【試し読み】悪役令嬢はとにかく恋はしたくない!
あらすじ
マルガレータは、かつてプレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢であることを思い出す。婚約者である皇太子がヒロインに恋をしたことで嫉妬に狂い、破滅してしまうのだ。悪役回避のため恋をしないことを決めたマルガレータだが、皇太子側近である幼馴染のエッカルトの働きにより、皇太子の婚約者候補となってしまい!? 得意気なエッカルトに怒るも、ハッと閃く。一番ありえなそうなエッカルトと婚約すれば皇太子に恋する確率は低くなる、と……「なぁんだ、僕のことが好きだったの?」――そして彼は、自分の望みは恋愛結婚だということを告げ――幼馴染の顔から変わるエッカルトに、気持ちは揺れ動く……恋なんか、しちゃだめなのに……!!
登場人物
乙女ゲームに転生した悪役令嬢。破滅エンド回避のため恋をしないと決意するが…
皇太子側近であり、幼馴染。マルガレータを皇太子の婚約者として推薦する。
試し読み
プロローグ
「うっそでしょ……?」
狼狽えたマルガレータは小さな声で呟くと、庭園の向こうから歩いてくる金の髪の青年を食い入るように見つめた。
頭の中ではぐるぐると、いろんな情報が渦を巻いている。倒れそうになる身体を震える足でなんとか支え、マルガレータは必死になってその情報を整理しようと試みた。
今、マルガレータがいるのは皇宮の庭園だ。
中央に巨大な噴水があり、その周囲を囲むようにしていくつも配置された丸型の机と椅子。新緑の季節だけあって青い空と緑のコントラストが美しい庭園には、皇家の権力の象徴たる薄紅色の薔薇が咲き誇っている。
この薔薇は春に咲くように調整された珍しい品種で、アッヘンヴァル家の祖先が繁殖を成功させたもの。皇帝陛下に献上し、こことアッヘンヴァル家でしか見ることのできない、貴重な薔薇だ。
そう、これこそ「アッヘンヴァルの薔薇」──ああ、なぜもっと早くにこれを思い出さなかったのか。
(眩暈がしそうだわ……)
唐突に蘇った記憶に叫びださなかったのは、これまでに受けてきた淑女教育の賜物だろう。厳しい父だが、そこには感謝してもいい。
その美しい庭園へ姿を現した青年の名は、クリストハルト・フォン・バルヒェット、二十三歳。グーリヒ帝国の第一皇子にして皇太子。それにつき従うのは、彼の側近であるエッカルト・フォン・フーゲンベルクだ。
マルガレータは、このシーンに見覚えがあった。
なぜなら、クリストハルトは「アッヘンヴァルの薔薇」というタイトルの乙女ゲームのメインヒーローで、マルガレータはそのゲームをプレイしていたことがあるからだ。
(このシーン……悪役令嬢が最後に語る、殿下との思い出のシーンじゃないの……!)
ゲームの始まりは、もう少し後だったはずだ。マルガレータは懸命に自らの──前世の記憶を辿る。
そう、前世。頭がおかしくなった、とは言わないで聞いてほしいのだが、マルガレータはいわゆる転生者というものなのだ──と思う。これまで育ってきた公爵家の娘、マルガレータ・フォン・アッヘンヴァルとしての記憶はもちろんある。けれど、今蘇ったのは、ニホン、という国で乙女ゲームに心血を注いでいた女性の記憶だ。名前も年齢もうっすらとしているけれど、このゲームのことはよく覚えている。
なぜならこれは、前世の自分が最後にプレイしていたゲームだから。そして──完クリ、つまりスチルをすべて集めることができなかったことが、心残りだったから。
このゲームのストーリーは、いたってありきたり。心のどこかに悩みを抱えた攻略対象たちを、ヒロインが優しく、時に厳しく導き、その過程で恋に落ちる。だけれども、定番の物語にはやはり一定数のファンがいること、それに加え有名絵師の美麗なキャラクターデザインが評判となり、人気はそれなりに高かった。
そして、そのヒロインこそがタイトルにある通り「アッヘンヴァルの薔薇」に例えられる、アッヘンヴァル公爵家の令嬢だ。
──今は、まだいないのだけれど。
記憶違いでないのなら、ゲームの開始はあと二年後。
今から一年後に父が他所で産ませた娘を引き取り、アッヘンヴァル公爵家の令嬢は二人になる。その娘こそが、後にアッヘンヴァルの薔薇と称えられるヒロイン、ミヒャエラだ。
ミヒャエラは、まるで薔薇のような薄紅色の髪に新緑のような瞳を持つ美しい娘で、マルガレータの一つ年下。赤い髪にうっすらと青みがかった緑の瞳を持つ、少しきつい印象を与えるマルガレータに比べ、儚げで愛らしい少女だ。
(ここで、マルガレータは殿下と出会って──そして、婚約者候補の一人として、殿下と一年親しくさせていただくことになるのよね)
美しく、強く、優しい皇太子殿下に、マルガレータはどんどん惹かれていく。クリストハルトがどう思っていたのか、それは定かではないが、一年後にマルガレータが彼の婚約者に決まると同時に、ミヒャエラは公爵家の跡継ぎ娘として迎え入れられるのだ。
──でも。
