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【4話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

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「さぁ、皆さん揃ったようですので、始めましょうか」
 機嫌の悪くなったカリアン夫人の気を紛らわせるかのように、ポンファール夫人がこの場を仕切り始めた。このお茶会開始前から漂う不穏な空気を一掃してくれたのだろう。その計らいに他の参加者たちもホッとした様子だった。
 ポンファール夫人の指示でメイドたちが目の前のテーブルに、次々とティーカップやソーサー、お菓子がのった三段のアフターヌーンティースタンドを持ってくる。
 そのいずれもが薔薇をモチーフにした食器ばかりで、ポンファール夫人のこだわりが見える。ボンボニエールに入っているのも薔薇の砂糖漬けで、お菓子も薔薇をモチーフにしたものばかりだ。薔薇の形をしたフィナンシェ、ケーキの上には薔薇の花弁を模したクリーム、スポンジにも薔薇の花弁が練り込まれていた。
 普通に作るよりも意匠を凝らす分時間も労力もかかるだろうに、それでも毎度出てくるお菓子の顔ぶれは違う。
 この家のパティシエの腕の良さと夫人の我儘に付き合うその忍耐力を窺わせるが、夫人も夫人で、この思わず周囲から嘆息が漏れるほどに美しいお菓子たちが自慢なのだろう。まるで自分が一等苦労をしたかのように話している。
 今回、ポンファール夫人に呼ばれたのは七名。いずれも貴族のご婦人方だ。子爵、男爵家の夫人が勢ぞろいしている。
 そんな場に爵位も持っていないクルゼール家のエヴァリンが毎度のように招待されるのは、ひとえに夫の躍進によるものだと言っていいだろう。
 ウィルフレッドはまもなく輸入による国の発展への貢献が認められ、王より爵位を賜るだろうとまことしやかに囁かれている。ある程度は真実味を帯びた噂なのだろう。皆、そんな彼と何かしらの繋がりを持とうとしているのだ。
 昨今、爵位などただの飾りと成り下がり、金でも買える時代。平民でありながら貴族達より金を持っている富裕層などごろごろ転がっている。心の底では蔑みながら、あちらもあちらで何かと必死なのだろう。
 ――例えば、カリアン夫人。
 彼女はカリアン男爵の妻でありながら、金のある男性の間を蝶のように飛び回っているのだという。既婚男性の愛人となり未婚の男性を愛人とし、美しく着飾り煽情的に男を誘惑する。そんな自由気ままでふしだらな彼女を嫌う人間は多いが、一方で男性にはとかく人気だ。
 あのウィルフレッドも愛人にしてしまうほどに。
「エヴァリン様、昨夜は申し訳ございません。随分と遅かったでしょう? ウィルフレッド様のお帰りが」
 時も場所も考えずに浮気相手の妻を挑発する向こう見ずな愛人の言葉に、エヴァリンはしばし動きを止めて心の中で大きな溜息を吐いた。
 こんな分かりやすく愚かな女をわざわざ愛人にする自分の夫が考えなしなのか、女性には分からないそれほどの魅力が彼女にあるのか。どちらにせよこの場には不向きな話題で、お茶会開始早々に水を差したことには変わりない。
 一気に他の参加者がエヴァリンとカリアン夫人から距離を取り始めたのが分かった。
 ウィルフレッドとカリアン夫人の関係は社交界でも有名だったが、こうやって彼女と対峙するのは初めてだ。カリアン夫人と違ってエヴァリンは結婚してからというもの、夜会には必要最低限しか顔を出さない。
 それはウィルフレッドの愛人と噂される女性と、こうやって顔を突き合わせるのを避けるためでもあるし、一方でウィルフレッド自身もエヴァリンを連れて行こうとはしなかった。
 他の女性との甘い時間を邪魔されたくないのか、それとも商談の邪魔になると思っているか。彼の真意は図りかねるが、夫の言うことには従うようにしているので、女遊びを除けばそれに文句はなかった。
