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【4話】溺甘弁護士の真摯なプロポーズ~三年越しの約束を、もう一度~

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 旭はバッジを一度外してから裏向きにつけ直した。
 弁護士を志すようになって知ったのだが、彼等は普段バッジを目立つ形ではつけない。大抵の人たちは裏返して襟につけている。
 弁護士という職業は普段そんなに出歩かない。事務所以外に行くのはほとんどが法廷と警察署で、たまに顧問先の会社か弁護士会に行くくらいだ。だからバッジをつけず財布などに入れている人も多い。
 旭は無くすのが怖いからと、夏場ワイシャツ姿になるとき以外は裏返してつけている。
 弁護士バッジは金製ではなく銀製で金メッキが施されている。我妻先生のバッジは長年使用しているので金メッキが剥げて全体的に黒みを帯びていて、それがまたカッコいい。
 はたして私は、司法試験に受かって弁護士になれたとして、我妻先生のバッジのようにメッキが剥げるまでキャリアを積むことができるのだろうか。
 試験に二回落ちているということ以外に、私にはもうひとつ懸念がある。そちらの問題も解決しなければ将来が見えない。
「ありがとう。何度も足止めさせて悪い」
 旭は再び私の手を取って歩き始めた。
 さっき加賀美さんと話している間も手を繋いだままだった。会社の人間の前でも恥ずかしがらず、ごく自然にスキンシップを取るこういうところが好き。
 最近とくに旭とずっと一緒にいたいと感じるようになり、その想いは日を追うごとに加速していく。
 数ヶ月前から予約をしていたレストランで食事をするのだと文乃ちゃんに話したら、『プロポーズされるんじゃないですか?』と言われて一瞬だけ心が色めき立った。しかしそれはないと苦笑しながら首を振った。
 なぜなら私は、二十五歳の頃に一度旭からプロポーズを受けている。そしてそのとき断っている。
『司法試験に受かったら私と結婚してほしい』と伝えると、旭はとても真剣な面持ちでうなずいた。
 それから、『分かった。莉奈が司法試験に受かったら結婚しよう』という言葉をくれたのだ。
 私の意思を尊重しようとする旭をさらに好きになったし、夢を応援して待つという発言に、なんて素敵な恋人だろうと浮かれたりもした。
 けれど今になって、このまま司法試験に受からなかったら? という不安が出てきた。
 あの時結婚していれば、加賀美さんのような女性の存在に心をざわつかせたりしなかったかもしれない。
 弱気になっているのを自覚して、旭に気づかれないようにそっと息をついた。
 駅からほど近い、なかなか予約が取れないというイタリアンの名店までやって来る。
 建物の十二階にあるそのレストランは、イタリアンレストランを語るうえでこの店は外せないと言われているほどに有名らしい。
 私はあまり詳しくないのだが、『お祝いをするならここに行ってみたい』と旭が予約を入れたのだ。
 私たちは食の好みが似ているし好き嫌いもないので、外食の際はいつもリードしてくれる旭にお任せしている。
 そういう頼もしいところも好きだ。こうして私は毎日、旭への熱い想いを自覚している。
 店に入り旭が名前を告げると二人掛けの席へ案内された。
 カジュアルな雰囲気の店内は、小さいながら程よくまとまり落ち着きがある。
 メニューは基本的にお任せで、当日お勧めの食材を使って料理するスタイルだと旭から説明を受けた。
 次々と運ばれてくる料理を堪能してグラスにワインを注いでもらい、談笑しながら穏やかな時間を過ごす。
「今週末はリハビリだっけ?」
「うん」
 私は物心ついた頃から極度のあがり症で、緊張する場面になると目の前がぐるぐる回るくらい眩暈を起こし、冷や汗をかいたり、声が上擦って出なくなったりする。
 これまでどうにかやり過ごしてきたけれど、弁護士になったとして、この症状のせいで依頼者に不安を抱かせてしまうかもしれない。
 弁護士として生きていくのなら治さなければいけないと、一年前から認知行動療法というリハビリに通い始めた。
 これは気持ちを楽にしたり、行動をコントロールしたりする治療だ。
 最近では少しずつだが症状が改善されてきた。でも先ほど加賀美さんが突然話しかけてきたときのように、突発的な出来事にはとにかく弱い。動悸が激しくなり呼吸も浅くなる。
 旭はすべて分かったうえであの場をすぐに切り上げたのだ。改めて優しすぎる人だと思う。

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