【試し読み】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

あらすじ

「お前がすべきことは一つ。ウィルフレッド・クルゼールに恥をかかせろ」──人質に取られた妹を取り戻すため、ウィルフレッドとの結婚を余儀なくされたエヴァリン。まずは彼の心を自分に向かせようとするが、その計画には序盤から暗雲が垂れ込める。なぜなら、ウィルフレッドは優秀ではあるが、それと同時に不埒な夫だったからだ。家を空けては他の女の匂いをさせたままエヴァリンを抱く。だがエヴァリンは悋気を起こすわけでも愛想を尽かすわけでもなく、一筋縄ではいかない夫の心を惹きつけようと従順な妻を演じるのだが……「君の支配者が僕でないことは、ちゃんと知っているよ」──互いの目的のために騙し合う、夫婦の物語。

登場人物
エヴァリン
人質となった妹を取り戻すためウィルフレッドと結婚。彼の心を惹きつけようと従順な妻を演じる。
ウィルフレッド
エヴァリンと結婚するも、家を空けることが多く不特定多数の女性と関係を持っている。
試し読み

序章

 口づけを交わした。
 横たわるあなたの口に、この唇をつけて。

 とうとうと流し込む。
 この毒を。私だけの毒を。

 一生解けることのない毒を頭の先からつま先まで、全身に染み渡るようにと願いを込めて。舌の上に乗せ、咽喉のどに滑り落とし、あっという間に腹の中。

 不埒なあなたを罰するのは私だけ。
 愛するのも私だけ。
 あなたが見るのも私だけ。

 今このとき、二人だけで終始する世界が、始まる。

一章

 ふと気が付いたことがある。ほんの些細な変化だが、けれども如実にそれを予兆させるには充分なものだった。
 彼はいつそれを言うのだろうと、エヴァリンは目の前にいる家令の口元を盗み見る。そして話を切り出す気がないと分かったら次は目元に視線を上げて、彼に『早く言え』と無言の圧力をかけた。
 どうせ、分かっている。
 何ごとも卒なくこなす初老の家令は、案外その癖を見破るとその心の内を読みやすい。今日も隠しきれず、エヴァリンの食事中に側に立ちすくむ彼のこめかみがヒクヒクと震えていた。
「……奥様」
 ──ほら、きた。やはりそうだ。
 エヴァリンは前菜のミモザサラダに添えられたベーコンを口に運びながら、次にくる言葉を頭の中に思い浮かべた。
「旦那様は今日も遅くなるとのことです」
 一言一句間違いない。そしてそれをエヴァリンに告げる家令の顔が涼やかなのもいつもと同じだ。何度も同じ状況で同じ人から同じ言葉を聞いたのだから、嫌でも予測できてしまうし、その言葉が出てくる予兆も掴むことができる。
「そう」
 それを聞いたエヴァリンは悲しむわけでも悋気りんきを起こすわけでもなしに、ただ一言手短に返事をしてこの会話は終わる。
 それでも家令がその額の横皺が微かに震えるほどにこめかみを揺らすのは、エヴァリンがいつ帰るとも分からない夫に対して、怒りを爆発させるやもしれないと危惧しているからなのだろう。本当にこの家令には気苦労をかけていると、自分でも申し訳なく思った。
 けれども、エヴァリンは怒らない。
 泣きもしないし、夫がどこに行っているか聞き出すために詰め寄りもしない。
 夫が夜に家に帰ってこない日にどこに行き、何をしているかなど、エヴァリンは嫌というほど知っているからだ。
 そして、怒っても意味がないということも。

