【1話】溺甘弁護士の真摯なプロポーズ~三年越しの約束を、もう一度~
あなたと私の事情
弁護士バッジはひまわりの花をモチーフにしている。太陽に向かって力強く咲く生き様が、『自由と正義』を表しているそうだ。
また、バッジの中心に描かれている天秤は『公正と平等』を表している。
人それぞれが持つ人権は皆同じ重さであり、どの人の人権であっても、天秤に載せたときに同じ重さで釣り合わなければならない。
なぜなら誰かが幸せに生きるために、他の誰かの人権がないがしろにされてはならないから。
私が初めて本物の弁護士バッジを目にしたのは十二歳のとき。
両親が離婚することになり、母親の相談にのってくれた弁護士先生の胸についていたバッジは、とても特別なものとして私の瞳に映った。
その日から弁護士になることを夢見るようになり、二十歳を迎える春に同じく弁護士を志す彼と出会った。
『莉奈が司法試験に受かったら結婚しよう』
『うん。絶対に弁護士になるから、待っててね』
そして私たちは将来を約束しあった。
***
事務所の時計が十八時になろうとしているのを確認して席を立ち、給湯室でミルク多めのホットコーヒーを入れてひとつのデスクに近づいた。
「我妻先生、お疲れさまです」
コーヒーを静かに置くと、私が勤める法律事務所の所長、我妻弁護士は顔を上げて微笑んだ。
「いつもありがとう」
「とんでもないです。こちらこそよくしていただいて、ありがとうございます」
我妻先生は業務後一服してから帰宅するのが習慣になっているので、こうして飲み物を用意してから退勤するようにしている。
五十歳になる我妻先生と、今年の四月で二十八歳になったパラリーガルである私、日比谷莉奈は親と子ほどの年齢差だ。我妻先生は結婚しているが子供がいないので、娘のように可愛がってもらっている。
「それではお先に失礼します」
他の弁護士や事務職員たちにも挨拶をして、同じタイミングで退勤した同僚の文乃ちゃんと揃って事務所をあとにした。
ふたつ下の文乃ちゃんは、身長百五十四センチの私より十センチ高くすらりとしている。童顔の私と違って大人びた顔立ちで、ストレートロングヘアの黒髪がよく似合う。
結婚していて物腰に落ち着きがあり、そもそも落ち着いているから若くして結婚したのかもしれないけれど、年齢に合った色気もあって素敵な女性だ。
「桜、散っちゃいましたね」
事務所を出てすぐ、街路樹に目を向けた文乃ちゃんはしんみりとした様子でつぶやく。
今年は例年より遅咲きだったため、四月の初旬に満開を迎えた。それももう散り、葉桜になった枝をまだ少し冷たい春風が揺らしている。
私の鎖骨まである焦茶色の髪が、風に吹かれて舞い上がったのを手で押さえつけた。
「もう少しで司法試験ですね」
続けられた言葉に思わずため息を漏らした。
「あっごめんなさい」
表情を曇らせた私を見て文乃ちゃんはハッとして足を止めた。申し訳なさそうにしている彼女の方を向いて首を横に振る。
「こっちこそごめんね。今から緊張するなあって思っただけだから大丈夫だよ」
「一年に一回しかないですもんね」
文乃ちゃんは眉を下げて困ったようにうなずく。
「しかも五月の試験から、九月の合格発表まで約四ヶ月。一年の半分は生きた心地がしないよ」
「早くその呪縛から解放されるといいですね」
「本当にね」
最寄り駅に向かいながらそんな話をする。
文乃ちゃんは弁護士秘書として勤務しているので、パラリーガルである私とは微妙に仕事内容が違う。
秘書の業務は電話対応、スケジュール管理、来客対応、一般的な事務作業だが、パラリーガルはこれに加えて弁護士の業務を専門的な知識を持ってサポートする。
主に、裁判所への提出書類、契約関係書類、内容証明書の作成、判例や条文の調査、債務整理・過払い請求の補助などである。
私は我妻先生のもとでこういった仕事をこなしながら勉強をさせてもらい、弁護士を目指している。
大学卒業後は法科大学院に進み、修了後は法律事務所でパラリーガルとして働いて三年目。
司法試験には二度落ち、今年で三度目の挑戦となる。