【試し読み】男装の軍人令嬢は研究者に一途な愛を捧ぐ

作家:長野雪
イラスト:さばるどろ
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/10/22
販売価格:800円
あらすじ

中性的な容姿で淑女をときめかせている軍閥貴族の長女アレーナ。ある日、若い未婚女性憧れのしきたり『銀器の誓い』を遂行する任務を受け、我儘お嬢様の婚約相手アースランと出会う。錬金術で作られた培養肢を研究しているという彼は真面目で頭が良く、ひょんなことから定期的な話し相手として望まれたアレーナは、いつしか彼との逢瀬を楽しみにしてしまう。しかし政略結婚とはいえアースランは婚約者のいる身。結ばれることはないと思いながら、何事にも真摯な彼に惹かれていってしまうのだが――この出会いは思いもよらないところでアレーナが処女を失った過去と繋がっていて……?

登場人物
アレーナ
中性的な美貌の男装軍人。任務により出会った研究者・アースランに惹かれていくが…
アースラン
錬金術で作られた培養肢を研究。頭が良く真面目だが、研究一筋で流行やしきたりには疎い。
試し読み

 コツン、コツン、と予想以上に響く自分の足音を聞きつつ、アレーナは平然な顔を取り繕いながら歩いていた。この場に他人の目などなかったが、そうでもしないと恐怖でおかしくなりそうだった。
(大丈夫だ。何しろ、幽霊なんて非科学的なものなのだから)
 一月前に支給されたばかりで、まだ着慣れていない士官の軍服は、ほつれも汚れもなく、仕立てたときそのままの姿だ。いや、王都では書類仕事が主だったから、多少袖口にインクのシミは残っているかもしれない。長身でスレンダーな体型の彼女の軍服姿は、中性的ながら女性特有の危うさを内包しており、城内で働く女性陣からは倒錯的な熱い視線を集めていたことを本人は知らない。新米士官として軍部に配属されてから一月程は、書類整理という雑用を押しつけられながら慌ただしくオリエンテーションを済ませ、今度は前線を体験しろとばかりに、このガラー基地へ配置されたからだ。
(しっかりしろ、アレーナ・ヴォルコバ! 最初からこんなことでは、父上にだって呆れられてしまうだろう!)
 そう自らを鼓舞するものの、深夜に一人で基地内の見回りをする、などという任務を押しつけられるのは予想外すぎた。本来ならば、見回りは二人一組で行われるべきだ。それが軍人としてはまだひよっこの彼女一人に任されたのには、もちろん理由がある。
 一つは戦時下特有の人手不足によるものだ。この国──ラズルーカの北に接する隣国クリージスは農地に適した土地が少なく、その結果として、まるで時候の挨拶のように、毎年、冬が近くなると国境を越えて侵略してくる。ラズルーカとしても慣れたものなので、適度に相手をしてお帰り願っており、今も国境付近で小競り合いが起きているという状況だ。国境線に一番近いこのガラー基地からも多くの兵が参戦していて、基地の防衛のために残っている者は平常時より少ない。だからと言って、見回りの人員を減らす程、逼迫ひっぱくしていないはずだが、もちろん軍人としては新米のアレーナがそれを知ることもない。
 二つ目の理由は、彼女に対するやっかみ……要は嫉妬だ。軍閥貴族として確固たる地位を築いているヴォルコバ家の長女である彼女は、傍から見れば年若くして士官になれるほど、綺麗に整備された栄達への出世街道ができあがっているように見えるのだろう。もちろん、実際にはそんなことはない。軍閥貴族というだけで士官になれるほど、この国の軍部は甘くないのだ。一定のふるいに掛けられた上で士官として認められている。それでも軍人として恵まれた環境に生まれたのは確かだ。基地にいる多くの者は、それこそ一兵卒からスタートした叩き上げの者ばかり。そこにまだ十代の若い娘が「彼らに命令する側」として赴任してきたのだ。面白くないと感じるのも仕方のないことだろう。そういう嫉妬はアレーナにも理解できた。
