【試し読み】麗しき孤独の王子は温泉迎賓館で転生令嬢を愛しむ

作家:熊野まゆ
イラスト:霧夢ラテ
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/5/18
販売価格:700円
あらすじ

アイリーンの夢は温泉迎賓館を経営すること。公爵令嬢なのに、なぜそんな望みを持っているのかというと、アイリーンには前世の記憶があり、そこでは愛莉という名で家族で温泉旅館を営んでいたからだ。このスプリンガレ国でも同じようにしたいと思うのだが、なかなかうまくいかない。そんなアイリーンに救いの手を差し伸べてくれたのが第二王子のオスニエルだった。オスニエル様はどうしてこんなによくしてくださるの? 彼を好きだと思うけれど、王子であるオスニエルでは家族で温泉迎賓館を営むことはできない。そんなある日の夜、アイリーンはオスニエルと二人きりになる。するとオスニエルはアイリーンのドレスを解き、肌に触れてきて――

登場人物
アイリーン
前世では家族で温泉旅館を営んでいた。公爵令嬢となった今でも同じように温泉迎賓館を経営することが夢。
オスニエル
第二王子。寄宿舎学校で孤立していたところをアイリーンに救われ、その御礼として迎賓館建設に協力する。
試し読み

第一章 茂みの奥の孤独な王子様

 茂みをかきわけて踊りでた先で目にしたのは、陽の光を閉じ込めたような髪と、湖の澄んだところだけを集めたような碧い瞳だった。
 まるで時間が止まってしまったかのように、彼から目が離せなくなった。

 十二歳のアイリーンはエイミス公爵家の庭を歩きまわって土質の観察をしていた。こうして庭を散策するようになったのは最近のことだ。図書室にある、土に関する本はすべて読んでしまった。
 空はよく晴れているが、アイリーンが見ているのは下ばかりである。
 ──うう……掘りたい!
 そういう衝動を抑えられなくなることがしばしばあり、そんなときは庭師に無理を言ってシャベルを借りる。そうしてひたすら土を掘る。
 レディらしからぬ行為だということはわかっている。邸の使用人たちに「落とし穴を作っているのでは」、「気に入らない人間を埋めるつもりなのでは」と噂されていることを知ってもなお、やめられない。
 ──この土は赤みがかってる。ここは、少し黄色っぽい。
 土を触り感触を確かめると、より深いところまで掘ってみたいという気持ちが強くなる。
「ねえ、この土はどういう特性があるのかしら?」
 そばにいた庭師に尋ねると「さあ、わかりかねます」と困ったような顔で返された。アイリーンはそれ以上なにも言えなくなる。
 ──もっと学びたいわ。
 このスプリンガレ国では学校へ行けるのは男子のみだ。女子は家庭教師から、結婚に必要な知識のみを学ぶのが一般的である。
 ──だって私には……欠けている。
 なにか大切な記憶が抜け落ちているような気がしてならないのだ。
「また穴を掘ってるのか」
 土にシャベルを突き立てたところで話しかけられた。二つ年上の兄、ノアだ。アイリーンと同じ淡褐色の瞳を細くして呆れている。彼の銀色の髪先もまた自分と同じようにカールしている。兄との違いは髪の長さだけだ。
「お兄様。お戻りになっていたのですか」
「ああ、いま帰ったところだ」
 兄は寄宿舎学校──ルワンナ学院──に通っていて寮生活だが、公爵邸から近いため週末はこうして帰ってくることが多い。
「私も学院へ通えたらいいのに……」
「だったら来ればいい」
「ルワンナ学院は男子校ではありませんか」と、アイリーンは唇を尖らせる。
「それはそうだが、課外授業がある」
 ノアは得意げな顔になって話しはじめた。兄が通うルワンナ学院で、課外授業の一環として在学生がスプリンガレ国の歴史等について男女問わず十二歳以上の子どもたちに授業をするらしい。
「お兄様もなにか授業をなさるのですか?」
「ああ。この国の外交についてな」
 父親であるエイミス公爵は国政の中でも特に外交にかかわっている。それで兄も外交について興味を持ち学んでいるのだろう。絵に描いたようなよい息子だ。
「スプリンガレ国の地理についての授業はあるのでしょうか?」
「ああ、あるんじゃないか?」
「でしたらぜひ行きたいです!」
 アイリーンはとたんに意気込む。
「本当に土が好きだな、おまえは……。俺の外交の授業も受けろよ」
「ええ、もちろんです」