あくまで、ヒロインはミヒャエラ。婚約者の家を訪ねて来たクリストハルトが彼女と出会うところから、物語は動き始める。二人の出会いのその場で、クリストハルトは一目でミヒャエラに恋をしてしまうのだ。そして、折に触れて訪れるクリストハルトに、ミヒャエラは「いけないこと」と思いながらも惹かれていく──。
だから、とマルガレータはひっそりとこぶしを握り締めた。
視線の先では、クリストハルトが美しい顔に美しい笑みを浮かべ、令嬢たちに挨拶をして回っている。
「……私は、恋なんてしないわ」
クリストハルトに恋していたマルガレータは、ミヒャエラに嫉妬をしてありとあらゆる嫌がらせを行い、その末に破滅する。
でも、そんなのは嫌だ。破滅願望なんて、マルガレータは持っていない。だから、これは当然の反応だろう。
ゲームのマルガレータは、ここでまずクリストハルトにときめきを覚え、会話することでますますそれを募らせていく。だけれども、今の、すべて思い出してしまったマルガレータは、一向にときめきなど覚えない。
(恋をしてしまったら、身の破滅なんだから……)
きゅっと目に力を込めて、マルガレータはクリストハルトの姿を見つめ続ける。その時、ふとその傍らに影のように立っているエッカルトと視線が合った。
青みのある銀の髪と、今日の空のように澄んだ青い瞳。それは、マルガレータにとって見慣れたもの。なぜなら、彼とは幼馴染だからだ。
だというのに、なぜか今のマルガレータには、それが一瞬だけ眩しく見えた。だが、すぐに別の疑問が心の中を占領する。
(あれ……? そういえば、エッカルトはこのシーンにいたかしら……?)
マルガレータは眉をひそめた。首を少し傾げて考えてみる。
皇太子、というクリストハルトの身分からすれば、側近なり侍従なり、伴っているのは当然だろう。攻略対象でないエッカルトは、スチルからは省かれたのかもしれない。
マルガレータの浮かべた硬い表情に気づいたのか、エッカルトは薄く微笑むと、一度頷いてみせる。それから、何事かを傍らのクリストハルトに囁きかけると、金の髪の皇太子はふと顔をあげ、マルガレータの方を見た。
(げっ……エッカルト、あなた何を言ったの……!?)
ふんわりと優しげな微笑みを浮かべたクリストハルトを前に、マルガレータは心の中でそう叫び声をあげた。
第一話
お茶会から一週間。小雨の降る窓の外を見つめ、ため息をこぼすマルガレータの心中は、穏やかとは言い難い。
結局、あのお茶会でマルガレータは他の令嬢を差し置いて皇太子殿下と親しく会話するという、まったく望んでいない状況に置かれてしまったからだ。
いくらマルガレータが皇太子クリストハルトを望まないとは言っても、これまで培った貴族令嬢としての教育が、彼への不敬や、その場にそぐわない態度を許さない。結果として、至極和やかに──そしてお互いが腹の中で何を考えているかにかかわらず、楽しそうに会話する姿を他の令嬢たちに見せつけることになってしまった。
(このままだと、完全に婚約者候補に決まってしまう……!)
少なくとも、悪印象は与えなかったはずだ。そして、政治の表舞台からは遠ざかっているものの、皇家の流れを汲む由緒正しい公爵家という家柄からも、マルガレータがゲームの通りクリストハルトの婚約者候補に内定する確率は非常に高い。
マルガレータは一人娘だが、アッヘンヴァル公爵家を存続させる方法などいくらでもある。そのこと自体は大した障害にならなかった。
だからなるべく、お茶会ではおとなしく目立たぬように振る舞って、婚約者候補になる確率を少しでも減らそうと努力するつもりだったのだ。だというのに……。
「困るのよ……それじゃあ……」
クリストハルトのことは、別に嫌いでもなんでもない。
国内外の評価がそれなりに高く、将来名君となるであろうことは間違いない皇太子殿下。まぁ、現段階では色々と次の帝位継承者に関する噂はあるものの、前世の知識がそれが確実な未来だということをマルガレータに教えてくれる。
先日初めて言葉を交わしたわけだが、美貌に加え、あの優しい笑みにときめかない令嬢はいなかっただろう。当のマルガレータを除いては。
(私だって、破滅しないのなら……)
なんといっても、皇帝の妻というのは国内でもっとも安定した嫁ぎ先だ。グーリヒ帝国法では、たとえ皇帝であっても一夫一妻制と定められている。万が一子どもができなかった場合にのみ離婚と再婚が認められており、他の理由で離縁されることはないからだ。
つまり、結婚して子どもさえできれば──皇帝の気持ちが他の女性に向いたとしても、皇妃の地位が脅かされることはない。そう考えれば、とても魅力的である。
まず、高位貴族の令嬢ともなれば、一番に狙うべきポジションであった。
けれど、とマルガレータは蘇った自身の前世の記憶を再び思い起こして、また暗澹たる気持ちでため息をついた。
マルガレータに限って言えば、その道はまさに安定とは程遠い、破滅への道なのだ。
(どうか、婚約者候補に内定しませんように……!)
