすると、もうひとつの条件だが……」
 父王がセルマのほうを向く。その視線を受けて、セルマははっきりと言い切った。
「妹はまだ幼いわ。婚約話も消えたことだし、私が嫁ぐのが一番いいでしょうね」
 その答えを望んでいたのだろう、国の重鎮たちがほっとした表情を浮かべる。しかし、兄の眉間の皺はますます深くなった。
「確かに、条件を呑まずに大使の件が公になり、国際問題に発展するよりは丸く収まるだろう。だが、相手は二百年も前の婚約解消のことを今更持ち出してくるくらいだ。こちらを逆恨みしているんじゃないか? セルマを大切にしてくれるとは思えない」
「それはわかっている。それに、二百年前の婚約解消にこちらの落ち度があるならば、謝罪をするのもやぶさかではない。だが、いくら調べても当時の詳しい記録が出てこないのだ。この状況で謝罪はできん。かといって、大使の件が公になるのも避けたい。……となれば、我々の選択肢は限られている」
「父上! そうは言っても、セルマを嫁がせるのは……」
 父王と兄の口論が始まりそうになる。この場を収められるのは、当事者であるセルマだけだ。
「大使の件が公になるのは避けるべきだし、詳しい状況もわかっていないのに王家が一貴族に謝罪をするなんて言語道断だわ。私が嫁ぎます。王家に生まれた以上、望まぬ婚姻も自分の使命だと考えているわ」
「しかし……」
「兄様、心配してくれてありがとう。その気持ちだけで十分だわ。辛いことがあっても、耐えていけます」
 セルマはにこりと微笑む。すると、王が兄に向けて言った。
「セルマが嫁ぐ以外にいい案があるのなら聞こう」
「……っ」
 兄は言葉を止める。妹のことを変な相手に嫁がせたくはないという感情はあれど、それ以外の方法は思いつかないようだ。
 無言になった兄を尻目に、王はセルマを見る。
「セルマ、よろしく頼む」
 王はセルマに一言も謝らなかった。だからこそ、これは姫としての使命なのだと強く思う。
 ここで謝罪されたほうが、よほど惨めになるというものだ。セルマはぴんと背筋を伸ばして答える。
「ええ。王族としての役割を果たします」

    ◆   ◆   ◆

 辺境伯家にセルマを嫁がせると返答してからというもの、とんとん拍子に物事が進んだ。
 セルマは隣国の王子とは正式な婚約をしていなかったけれど、水面下で婚約に向けての準備はしていたのだ。結婚式用のドレスなど、そっくりそのままアッペルマン辺境伯家との婚約準備に流すことができる。
 そんななかで、セルマはようやく自分の婚約相手の情報を与えられた。
 相手の名前はバーンハルド・アッペルマン。年は二十七歳とのことで、結婚歴はないらしい。不祥事にかこつけて婚姻を望むのだから、結婚できない年嵩としかさの男を想定していたので、予想以上の若さにセルマは驚いた。
 バーンハルドの父親は体が丈夫ではなく、若いときに彼が爵位を継いだらしい。降嫁するにあたり、愛人や妾を持たないという条件を出したが、それも問題ないとのことだ。
 ──そして、王族の結婚には様々なしきたりがある。
 姫が降嫁する場合、正式な夫婦となる前に相手の屋敷で一ヶ月を過ごし、貴族としての生活を経験することとなっていた。つまり、セルマは結婚前にアッペルマン辺境伯家に滞在する予定である。
 その際、セルマが連れて行ける従者はメイドひとりだけである。今後は王族ではなく、貴族としての生活が始まるのだ。相手の環境になじむために、王家管轄の従者はひとりだけしか連れていけない決まりになっていた。
 よって、長年セルマの側にいてくれた護衛騎士のエリオットともお別れである。降嫁してこの国の姫でなくなる以上、彼の護衛対象はセルマではなかった。
 輿入れの準備がどんどん進み、物が少なくなった自分の部屋を見ながらセルマは呟いた。
「エリオットとも、とうとうお別れなのね……」
 もちろん、父や母、そして兄妹と離れることも悲しい。しかし、自分の家族よりも長く側にいたであろう護衛騎士との別れを考えると、胸が切なくなった。
「いつもあなたが側にいてくれたんだもの。これからは寂しくなるわ」
「俺も寂しいです」
 そう言って彼は苦笑する。しかし、続けられた言葉は前向きなものだった。
「ですが、姫様がご結婚されるのはとても喜ばしいことです。国は離れてしまいますが、俺はこの地で姫様の幸せを祈っています」
「エリオット……」
 今回の結婚の経緯が経緯だけに、自分の兄妹やメイドたちは皆揃ってセルマに同情していた。
 なにせ、隣国の王子との婚約がなくなった直後に、大使の起こした不祥事の尻拭いとしての結婚である。憐憫の眼差しを向けられ、「かわいそう」という言葉も沢山言われてきた。
 そんな中、エリオットだけは素直に祝福の言葉を口にしてくれる。彼はセルマと離れることを悲しく思えど、婚姻を喜んでくれた。
 今回の結婚は、王族の役目としてセルマが自分で決めたことだ。哀れむよりも、こうして祝ってくれたほうが嬉しいし、矜持も傷つかない。
「ありがとう、エリオット」
 セルマは満面の笑みで微笑んだ。
 窓から差しこむ光で彼の銀髪が見事にきらめく。この光景が見られなくなるのはとても残念だけれど、王族としての使命を立派に果たそうとセルマは思った。

