【試し読み】甘い夜の続きを、もう一度~上司がクールな仮面を外すとき~
あらすじ
大手音響メーカーで働く千沙都は、入社3年目に異動を命じられる。そして新たに上司となったのは、かつて千沙都の初めてを捧げた相手、湊だった! しかし再会した彼は、クールで近寄りがたい雰囲気に。いまだ燻る恋心を自覚しつつも過去のことだと割り切り、あくまで上司と部下として接する千沙都。そんな中、千沙都は湊と二人で日帰りの出張に行くことに。帰り道、大雨に降られ家に帰れなくなってしまった千沙都は、半ば強引に湊の自宅に連れていかれる!? ――「あの夜の続きしない?」昔と変わらず〝千沙都〟と呼ぶ声に、甘く切ない思い出がよみがえって?
登場人物
異動先で初めてを捧げた相手・湊と再会。湊への思いを抱えながらも上司と部下の関係を続ける。
千沙都の初恋・初体験の相手。クールで近寄りがたい雰囲気になり、上司として再会した。
試し読み
始まりと終わり
私には七年経っても忘れられない恋がある。
当時を思い出すと、いつだって胸の奥をじりじりと焼け焦がすような切ない痛みが走る。
それなのに性懲りもなく過去の記憶に思いを馳せるのは、この痛みすらも愛おしく、かけがえのないものだからだ。
高校の卒業式を数日後に控えた私、藤崎千沙都は、もう何年も片想いをしている甲斐湊くんに、最初で最後の大胆なお願いをした。
「私を抱いてもらえませんか」
「……え? どういうこと?」
目を大きく見開いた湊くんの顔からは、いつもの余裕たっぷりな笑顔が消えている。
お兄ちゃんの部屋でひとりゲームをやっているところへ乗り込み、とんでもないお願いをした私に驚愕している湊くんを見て、相変わらず綺麗な顔だなと見惚れた。
もっと緊張すると予想していたけれど、思いのほか落ち着いている。部屋へ乗り込む前の方がよっぽどドキドキしていたかも。
湊くんは四つ上のお兄ちゃんの友人で、高校一年生から大学四年生の七年間、我が家に何度も遊びにきている。ふたりは今日もお酒を飲みながら夜通しゲームをすると言っていた。
実年齢より落ち着いて見える彼は、とっくに社会人として働いていそうな雰囲気を感じさせる大人な男性。
こうした外見と、ゲーム好きという中身のギャップにも胸をときめかせているなんて、湊くんは思いもしないだろうな。
私たちの間に流れる空気にそぐわない、軽快なゲームのBGMがやけに耳につく。
仕事熱心な父は出張、母は夜勤で不在。お兄ちゃんは先ほど、飲み会終わりの彼女に呼び出されて外出した。居酒屋から彼女を家まで送り、すぐに戻ってきたとしても、一時間以上はかかるのでしばらくは帰ってこない。
我がお兄ちゃんながら立派だと思う。大切にされている彼女が羨ましい。湊くんは、付き合った相手にどんなふうに接するのかな。
「あの、千沙都? 抱くってどういう……」
「言葉通りです。湊くんに処女をもらってほしいです」
かなり生々しい端的な返事に、湊くんは言葉を失ってそっと目を伏せた。
やっぱり無理だよね……。
分かっていながら微かに期待していた心がチクチクと痛む。
しばらく考え込んだ後、湊くんは顔を上げて探るような目で見てきた。
「千沙都は俺を好きなの?」
答えられない。私の気持ちは湊くんにとって負担にしかならないと思っていたので、最初から伝えるつもりはなかった。
「……付き合いたいとは思ってないです。一度だけでいいので……」
出来る限り動揺が表に出ないようにしたつもりだったが、答えるまでに少し時間がかかってしまった。
「そうなんだ」
私の言葉をどう思ったのかは分からない。
湊くんはやっとのことで聞き取れるくらいの吐息を漏らす。それから手にしていたコントローラーを床に置き、携帯電話を持って立ち上がった。
「千沙都の部屋でいいよね? 時間がないから優しくできないかもしれないけど」
事務的に言う湊くんの言葉にこくこくと頷くと、すぐに手を取られてお兄ちゃんの部屋を出る。
心臓がありえない速さで脈打っている。
本当にしてくれるなんて信じられない……。
優しくできないとか、一応気を使っているのかな。
自ら望んだのに夢のような現実を受け入れられなくて、私の部屋に入り、ベッドに押し倒されても心がふわふわと浮ついている。
