【試し読み】混血騎士の秘めた執愛~こじらせた想いは月のない夜に~

作家:上原緒弥
イラスト:SHABON
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2020/10/27
販売価格:700円
あらすじ

ルイサは幼い頃に婚約したエドガルドとの関係が未だに〝婚約者〟であることに悩んでいた。魔族と人間の混血として生まれ、中性的な容姿から苛められることが多かったエドガルドは、いつしかルイサの背を追い越し、男らしく成長。そのことに寂しさを感じながら、彼女は彼を恋い慕う気持ちを素直に伝えられずにいた。それはエドガルドが成長するにつれルイサを避けるようになっていたからだ。結婚に進みもしなければ白紙にもならない。そんな曖昧な関係が続いていたある日、エドガルドが倒れたという知らせを受け、駆けつけたルイサを彼は拒絶し帰そうとする。──嫌われてもいいから助けたい。そう言ったルイサをエドガルドは熱く求めてきて……?

登場人物
ルイサ
明朗快活で芯の強い伯爵令嬢。婚約者であるエドガルドとの曖昧な関係に悩んでいる。
エドガルド
魔族と人間の混血。幼い時に容姿を理由に苛められていたところをルイサに助けられる。
試し読み

【 プロローグ 】

 この世界は、ふたつの世界で構成されている。
 ひとつは、人間が治めている人間界。そしてもうひとつは、魔族が治めている魔界である。
 人間界はさらに四つの国にわかれ、四人の人物によって治められているが、魔界はもうずっと前から、世代交代はあるにしろ、ひとりの人物──魔王という存在によって統治されていた。
 人間界と魔界は長く争いの絶えない関係だった。同じ人間同士でも戦争が多かったのに、異種族であり、特殊な能力を持った魔族を恐ろしく思い、人間たちが排除しようとするのは当然だろう。
 また、魔族たちも人間たちをか弱く、愚かな種族として見ていたため、両者の生活が混じり合うことはなかった。
 しかし今から百五十年ほど前に人間界の四つの国が同盟を組み、人間同士での大きな争いがなくなった。それから五十年が経ち、今から百年ほど前──その中のひとつの国の王が魔族と交流を持ったことから魔界と人間界も同盟を組んだ。そして、その縁が今日までずっと続いている。
 同盟はいくつもの条件を含んだ上で締結された。その中には人間界の者を魔界へ、魔界の者を人間界へ向かわせるという形も取られ、中でも政略結婚という手段は一番多く用いられた。
 同盟を強固にするために一番手早いのは、王族の血族者を相手の国へ嫁がせることだ。悪く言えば、人質である。だから数十年前に現魔王の年の離れた妹が人間界の貴族に降嫁したことは当時とても話題になった。
 今となっては、人間界のそれぞれの国に魔族が歩いていることは珍しくない。魔界へも自由に行けるようになっている。文化が入り交じる人通りの多い都市では、柔軟な若者を中心に魔族の存在は浸透していった。
 しかし、貴族の間では未だに魔族を嫌悪する者も少なくなかった。