 ルワンナ学院の課外授業は三日間。そのわずかな期間だけ、許可を受けた者は限られた範囲ではあるが自由に学院内を歩きまわることができる。
 アイリーンはドレスの胸元に緑色のリボン──外部入場者の許可証──をつけて学院の廊下を歩いていた。
「アイリーン、ここにいたのか。これから昼休みだから、庭でも案内してやろう。興味あるだろ」
「はいっ、お兄様! ありがとうございます」
 兄のあとに付き従って庭へ出る。ノアは天秤を持った女神像の前で立ち止まった。
「このルワンナ学院においては皆が平等だ。貴族の上下関係も、在学中は度外視するべきとされている」
「そうなのですか」
 その後もノアは「この木はいわくつきで……」、「この花には言い伝えがあって……」と、学院にまつわる話を丁寧に説明してくれた。
 ──でもお兄様の話って長いのよね。
 しだいにアイリーンの興味は土へと向かう。下ばかり見ていたからか、いつの間にかノアがいなくなっていた。
 ──お兄様ったら、どこへ行ってしまわれたのかしら。
 きょろきょろとあたりを見まわしながら歩く。
 ──庭……というか、これはもう森よね。
 それほど広い。木々の向こうに校舎がかろうじて見える。ひとまず校舎のあるほうへ戻るべきだろうかと考えていると、どこからともなく「にゃ~」と猫の声がした。
 アイリーンは誘われるように、鳴き声がするほうへと歩く。
 深い茂みの隙間から明るい茶色の毛が見えた。不思議と強く惹かれて、茂みをかけわけて飛びだす。
 そこには猫ではなく人がいた。光沢のある白地に紺色のラインが入った、ルワンナ学院の制服を着ている。
 その人の髪の毛は見た目には猫のように柔らかく艶があった。澄んだ碧い瞳に魅了され、目を逸らせないのはもちろん瞬きすらできなくなる。
 ──なんてきれいな人なの。
 切り株に座って脚を組み、片手で本を持ち読んでいるその人の前でアイリーンは棒立ちになり、少しも動けなかった。
 まわりにいた猫たちはアイリーンに驚いたのか「にゃあ、にゃぁ」と鳴きながら逃げていく。すっかり見惚れていたアイリーンはその鳴き声で我に返った。
 ──女の人かと思ったけれど……よく考えたらルワンナ学院は男子校だわ。
「小さなレディ。迷子さんかな」
 少年は手に持っていた本を優美な仕草で切り株の上に置いて立ち上がり、ほほえみをたたえて近づいてくる。
 彼の右手がまっすぐに伸びてきた。髪にくっついていた葉っぱを取られる。アイリーンは頬が熱くなるのを感じた。
「いいえ、兄を捜していて……」
 そう答えたあとで、兄を捜して庭をさまよっているのだから充分『迷子』だと思い至った。
「ま、迷子かもしれません」
 青い顔でアイリーンが言うと、少年は顎に手を当てて「うーん」と唸った。
「きみの兄さんを当ててみよう」
 じいっと見つめられ、胸がとくりと小さく音を立てる。
「ノア・エイミス?」
「そうです! なぜおわかりになったのですか?」
「だってそっくりだから」
 そうして笑うと幼く見える。
「僕はオスニエル。きみは?」
「アイリーンです」と言葉を返しながら逡巡する。
 ──オスニエル。どこかで聞いたことがある名前だわ。
 落ち着いた物腰に、気品に溢れた振る舞い。髪の毛の先に至るまで、彼が纏うなにもかもが神聖めいたものに思えてくる。アイリーンはふと彼の制服の襟元に、スプリンガレ国王家の紋章を見つけた。
 ──そうだ、第二王子様のお名前!
「アイリーン・エイミスでございます、オスニエル殿下」
 あらためて名乗り、慌ててレディのお辞儀をする。
「いやだな、殿下だなんて。そんなに畏まらないで」
 オスニエルはどこか寂しそうに笑った。
「あの……おひとりですか?」
 ──王子様なのに。
 学院内とはいえ単独行動していても平気なのだろうか。
「うん。護身術は学んでいるから。あんまりぞろぞろと人を連れ歩くのは好きじゃないんだ」
 オスニエルが目を伏せる。しかしそれは一瞬だった。すぐにまたこちらを見て、朗らかに言う。
「ところでアイリーンは課外授業を受けにきたの?」
「はい。地理や地質学に興味があって……」
「勉強熱心なんだね。この国の地理についてだったら僕が、明日授業をする予定があるよ」
「そうなのですか!? ぜひお聞きしたいです」
「……うん」
 ──どうして浮かない顔をなさっているのかしら。
 そこへ、遠くから「アイリーン」と呼ぶ声がした。
「あっ、お兄様だわ」
「行って。僕と一緒にいるところを見られないほうがいい」
 アイリーンは首を傾げる。
「きみの兄さんは僕にかかわりたくないと思っているだろうから」
 ──かかわりたくない? どうして?
 兄の呼び声がしだいに近づいてきた。
「行くんだ、アイリーン」
