【試し読み】生贄にされた聖女ですが、世界平和のため魔王と子作りします
あらすじ
「お前が俺の子を成せば、和平に応じてやる」――人間と魔族との間で200年前に交わされた和平協定。ところが50年に一度の定期会談に魔王は現れず、人間の国の国王は友好の証(生贄)として『聖女』を贈ることに。聖女イレーネは魔王の後継を産むことが出来る唯一の存在として、幼い頃から国王の住まう王宮に幽閉されていた。10年ぶりに許された外出で世界平和を背負ったイレーネだったが……「勝手に友好の証など送られても迷惑だ」魔王は聖女に興味ゼロ! しかし奥の手だった『子作り』を提案したら、予想以上の反応と共に唇を奪われてしまって……? 超ピュア聖女ともふもふ魔王のラブファンタジー!――お前は俺のものなのだから。
登場人物
人間と魔族の友好の証として捧げられた聖女。幼い頃から王宮に幽閉されていたため外界を知らない。
魔族の王。人間にも和平にも興味がなく、一方的に送りつけられた聖女にも迷惑していたが…
試し読み
プロローグ.無垢な聖女は口づけを知らない
謁見の間だというのに明かりは灯されておらず、窓から差し込む月の光だけが頼りだった。
そもそもこの城に住まう者たちは夜目が利くから、暗くても不便などないのだろう。見えなくて困っているのは私だけだ。
玉座に座る彼ですら、人の形こそすれ人間ではない──魔族と呼ばれる種族だ。
私は玉座へと延びる黒い絨毯に膝をつき、その男を見上げた。
闇と同じ色の髪、月と同じ色の瞳。肌は暗闇の中で煌々と白く浮かび上がり、顔立ちは見惚れるほど麗しい。
だが気をつけなければ。その美しさに清廉さはまるで感じない。人を惑わす禍々しい毒花のようだ。
外套や長衣は漆黒で周囲の闇に溶けている。銀細工の留め金と銀糸の刺繍がときたま月の光を反射してキラリと光る。
「貴様が聖女か」
玉座の肘掛に頬杖をついて男が尋ねてくる。低くゆったりとした声はどこか気だるく、冷酷な印象に拍車をかける。
「……はい」
素直に答えると、男は銀色の目をわずかに眇めた。
「印を見せろ」
「え? し、印……!?」
私は胸元に視線を落とす。白いドレスの下に男の言う〝印〟は存在するが、簡単に見せられる場所ではない。ドレスは首元まできっちりと留められていて、前を開けることもできない。
「……印は、ここに……」
私が胸のほぼ中央、心臓のあるあたりに手のひらを当てると。
男が片手を持ち上げ、指先をひょいっと動かした。
すると突然、私の胸元で青い炎が燃え上がり、胸より上の布地をあっという間に炭化させてしまった。不思議なことに、熱さはまったく感じない。
焦げた布がはらはらと散って、白い肌が覗く。そこに刻まれているのが男の言う印──剣に蔦が絡まったような奇妙な形の黒い痣だ。『聖女の刻印』と呼ぶらしい。
「肌を焼かず、服だけ燃やすなんて……」
胸に触れ、火傷がないことを確かめていると。
「くだらん入れ墨なら、その身ごと燃やしてしまおうと思っていたがな。残念ながら本物のようだ」
どうやら男は私を丸ごと黒焦げにするつもりだったらしい。
燃えないで済んだのは刻印の力のおかげか。今さらぞっと背筋が冷える。
見上げれば、血の通わない鋭い瞳。実際、その身に血は通っていないのかもしれない。通っていたとしても、私の体に流れる血液とはまるで異質のものだろう。
魔族とは、人間よりも圧倒的に力を持ち、邪悪で、何百年、何千年という長い時を生きる存在。
私はその魔族の王に献上されたのだ。人間たちが住まう国──『王国』の平穏を守るため、たくさんの人々の祈りを背負って。
つまりは生贄である。
「どうか私を国王からの友好の証としてお納めください」
覚悟はとうにできている。私を生かすも殺すも彼ら次第。
とはいえ、聖女は魔族にも加護をもたらす存在。彼らにとって私は無価値ではないはず、酷いことはされないだろう。
──と思っていたのだが。
「面倒なものを押し付けられたものだな」
男は頬杖をついたまま、心底だるそうに吐き捨てた。
あれ? おかしいな。予想していたリアクションと違う。
「えっと……あの……聖女って、魔族からもそこそこ重宝されると聞いているんですが」
「いらん。勝手に友好の証など送られても迷惑だ」
あれ? あれ?