     ※

 人間の両親の元に生まれたルイサ・エッジワースが、人間の父と魔族の母を持つエドガルド・スタンレイと出会ったのは、まだ彼女が幼く、人間と魔族という種族は知っていても、その違いまではわからない、そんな年頃のときだ。
 初めて彼と会った宮殿でのガーデンパーティーでの出会いを、ルイサは鮮明に覚えている。
 その日、朝からルイサは頬を膨らませて、使用人たちを困らせていた。彼女たちの手には、可愛らしいドレスや髪を飾るひらひらのリボンがある。普通の女の子ならば喜ぶものだったけれど、幼いルイサは着飾るということがあまり好きではなかった。
 何故なら彼女は屋敷で本を読んだり、おままごとをして遊ぶよりも、外に出て庭師と庭の手入れをしたり、父の後ろをついて、領地で暮らす農民たちのところでその仕事ぶりを見たり手伝ったりする方が好きだったのだ。
 だから当然、その日も宮殿に行くために動きづらいドレスを着ることが嫌だったし、支度が終わり、馬車に乗り込んでも頬を膨らませていた。大好きな姉が手を引いてくれるから、渋々それに従い、宮殿に足を踏み入れる。
 だがルイサは、会場になっている庭が目に入った瞬間、サファイアブルーの瞳をきらきらと輝かせる。
 色とりどりの花々が咲き誇る庭園は、とても美しい。庭師が丹念に手入れをしているのか、太陽の光を浴びて輝く緑も鮮やかだった。
 自身の生家である伯爵家の庭も顔馴染みの庭師が整えてくれて綺麗だが、宮殿の庭の美しさは比ではない。
 チューリップにアネモネ、フリージアにワスレナグサ。色とりどりのバラ。それ以外にも見たことのない花がある。思わず、その美しさにルイサは見惚れた。
「ルイサ?」
 姉のリヴィアの声で、ルイサははっと我に返る。
「ご、ごめんなさい、お姉様」
 慌てて視線を逸らしつつ、ルイサは再び姉の手を取った。
 ルイサは伯爵家の娘として、このガーデンパーティーに招かれているのだ。今はまだ姿が見えないが、王妃様や王太子、姫君も姿を見せるらしい。
 そしてこの場には他家の令息や令嬢も多く集っている。領地でならば良いが、この場で粗相をすれば大好きな家族に迷惑を掛けることになる。
 そう思って最初のうちは両親と姉の後ろに付いていたのだけれど、次第に気持ちは上の空になっていく。はっきり言えば、退屈なのだ。
 大人たちはルイサにはわからない難しい話をしているし、淑女の鑑のような姉は同年代の令嬢たちと会話をしている。時折ルイサを気にしてくれるのが申し訳なかった。
 ──少しだけ、お散歩してきても、いいかな……
 じっとしているよりも、動いている方がルイサは好きなのだ。幸いなことに庭全体が会場とされていて、護衛の騎士も至るところにいる。
 ちらりと両親と姉の姿を横目で見ると、彼らの視線が自分に向いていないことを確認し、ルイサはそっとその場から距離を取った。そして色とりどりの花と鮮やかな緑の葉の隙間に体を滑り込ませる。
 周りを花と緑に囲まれながら、ルイサは生き生きとした足取りで先へと進んでいった。初めて見た花をしっかりと目に焼き付け、帰ったら何という花か庭師に聞いてみようと意気込んで。
 そうしてまるで冒険しているかのように楽しい気分になりながら歩いていると、どうやらだいぶ奥の方まで来てしまったらしい。人の声が少し遠くに聞こえた。
 これ以上遠くに行ったら、恐らく戻れなくなるだろう。幸いにも一本道だったので、戻るのは難しくない。
 そう判断し、その場に背中を向けようとしたルイサだったが、
「っ化け物のくせに!」
 そんな叫び声が聞こえてきて動きを止めた。声がしたのは、少し逸れた庭木の先だ。
 知らないふりをすることも考えたが、聞こえてきた声が強い口調だったので、どうしても気になり道を逸れて、そちらへ向かう。
 庭木の陰からこっそりと顔を覗かせると、そこには四人ほどの男子がいた。背を向けられていて正確な年齢はわからないが、体格からしてルイサよりも年上だろうか。
 そしてよく見れば、彼らの前にはもうひとりいるようだった。だが姿はよく見えない。その子は地面に膝を突いて俯いていたからだ。辛うじてわかるのは、その白銀の髪と小柄ということぐらいか。
「父上が言っていたぞ。お前は化け物の子だから、この国にいるべきではないって」
 ルイサはその言葉に眉を顰める。言葉の意味が、よくわからない。化け物の子とはどういうことだろう? それに、この国にいるべきではない人などいないはずだ。
 だが話がわからない以上、無闇に首を突っ込むのは憚られた。
 どうしようかとルイサがはらはらとしていると、俯いていたその子が不意に顔を上げた。
 ──目が、紅い……?
 ルイサの視線に気付いたのか、その子の目が見開かれている。だから、あまり見かけないその瞳の色に気付くことができた。
 紅玉のように真っ赤な瞳。見入ってしまいそうなほどに、綺麗だった。
 その色が、ルイサの住む世界──【人間界】とは違う、【魔界】という国で魔王の一族だけが持つ特別な色彩の瞳だということを知ったのは、この日よりあとのことだ。
 だからとにかくそのときは、ただただ美しいと思った。
 髪の色が銀だということはわかっていたが、瞳の色と合わさるとまるでウサギのようだ。髪も肩ぐらいまでの長さがあり、肌の色も白を通り越して青白い。年の頃は、見た目で測ればルイサよりも年下だろうか。
 思わず目を離せずにいると、その子はルイサをじっと見つめながらくちびるを動かした。
 ──に、げ、て。
 声のない言葉は、ルイサにそう告げていた。
 咄嗟に反応できず、固まってしまう。だがその子はルイサをじっと見つめて、小さく笑った。頭上からは未だに心ない言葉が降り注いでいる状況にもかかわらずだ。
「老人みたいな白い髪に、血みたいな紅い目……気持ち悪い」
 言われているのは自分ではないのに、ルイサの方が泣きたくなってくる。
 ──だいじょうぶ、だから。
 ──はやく、いって。
 ぐっとくちびるを噛み締めて、ルイサはその場から離れ、元来た道まであとずさった。後ろから声が聞こえたが、内容を把握する前に駆け出した。いつもは動きやすいドレスなので走りにくくて仕方がなかったが、早く戻らなければと思い、必死に足を動かす。
 あの子を取り囲んでいた少年たちは自分よりも年上だろう。体も大きかったし、四人もいた。か弱くはないが、力のない自分ではあの子の力にはなれない。
 近くに頼れそうな人はいなかった。ならば一番信頼できる、父に助けてもらわないと。

