【試し読み】転生愛(上)~一途に追い求める辺境伯から逃走中~

作家:臣桜
イラスト:whimhalooo
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/5/21
販売価格:800円
『転生愛(下)~記憶を失った令嬢を求めて追跡中~』の試し読みはこちら

あらすじ

大好きな恋人の鈴音が突然姿を消した。彼を喪い絶望の日々を送る来花も突然暴漢に襲われる。そして目覚めた先は空の上に浮かぶ国、アークライネス。辺境伯リアムの婚約者・エヴァとして転生した来花。行方不明だったエヴァの帰還を熱烈に喜ぶリアムに、来花は困惑。リアムはエヴァの記憶を取り戻すため来花を無理矢理に抱くのだった。「俺は君が感じる場所を、誰よりも知っている」 鈴音を忘れられない想いとうらはらに悦んでしまう肉体。二度とエヴァを手放したくないリアムの情熱。悩んだ来花は城の迷路でリアムから逃げきれたら自由にしてもらう約束をし、必死に走っていたとき。ずっと昔に同じように誰かから逃げた記憶が蘇り……!?

登場人物
エヴァ
恋人を失い、暴漢に襲われた来花が転生した伯爵令嬢。婚約者だという男・リアムと出会うが記憶がなくて…
リアム
来花が転生したエヴァの婚約者。エヴァとしての記憶を取り戻してもらうために来花を強引に抱く。
試し読み

序章 不幸のはじまり

「危ない!!」
 生駒いこま来花らいかは恋人に突き飛ばされた。
 直後、ドンッと鈍い音がし、振り向くと最愛の人の体が、信じられないぐらい高く跳ね飛ばされているのを目にする。
 来花は彼の姿を呆然として見るしかできなかった。

 来花が一緒に歩いていたのは、とあるきっかけで知り合い、今は恋人になった狩夜かりや鈴音すずねという男性だ。
 彼は大手食品会社『カリアホールディングス』の若き代表取締役社長兼CEOをしている。
 鈴音は「自分には不釣り合いなのでは」と思うほど、容姿、性格、社会的地位にも恵まれた人だ。
 短い黒髪はさり気なくセットされていて清潔感があり、普段着ているスーツもオーダメイドの物らしい。学歴がありグローバルな人脈がある彼に対し、来花はごく一般的な家庭で育った普通の女性だ。
 一緒にいると自分の無知具合が恥ずかしくなる時もあるが、鈴音は決してそれを馬鹿にする事はなかった。むしろ来花が理解できるよう丁寧に教えてくれ、その教え方も上手だ。
 付き合い始めてから体の関係もでき、これから結婚に向けて……と幸せに過ごしていた時期だった。
 だというのに──。
 交差点で信号待ちをしていたら、車が物凄いスピードを出してこちらに突っ込んできた。人々が悲鳴を上げるなか、来花はあまりに驚いてその場から動けずにいた。
 固まっていた来花を鈴音が突き飛ばし──、ドンッと鈍い音がした。
(人ってこんなに飛ぶの?)
 一秒にも満たない世界で、来花はそう思った。
 直後、ガシャーンッ! と車が電柱にぶつかるけたたましい音がし、周囲からつんざくような悲鳴、男性の大声が聞こえる。
 異様だと思ったのは、人がかれた瞬間だというのに、スマホを構えている人が大勢いた事だ。
「あなた、大丈夫?」
 側にいた五十代ほどの品のいい女性が、突き飛ばされて尻餅をついた来花の側に膝をついた。
「は……い」
(鈴音さんは?)
 車は電柱にぶつかったあと、ギュルルルルッとタイヤの音を立ててまだ前進しようとし、そのあと沈黙した。
 周囲にはタイヤのゴムがアスファルトに摩擦した嫌な臭いが漂い、フロントガラスの破片が飛び散っている。
 周囲の車が思わず停まっていたからか、あちこちからクラクションの音が聞こえた。
「誰か! 警察!」
「っていうか、人轢かれただろ!? 大丈夫なのか!?」
 周囲で人が動き始めても、来花はまだ思考を止まらせたままだった。
「鈴音……さん」
 ようやく唇が動いて呼んだのは、恋人の名前だ。
 傍らにいた女性は、来花を気の毒そうに見た。
 周囲からは、これからクリスマスになろうとしている楽しげな音楽が聞こえてくる。
 それが今のショッキングな事故とあまりに乖離していて、来花はグラッと眩暈を覚えた。
(気持ち悪い……)
 様々なものが押し寄せ、来花は手で口元を押さえて倒れ込んだ。
「ちょっと……あなた!?」
 そのあと「誰か……!」と助けを呼ぶ声がしたのは覚えている。
 遠くからサイレンの音が聞こえるのは、パトカーだろうか、救急車だろうか。
 あまりのショックに現実を見たくないと思った来花は、──そのまま意識を失ってしまった。

