【試し読み】年下カレシの溺愛アプローチ~こじらせOLはぐるぐるする~

作家:皐月もも
イラスト:まりきち
レーベル:夢中文庫ペアーレ
発売日:2020/10/13
販売価格:400円
あらすじ

「イメージなんて、所詮は他人の勝手な想像ですよ」――見かけによらず可愛いもの大好きな優菜は会社勤めの傍らぬいぐるみの病院『もふもふクリニック』で修繕のバイト中。大好きなぬいぐるみに囲まれたこの生活はイメージじゃないと言われることが嫌でずっと秘密にしてきた。ところが、会社の後輩大樹が3歳の女の子紬とクリニックにやってきて大ピンチ! 好感を抱いていた優秀な後輩に子どもがいたことにショックを受けるとともに秘密を知られ焦る優菜。結局、「会社に内緒にする」という条件で紬のぬいぐるみを治療することに……。「お礼」と称して親密になっていく大樹との関係。勘違いはダメ! なのにドキドキは止まらなくて――?

登場人物
三橋優菜(みつはしゆうな)
クールな見た目とは裏腹に可愛いもの好き。会社勤めの傍らぬいぐるみ修繕のバイトをしている。
相原大樹(あいはらだいき)
気配り上手で仕事のデキる後輩。優菜の秘密を守るという約束でぬいぐるみを治療してもらう。
試し読み

