【試し読み】溺甘弁護士の真摯なプロポーズ~三年越しの約束を、もう一度~

作家:花木きな
イラスト:龍胡伯
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2021/8/10
販売価格:300円
あらすじ

パラリーガルとして働きながら弁護士を目指す莉奈は、まもなく控えている司法試験にこれまで以上の緊張を感じている。三年前に年上の弁護士彼氏・旭からプロポーズをされた時、試験に合格するまではと結婚を保留にしていたからだ。しかし莉奈には人より緊張しやすいコンプレックスがあり、夢のため努力を続ける一方で、完璧な彼がずっと自分を選び続けてくれているか自信をなくしかけていた。加えて彼に好意を寄せる女性秘書からもあからさまに敵意を向けられている。――彼はずっと変わらず、莉奈をとろけるほど甘く愛してくれているが、爽やかで紳士的な旭に惹かれる女性は多く、不安は尽きなくて……?

登場人物
日比谷莉奈(ひびやりな)
法律事務所でパラリーガルとして勤務。弁護士になるのが夢で、司法試験合格を目指す。
藤崎旭(ふじさきあさひ)
弁護士。容姿端麗で仕事もデキる完璧彼氏。莉奈の夢を応援し、精神的な支えとなる。
試し読み

あなたと私の事情

 弁護士バッジはひまわりの花をモチーフにしている。太陽に向かって力強く咲く生き様が、『自由と正義』を表しているそうだ。
 また、バッジの中心に描かれている天秤は『公正と平等』を表している。
 人それぞれが持つ人権は皆同じ重さであり、どの人の人権であっても、天秤に載せたときに同じ重さで釣り合わなければならない。
 なぜなら誰かが幸せに生きるために、他の誰かの人権がないがしろにされてはならないから。
 私が初めて本物の弁護士バッジを目にしたのは十二歳のとき。
 両親が離婚することになり、母親の相談にのってくれた弁護士先生の胸についていたバッジは、とても特別なものとして私の瞳に映った。
 その日から弁護士になることを夢見るようになり、二十歳を迎える春に同じく弁護士を志す彼と出会った。
莉奈りなが司法試験に受かったら結婚しよう』
『うん。絶対に弁護士になるから、待っててね』
 そして私たちは将来を約束しあった。