 戻る道も一本道だが、行くときよりも時間が掛かったような気がした。気持ちが焦っているからだろうか。
 賑やかな声のする場所が近付いてくる。やっとのことで庭木の隙間から出ると、ルイサは辺りを見回した。父はすぐに見つかり、傍には母と姉もいて、何やら神妙な顔付きで話しているようだ。
「お父さま……っ」
「ッルイサ、一体どこに──」
「おさんぽ! それでね、えーと、ええと……」
 近付いてきたルイサに目を見開き、父はどこへ行っていたのかと尋ねてくる。だが、ルイサはそれどころではなかった。伯爵家の娘としてしっかり振る舞わないといけないのに、とにかくあの子のところへ行かないと、ということで思考は埋め尽くされていた。
「と、とにかく、来て!」
 上手く説明できる気がしなくて、伸びてきた父の手を引っ張り、出入り口として作られたところから庭木の中に入っていく。
 娘に甘い父は、動揺しながらもルイサに引っ張られるままに付いてきてくれる。
 しかし助けると言っても、どうやって助けたらいいのだろう?
 勢いのままで父を連れてきてしまったが、もしも相手が伯爵位を持つルイサの父より上の家だったら、逆にこちらが不利なのではないだろうか。そうなれば父に迷惑を掛けることになる。
 今さら思い至った事態に、ルイサは蒼白になった。あの子が囲まれていた場所まではすぐなのに、ここに来て足が止まってしまう。
「ルイサ、元気なのは良いが、私をここまで連れてきて、何かあったのか? 散歩をしていたと言っていたが、落とし物でもしたのかい」
「落としもの……そ、そう、お散歩をしているときに、落としものをしてしまったの!」
 父の言葉で、落とし物を探しに来たことにすればいいと咄嗟に思い付く。父にはきちんとあとで説明するつもりだ。
 できるだけ遠くまで聞こえるように、声を大きくする。
「でもどこに落としたかわからなくなってしまって……ごめんなさい、お父さま……っ」
 そう告げると、父はひとつ息を吐いた。
「わかった、一緒に探そう。だが今度からは、その場を離れるなら必ず誰かに声を掛けていくんだ。いいね」
「ごめんなさい……」
「ラウラも、リヴィアも心配していた。戻ったら、謝るのだよ」
「はい」
 ラウラは、母のことだ。頷いたら父は頭を撫でてくれた。
「さて、ルイサの落とし物を探しに行こうか。何を落としたんだい?」
「えっ」
 改めて問われて、返す言葉がない。何せ落とし物などしていないのだ。
「ルイサ?」
 父が不審げにルイサを見つめる。何と言えばいいのだろうと言葉を探していると、足音と人の声が聞こえてきた。
「あ……」
 思わず声が上がる。そちらに視線を向けると、先ほどルイサが逸れたわき道から少年たちが出てくるところだった。
 彼らはルイサたちに気付き、こちらに歩いてくると立ち止まって会釈をしてくる。父はどうやら先頭に立つ少年の顔を知っているようだ。だからなのだろうか、彼らの笑みはひどくぎこちなかった。
「す、すみませんが、急いでおりまして……お手前を失礼致します。い、行くぞ」
 父と一言二言言葉を交わしたあと視線を泳がせた先頭の少年に連れられ、彼らは今し方ルイサたちが歩いてきた方へと急ぎ足で去っていく。
 どうやら先ほどルイサがここにいたことに彼らは気付かなかったらしい。
 そっと胸を撫で下ろしながら父を見上げると、先ほどまでは笑みを浮かべていたはずの表情を険しいものにして、彼らの背中を見つめていた。温厚な父にしては珍しい顔だ。そんなことを思いながら、はっとしたルイサは少年たちの姿が見えなくなったのを確認して駆け出した。