 まったく、ポンファール夫人も、エヴァリンとカリアン夫人が対面すればこうなることは分かっているはずなのに、何故わざわざ呼ぶのか。
 恐らくは気の強いカリアン夫人の頼みを断り切れずに今回参加させたのだろうが、それでもこの取り合わせは最悪だ。カリアン夫人と顔を合わせるくらいならば、このお茶会に来ること自体遠慮したのに。
「帰るときには随分とお疲れのようでしたから、エヴァリン様と言葉を交わすことなく寝てしまわれたのかしら?」
 何も言わぬエヴァリンの様子に調子に乗ってきたのか、カリアン夫人は勝ち誇ったような顔を向けてくる。勝手にエヴァリンが怒りと羞恥の余りに何も言えなくなっているものだと思っているのだろう。彼女のトーンはますます上がってきて、あからさまに侮辱するような言葉まで出してきた。
 どうやらカリアン夫人の一番のお気に入りはウィルフレッドだという噂は本当らしい。こんな公衆の面前で、エヴァリンに嫌味を言うほどに本気であることが窺える。
 もちろん、そんな彼女に怒りは湧いてはこない。
 ただただ哀れだ。そんな目で目の前のカリアン夫人を静かに見ていた。
 さて、どうするべきか。もう一口ローズティーを飲んで考える。
 このまま無視を決め込むもよし、しおらしく夫を愛人に取られかけている本妻の涙をポロリと流してみても面白い。それでその口を閉じてくれるのであれば、いくらでも演じることはやぶさかではないが……。
 そう思考を一巡りさせて目線だけを庭の端へと走らせ、そして考え直す。
 エヴァリンは、あくまでウィルフレッドの妻としての振る舞いをしなければならない。こんな当て擦りにさめざめと泣くような弱い妻は、きっと夫も望んではないだろう。
 ならば……。
 フッ、と口元に軽薄な笑みを浮かべて、嘲笑った。
「そうでしたか? 昨夜一緒にいられた方が随分と疲れるような相手だったからでは?」
 毅然とした妻でいる以外ない。
「夫も帰って早々口直しを所望していましたから、随分と口に合わない相手だったのでしょうね」
 皮肉も盛り込んで意趣返しをすると、面白いくらいにカリアン夫人は顔を真っ赤に染め上げた。憤怒の表情で、ギリリと音が聞こえるほどに歯を噛み締めている。
「……ほ、本当かしら。負け惜しみではなくて? ねぇ、皆さん?」
 さすがは厚顔無恥の愛人。ただではやられないらしい。
 今度は、この場にいる人間を味方につけて、エヴァリンに攻め込むようだ。
 残念ながらそんなカリアン夫人に賛同して加勢する人間はおらず、皆が皆関わりたくないとばかりに視線を逸らしていた。一対一の形勢は変わらない。
「ご自分が一番愛されているとでも仰りたいのかしら? ウィルフレッドは毎日のように他の女性のもとに通っているのに。現実が見えていないと、あまりにも憐れでしてよ?」
 その瞬間、エヴァリンの眉がわずかに上がった。
 現実が見えていない?
 嫌というほどに見えているのに、よくもそんな愚かなことを言ってくれる。
 カリアン夫人の無遠慮な言葉が、エヴァリンの心に静かに火をつけて対抗心を燃やしていく。
「英雄色を好む、と言うでしょう? 私は何ごとにも旺盛で精力的な夫を愛しているんです。多少の女遊び程度目を瞑れなければやっていけませんもの。まぁ、実際辛いところもありますのよ? こうやっていちいち自分が一番愛されていると、私に言ってくる考えなしの愛人をいなすのも面倒ですから」
「それって私のことを言ってらっしゃるの……?」
「よかった。自覚があるようで。カリアン夫人が思った以上に賢くて助かります」
 追い詰めるように愉悦の笑みを浮かべると、それから逃げるように彼女はそっぽを向いて大人しく紅茶を飲み始めた。カップを持つ手が震えているのが何とも愉快だ。

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