 微笑し、柔らかな口調でオスニエルが言った。決して高圧的ではないというのに、有無を言わせぬ気迫を感じる。
「はい。失礼いたします」
 お辞儀をしてその場を後にし、兄の声がしたほうへと向かう。
 ──もっとお話ししたかった。
 後ろ髪を引かれる思いで歩いていると、兄に再会する。
「どこへ行っていたんだ。まったく、土ばかり見ていないでもっとまわりを見ろ」
「はい……。ごめんなさい」
「教室はこっちだ」
 兄に案内され教室に入る。ノアの授業開始までにはまだ時間があるというのに、長机にはすでにたくさんの人の姿があった。学院の生徒のほかはドレスを着た令嬢が多数、目についた。
 ノアが壇上に登り、授業の準備を始めると「きゃあ!」だとか「ノア様よ!」と黄色い声が響く。
 アイリーンは入り口から近い端の席に腰を下ろす。
「お隣よろしくて?」
 教室の別の席に座っていた令嬢が話しかけてきた。わざわざ席を移動してきたようだった。
「ええ、どうぞ」と促すと、令嬢はほほえんだまま隣に座った。
「つかぬことをおうかがいしますが、ノア様の妹様ではありませんか?」
「はい、そうです」
「やっぱり!」
 言い当てられてしまった理由はきっとオスニエルと同じだろう。
 ──私とお兄様ってそんなに似ている?
 自覚はなかったが、どうもそうらしい。
「わたくし、カーラ・アッシャーと申します」
 アッシャーといえば辺境の伯爵家だ。国内の領地図は本でよく読んで知っている。
「アイリーン・エイミスです。よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ!」
 満面の笑みで両手を取られ、上下される。
「あぁ、羨ましいですわ。あのように素敵なお兄様がいらして」
 カーラは壇上にいるノアをうっとりと見つめている。ほかの令嬢にしても同じだ。肉親だからか魅力がわからないが、兄は人気があるらしい。
 ノアの授業中は眠気との格闘だった。外交についてはまったく興味がないせいだ。ところが授業が終わるまではあっという間だった。
「……おまえ、船を漕いでいたぞ」
「えっ!?」と声を上げながらも、なるほどそれで授業時間が短く感じたのかと心の中で納得する。
「申し訳ございません、お兄様」
「べつに構わないが……そんなに退屈だったか?」
 ノアがしゅんとして肩を落とすと、傍らにいたカーラが身を乗りだしてくる。
「いいえ、そのようなことまったくございませんでしたわ!」
「そうか? よかった」
 安堵したようにノアが笑うと、まわりにいた令嬢たちが「ほぅ」と息をついた。
「あの、お兄様。少しお話が」
「なんだ?」
「ええと……ここでは、ちょっと」
 令嬢たちに注目されているので話しづらい。
 ふたりはひと気のない中庭の噴水前へと移動した。
「お兄様。オスニエル殿下のことをお尋ねしたいのです」
「第二王子の? なぜだ」
「え、ええと……その、小耳に挟んだものですので」
 ──オスニエル殿下には「かかわらないほうがいい」と言われてしまったから……。
 彼と会ったことは伏せておいたほうがいい。
「第二王子のなにを聞きたいんだ? ……というかおまえ、うちが第一王子派だってこと知ってるよな?」
「……え?」
 ノアは大仰に「はあぁ」とため息をつく。
「まあ座れ」
 ベンチに座るよう促される。長くなると思ったらしかった。
「スプリンガレ国に二人の王子がいるのはわかっているよな」
「はい」
「現国王は高齢だ。早々に王位を息子に譲るだろうと言われている。だが二人の王子のうちどちらに王位が渡るのかまだはっきりと決まっていない。第一王子ダニエル殿下の母……第一王妃は父上の遠縁にあたる。だからエイミス公爵家としては第二王子のオスニエル殿下には肩入れしないことになっている。オスニエル殿下の母親が子爵家の出だというのもあるが、貴族の勢力図から見ても圧倒的に第一王子派のほうが多い」
「そうなのですか……。お兄様はオスニエル殿下のことをどうお思いなのですか?」
「どう、と言われても……。話したことがないから何とも言えないが、オスニエル殿下は一つ年上のダニエル殿下よりも学業優秀で真面目だと聞く。ダニエル殿下は女好きで、常に浮いた噂があるからな。オスニエル殿下はダニエル殿下をおびやかす存在になるのでは……と噂され、学院で孤立している」
「えっ。それじゃあ、オスニエル殿下に非はないのに孤立しているということですか?」
「そうなるな」
「そんなの納得いきません。それに、実力があるかたが王位に就くべきなのでは?」
「同感だが、エイミス公爵家の立場上そのことを公言はできない」
 ノアは険しい顔で口を引き結ぶ。「これ以上は口だしするな」とでも言いたげだった。
 アイリーンは唇を噛んで俯き、ノアと同じく黙り込んだ。