 終業のチャイムが鳴って、優菜ゆうなはパソコンの電源を落とした。
(今日も残業なし!)
 同僚たちも一斉に帰り支度を始めた様子を見ると、どの社員も滞りなく仕事を終えたようだ。
 そうして騒がしくなったフロアの音を聞き流しつつ、優菜はデスクの上を片付け始めた。
 三橋みつはし優菜、二十七歳。輸入雑貨を取り扱う小さな会社で働いている。
 勤め先は駅に近いビルのワンフロアがオフィスで、社員は二十名程度だ。長く働いている人が多く、雰囲気もいい。よくある求人広告の謳い文句のようだが、「アットホーム」な職場である。
 社長が海外での勤務経験があるためなのか、社内規則も緩く、いろいろと融通してくれるので働きやすい。もちろん、しっかり仕事をこなすことが条件ではあるけれど。
 優菜はこの会社で海外との貿易関係の事務仕事をしている。たまに取引先とのやりとりで時間外業務が発生することはあるが、それは時差があるため仕方がない。残業代はしっかり出るし、休日出勤の場合は代休をもらえるので不満はなかった。
(そのおかげで、好きなことも続けられるし)
 毎日定時で仕事を終え、趣味に時間を費やせるのが一番嬉しい。特に今日──金曜日の仕事終わりは気持ちが舞い上がる。
 帰宅してから週末まで、ずっと趣味の時間なのだから。
 優菜は心の中で浮かれつつ、引き出しから取り出したカバンに私物をしまっていく。
「三橋先輩」
「──っ!?」
 すると、突然背後から声をかけられて大げさなほど肩が跳ねた。
 慌ててカバンの口を閉じて振り返れば、後輩の相原あいはら大樹だいきが驚いたような、バツの悪そうな顔で立っていた。
「あ、すみません……驚かせてしまいましたか?」
「う、ううん。ごめんね。えっと、何か用だった?」
 優菜はドキドキするのを誤魔化すようにカバンの口をぎゅっと握り締め、大樹を見上げる。
 整った顔立ちの中で、特に優しそうな目元が女性の心を掴んでいることは間違いない。落ち着いた茶色に染めた髪は短くて清潔感があり、身だしなみもきっちりしている。
 二つ年下の後輩は、明るくてムードメーカー、さらに仕事もできる優秀な営業担当だ。
「いえ、大した用ではないんですが……今日も飲みには行かないのかな……と」
 彼はやや逡巡するように視線を泳がせた後、優菜に視線を戻して問う。
 金曜の夜、同僚たちはよくみんなで飲みに行くのだが、優菜の出席率は低い。
 もちろん参加は自由。大樹はほとんど顔を出さない優菜を気遣って、よくこうして声をかけてくれていた。
 ハキハキと自分の主張もできるが、押しつけがましさはなく、細やかな気配りで営業成績もいい。やや迷っていた様子からすると、強制参加でもないのに毎回出欠確認のようなことをするのに気が引けているのだろう。
(こういうことを自然にできる人ってモテるんだろうな……)
 座ったまま大樹を見上げて、しみじみと思う。
 優菜自身、自分にはない素直さや明るさを持った彼には憧れる。仕事ができるのも毎日のように見ているから、頼りがいもある。
 大樹と最後に飲みに行ったのはいつだっただろうか。本当は自分ももっと彼と交流を持ちたいと思っているのに、現実はうまくいかない。
 そもそも大勢の集まりに行って大樹と話せるかといえば、答えは否だ。女性社員だけでなく男性社員にも人気の彼は、いつも引っ張りだこ──二人きりでゆっくり話すことは難しい。
「えぇと……ごめんね。いつも声をかけてくれるのに悪いんだけど、今日もちょっと友達と約束があって……」
 後輩の気遣いを無下にはしたくないが、優菜にも優先順位というものがある。
 たかが趣味とはいえ、明日は大事な予定があるため、今日はその準備をしなくてはならないのだ。
「優菜先輩、金曜日はいつも友達と約束って言ってますけど、本当は彼氏なんじゃないですか~?」
 そこへやってきたのは、加藤かとう美咲みさき──大樹と同期の女性社員だ。ふわふわにカールさせた髪の毛に目元を強調したメイクで可愛らしい。ちなみに経理担当だ。
 美咲は大樹の腕を掴み、彼の背後から優菜を覗き込むようにする。
「そんなんじゃないよ。大学時代の友達で……」
「友達って男ですか? そんなに毎週のように会うのに『彼氏じゃない』なんて、かわいそう! 相手はそう思っていないですよ。優菜先輩、美人なんだし、男の人はすぐ勘違いしますよ? 向こうは彼氏だと思ってるかも」
 美咲はどうしても優菜に彼氏がいるということにしたいらしい。優菜は苦笑しつつ首を横に振る。
「そんなわけないでしょう。その子は女の子だし」
「え~?」
 否定しても疑いの目を向ける優菜に、心の中でため息をついた。
(早く帰りたいんだけどな……)
 机の上の私物もまだカバンに入れられていない。だが、ここで大っぴらにカバンを広げることもできず、優菜はチラリと時計を見た。
 あと十分ほどでいつも乗っている電車が来てしまう。駅までは歩いて五分なので、そろそろ切り上げないと……
 そんなことを考えていると、大樹が腕に触れていた美咲の手をやんわりと退け、口を開いた。
「加藤さん、あんまりプライバシーを詮索したら迷惑になるよ。ほら、みんな行っちゃったし、俺たちもそろそろお店に向かわないと」
「あっ、そうだね」
 大樹に促されて美咲が出入り口へ向かう。それを追いかけつつ、彼は優菜を振り返った。
「三橋先輩、今度はぜひ参加してくださいね。それじゃあ、お疲れ様です」
「あ……うん、お疲れ様」
 二人並んでエレベーターに乗る後ろ姿を見て、なんとなく胸の奥が痛くなる。
 大樹はああいう可愛い子のほうがタイプなのだろうか。
(美人、か……)
 そう言われること自体に悪い気はしないし、周囲にそう思われる容姿に産んでくれた親には感謝している。
 ただ、優菜はその付き合いの悪さからか、どうも〝さっぱり〟した性格だと思われているらしい。一度も染めたことがない黒髪も冷たい印象を与えてしまうのかもしれないし、喋ることが得意ではないせいもあるだろう。
 幼い頃から大人っぽいと言われ続け、なんとなく周囲のイメージに合わせるように自分を繕ってきてしまった。そのツケは、優菜の心に劣等感のような感情となって染みついている。
(本当は、もっと可愛いものが好きなんだけどな……)
 機能性重視の手帳と筆記用具をカバンに入れて、内ポケットを覗き込む。そこから顔を出すヒトデのぬいぐるみを指で突いて、優菜は席を立った。