「生駒さん、検温の時間ですよ」
 病室のカーテンが開けられ、ベテランと言える年齢の看護師が来花に体温計を差しだし、血圧を測る準備を始める。
「…………」
 億劫おっくうそうに起き上がった来花は、漂ってくる朝食の匂いを嗅ぎ「……食べたくない」と呟く。
「ここの病院食、わりと評判がいいんですよ? 気力を回復させるためには、体に栄養が必要なんです。食べられるだけでいいので、まず食べてみてください」
 体温計をわきに挟んだ来花は、知らずと溜め息をついた。
「……まだマスコミの人、いますか?」
 その言葉に、看護師も少し顔を曇らせる。
「しつこいですよね。ですが病院は患者さんの情報を外部に出す事はありません。それは安心してください」
 怒ったような口調が、どこか頼もしい。
 ピピッと電子音がし、来花は看護師に体温計を差しだした。
「よし、熱も血圧も正常ですね。これから朝食ですから、しっかり食べてくださいね」
 微笑んでから、看護師は忙しそうに病室を出て行った。
 すぐに隣室から「検温ですよー」と声が聞こえ、来花は窓の外を見て溜め息をつく。

 あの事故から、一週間が経とうとしている。
 あの後、気が付いたら来花は病院に運ばれていた。
 気を失っただけで、異常なしと判断されて病院から帰宅しようとしたら、マスコミから取材が殺到し混乱した。
 警察にも事情聴取をされたが、内容は現場で何があったかを尋ねるものだった。不思議なのは、自分を突き飛ばして犠牲になった鈴音について、何も言及されなかった事だ。
 来花が懸命に「狩夜鈴音さんはどうなりましたか?」と尋ね、「あの事故の犠牲者です」と訴えても、彼らはポカンとした顔をするだけだ。
 あまりに来花が食い下がるので、一度現場跡に同行してもらった。
 だが現場に残っていたのは、車がぶつかった跡のある電柱やアスファルトに刻まれたタイヤの跡、そして飛び散ったガラスや、警察が置いたカラーコーンやチョークの跡だけだ。
『生々しい事故の痕跡はあっても、あなたが言う人が轢かれた事実や、あなた以外に負傷した人の報告はないんですよねぇ……』
 そう言って警官は来花の事を「強く頭でも打ったんだろうか」と気の毒そうな目で見てくる。
「すみませんでした……」と来花はフラフラと警官に謝り、混乱の渦に叩き落とされた。
(じゃあ鈴音さんはどこに行ったの?)
 その後、年の瀬に都心で起きた事故に、犠牲になりかけた存在として来花に取材が申し込まれた。
 昨今、免許返納をしない高齢者や、持病があっても隠して運転を続けている者が事故を起こすケースが多く、マスコミはそれを記事として書き立てたいようだ。
 きっと彼らは「もう少しで死ぬところでした」と来花が被害者として怒る姿を取材したいのだろう。
 だが恋人である鈴音の姿が消えてしまった今、そんな気持ちにもなれない。
 これでは会社に行けないという事で、来花は勤めている『火野ひのスポーツ』の上司に連絡を入れた。
 上司は事故に遭った事やマスコミに追いかけられている事に理解を示し、「大変だと思うから、もし医師が休養を要するというのなら、一週間ぐらい入院して気持ちを落ち着けなさい」と言ってくれた。