(だからと言って、この仕打ちはどうかと思うが)
 不測の事態に遭遇した場合、一人では対処しきれないのは明らかだというのに、この基地の連中は隣国の侵略が恒例行事すぎて、逆にたるんでいるのではなかろうか、とアレーナは考える。指定された出向期間を終えて王都に戻ったら、絶対に報告書に事細かに書いてやる、と復讐計画を立てるだけでも、多少は溜飲が下がった。
(王都では真逆の扱いだったから、油断していたな)
 アレーナの父、オレグ・ヴォルコバは軍の中でも上位である大将の地位にあり、彼を慕う部下も多い。ただ、彼には二人の娘しかおらず、長女であるアレーナの婿に納まればヴォルコバ家の次期当主になれる、という考えの者もいて、アレーナはそんな輩にやたらと恩を押し売りされていたのだ。今回の出向が、そんな状況を鬱陶うっとうしく思っていた彼女への配慮なのか、それとも全く別の思惑なのかは分からない。だが、少なくともアレーナが自身に対する周囲の目を再確認するきっかけになったのは確かだった。
(だいたい、恒例の侵略だからと油断しすぎじゃないか? 確かにここの地理に慣れた者は必要だが、もっと他の基地とのローテーションを頻繁に行ってもいいだろうに)
 灯火も節約した暗い中、手にしたカンテラの光だけが頼りだ。城お抱えの錬金術師れんきんじゅつしたちが開発した新型カンテラは、かなり先の方まで光を通してくれるので、これを私物に混ぜてくれた父には感謝しなければならない。
 こうした錬金術の発展は、周囲の国々との競争に打ち勝つために必要なものだ。時代を遡れば鉄屑から金を作り出すという怪しげな存在だった錬金術は、今や大いに発達し、今アレーナが使っているカンテラのように生活に役立つ道具から、大砲のような攻城兵器、本人の細胞から作り出した培養肢ばいようし・培養臓器の生成など、様々な分野に用いられている。だが、その難解さゆえにその道を歩み続けられる者は少なく、優秀な錬金術師をいかにして囲い込むのか、と各国首脳陣は頭を絞っている。錬金術に長けているからと言って、私欲を優先する者もいれば、広く万人に利をもたらすようなものを率先して研究する者もいる。どのように錬金術師たちの手綱を握るかということも、各国の抱える難題である。
(そういえば、この基地には医療関係の錬成陣が多く配備されているとか何とか言っていたか。まぁ、毎年のように侵攻されていては、負傷者も多いのだろうな)
 自分一人だけの足音しか聞こえない。そんな恐怖を打ち払うように、アレーナは一人考えに没頭していく。宿舎から遠ざかって人の気配もない中で、頭の中の地図を確認しながら歩くアレーナの表情は、暗がりの恐怖と孤独な任務のために徐々に強ばっていった。
アアアアァァァァァァ……!
「っ!」
 耳に届いたその声に、アレーナの足が止まる。隙間風の音などではない。もっと低く響く声は、まるで野獣の咆哮のようだった。この付近に野犬や狼の類いが出るという話は聞いたが、そんな生やさしいものではない。しかも、響き方から察するに、この声の主はこの棟の中にいる。
 戻って応援を呼ぶべきだ、という判断のもと、踵を返そうとしたアレーナだったが、すぐに思い直した。こうして彼女を一人きりで見回りに送り出した連中のことだ。彼女が何を言っても「空耳だ」「臆したのか。これだから士官サマは……」と嘲笑されるのは容易に想像がついた。せめて、この声の元を確認しなければ、まともに取り合ってもらえないだろう。
(まったく、面倒なことだ)
 王都に戻ったら絶対に上申書を上げようと再び強く決心しながら、アレーナは先に進む。配属間もない士官をいじめるのは止められないだろうが、実務に支障が出るようなやり方だけでもやめさせなければ。
(この先は何の区画だっただろうか)
 一応、基地の地図を頭の中に叩き込んできた筈なのに、思い出せない。だが、見回りのルートからは少し外れていることだけは確かだ。
(意図的に見回りのルートから外れた場所で問題が起きているのなら、内部の誰かが……?)