 黒い緞帳どんちょうが空を覆い隠すほどに夜が深まった頃。
 サイドテーブルに置かれたランプがその闇を溶かすかのように淡い光を放ち、エヴァリンを読書へと駆り立てる。
 眠れないわけではなかったが、ただ一人で過ごす夜を早々に寝て終わらせるのはもったいなく、どうせならばと昼間読みかけていた本を読み切ってしまおうとページを捲った。
 もちろんベッドで横になっていじらしく夫の帰りを待とうかとも考えたが、それでは少々あざとすぎるかと思い直し、自分のしたいようにすることにした。何ごともやりすぎはよくない。
 それに本が面白くてページを捲る手を止められないというのも大きかった。
 だからだろうか。
 夢中になりすぎて、ついつい周りに気を配るのを忘れてしまっていた。
「──そういう顔の君もいいものだね。顔にかげが出来て、ことさら艶っぽく見える」
 自分の夫はいつの間にか帰宅していたらしい。
 エヴァリンが予測していた以上に早く帰ってきた夫のウィルフレッドは、そのアッシュブロンドの癖のある髪を扉の柱につけて、はしばみ色の瞳でこちらを見ている。
 口元には笑みが浮かんでいて、どうやら相当ご機嫌な様子が見て取れた。
 仕事の話が上手くいったのかそれとも他にいい話を聞くことができたのか、──はたまた、今日のお相手の女性との時間がとても素敵なものだったのか。あまり本心を多く語らないこの夫の心はとんと分からない。
 けれどもこれだけは分かる。
 今日はすこぶる機嫌がいいのだと。
「おかえりなさいませ。申し訳ございません、お出迎えもせずに」
 本を閉じてサイドテーブルに置いたあとにベッドから出たエヴァリンは、ウィルフレッドのところに赴いて腕にかけてあった外套を受け取る。
 そのとき、ふわりと甘ったるい匂いが鼻腔を突いて思わず指に力が入った。
「気にしないで。もう夜遅いし、寝ていると思ったからこっそり帰ってきたんだ」
 こちらを気遣うように優しく笑う夫は、その言葉を後押しするようにエヴァリンの頬に口づける。それを粛々と受け入れながら、エヴァリンの心はどこかすぅっと冷めていくような感じがした。
 ──今宵もきっと、この唇が他の女性の肌に触れたのだ。
 そう思うと、このキスを受け入れるのは癪なような気がした。
 こんなご機嫌取りのためのキスではない、愛を囁き相手を喜ばせるための親愛のキス。自分には与えてもらえないそんなキスを他の女性が受け取ったのだと思うと、心が焼き切れそうなくらいに焦りを覚えた。
 ──まだだ。まだ、私はこの人の心を掴めてはいない。
 それをまざまざと実感するような瞬間は、いつだってエヴァリンを遠い気持ちにさせる。