 厚意に甘えて来花は病院で過ごし、明日で退院という運びになっている。
 事故はワイドショーを賑わしているものの、世間のニュースは移ろいゆくものだ。
 一週間もすれば新しいニュースが飛び込んできて、病院を張っているマスコミの数も減ったように見える。
(憂鬱だな……)
 正直、鈴音がどうしてしまったのか分からない。
 スマホのメッセージアプリを見ても、彼からの連絡はない。いつもマメに「おはよう」から「おやすみ」まで連絡をくれる人だったので、この沈黙が嘘のようだ。
「……どこに、行っちゃったんだろう」
 ポツリと呟くが、誰も答える人はいない。
 事故があったという事実は認識できても、鈴音がいなくなったという現実を把握できていない。
 あれから泣いた事は一度もないし、来花はどこか夢半分で毎日を過ごしている。
『鈴音さん、どこにいますか? 私は都内の和久田わくた記念病院にいます。入院していて、週末に退院する予定です。また元のように火野スポーツに勤めます。連絡をくれませんか?』
 メッセージアプリにそう入力して送ったのは、入院してすぐの事だ。
 いまだそのメッセージには既読のマークはつかず、当たり前に鈴音からメッセージも電話もない。
(警察が『遺体はない。血痕すらない』と言ったなら、間違いないんだろうな。ルミノール反応にも血痕は出なかったって言っていたし……。じゃあ、鈴音さんはどこに行ったの? あの事故の後にどこかに消えてしまったのだとしたら、連絡をくれないのはどうして? もしかして、付き合っていて私の事が嫌になったけど言い出せなかった? あのうやむやで、姿を消そうって思ったの……?)
 分からない事ばかりで、頭が痛くなる。
「……でも、そんな不誠実な人じゃないって、私が一番分かってる……」
 また呟き、来花は苦しげに目を細めた。
 鈴音と出会ったのは、来花が車に轢かれそうになったのを助けてもらったのがきっかけだ。
 つくづく来花は不幸体質で、事故に遭う確率が高い。
 助けてくれたあと、鈴音は来花のかすり傷を気にしてホテルで手当てをしてくれた。
 場所がホテルなのは、初対面の男が来花の家に行くのも良くないし、来花が自分の家に来るのも良くないから、という理由だ。
 当時、鈴音の秘書だという男性も一緒だったので、来花は第三者がいるならいいかと思って手当てを受けるのをよしとした。
 その時は轢かれかけた動揺で、初対面の男性について行ってしまった危なっかしさを自覚できなかった。
 だが鈴音は紳士的に接してくれ、その後きちんと「あのとき一目惚れをしたんだ」と告白をして、段階を踏んで交際を申し込んでくれた。
 何をするにもきちんと理由がある人で、理不尽に怒る事もない。経営者というだけあって器の大きな人で、鈴音の欠点を見つける事などできなかった。
「……信じてるから……」
 今はただ、鈴音を信じるしかできない。
 来花が愛した鈴音なら、中途半端に恋人を放ったらかしにするはずがない。
 信じていれば、いつか鈴音は戻って来てくれるだろうか?
 考えても思考の迷路に出口はなく、来花はまた枕に顔を埋め、目を閉じた。