 優菜の借りているアパートは会社から二駅先、最寄り駅からは徒歩十分ほどの割と静かな場所にある。
 通勤時間は三十分ほどで、有効に使える時間が多く確保できるので気に入っていた。
 街灯も多く、駅周辺の道は人通りもあって、歩くのにも安心だ。
 アパートの外階段を上がって、奥の角部屋が優菜の部屋──かなり条件のいい場所を借りられたのは幸運だった。
「ただいま」
 玄関を入ると、左側にバス・トイレがある。廊下を抜けた先はキッチンダイニング、その奥に寝室だ。ダイニングと寝室の間には引き戸があって仕切れるが、開けっ放しにしているほうが広く感じられるので、料理をするとき以外は開放している。
 手洗いを済ませ、部屋着に着替えた後、ダイニングの小さなソファに腰を下ろすと一気に力が抜けた。
「くまちゃん、ただいま~」
 優菜はソファに座っているシロクマのぬいぐるみを持ち上げて話しかける。
 小さい頃、水族館で祖母に買ってもらったぬいぐるみは今も一番のお気に入りだ。「くまちゃん」という名前は、当時そのように呼んでいたのが定着してしまっただけで、けっして優菜のネーミングセンスに問題があるわけではない。
「くまちゃんも、そろそろお風呂に入らないとね」
 毎日抱いて寝ているせいで、白い布は汚れている。綿もぺったりしてきたので、入れ替えたほうがいいかもしれない。
「日曜日に他の子たちと一緒に入れようかな」
 頭の中で予定を確認しつつ、優菜はくまちゃんをソファに座り直させ、キッチンへ向かった。
 ケトルに水を入れてスイッチを入れてから、冷蔵庫の中の作り置きおかずを皿に盛ってレンジへ入れる。
 予約炊飯しておいたご飯を茶碗に盛り、コップにお茶を注ぐ。湯が沸いたらインスタントの味噌汁を作り、温まったおかずと一緒にすべての食器をお盆に載せたら、小さなダイニングテーブルで夕飯だ。
 適当なテレビ番組を見つつ、手早く食事と片付けを済ませると、くまちゃんを抱いて寝室へ行く。
 これが優菜の平日のルーティンだった。
 寝室の壁際には棚があり、そこにはぎっしりとぬいぐるみが並んでいる。優菜をよく知らない人が見たら、口を揃えて「意外」「イメージと違う」と言うだろう光景だけれど、彼女の心を一番癒やしてくれる。
 右の棚は優菜個人のコレクション用。実家にはもっとたくさんのぬいぐるみがいるが、アパートに持ってこられる数は多くなかったため、厳選に厳選を重ねたお気に入りのみ並べていた。
 真ん中の棚は最近ハマッている〝ヒトデ戦隊☆スターレンジャー〟のヒトデたち専用で、赤・青・ピンク・緑・黄色の五種類のキャラクターがいるのでカラフルな棚になっている。
 そして優菜が早く帰らなければならなかった理由が、左側にある病棟=棚だ。
 実は、優菜は会社勤めの傍ら『もふもふクリニック』というぬいぐるみ専門の病院を手伝っている。いわゆる副業で、入院中の患者の治療を平日夜に、土曜日には実際にクリニックに出勤して治療=ぬいぐるみの修繕を行う。
 今日の飲み会を断ったのは、明日の出勤時に病院へ戻る予定のぬいぐるみを治療しなければならないからだった。
 クリニックの院長は、大学時代の手芸サークル仲間だ。数年前に開業し、最近では雑誌などに取り上げられて、注目を集めている。
 それに比例して患者は増え、病院は医師=修理担当不足に悩まされており、優菜に白羽の矢が立ったというわけだ。
 当初はオンラインでの完全予約制で、入退院は郵送などを利用していたのだが、半年ほど前に都内に病院を構えてからはさらに忙しくなってしまった。
 優菜が毎週土曜日に出勤することになったのもその頃からである。平日の空き時間を利用した治療もしているので、自宅にも病棟用の棚を設置した。
 一段ずつ小さなベッドを並べた棚には、一段目と二段目にそれぞれウサギとカエルのぬいぐるみが寝ている。カエルは綿を抜いてあるのでのっぺりしたスキン姿だ。
 優菜はくまちゃんを自分のベッドに寝かせると、ローテーブルをラグの上に出した。裁縫箱と新しい綿を用意し、棚に寝ているカエルをローテーブルへ移動する。さらに病棟の一番上にいる看護師役のヒツジをテーブルの端に座らせた。ちなみに看護師は『もふもふクリニック』と刺繍の入ったエプロンと帽子を着用している。
「よし」
 優菜は声を出して気合いを入れてから、カエルの背から綿を詰めていく。一見簡単な作業に思えるが、これが意外と難しい。ぬいぐるみのフォルムや表情が入院前後で変わらないようにしなければならないからだ。
 タブレットで入院前のカエルの姿を確認しつつ、優菜は慎重に治療を進める。
 しっかりカエルが再現されたところで背を合わせて縫えば出来上がりだ。
(次は……パジャマね)
 『もふもふクリニック』では洋服作成オプションがあり、こちらも人気がある。
 ぬいぐるみにラップを巻いてテープでボディラインの印をつけ、白い布を当てて型紙の形をとっていく。縫い代をとりつつ、不要な布はカットして……型紙を起こしたら、カエルの主人が選んだ布で洋服を縫う。
 もくもくと作業をし、可愛いパジャマが出来上がったのは深夜を過ぎた頃だった。
 細かい作業で目が疲れているが、綺麗になって新調した服を着たぬいぐるみを見ると、達成感が湧き上がる。
 優菜は頬を緩め、カエルを病棟へ戻し「おやすみ」と声をかけた。
 それから後片付けをし、風呂で凝り固まった身体をほぐして自分もベッドに潜り込む。
 くまちゃんを抱きしめれば、心地いい疲れですぐに眠りに落ちるのだった。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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