 その甘いマスクに貴公子然とした出で立ちの夫は、爵位を持たない平民出でありながらも社交界では一目置かれる存在だった。
 父親の代から受け継いだ事業を急成長させたのはここ五年の話だ。
 これまで外貨獲得のために輸出に重きを置いていたこの国は工業力の増幅に伴い、さらなる海外市場の拡大を目指して輸入規制の緩和に乗り出した。
 その際、いち早く動いたのはウィルフレッドで、──どこにどういうコネがあったのかはエヴァリンには分からないが、貴族たちから投資を募り、近隣国から嗜好品を中心に輸入をしたのが大きく当たった。それから、ウィルフレッドの会社は大きく成長をし、その功績は上流階級の人間も認めるものとなる。
 社交シーズンには誘いはひっきりなしにやってきて、オフシーズンも紳士クラブに顔を出す。その枚挙に暇がない様子は、第一線で活躍する成功者そのものだった。
 そんなウィルフレッドだからこそ、世の女性たちが放っておくわけがない。
 いつだって女性たちはより良い地位や名誉、財産、そして容姿を持つ男に惹かれずにはいられないのだから。
 これで、ウィルフレッドが身持ちが堅く、女性たちの秋波に当てられても跳ね返すような誠実な男であればエヴァリンも苦労はしなかった。家令も毎度毎度心苦しい報告をエヴァリンにする必要もなかっただろうし、エヴァリンも彼の一挙手一投足にこんな悔しい思いをすることもなかったのだ。
 だが残念なことに、ウィルフレッドは簡単に女性たちの誘いに乗ってしまう。花の蜜を求めて飛び舞う蝶のように、ふわりふわり、ゆらりゆらりと。妻がいたとしても自由気ままに飛び立つ。
 エヴァリンはそんな夫をいまだに羽休めさせることのできない、不甲斐ない妻。
 それを常々もどかしく思っていた。
「本を読んでいたのかい?」
「はい。昼間に途中まで読んでいたものですから、今日のうちに読み切ってしまおうかと思って」
 気を取り直し無邪気な愛らしい妻の皮を被ったエヴァリンは、本を手に取ってパラパラとページを捲るウィルフレッドに寄り添い、ニコリと笑ってみせる。いつだったか、ウィルフレッドが好きだと言ったエヴァリンなりの最上級の笑みだ。
「面白い? これ」
「ええ、とても」
 一点の淀みもなくそう言い放ったエヴァリンを見やって、ウィルフレッドは信じられないといった顔をして肩をすくめる。『こんなものが?』とでも言いたげだ。
 それもそのはず。彼が今手に持っているのは植物に関する専門書で、およそ淑女の教養には程遠いものだ。何故エヴァリンがこんなものに興味があるのか、ウィルフレッドも図りかねているところなのだろう。
「君は本当読めない人だな。まさかこういうのに興味があるとはね。……僕に見せていない顔があといくつあるんだろう」
「ウィルフレッド様の影響です。現状に満足することなく邁進する貴方の姿に感化されただけに過ぎません」
 ウィルフレッドの腕に手を添えたエヴァリンは、下から覗き込むように上目遣いで謙虚な言葉を使う。
 ──ほら、やはりこういうのも効果的だ。
 エヴァリンは内心ほくそ笑み、添えるだけだったその手で彼の腕を撫でた。
「私はいつだって、貴方の隣に並ぶのにふさわしい妻でありたいと思っておりますから」
 謙虚な妻。健気な妻。貞淑な妻。従順な妻。──愛らしい妻。
 この人が望むのであればどんな妻でも演じることができる。この男の心を掴めるのであれば、エヴァリンはどんな女にでもなれた。
「なら、そんな可愛いことを言ってくれる君にお願いしようかな」
 ウィルフレッドは腕を撫でるエヴァリンの手を取り、もう片方の手を腰に回してくる。吐息がかかるほどの距離に顔を近づけて、その榛色の瞳をすぅっとすがめた。
「今夜相手した女性がいまいちだったんだ。君で口直しをさせておくれ」
 およそ妻帯者とも思えない発言を平気で自分の妻にしてくる、酷い夫。
 それでもエヴァリンは、微笑んで従順に頷いた。

 ◇◇◇

 馬車は、首都の東を目指しゆっくりと進む。
 エヴァリンは流れる街の様子を小窓から見ながら、何となく面白くない気持ちを紛らわせていた。
 綺麗に整備された馬車通りには同じような馬車が何台も行き交っているが、この馬車ほど豪奢で大きなものはなかなか見ることができない。そんな些細なことにウィルフレッドの偉業を思わせる。
 行き交う馬車の数は多く、時間を間違えれば渋滞することもあるらしい。
 輸入の規制緩和に伴って儲けた人間がいるが、逆に失業した人間も少なからずおり、そんな人たちが職を求めて首都に入るのだという。
 ここ最近増えた高層階のアパートに住んで生活をし、首都外円部に立ち並ぶ工場で働いて金を稼ぐ。それを実家に仕送りしたり貯蓄したりなど用途は人それぞれだが、おかげで首都には人が溢れかえるようになった。
 喧騒は止むことを知らず、夜も眠らぬ町だ。今でもこの喧しさに慣れない。
 できれば静かな場所で、梢の揺れる音や鳥の鳴き声を聞いていたいものだが、それらはすべてこの騒音に掻き消されてしまう。それどころか工場の煙が天高く立ち込め、街中を覆いつくさんばかりだ。ともすればお天道様にお目にかかれない日もある。
 そんな雑多な物から背けるように目を閉じると、もう随分と帰っていない実家の風景が瞼の裏に浮かんだ。
 ウィルフレッドの家と同等の、けれども手入れが行き届かずにところどころ綻びが見えてしまう古びた我が家。
 外観だけは豪奢で中身は空っぽなあの家は、エヴァリンの生家・アマリス家の象徴だった。