 エイミス邸に帰宅してからもずっとオスニエルのことが気になって仕方がなかった。
 翌朝、アイリーンはドレスの内ポケットにクッキーの包みを入れてルワンナ学院へ行った。
 教室へは行かず庭を歩き、昨日オスニエルと出会った場所へと向かう。
 そこには彼がいた。アイリーンを見るなり碧い目を細くしてほほえむ。
「やあ、また会ったね」
「ごきげんよう、オスニエル……様」
 殿下と呼べば気を遣わせてしまうかもしれないと思った。発した声が少し震えてしまったのは、また会えて嬉しかったからに違いない。
「あれ……なんだかいい匂いがする」
「いい匂い……ですか?」
「うん。甘くて香ばしい感じ」
 アイリーンはドレスの内ポケットからクッキーを取りだす。匂いはそれほど外へは漏れていない。きっとオスニエルは鼻がきくのだ。
「お召し上がりになりますか?」
「いいの? ありがとう。じゃあ一緒に食べよう」
「はいっ。その……少し、お話しさせていただいてもよろしいですか?」
「もちろんいいよ。またきみの兄さんが捜しにこない限りは、ね。どうぞ座って? ……ちょっと狭いけれど」
 オスニエルが切り株の上をとんとんと叩いて示す。その場所──彼のすぐ隣──に座ると、心臓の鼓動が強くなったような気がした。
 ふたりでクッキーを食べる。彼と一緒に食べようと思って持ってきていたので予定通りだ。クッキーを食べ終わったアイリーンは意を決して口を開く。
「あの……オスニエル様も、兄にはかかわりたくないとお思いですか?」
「まさか、そんなこと思わないよ」
「私がオスニエル様の授業を受けるのはご迷惑でしょうか?」
「迷惑だなんてことはない。ただ、きみの立場が悪くなってはいけないな……と」
「私の家がどういう立場なのかは、わかっているつもりです。でも私はオスニエル様の授業を受けたいです。スプリンガレ国の地理について教えていただける、またとない機会ですから」
 アイリーンが言うと、オスニエルはわずかに目を見開いた。
「……うん。このルワンナ学院では学習の自由がある。きみが強くそれを望むのなら、いいと思う。僕も……ほかのことは気にしない。授業に集中するよ」
 彼はどこか憑き物が落ちたような顔をして腰を上げる。
「それじゃあまた……教室で」
「はい」
 オスニエルが立ち去って、少ししてから教室へ行った。ノアのときと違って学院の生徒の姿はない。それでも机はほとんど埋まっていた。皆、胸元に緑色のリボンをつけた同じ年ごろの令嬢ばかりだ。
 アイリーンは中央の席につくと、机の端に置かれていた紙と羽根ペンを手に取り授業を受ける準備をした。
 授業が始まると、アイリーンはオスニエルの言葉を紙に書き留めながら熱心に話を聞いた。
 眠気に襲われることなく終始ずっと集中していた。オスニエルの声が耳に心地よいせいもある。
 ──質問したい。
 授業が終わるなりアイリーンは席を立ち、彼に近づこうとした。ところがオスニエルはすでに令嬢たちに囲まれていた。それも数人ではない。教室にいた令嬢たちのほとんどがそうしてオスニエルを囲んでいるので、とても話しかけられなかった。

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