【4話】お薬の時間です!~狼騎士隊長の担当看護師に任命されました~
とりあえずニーナは頭を切り替えて、薬の入った医療用の鞄の持ち手をぎゅっと握り込み、深呼吸して息を整えた。
(よし、行くぞ!)
心の中で気合を入れて、ドアノッカーをむんずと掴む。
カンカンカンカン、と鼓動と同じくらいの早さで四つ扉を打ちつければ、待ち構えていたようにすぐに開かれた扉の中から、ヤマトと同じくらいの男性が顔を出した。
優しげな相貌にほっとしたのも束の間、彼が執事服を着ている事に気付き、患者ではないのかと少しがっかりする。
年齢的に彼こそヤマトの友人だと思ったのだが、病人が執事のお仕着せを身に着けているわけがない。おそらく彼の主が、今回の患者なのだろう。
(こんな大きなお屋敷なんだもの。使用人がいないわけないわよね)
「こんにちは。ヤマト診療所から来ましたニーナです」
ニーナが控え目な笑顔を作ってそう名乗れば、執事は心得たように頷いた。
「ええ、聞いております。どうぞお入りください」
皺の刻まれた目尻を下げてそう言った執事は扉を押さえると、ニーナを中へと招き入れてくれた。
(外も立派だったけど、中もすごい……!)
そっと足を踏み入れた玄関ホールも想像以上に広く取られていた。明るい陽射しが窓から燦燦と注がれ、天井から吊された大きなシャンデリアの存在感を際立たせており、硝子の欠片の一つ一つがきらきらと輝いている。
その豪華さに呆気に取られていたニーナだが、はっと我に返り慌てて顔を引き締めた。幸いな事に前を行く執事に気付かれた様子はなく、しずしずと後ろに続く。
一旦別室で待たされ、主人に来客を伝えるのかと思っていたが、執事はそうせずに直接二階へとニーナを案内した。
執事に先導され上がった二階も一階同様、天井が高く圧迫感がない。何種類もの色硝子を使った花瓶や器が壁に沿ってコレクションのように飾られ、さながら美術館のようだ。
触れるなんて考えられないくらい高価そうな美術品に、圧迫感すら感じたニーナは、間違ってもどこにも触れないように身を縮ませて慎重に足を動かした。長い廊下に敷かれた絨毯が足音を消し、静かすぎて嫌が応にもニーナの緊張は高まってしまう。
(大丈夫、大丈夫、注射打つだけだし)
何度も自分にそう言い聞かせている内に、一番奥の部屋の扉の前で執事がピタリと止まった。ニーナも慌てて足を止める。
一度形式だけのノックをして執事は部屋に入った。おそらくそこには誰もいない事を知っていたのだろう。落ち着いた装飾の部屋には暖炉が設置され、ソファやテーブル等、ひととおりの家具が設えられていて、私室の居間といったところだろうか。
「では、私は外で控えておりますので、ここから先はお任せ致します」
「あ、はいっ! 案内してくださってありがとうございました」
居間まで通されて、寝室になるのだろう奥の扉を手で指し示される。てっきり執事も一緒に入室するものと思っていたニーナは、戸惑いつつも礼を言ってから、寝室へと足を向けた。
軽くノックしてみるが反応はない。ちらりと執事を窺えば、まだその場にいた彼は見守るように穏やかに頷いて中に入るように促された。
……患者は眠っているのだろうか。それとも声を出せないほどの痛みに耐えているのだろうか。
そっと扉を開けて静かに身体を滑り込ませたニーナは、軽く寝室を見回す。カーテンは固く閉ざされていて昼間だというのに薄暗く、部屋の中心に天蓋のついた大きな寝台が置かれていた。
しかし天蓋から吊るされた紗幕は全て柱に括られているので、覗き込まなくても中の様子は離れた場所からでも確認できた。ニーナが四人横に並んで眠れるだろう大きな寝台の中央には、毛布の中に蹲るように丸まった男性らしき広い背中が見える。
寝着でもなく白いシャツとズボンを身に着けた男は、意識を失っているのかぐったりしていた。
(さて、どうしようか)
完全に意識がないのなら問題ないのだが、中途半端な状態だと注射の痛みに驚き、暴れてしまうかもしれない。
とりあえず意識の確認を、とニーナが寝台に近付こうと一歩足を進めたその時、横になっていた男が大きく身体を震わせた。
驚かせてしまっただろうかと心配になって、今度こそ寝台へと駆け寄ったニーナは、先ほどまでいた位置からは陰になり見えなかった男の姿を確認し、目を見開いた。
「……え」
両手両足はそれぞれ黒光りする分厚く頑丈な鉄輪でひとまとめに拘束され、鎖の先は寝台の天蓋を支える柱へと繋がっており、とどめに猿轡まで咥えさせられていた。
しかも驚いた事に――彼は獣人だった。
どうやら尻尾は毛布に隠されていたらしい。動いた拍子に毛布がずれ、銀色の大きな尻尾がニーナの目の前に現れた。これが現実だと言わんばかりに存在を主張し、忙しなくシーツを叩く音にニーナは、はっと我に返った。
(――ちょっと待って! 拘束しなくちゃいけないくらい危険な状態だなんて聞いてないんだけど! いやいやいや、それよりなによりなんで獣人さん!?)
左右に揺れる尻尾の動きをつい視線で追いつつ、ニーナは愕然とする。
もしや……ヤマトが内緒にしていたのは、この事なのだろうか。
ありえる……と、憎々しくヤマトの飄々とした顔を思い出してニーナは思いきり顔を顰めたのも束の間、ふいに男が静かになった。
「……?」
痛いくらいの視線を感じたニーナは、おそるおそる顔を上げる。
勿論視線の持ち主は――ふさふさ銀色尻尾の持ち主である獣人の男である。尻尾とお揃いのピンと立った耳と共に、苦しそうに眇められた深緑色の瞳から放たれる鋭い眼光が、ニーナを貫いていた。