**

 来花はマスコミから逃げるようにして自宅に戻り、溜まっていた郵便を整理する。
 洗濯機を回し、駄目になってしまった食べ物などを処分し、また日々の生活に戻ろうとした。
 月曜日になってまた出社し、上司や同僚から「大変だったね」とねぎらわれる。
 来花は学生時代に陸上部に所属し、体力や足に自信があった。
 歩き回っての営業が性に合い、もともとポジティブな性格で営業成績も良かった。
 再び営業にまわる日々を送り始めたが、生活の中に鈴音がいないからか、どこかしっくりこない。
 ある日堪らず、来花は昼休みにカリアホールディングスに電話を掛けてみた。
『カリアホールディングスでございます』
 通じたかと思った電話は自動音声装置で、来花はドキドキしながら『その他の要件』を選択した後に、オペレーターと話してみる。
『もしもし。カリアホールディングスお客様相談センター、ナカイでございます』
 ナカイと名乗った女性に、来花は少し声を震わせて話を切り出す。
「あの、狩夜社長は会社にいらっしゃいますでしょうか?」
 来花の言葉に、ナカイはオペレーターとして感情を見せず対応する。
「どのようなご用件でしょうか」
「あの……。私、生駒と申しまして、狩夜社長とお付き合いをさせて頂いています。私用のスマホに連絡がなくて、狩夜さんがどうしているか不安になり問い合わせさせて頂きました。日曜日に港区の交差点の事故に遭って以来、狩夜さんと連絡がつかないんです。狩夜さんが生きて出社しているかどうか、それだけでいいのでどうか教えてください」
 言いながら、来花はどんどん自信をなくしていく。
(大企業に電話を掛けておいて、『社長と付き合っています』って言い出す女、痛い……)
 会社の屋上でぼんやりとビル群を見上げながら、来花はこっそりと溜め息をつく。
『あいにく、狩夜は忙しくしております。お仕事のアポイントメントがおありでしたら、御社のお名前と担当部署をお伝え頂けますか?』
 ──警戒された。
 瞬時に理解した来花は、これ以上ナカイ相手に何を言っても無駄だと悟る。
「……いえ、結構です」
 それだけを言い、来花は電話を切った。
「……信じてくれるはず、ないか……」
 ナカイが言った『忙しくしております』という言葉だって、本当の事か、鈴音の事で問い合わせがあれば、会社側からそう伝えるように言われているのか分からない。
「……どうすればいいんだろう」
 フェンス越しに空を見上げ、来花は知らずと溜め息をついた。
(本当に鈴音さん、私の目の前から姿を消そうと思っているんだろうか? 何か嫌気が差すような行動をしてしまった? ……でも鈴音さんなら、注意する事があるならきちんと指摘してくれる。『お互い我慢をして、あとで爆発するような事は絶対に避けよう』って付き合い始めの頃、言ってくれたもの)
 今でも来花は鈴音の事を愛しているし、信じている。
 彼は責任感のある男性で、仕事はもちろん、女性との付き合いも〝嫌になったからポイ〟のような、中途半端な事を絶対にしない人だ。
 だからこそ今の状況が〝何〟であるのか分からなく、来花は混乱していた。
「鈴音さん、……本当にこの世界からいなくなっちゃったのかな。……だったら、どこに行ったの? 私もそっちに連れて行ってよ……」
 ベンチに座り込んだ来花は、化粧が崩れるのも構わず一人嗚咽した。

**

 それでも時間は残酷に流れ、来花は身の入らない毎日を過ごした。
 新年になってからもマスコミに隠れて通勤し、なるべく鈴音の事を考えないようにしてがむしゃらに働き、帰宅して泥のように眠る。
 今はもう、自分が何のために生きているのか分からなかった。
 以前は楽しみだった給料日になっても、嬉しいと思えないようになっている。
 前なら給料日になったら鈴音とデートをしたり同僚と飲んだり、鈴音とデートするために美容に気を遣ったり服を買う楽しみがあった。
 来花の生活は、文字通り鈴音を中心に回っていたのだ。
 それがなくなった今、食事もコンビニで済まし、外見も最低限清潔に保つだけで、更なる美容を求める必要も感じられなくなる。
「……疲れた……」
 月曜日の夜、帰宅してベッドに倒れ込み、来花は感情のこもっていない声で呟く。
 三十分ほどそのまま過ごし、昼間は無心になって営業したので、とりあえずシャワーを浴びなければ……と体を起こした時だ。
 ピーンポーン……。
(……誰だろう)
 緩慢に立ち上がり、来花は玄関まで歩く。
(鈴音さん……かな)
 一瞬そんな希望を持つが、鈴音には合鍵を渡している。
 だとすれば、こんな時間に来花をおとなうのは誰だというのか。
 ネットショッピングだってした覚えはないし、地方にいる両親から何か物を送ったという連絡もない。友人からサプライズに何かを送られるにしては、誕生月でもないし、イベントのある季節でもない。
 来花が住んでいる賃貸マンションは古い物件で、周囲に商店街などがあり便利だという理由のみで選んだ。生活しやすさを取り、多少の古さには目を瞑ったのだ。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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