 社交の場は魔窟だ。それは母の教えで、父の忠告だった。
 平民ながら富裕層の家の出であるエヴァリンは、父の方針でいわゆる淑女教育を受けていた。テーブルマナーに刺繍にダンス、国の歴史に教養。上流社会で生きていけるようにありとあらゆる教育が施されて、エヴァリンもまたそれを粛々とこなしていた。
 もちろんそれは目的があってのことだ。
 アマリス家が裕福で、貴族並みの生活を送れていたのは昔の話。父が家督を継いだ途端にガタリと大きく傾いた。
 時代の大きなうねりに乗ろうと必死だったのだろう。先見の明が全くなかった父は、受け継いだ財産を数年のうちに投資で溶かしてしまった。あっという間に転落したのだ。
 けれども、エヴァリンはそれを知らず幼少期を過ごした。淑女教育を受けて綺麗なドレスと煌びやかなアクセサリーを身に着けるエヴァリンには、我が家にそんな秘密があるなど思いつきもしなかった。
 初めてそのことを知ったのは、父が亡くなってからだ。
 エヴァリンと妹のリコリスの後見人となった父の弟がそれを知らしめ、自分たちが憂いなく過ごすお金ももうないのだと理解できたときに、ようやく悟ったのだ。
 父があれほどにもエヴァリンとリコリスの教育に熱心だったのは、家を立て直す金が必要だったためだと。将来的に困窮するのが目に見えていたのだ。

「エヴァリン様、そろそろ到着します」
 声につられて目を開けると、向かい合って座っていたメイドのスージーが、睫毛の長い茶色の瞳でこちらを見ていた。鼻のあたりに薄くそばかすを乗せた彼女の眼光は、いつでも厳しい。
 少し緩んでいた背筋をきっちりと伸ばし郷愁の念を捨て去った。そんなエヴァリンを見て、スージーの鋭かった眼光が和らぐ。
 裕福な身分になったとはいえ、ただ笑って無為に過ごすわけではない。
 妻は妻なりの仕事というものがあるのだ。
 今も流行のドレスに着替え髪をきっちりと整えて、馬車でその仕事場に向かっている途中で。憂鬱であるが、避けることのできない仕事だった。
 こういうときほど強く思う。
 幼少期からの備えというものは、いかに大事なのかということを。
 父の目論見を知ったときそこはかとない不快感を覚えたが、今では感謝しているなど、──皮肉な話だ。