    ◆   ◆   ◆

 ──とうとう、セルマがアッペルマン辺境伯家に行く日となった。
 これから一ヶ月、アッペルマン辺境伯のもとで過ごして貴族の生活を経験し、その後に結婚式を挙げて正式な夫婦となる。一国の姫の結婚となるので、隣国の王宮管轄の教会で挙式することとなり、大規模な式になりそうだ。
 その準備もあるから、きっと一ヶ月なんてあっという間だろうと思いながら、セルマは一週間の旅路を経てアッペルマン辺境伯家へと到着する。
 アッペルマン辺境伯家はとても立派な屋敷だった。
 辺境伯は、国境警備という重要な任務を抱いている。いざというときのために私軍を持ち、その訓練も怠らない。
 私軍は国境にそびえ立つ砦に詰めているものの、有事の際に辺境伯の命令ですぐに動けるように、軍人のうち数名が常に辺境伯家に滞在しているのだという。
 その敷地は膨大で、綺麗に手入れされた庭の奥に訓練場があった。おそらく、軍馬用の厩舎もどこかにあるだろう。
 夫となる人物が門まで出迎えに来ることはない。セルマはアッペルマン家執事のエスコートを受けながら馬車を降り、応接室へと通される。
 ここで、初めて夫となる人物と対面するのだ。名前と年は知っているが、それ以上の情報はない。どんな人物なのかと、そわそわしてしまう。
 ……もっとも、大使の釈放という条件をちらつかせながら、謝罪もしくは姫の降嫁を要求してくるような人物だ。あまり性格がいいとは言えなそうである。二十七歳で未婚だというし、その性格のせいで結婚相手が見つからなかったのかもしれない。
 それでも夫婦となる以上、お互いに悪い部分はなおして、一緒に成長していけたらいいとは思っていた。
 出された紅茶を飲みながら、セルマは夫の到着を待つ。
 だが──
「…………」
 いつまで経っても、夫となるバーンハルドが応接室にやってくることはなかった。なにかあったのだろうかと、セルマは不安になってしまう。
 やがて、エスコートしてくれた執事が応接室にやってきて告げたのは、驚くべき内容だった。
「セルマ様、長らくお待たせしてしまい申し訳ございません。旦那様が体調を崩してしまい、本日の対面は自粛したいとのことです」
「まあ」
 セルマは思わず口元を押さえる。
 体調不良ならば仕方ない。病魔というのは、本人の意思とは関係ないところで襲ってくるものだ。
 いよいよご対面だと緊張していたので肩すかしをくらった気分だが、顔合わせもできないとなると、よほどの重症なのだろう。
「それは仕方ないですわね。お見舞いに行くことは可能かしら?」
「いいえ。旦那様はみっともない姿を見せられないと仰っています。誠に申し訳ないのですが、ご対面はまた別の日に改めてということで宜しいでしょうか?」
「ええ、勿論よ。……そうだわ」
 セルマは髪に挿していた花のかんざしを引き抜くと、執事に手渡した。セルマの国でも有名な職人が作ったもので、これひとつでかなりの値段がする。
「こちらに到着したばかりで勝手もわからず、お見舞いの花束を用意できないから、代わりにこちらをバーンハルド様に。回復をお祈りしておりますと伝えてくださる?」
「かしこまりました。それでは、セルマ様のお部屋へと案内させて頂きます」
「ええ、よろしく」
 そして、セルマは用意された部屋へと通される。
 正式な夫婦となるのはまだ先なので、当然バーンハルドとは部屋が別々だ。
 セルマのために用意された部屋は落ち着いた色合いでまとまっているものの、その調度品は高価なものであると一目で分かる。お目通りは叶わなかったが、それなりに歓迎されているようだ。
 その後、食事の時間になってもバーンハルドが現れることはなく、セルマは広い食堂でひとりで食事を摂った。