「ルイサ?」
 父が驚いたような声で名前を呼んできたが、気にしてはいられなかった。向かうのは一本道を逸れ、こっそりと隠れて覗き込んだ庭木の先──建物の陰になり、行き止まりになったその場所に、その子はうずくまっていた。
 ルイサは深呼吸をひとつする。驚かせないように静かに近付いて、そっと手を差し出した。
「……大丈夫?」
 声を掛けると、その子はびくりと肩を震わせる。そしてゆっくりと顔を上げた。
 さらさらと流れる銀色の髪が揺れ、見上げてくる瞳はやはり紅い。縁取る睫毛は長く、近くで見てもまるで人形のように整った容姿をしていた。肌は青白く、線は細く小柄で、ルイサよりも背は低い。ハーフパンツを穿いているということは男の子なのだろうが、どこから見ても、可憐な少女にしか見えなかった。
 その子はこくりと頷いて、華奢な手を持ち上げた。しかしその手が砂に汚れていることに気付き、下ろそうとする。ルイサはその手を取って、砂ぼこりを払いながら笑いかけた。
「さっきはありがとう。けが、してない?」
「っだ、いじょうぶ」
 外見も可憐なら、その声もか細く、可愛らしかった。
 良かったとほっと息を零す。それにしても、この子に一体何があったのだろうか。化け物だとか言われていたが、外見からはそうは見えない。
「……あまり僕と関わらない方が、いいと思うよ」
「え?」
 ぽつりと呟かれた言葉に、ルイサは目を瞬かせる。
「僕は人間じゃない……化け物だから」
 先ほど浮かべてくれた笑みとは違う、今にも泣きそうな笑い顔で言われて、ルイサは一瞬言葉を失う。だが、彼女はそれで話を終わりにはしなかった。ぐいと顔を近付けて、至近距離で紅い瞳を見つめる。
 言葉をなくしたように固まってしまったのは、相手の方だった。
「どこが、化け物なの。目はふたつあるし鼻と口もある。銀色の髪は月の光のようだし目は紅玉のように美しくて、ずっと見ていたいぐらい。少なくとも私には、同じに見えるけれど。あなたが化け物だと言うなら、私だって化け物だわ」
 美醜で言えば、ルイサは勝てない。けしてルイサが可愛くないとか美しくないというわけではない。けれど圧倒的に相手の方が美しかった。人間離れした美しさを持っているから化け物だと言うのなら、それは化け物とは言わないだろう。
 相手はぽかんと目を見開いて、口を開けて、自信満々に言い切ったルイサを見つめている。と思ったら、次の瞬間、その美しい目から涙を零し始めた。
 ルイサは美しい人は泣き顔まで美しいのね、と見惚れてしまう。しかし、見惚れている場合ではない。
「ご、ごめんなさい、そんなに嫌がられるとは思わなくて……ええと」
「っ嫌じゃ、ないし、君は化け物なんかじゃ、ない」
「あ、ありがとう……?」
 果たしてここはお礼を言っていいところだっただろうか。迷いながらも、会話を続けるためにお礼を伝える。
 ハンカチで涙を拭ってあげたかったが、生憎と持ち合わせていなかった。だからと言ってドレスの袖で拭いてあげるのもどうなのだろう。嗚咽を零す人を前にどうするべきなのか判断に困り、あたふたしてしまう。
 しばらくそうしてルイサが右往左往していると、
「エドガルド」
 背後から低い声が聞こえてきて、誰かの名前を呼んだ。ルイサが振り返ると、銀色の髪をひとつに束ね、正装を着こなした、とても格好良い男の人がいる。その後ろには不安そうな表情でこちらを見る父の姿があった。
「……ち、ちうえ」