「お待ちしておりましたわ、クルゼール夫人」
 此度のお茶会の主催者であるポンファール子爵夫人が、案内された庭先で真っ先に挨拶をしに来てくれた。それにエヴァリンも愛想よく返す。
 そのまま夫人に促されて用意されたテーブルへと歩いていき、スージーは庭の端に他のメイドたちと並んだ。
 しばしの間、彼女の鋭い視線を間近で感じることがなくなりふと気が楽になるが、それは気休めでしかない。遠くからでもスージーはエヴァリンの動向をつぶさに見張っている。
 だが、何もエヴァリンを見ているのは彼女だけではない。
「皆様、ごきげんよう」
 エヴァリンが先客に挨拶をすると、皆一様に顔に取ってつけたような笑顔を貼り付けて振り返った。こちらを見る同じような笑顔、作り笑い。それを見るたびに気味の悪い光景だと怖気が走る。
 挨拶一つ本性をひた隠しにしなければならないなんて、本当にここは何かと面倒な世界だ。
「ごきげんよう。──エヴァリン様」
 いや、違う。ただ一人、己の心に忠実になって、その輪を乱そうとする人間がいたようだ。
 皆が『クルゼール夫人』とエヴァリンを呼ぶ中、頑として『夫人』などという言葉を使わずにエヴァリンを呼ぶ彼女。男を誘うような真っ赤な紅をひいた蠱惑的な唇を持ち上げて、挑発的に笑う。
 エヴァリンはすぅっと目を細めながら、真っ直ぐに彼女を見据えた。
「ごきげんよう、カリアン男爵夫人」
 悠然とそれに挨拶を返すのはもう慣れたものだ。さして彼女の煽りを気にした様子も顔に出さずに、メイドが引いてくれた椅子に腰を掛ける。逆にそれに反応したのはカリアン夫人の方で、片眉を吊り上げながら面白くなさそうにそっぽを向いた。
 珍客だ、と心の中で驚きの声を上げる。
 カリアン夫人は夜会に顔を出すことはあっても、こんな女性ばかりが集うお茶会に顔を見せるなど珍しい。実際にポンファール夫人のお茶会は毎月開催されるが、彼女が参加したのは初めてのことだった。
「さぁ、皆さん揃ったようですので、始めましょうか」
 機嫌の悪くなったカリアン夫人の気を紛らわせるかのように、ポンファール夫人がこの場を仕切り始めた。このお茶会開始前から漂う不穏な空気を一掃してくれたのだろう。その計らいに他の参加者たちもホッとした様子だった。
 ポンファール夫人の指示でメイドたちが目の前のテーブルに、次々とティーカップやソーサー、お菓子がのった三段のアフターヌーンティースタンドを持ってくる。
 そのいずれもが薔薇をモチーフにした食器ばかりで、ポンファール夫人のこだわりが見える。ボンボニエールに入っているのも薔薇の砂糖漬けで、お菓子も薔薇をモチーフにしたものばかりだ。薔薇の形をしたフィナンシェ、ケーキの上には薔薇の花弁を模したクリーム、スポンジにも薔薇の花弁が練り込まれていた。
 普通に作るよりも意匠を凝らす分時間も労力もかかるだろうに、それでも毎度出てくるお菓子の顔ぶれは違う。
 この家のパティシエの腕の良さと夫人の我儘に付き合うその忍耐力を窺わせるが、夫人も夫人で、この思わず周囲から嘆息が漏れるほどに美しいお菓子たちが自慢なのだろう。まるで自分が一等苦労をしたかのように話している。
 今回、ポンファール夫人に呼ばれたのは七名。いずれも貴族のご婦人方だ。子爵、男爵家の夫人が勢ぞろいしている。
 そんな場に爵位も持っていないクルゼール家のエヴァリンが毎度のように招待されるのは、ひとえに夫の躍進によるものだと言っていいだろう。
 ウィルフレッドはまもなく輸入による国の発展への貢献が認められ、王より爵位を賜るだろうとまことしやかに囁かれている。ある程度は真実味を帯びた噂なのだろう。皆、そんな彼と何かしらの繋がりを持とうとしているのだ。
 昨今、爵位などただの飾りと成り下がり、金でも買える時代。平民でありながら貴族達より金を持っている富裕層などごろごろ転がっている。心の底では蔑みながら、あちらもあちらで何かと必死なのだろう。
 ──例えば、カリアン夫人。
 彼女はカリアン男爵の妻でありながら、金のある男性の間を蝶のように飛び回っているのだという。既婚男性の愛人となり未婚の男性を愛人とし、美しく着飾り煽情的に男を誘惑する。そんな自由気ままでふしだらな彼女を嫌う人間は多いが、一方で男性にはとかく人気だ。
 あのウィルフレッドも愛人にしてしまうほどに。
「エヴァリン様、昨夜は申し訳ございません。随分と遅かったでしょう? ウィルフレッド様のお帰りが」
 時も場所も考えずに浮気相手の妻を挑発する向こう見ずな愛人の言葉に、エヴァリンはしばし動きを止めて心の中で大きな溜息を吐いた。
 こんな分かりやすく愚かな女をわざわざ愛人にする自分の夫が考えなしなのか、女性には分からないそれほどの魅力が彼女にあるのか。どちらにせよこの場には不向きな話題で、お茶会開始早々に水を差したことには変わりない。
 一気に他の参加者がエヴァリンとカリアン夫人から距離を取り始めたのが分かった。
 ウィルフレッドとカリアン夫人の関係は社交界でも有名だったが、こうやって彼女と対峙するのは初めてだ。カリアン夫人と違ってエヴァリンは結婚してからというもの、夜会には必要最低限しか顔を出さない。
 それはウィルフレッドの愛人と噂される女性と、こうやって顔を突き合わせるのを避けるためでもあるし、一方でウィルフレッド自身もエヴァリンを連れて行こうとはしなかった。
 他の女性との甘い時間を邪魔されたくないのか、それとも商談の邪魔になると思っているか。彼の真意は図りかねるが、夫の言うことには従うようにしているので、女遊びを除けばそれに文句はなかった。

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