「旦那様の顔がとても赤かったと、メイドたちが噂をしておりましたよ」
 夜、就寝の準備をしながら、セルマが城から連れてきた唯一の従者であるメイドのアンがそう言った。
 アンは屋敷の仕事を覚えるため、到着後はセルマから離れてメイドたちに色々教えてもらっていたようだ。
 彼女はセルマと同じ年だから、城にいたメイドのなかでもよく話すほうだった。
 降嫁の際にひとりだけ従者を連れて行けることになっているが、その期間は一年と決められている。本人の希望があれば、雇用主を城から嫁ぎ先に変えて働き続けることが可能だが、大抵は一年働いて、大金をもらって辞めていくのだ。
 姫が隣国に嫁ぐとなれば、その従者に選ばれると一年も自国を離れなければいけなくなるものの、報酬が高額なのでついて行きたいという者は多い。
 そして、このアンは料理が得意で、将来は自分の店を持ちたいと思っているようだ。今回、セルマに付いて行けば、開店資金も稼げる上に、隣国の郷土料理を覚えられるいい機会になると思ったらしい。彼女は従者になりたいとセルマに申し出た。
 そんなアンの仕事は確かであり、セルマも彼女とはよく話していたから、従者を決める際にアンを選んだ。人付き合いも上手いし、アンなら隣国の知らない屋敷で仕事をすることになっても大丈夫だろうと思ったのだ。
 そんな彼女は早速屋敷のメイドたちと仲良くなったらしい。夫となる人物の容体について教えてくれた。
「まあ……。それでは、かなり熱が高いのね」
 セルマは心配そうに目を伏せる。
「ええ。古参のメイド長も『あんなに顔が赤い坊ちゃまは見たことがない』と仰ってました」
 それほどまでに重症なら、セルマの見舞いを断るのも頷ける。今日どころか、あと数日は彼の顔を見ることは叶わないだろう。
「挨拶できないのは気がかりだけれど、こればかりは仕方ないわよね。せめて、挨拶の手紙だけでも書きましょう。寝る前に一筆書いてしまうわ。アン、手紙の準備をしてくれる?」
「かしこまりました」
 対面での挨拶が叶わないならば、手紙だけでも届けるべきだ。夫婦となるのだから最初が肝心だし、礼を欠きたくはない。
 まだ会ったこともなく、どういう性格をしているのかもわからない相手に向けての挨拶だから、当たり障りのない文章になってしまったけれど、それでもセルマは心をこめて手紙を書いた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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