 呼ばれた名前は男児に付けるもので、目の前のこの子はやはり男の子だったらしい。呼び掛けられたのは目の前で泣いている少年で、呼び掛けたのは彼の父親のようだ。言われてみれば、よく似ていた。
 泣いている少年に、彼の父親は近付いてくる。そうなると当然、少年の前に立っているルイサとも距離が近付くことになる。
 心臓が、嫌な音を立てていた。彼を助けたはずだった。けれど、それはルイサたちがここに来る前を知らなければ成立しない行為だ。だから今の状況だけを見れば、ルイサが彼を苛めて泣かせたと、そういうふうにも取れる。まだ子どものルイサでも、それは理解できた。
 思わずルイサは一歩あとずさる。苛めたのは事実無根だが、泣かせたのは自分だ。
 彼の父親は息子に近付き、腰を落とした。視線を同じ高さにする。
「彼女が困っているようだよ。言いたいことがあるなら、きちんと言いなさい」
 静かに、諭すような声だった。向けられた瞳は優しく、それは息子を苛めた者に向ける目ではない。少年は父のその声にはっとしたように涙を拭った。
 そして真っ直ぐにルイサを見つめて、口を開く。
「同じだって言ってくれて、嬉しかった。……綺麗って言ってくれて、ありが、とう」
 青白かった頬に赤みが差す。逃げてと言ったときとも、化け物だからと言ったときとも違う、嬉しさから来る笑みを浮かべて、彼は言った。
「先ほど息子の出自を疎んでいる家の少年たちが気になる話をしていてね。もしやと思って駆け付けたら、君が助けてくれたところだった。私からも礼を言わせて欲しい」
 端整な顔立ちの男性に微笑まれて、恥ずかしくなったルイサは微かに顔を赤くして、俯きながら首を横に振った。
 ──その姿を見た少年がむっとした顔で、父親を見上げる。その視線に思うところがあったのか。息子に見上げられた父親は、小さく笑みを零した。
「おや、エド、男の嫉妬は見苦しいよ」
「っ嫉妬では、ありません」
 すぐ傍でそんな会話が繰り広げられていたが、ルイサにその言葉の意図はわからなかった。
「ルイサ!」
 緊張感が解けたからだろうか。慌てふためいた様子で、父が駆け寄ってきた。良かったと抱き締められて、またもや心配させてしまったことに罪悪感を抱く。そして嘘を吐いたことも。
「あそこにいるのに飽きて散歩をしていたら、この子がさっきの男の子たちに囲まれているのが見えて……逃げてって言ってくれたけど、どうしても放っておけなくて、お父さまに助けて欲しくて、落としものをしたって嘘を言ったの。……ごめんなさい」
「いや、お前が優しい子に育って、私は嬉しいよ。だがこれからは先に言っておくれ。こんなにもはらはらしたのは、お前が熱病で数日目覚めなかったとき以来だ……」
 抱き締めている父の腕が震えている。ごめんなさい、ともう一度告げて、父の言葉に何度も頷いた。
 とんとんと背中を二度、叩かれる。そして父の体は離れていった。
「──公爵様、ご子息様、見苦しいところをお見せして、申し訳ございません」
「気にしないでくれ。あなたの娘は真っ直ぐに育った、とても良い子だ。もしもこれから先も息子と仲良くしてくれるようなら、嬉しいと思う」
「恐れ入ります……!」
「だが無理強いはしない。これは命令ではなく、お願いだ」
 ちらりと視線を向けられる。首を傾げると、「あなたにもそのうちわかる」と告げられた。先ほどの少年に似た、少し寂しげな笑みを浮かべて。

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