祈るような気持ちで窓の外の空を見つめ、いるのかいないのかわからない神にそう願う。
だが──。
その願いもむなしく、マルガレータにもたらされたのは「皇太子の婚約者として、マルガレータ・フォン・アッヘンヴァル嬢を候補の一人としたいが如何か」という知らせであった。
「もー! 絶対エッカルトのせい! エッカルトが余計なことしなければ……!」
知らせを持ってきた皇帝からの使者が帰り、父も退室した後の応接室で、マルガレータは一人叫び声を上げていた。喜ばしい知らせを受け取ったはずの主人のご機嫌が最悪なことを察し、マルガレータ付きを古くから務めている侍女は職務を放棄して退避している。賢い。それもこれも、マルガレータが寛大な主人だからなのだが、今の彼女にとってはどうでもいいことだった。
ひとしきり騒いだ後、マルガレータは「はあ」と小さくため息をついた。上がった息を整えながら、ソファにどすんと腰を下ろす。公爵家の格にふさわしいどっしりとした大き目のソファが、その不調法さに抗議するようにきしんだ音を立てた。そもそも貴族令嬢の作法として失格の動作だが、今はそんなことは些細なことだ。
(もう……どうしたらいいの……)
マルガレータ以外に候補に挙げられているのは、侯爵家の令嬢二人と伯爵家から一人。いずれもそれぞれに歴史ある古い家柄であったり、財が豊かであったり──本人の資質が秀でていると判断されたりしたものばかりである。
しかし、選ばれた令嬢たちの顔ぶれを見ても、マルガレータが婚約者候補の筆頭だ。グーリヒ帝国にある公爵家は三つ。うち二つは、今は適齢期の娘はいない。家柄を重視するのなら、マルガレータが本命だ。
(ま、ゲームの中でもそうだったんだものね……)
マルガレータは小さく首を振ると、重たい息を吐きだした。
ゲームのことを思い出さずにいれば、ときめきと喜びで有頂天になっていただろうけど……!
「あー、もう、エッカルトのやつ……!」
最後にテーブルを蹴りつけようとして、さすがに思いとどまる。再びため息をついたマルガレータが、とりあえず部屋に戻ろうと立ち上がったところで、執事が応接室の扉をノックした。
「お嬢様、お客様がお見えです」
「……予定にはないけど、どなた?」
「ディーツェ子爵が、お嬢様にお目にかかりたいと」
執事の返答に、マルガレータは眉をひそめた。ディーツェ子爵、というのは先程までマルガレータが罵っていたエッカルトのことである。彼は、成人した折にフーゲンベルク公爵が所有する爵位を一つ譲られていた。そのため、普段はその称号で呼ばれることが多い。
(よくもぬけぬけと、姿を見せられたわね……!)
憤懣やるかたない気持ちで、マルガレータは「お通しして」と執事に告げる。途端に、その背後から脳天気そうな声が聞こえてきた。
「やあやあ、マルガレータ。どう? 今日、使者が来ただろ?」
「エッカルト……!」
にこにこと笑みを浮かべたエッカルトの顔が、執事の後ろからひょっこりと現れた。少しだけ得意げに見えるその顔を、マルガレータはぎりりと歯ぎしりして睨みつける。だが、エッカルトは素知らぬ顔をして、マルガレータに片手をあげてみせた。
とりあえず、応接室の中に彼を招き入れ、お茶の支度を執事に頼む。侍女の姿が見当たらないことに怪訝な顔をしながらも、執事は頷くといったん下がっていった。
執事が扉を閉めたのを確認して、マルガレータは仁王立ちしてエッカルトに詰め寄る。
「エッカルト、あなたのせいで大変なことになったわ」
「なんだよ、僕、なかなかいい働きをしただろ? 褒めてくれるかと思ったけど」
勧められもしないのにソファにどっかりと腰を下ろしたエッカルトは、そう言うと不思議そうに立ったままのマルガレータを見あげた。そんな彼を、マルガレータはむっつりと不機嫌そうに睨みつける。
もう、とにもかくにも全てエッカルトのせいだ。そう思わなければ、マルガレータの気持ちは到底収まらない。せっかくの計画が台無しだ。
「褒める? なんでそう思うのよ」
マルガレータの苛立たしげな口調に、エッカルトは少し面食らったようだった。首を傾げると、困惑したように口を開く。
※この続きは製品版でお楽しみください。