 そこまで考えて、さすがにそれは邪推が過ぎると頭を振って否定した。とりあえず、この叫び声のする場所へ行ってみるべきだ。そうすれば何もかも明らかになるだろう、と自分に言い聞かせ、アレーナは足を動かす。
アツイィ……ダァレカァァ……
「!」
 声の主が獣なのではなく人、しかも助けを呼んでいると理解した瞬間、アレーナは走り出した。先程までの臆病風はどこかへ消えてしまい、手は腰に下げられたサーベルに添えられている。いつでも抜刀できるように、けれど先走りすぎないように柄を握ることはしなかった。
 程なくして、アレーナはある扉の前に立っていた。絶叫は徐々に啜り泣きのようになっていたが、声の主がこの部屋の中にいるのは間違いない。
(この中に、いったい誰が……?)
 再び怖じ気づきそうになる心を叱咤してドアノブを回す。鍵はかかっていないようで、すんなりと回った。静かに細くドアを開ければ、中はほとんど空っぽの部屋で、ベッドとささやかな書き物机だけが配置されている。
(兵の宿舎からは随分と離れているが、士官の誰かが部屋を占有しているのか?)
 アレーナも同室のイビキや寝言が激しくて、といった陳情を目にすることはあった。だが、そんな考えもベッドの上の人物を目にした途端、吹き飛んでしまった。
「っ! 誰がいったいこんなことを!」
 ベッドの上で苦しげな呻きを繰り返す男は、黒いバンドで毛布の上から固定されていたのだ。アレーナはすぐにバンドを外して彼を解放する。
「ひどい汗だ。いや、あれだけ暴れていたなら当然か」
 ポケットからハンカチを取り出すと、黒い髪が貼り付いてしまっている男の額や首元の汗を拭ってやった。濡らしたハンカチの方がもっといいだろう、と水を探して部屋をぐるりと見回したときだった。
「っ!」
 男の手が、アレーナの手首を強く掴んだ。驚きのあまり心臓が跳ね散らかしたが、なんとか呼吸を整えて男を見る。肘のすぐ下あたりに見えた新しい縫合痕が気になったが、そのときは、男が目を覚ましたのなら、事情が聞けるという余裕を持っていた。だが、それはすぐに、あまりにも楽観的な考えだったと思い知らされる。
「ア……」
 男は目を覚ましていた。確かにその濃い灰色の瞳はアレーナの姿を映しているように見えた。
「大丈夫ですか? 私の声がわかりますか?」
「アアアァァァァァッッッ!」
 アレーナの呼びかけが引き金になったのか、男は大声で叫びながら、彼女を思い切り引っ張った。
「ちょ、何を……っ!」
 アレーナの抵抗など男は意に介した様子もない。予想外の行動に彼女が対応しきれていないのをいいことに、男は先程まで自分が縛り付けられていたベッドに引き倒し、上から覆い被さる。
「わぷっ! ちょ、待て! 待ちなさい!」
 制止の声など聞く耳を持たない男は、アレーナの首元に鼻を押しつけ、その匂いを堪能する。自分の下で暴れ続けるアレーナを鬱陶しく思ったのか、自分を戒めていた黒いバンドを手探りで引き寄せると、彼女の手首をひとまとめにして、ベッドヘッドにくくりつけた。あまりの淀みない動きにアレーナも唖然とする。正気を失っているように見せかけて、正気なのではないかと疑う程だ。
(……って、感心している場合じゃない!)
 アレーナは何とか蹴りや頭突きで相手を怯ませられないかと暴れるが、無駄に疲れるだけに終わる。そうこうしているうちに、男の手がアレーナの襟元にかかった。ぎくり、と彼女の身体が強張る。この先に何が待ち構えているのか、男が何を望んでいるのかが分かってしまった。
 命の危険に晒されると、本能的に種を残そうとするものなのだと、アレーナは士官として配属される前に教わった。その衝動を抑圧させすぎず、適当に吐き出させることが大事なのだと。正直、うら若い乙女に対して何を言っているんだと反論しそうになったが、これはアレーナが選んだ道なのだ。単なる娘であることを捨てて、軍属の道を選んだアレーナの。
「落ち着いてください! 自分が何をやっているのか分かっているのですか!」
 アレーナの声が届いているのかすら分からないが、男の手は震えながらも忙しなく動き、アレーナの軍服のボタンを一つずつ、けれど確実に外していく。力尽くで引きちぎらないだけの理性が残っているのだろうか。まぁ、残っていたとしても上っ面だけの理性かもしれないが。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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