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【1話】高良さんに逆らえません!~過保護な俺様社長は甘すぎて危険。~

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「おい」
 真剣な顔でパソコンと向き合いながら、忙しなく手をキーボードの上で動かしていた七海ななみ明莉あかりは、すぐ近くで発せられた低い声と肩に乗せられた大きな手の感触に驚いてびくりと肩を震わせた。
「びっ……くりした」
 驚いた瞬間ひゅっと吸い込んでしまった息を、思わず飛び出た言葉と共にゆっくりと吐き出す。
 こんな風に声を掛けてくる人はこのオフィスに一人しかいない。誰かはすぐに見当がついた。
 気を取り直すように一拍だけ置くと、明莉はゆっくりと後ろを振り返った。
「何でしょうか。ご用があったなら声を掛けてもらえたら」
「呼んだけど。聞こえてなかったみたいだからわざわざ来てやったんだよ」
 ため息をつきながら呆れたような視線を向けたのは、思った通りの人物。明莉の上司である高良たからあらただった。
 不満そうな高良を見て、明莉の顔にしまったという表情がちらりと浮かぶ。しかし明莉はすぐにそれを引っ込めて取り繕った。
「そ、それは失礼いたしました。ちょっと集中していたもので。で、なんでしょうか」
「ああ。今進行中のツクイの案件、やっぱり途中で一回チェック入れたいから、スケジュールにそのタスク足しといて」
 さらりと言われたその言葉に明莉の表情がさっとかげる。
「ええっ。あれはもう進行がキツキツで。もともと納期が厳しいんですよ。それは高良さんもご存知で、だから途中チェックは入れないって」
「そのつもりだったんだけど、気が変わった」
 表情を変えずにばっさりと言い切った高良は、明莉の表情を見て眉をひそめる。おそらく明莉の顔からは、納得のいかない様子が駄々洩れだったのだろう。それで明莉は高良が自分の意思を全く変えるつもりがないことを、二の句が告げられる前から分かってしまった。
 この顔は高良が明莉に言うことを聞かせようとする時によくする表情だ。
「最終チェックで俺がNGだしたらどうすんだよ。そっから全体的にやり直しになったら納品に間に合わなくなる可能性もあるだろ。間で一回入れとけば方向性のすり合わせができる」
「そ、それはそうかもしれないですけど……」
 案の定、こちらが納得するしかないようなことを言われて、明莉はもごもごと口ごもった。その間で、とりあえず頭の中をフル回転させて改めて言われた案件のスケジュールをなぞってみる。
 ――だめだ。
 明莉は早々に結論を出した。本当にキツキツなのだ。元々先方に提示された納品日が作業必要日数を半ば無視しているような、けっこう無茶な日取りだった。しかしそれで高良が了承した以上、何とかしなければならない。だから工程表を前に悩みながら苦労し、製作スタッフにスケジュール調整を頼み込み何度も組み立て直してやっと形にしたという経緯がある代物だ。これ以上どうやって新しいタスクを追加すればいいのだ。
 頭に無理という言葉が浮かんで、安易には頷けなかった。しかし明莉の立場的にも性格的にも心情的にも高良の言葉を突っぱねることはできない。だから煮え切らない態度で困ったように高良を見つめた。
「ま、お前なら何とか調整できるだろ。そういうことでよろしく」
 しかし、明莉の願いもむなしく、高良はあっさりとそう言い置いて去って行こうとする。明莉は慌てて声を上げた。
「いやいやそんな簡単に。待ってください。これ以上の調整は本当に厳しくて……!」
 明莉の声に高良の身体がぴたりと動きを止める。振り向いたその表情には、ひどく優し気な笑みが浮かんでいた。
「ナナ、できるだろお前なら」
 明莉はその笑みに、まるでバッテリー切れにでもあったように動きを止めた。納得はいっていない。無理なものは無理だ。でもまるで魔法に掛けられたかのように、明莉の口は勝手に動いた。
「……はい」
「よろしくな。じゃ、俺ちょっと出てくるから」
 口の端を上げて満足気に笑うと、今度こそ高良はくるりと背を向けた。

 まただ。また頷かされてしまった。
 高良が去ると、はあ、と大きな息を吐いて明莉はデスクで額を押さえた。
 どうも明莉は高良のある種の笑みに弱い。そして、あの呼び方。普段高良は明莉のことを『七海』と苗字をきちんと呼ぶが、ああいう時にだけ、ナナ、と短くして呼ぶのだ。
 分かってやっている、と思う。ああいう風にすれば明莉が言うことを聞くと。そこまで分かっているのに、次こそは毅然と断ろうと思うのに、やっぱり馬鹿みたいに簡単に頷いてしまう。
 自分がそうしてしまう理由も明莉にはもちろん分かっていた。もちろん上司だからということもある。明莉は性格的に目上の者に意見を言えるようなタイプではない。たとえそれが理不尽なことであってもだ。でも、高良に限って言えば、純粋にそれだけではない。
「七海さんって本当に社長にあまあい」
 不意に横で特徴のある舌たらずな声が聞こえた。見ればそこには一人の人物が立っている。視線が合うと意味ありげに微笑まれた。
「佐和ちゃん」
 明莉にとっては後輩にあたる、同僚の佐和田さわだ奈緒なおだった。いつからいたのだろう。思わず首をかしげると、佐和田は明莉を見て肩を竦めた。
「七海さんの気持ちも分からなくはないですけどね。社長って七海さんには特に俺様だし。あんな言い方されたら絶対断りづらい」
 話しながら佐和田は明莉に身を寄せると、途中から内緒話でもするように声を潜めた。言い終わった後に訳知り顔でうんうんと頷いてみせる佐和田に明莉は苦笑いを浮かべた。
 明莉が働くここ『ACT』は、動画広告などの企画・制作や、広告コンテンツの配信サービスを行っている会社だ。そこまで従業員数は多くないものの、右肩上がりで業績を伸ばしている。社長は先ほど、明莉に無茶振りしていった高良が務めていて、ACTは高良が友人と立ち上げた会社だった。

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