しかし器用な所作で素早く服と下着を脱がされたところで、意識がはっきりとしてきた。
……やっぱり慣れている。
初めて顔を合わせてから七年もの間、彼女は片手では数えきれないほど変わっている。
だからこそ、私の無茶苦茶なお願いも聞いてもらえるかもしれないと思ったのだ。
それでもやっぱりショックだった。
容姿端麗な顔立ちに百八十は超える長身。色気のある低い声から繰り出される人懐っこい話術は、ありとあらゆる女性を惹きつけるらしい。同性であるお兄ちゃんが証言していたから事実なのだろう。
私も湊くんの顔と声は好き。でもそれ以上に、華やかな見た目とは裏腹に驚くほど学があり勤勉なところに惹かれている。
本当にたくさんの魅力を兼ね備えた人間なのよね。
私の高校受験の時だけでなく、高校生になってからも勉強を教えてくれたし、面倒見もいい。
初めて私に好きという感情を与えたのも湊くんだ。
「本当にいいの?」
身に着けていた衣服を全て脱がせてからのその台詞は、湊くんの優しさだと分かっているから余計に胸が締め付けられる。
「湊くんになら、なにされてもいい」
私の上に覆い被さる顔を、強い眼差しで見上げる。
強がりでもやけくそでもない。心から望んで放った言葉だった。
一瞬、湊くんの瞳から光が消えたような、曇りが走ったような気がした。
長い付き合いのなかでそんな表情を見たのは初めてだった。
どうしよう。やっぱり困らせているのかな……。
湊くんの心情が気になったけれど、シャツを脱いだ湊くんがすぐに落とした荒々しい口づけに、難しいことは考えられなくなる。
初めて経験するキスは、やはり少女漫画や恋愛小説で得た知識では補填できていなかった。
キスってこんなに激しいものなの……?
柔らかい唇が何度も私の唇をついばみ、吐息までも吸い取られて息が続かない。息苦しさから無意識に湊くんの背中に手を回す。
これが男の人の身体……。
ほっそりしていると思っていたのに、厚みがあってがっしりした体格に鼓動が痛いほど速くなる。
息苦しくなって開いた隙間から、熱い舌が侵入してきた。艶めかしい舌の動きが湊くんの意思だと考えたら、恥ずかしさと嬉しさから熱が上がって意識が朦朧とする。
細くて長く、それでいて逞しい指が私の肌を滑っていく。与えられる快楽に頭の芯が痺れて、身体がぶるっと震えた。
高校の卒業式を終えたら私は家を出る。大学により近い場所で一人暮らしを始めるのだ。実家から通えなくもないが、そろそろ自立したいと考えていたので決断した。湊くんも社会人として新たな生活が始まり、きっともう二度と会う機会はない。
湊くんの熱いくらいの体温に抱かれているというのに、切なさが奥底から溢れてきた。
「ごめん。余裕なくて……優しくできない」
甘く湿って絡みつくような声音には、人を惑わす力があると思った。
いつお兄ちゃんが帰ってくるか分からないし、焦る気持ちは当たり前だ。
「十分、優しいですよ?」
同情しか含まれていないはずなのに、愛情を注がれているように錯覚するのは、湊くんが出来る限り私を傷つけないようにしているから。
「ほんと、千沙都って……」
シーツに縫いとめられた手首に、湊くんの重みがぐっと加わる。
続きが聞きたいのに、湊くんは私の胸に顔を埋めて、敏感な部分に舌を這わした。
「やっ……」
思わず口から飛び出た自分のいやらしい声にびっくりして、同時に恥ずかしくなった。
「誰もいないんだから声出していいんだよ。それに、千沙都の声可愛くて好きだから聞かせて」
可愛いなんて男の人に言われたのは初めてだ。
返事をしたいのに、身体の奥底からせり上がってくる疼きが思考を奪う。
そこから先は論理的に考えるのは不可能だった。初めて与えられる快楽は、深い海に沈めようとしているかのように頭を朦朧とさせる。
意識を手放さないよう、頼りがいのある逞しい身体に必死に手を伸ばす。
湊くんを好きになってよかった。
最後にかけがえのない思い出をありがとう。
大好きだよ。
頬を一筋の涙が伝う。
焼けるような痛みと、甘く揺り動かす激情に抗わずに身を任せた。
火傷のように心に負った幸せな跡は、一生消えないだろう。
※この続きは製品版でお楽しみください。