• HOME
  • 毎日無料
  • 【1話】お薬の時間です!~狼騎士隊長の担当看護師に任命されました~

【1話】お薬の時間です!~狼騎士隊長の担当看護師に任命されました~

作品詳細

一、獣人は善き隣人?

 まだ早い時間だというのに、活気に溢れる賑やかな下町の商店街の中。
 少々寝過ごしてしまったせいで、息を弾ませて職場へ向かっていたニーナは、道行く町人達が皆、一定方向を見つめている事に気付いた。その中でも特に若い娘達は、客引きの声にも負けない賑やかさで盛り上がっている。
 彼女達の視線を追いかければ、人だかりを割るように臙脂えんじ色の騎士服に身を包んだ二人組が前からこちらへと向かってきていた。
(珍しい。どうりで女の子達が通りを見てると思った)
 小柄なニーナなら首が痛くなるまで見上げなければならないほど、背が高い彼らの頭には――獣の耳が生えている。年頃の娘としては凝視できないが、ふわりと揺れているマントの下のお尻には尻尾が隠れているだろう。商店街の騒がしさに忙しなくピクピクと動く耳は犬だろうか狼だろうか、なかなか人間には判断が難しい。

 ニーナが住む人間の国シュケルトが、遠く離れた大陸にある獣人の国エルティノと国交を結んでからおよそ二十年。
 五年前にシュケルトの第二王女とエルティノの第三王子との婚約が決まった事から、シュケルトに来る獣人達も一気に増え、種族の違いを乗り越え、婚姻を結ぶ者も増え始めた昨今。獣人はすべからく美形だという事と、一度想いを寄せた相手を死ぬまで愛するという一途な彼らの特性が若い娘に受け、人間の娘と獣人の恋物語がシュケルト国内でベストセラーになるほどだった。
 ゆえにそんな時に婿入りする第三王子に帯同してきた、見目麗しく地位もある十数名の獣人騎士団が大人気となるのは必然だっただろう。
 彼らの業務はもちろん第三王子の護衛であるが、二つの国の軋轢を少しでもなくしたいという第三王子の采配によって、シュケルトの騎士団と共に街中の警備に携わる事となり、ニーナのような一般市民も彼らの姿を見る事ができるようになった。
 獣人達は身体能力が高く、圧倒的な戦闘力を誇り、軽犯罪から貴族令嬢の誘拐劇まで鋭い嗅覚であっという間に犯人を見つけ出し、即時に事件を解決していった。おかげで王都の犯罪率はぐっと下がり、今ではニーナが住んでいる下町の夜歩きすら安全と言われるほどの治安の良さを誇っている。
 そんな事情から、獣人達は『善き隣人』として、姿形こそ違うものの、今ではおおよそのシュケルト国民に受け入れられていた。

(今日の巡回は、獣人の国の騎士さん達なのね)
 ニーナは遠巻きに彼らを見つめる女の子達のように、整った容姿に胸をときめかせる……訳でもなく、田舎の実家で飼っている牧羊犬達を思い出して口元を緩ませた。
 しかしそれは彼らにとっては失礼にあたるだろう。ニーナが看護師として勤める診療所の物知りおじいさんから聞いた話によると、猿と人間くらいに確固たる差があるらしい。
 例えばニーナなら『君を見ていると猿を思い出す』なんて言われるようなものだ。
(それは失礼過ぎるわ……。って、いけないいけない)
 耳が良いと言われている彼らは、呟きすらも聞き取るらしい。ニーナはきゅっと唇を引き結んで素知らぬ振りをして彼らの脇をすり抜ける。
 それにニーナ自身も王都に来てすぐ、初めての給料で買った家族への贈り物をひったくりに遭った時に、獣人の騎士に取り戻してもらっている。診療所に来る常連達も何かしら助けてもらった事があるらしく、みんな『獣人達はいい人だ』と口を揃える。
 そしてなにより獣騎士達には熱狂的な若い女の子のファンが多い。こんな場所で彼らの悪口なんて呟けば、ニーナが一人暮らしをしているアパートの窓ガラスくらいは割られてしまうかもしれない。
 うっかり声に出さなくて良かったと思いつつも、それとはまた別に、一度胸に抱いた郷愁はなかなか消えないもので。
(……みんな元気かな)
 兄妹全員で牧羊犬を操り、羊を追い立てていた過去の光景がニーナの脳裏に蘇る。込み上げた寂しさを誤魔化すようにニーナは首を振った。
(長い休みには帰ってるっていうのに、寂しく思うなんて子供みたいだわ)
 ニーナは肩にかけていたショールを胸元でしっかり握ると、診療所へと急いだのだった。

 今年二十歳になるニーナは、郊外で羊を放牧して暮らしている大家族の長女だ。
 両親と下に弟が四人。弟達が大きくなり、放牧を任せられるようになった十五の年に、叔母を頼って王都へやってきた。顔の広い彼女のおかげで格安のアパートを借りる事ができたので、そこからほど近い診療所の看護師見習いとして働き始め、もう五年になる。
 最初こそ故郷とは全く違う、羊より人が多い環境に戸惑い、いつも賑やかだった家族の団欒を思い出して一人で過ごす夜に涙した事もあった。しかし見習い期間を終え、日常の業務と医療の進化に付随する終わりのない知識の獲得に忙殺される今現在は、看護師の仕事に誇りを持ちつつ、……ごくたまにうんざりしながらも、充実した生活を送っていた。
「えっと……鍵、鍵」
 丈夫さだけが取り柄のような、煉瓦造りの診療所の裏口に到着したニーナは、肩にかけていた鞄のポケットから預かっている鍵を取り出した。
 錆ついて少し癖のある鍵を開けて扉に入ったニーナは、建物に入るなり口元に手を添える。そして天井に向かって「おはようございます!」と少し大きめの声で挨拶した。
 既に日課となってしまったこの行動は、ニーナが勤める診療所の医師ヤマトが、老齢だというのに、滅法朝が弱いせいだ。……いや、朝が弱いというのは語弊かもしれない。

作品詳細

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。