聞いていた話と全然違う。これでは生贄の意味をなさないではないか。
このままでは死体となって王国に送り返されかねない。平和のために殉ずるならまだしも、無駄死になんて嫌だ。
「私がいると、一族に繁栄がもたらされるそうですよ?」
説得を試みるが、男は興味などないといった顔で肩を竦めた。
「まじないのようなものか? つまらんな」
説得失敗だ。最近の若い魔族は伝承なんて信じないのかしら。
ちなみに若いと言っても、たぶん私の年齢の何十倍は生きてると思う。
「……私でしたら、魔王の子が産めるそうですよ」
切り札を口にしてみると、これには男も興味を示し表情を変えた。血のように赤い唇が、ニィッと挑発的な笑みをたたえる。
「ほう。お前が、俺の子を産んでくれるのか?」
その男──魔王が立ち上がり、私のもとへ歩いてきた。外套が翻り、細く括った髪の束が歩くたびにライオンの尾っぽのように揺れる。
「確かに、俺を生んだ女も聖女と呼ばれた人間だった。強大な魔の力を子に継承させることができるのは、聖女だけだと聞く」
聖女は魔王の子を成す唯一の存在。そう信じられているからこそ、聖女は代々王宮内にある結界付きの塔に秘匿されてきたのだ。魔族たちに奪われることがないように。
その聖女を国王自ら差し出すことは、最大限の誠意。ともに生きよう、争いを捨て、共存していこうという気持ちの表れだ。
「俺は人間の顔色をうかがうつもりはない。なめられた真似をされれば当然報復するし、邪魔になれば滅ぼすだけだ。だが──」
魔王が私の前で足を止め、片膝をついた。跪く私の顎を持ち上げ、無理やり上を向かせる。
息を呑むほど端整な顔が目の前に迫った。
「お前が俺を楽しませてくれるというのなら、友好の証とやらを受け取ってやってもいい」
彼の値踏みをするような目にぞくりと震えあがる。美しいのにとても邪悪で、見つめているだけで眩暈がしてくる。
「まずは俺の子を産んでみせろ。そうすれば、和平も考えてやらなくもない」
そう言い放つと、彼はわずかに口を開き私に顔を近づけてきた。
キラリと光る白い牙。食われる、そう思い目を瞑るがかじられることはなく、代わりに唇を包まれた。
え??
彼はなぜか牙を立てず、砂糖菓子でも嗜むように唇を舐め溶かした。わずかな口の隙間に舌を差し入れて、口内を探ろうとする。
生まれて初めての経験に頭が真っ白になる。彼はいったい何をしているのだろう。
「っ、ん……」
ぞくりと全身が粟立って、形容しがたい感情が湧き上がってくる。
自分自身でも知り得ない琴線に触れた気がして、咄嗟に彼を突き飛ばした。
気がつけば顔が熱くなり、息が切れている。こんなことは初めてだ。もしかして、魔族の儀式か何かなの?
彼は自身の濡れた唇を手の甲で拭いながら、困惑する私を見下ろした。
「惚けた顔をしているな。まぁ、聖女というくらいなのだから、男と交わったことがないというのも頷ける。だが──」
また顔を近づけられ、反射的にびくりと震え上がる。
「男と女が何をするかくらいは知っているだろう?」
彼は耳元でそう囁くと、舌で耳朶をくすぐった。
「きゃっ!」
変な声が漏れ、顔がいっそう熱を帯びる。
彼は怪しげな儀式から私を解放すると、ニヤリと狡猾な顔をして笑った。
「さっさと子どものフリをやめろ。女の顔になれ」
そう言い残し、外套を翻し部屋を出ていく。
誰もいない大広間にひとり残され、私は両手を絨毯についてへたり込んだ。自尊心を打ち砕かれたみたいな、このたとえようのない焦燥は何なんだろう。
頬へのキスなら知っている。両親と暮らしていた頃は、おはようとおやすみの時に必ずキスをして挨拶した。
でも、唇へのキスなんてしたことがない。
魔王はどうしてこんなことをしたの……?
心臓がおかしくなり、ドキドキが収まらない。やはり呪いでもかけられたのだろうか。
全身をペタペタと手で触りながら、他に異常がないかを必死に確かめた。
聖女とは時代を動かす鍵となる存在なのだとか。
かつて聖騎士の妻となり暗黒の時代を終結に導き、また別の時代では圧政を敷く悪しき国王を滅する指導者となり、人々を救った。
私は産まれた瞬間から聖女だったわけではない。幼い頃はごく普通の女の子として、王都の西にある小さな村で両親とともに暮らしていた。
胸にこの印が現れたのは八歳の時。聖女の名を与えられた私は王宮に引き取られ、敷地の端にある小さな塔に匿われることとなった。自らの意思で部屋を出ることは許されず、ほとんどの時間をひとりきりで過ごしてきた。
それが十年続き、十八歳になった今日。
やっと外に出られたかと思えば、ここに遣わされた。
私たちが魔族と呼ぶ生き物の住む、この『宵の城』に。
※この続きは製品版でお楽しみください。