***

 事務所の時計が十八時になろうとしているのを確認して席を立ち、給湯室でミルク多めのホットコーヒーを入れてひとつのデスクに近づいた。
我妻あがつま先生、お疲れさまです」
 コーヒーを静かに置くと、私が勤める法律事務所の所長、我妻弁護士は顔を上げて微笑んだ。
「いつもありがとう」
「とんでもないです。こちらこそよくしていただいて、ありがとうございます」
 我妻先生は業務後一服してから帰宅するのが習慣になっているので、こうして飲み物を用意してから退勤するようにしている。
 五十歳になる我妻先生と、今年の四月で二十八歳になったパラリーガルである私、日比谷ひびや莉奈は親と子ほどの年齢差だ。我妻先生は結婚しているが子供がいないので、娘のように可愛がってもらっている。
「それではお先に失礼します」
 他の弁護士や事務職員たちにも挨拶をして、同じタイミングで退勤した同僚の文乃ふみのちゃんと揃って事務所をあとにした。
 ふたつ下の文乃ちゃんは、身長百五十四センチの私より十センチ高くすらりとしている。童顔の私と違って大人びた顔立ちで、ストレートロングヘアの黒髪がよく似合う。
 結婚していて物腰に落ち着きがあり、そもそも落ち着いているから若くして結婚したのかもしれないけれど、年齢に合った色気もあって素敵な女性だ。
「桜、散っちゃいましたね」
 事務所を出てすぐ、街路樹に目を向けた文乃ちゃんはしんみりとした様子でつぶやく。
 今年は例年より遅咲きだったため、四月の初旬に満開を迎えた。それももう散り、葉桜になった枝をまだ少し冷たい春風が揺らしている。
 私の鎖骨まである焦茶色の髪が、風に吹かれて舞い上がったのを手で押さえつけた。
「もう少しで司法試験ですね」
 続けられた言葉に思わずため息を漏らした。
「あっごめんなさい」
 表情を曇らせた私を見て文乃ちゃんはハッとして足を止めた。申し訳なさそうにしている彼女の方を向いて首を横に振る。
「こっちこそごめんね。今から緊張するなあって思っただけだから大丈夫だよ」
「一年に一回しかないですもんね」
 文乃ちゃんは眉を下げて困ったようにうなずく。
「しかも五月の試験から、九月の合格発表まで約四ヶ月。一年の半分は生きた心地がしないよ」
「早くその呪縛から解放されるといいですね」
「本当にね」
 最寄り駅に向かいながらそんな話をする。
 文乃ちゃんは弁護士秘書として勤務しているので、パラリーガルである私とは微妙に仕事内容が違う。
 秘書の業務は電話対応、スケジュール管理、来客対応、一般的な事務作業だが、パラリーガルはこれに加えて弁護士の業務を専門的な知識を持ってサポートする。
 主に、裁判所への提出書類、契約関係書類、内容証明書の作成、判例や条文の調査、債務整理・過払い請求の補助などである。
 私は我妻先生のもとでこういった仕事をこなしながら勉強をさせてもらい、弁護士を目指している。
 大学卒業後は法科大学院に進み、修了後は法律事務所でパラリーガルとして働いて三年目。
 司法試験には二度落ち、今年で三度目の挑戦となる。
 合格率が三十パーセントという狭き門だというのは百も承知だし、ストレートで合格できるなんて最初から考えてはいなかった。だけど三度目となれば焦りは出てくる。
 司法試験の受験資格は、法科大学院修了後五年以内。試験は年に一回しかないので、受験資格を得てから五年のうちに、最高五回の受験機会が認められている。
 私が試験を受けられるのは今年を含めてあと三回だ。
 弁護士を志すようになったきっかけの人物である我妻先生は、二度目の司法試験で合格したそうだ。
 父親の不倫が原因で両親は離婚し、母親とふたりで慎ましく暮らしてきた。
 慎ましくといっても、希望する大学に入学して法科大学院まで通うことができたのは、父親から慰謝料を受け取り、成人するまでしっかりと養育費を払ってもらえたからである。
 それもこれも裁判が有利に展開するように、手助けしてくださった我妻先生のおかげだ。それだけでも頭が上がらないというのに、法科大学院修了後に自分の勤めている事務所に来なさいと仰ってくれて感謝しかない。
 そしてもうひとり感謝している人物がいる。
 司法試験に二度落ちても腐らず今も前を向いていられるのは、彼のおかげだ。
「珍しいですね。あさひさんの方が先に着いていますよ」
 文乃ちゃんの声にその場で立ち止まり、駅構内の入り口の一点に目を向けた。
「いつ見ても惚れ惚れしますね……」
 柱を背にして佇む、ネイビーのスーツをパリッと着た黒髪の男性を眺めて、文乃ちゃんは感嘆の声を漏らす。
 彼を視界に捉えた瞬間、胸がギュッと鷲掴みにされたように痛んで息がしづらくなった。
 今年で交際八年目を迎えるというのに、いまだ彼に胸をときめかせている。
 付き合い始めたのは私が大学二年生で彼が大学四年生の初夏。
 大学に入学して、英語を中心とする語学サークルで知り合った旭に一目惚れをした私は、迷惑にならない程度にアプローチを続け、二年間の片想いを経て彼から告白してもらった。
 旭は、『最初は妹のように思っていたけど、二年間なんだかんだ一緒にいるうちに好きになった』と言っていた。
 こういうのを粘り勝ちというのだろうか。女性陣の憧れの的である旭に告白をされたときは、うれしさよりも衝撃が大きくて卒倒しかけた。
 腰を抜かした私を、とても心配して介抱してくれたんだよね。
 当時を思い出しながら彼のもとまで歩み寄ると、私たちに目を留めた綺麗な顔がほころぶ。
「お疲れさま」
 周りの喧騒なんて関係なく、旭の甘い声は耳に真っ直ぐ届き、たったひと言聞いただけなのに鳥肌が立ちそうになった。
「今日は早いですね」
 文乃ちゃんの言葉に、旭は「ああ」とうなずく。
「久しぶりに莉奈と食事に行くから、定時ちょうどで上がった」
 さらっと放たれた台詞に顔が熱くなる。
「めちゃくちゃ素敵な彼氏!」
 文乃ちゃんが私の心の声を代弁してくれて、思わずこくこくと頭を上下に動かしていた。
 旭はおかしそうにクスクスと声を立て、優しく細めた目を私たちに向ける。
 本当にそう思う。私にはもったいない人だ。
「それじゃあ私はここで失礼しますね」
「うん。また明日」
 文乃ちゃんは私たちに手を振って、駅構内を行き交う人の波に消えていった。
「三十分は待つかなって思っていたんだけど」
 身長百七十八センチの旭を見上げて目を瞬かせる。
 弁護士である彼、藤崎ふじさき旭が、仕事帰りに私より先に待ち合わせ場所にいるのは稀だ。
「今日は特別な日だろ。さすがに莉奈を待たせるような真似はしないって」
「そっか。ありがとう」
 多忙の身である旭の心遣いが胸にじんと染みて頬が緩む。
 今日は四月生まれの私と、この春で三十歳になった旭の誕生日のお祝いをすることになっている。
 それぞれの誕生日当日にお祝いしたかったけれど、仕事があるしそうは言っていられない。
「行こうか」
 旭が私の手に指を絡ませる。長くてごつごつした男性的な手はとても魅力的で、私が好きな彼の身体の部位トップスリーに入る。
 旭はアイドル顔と呼ばれる類の美形で中性っぽい顔立ちだ。笑顔が優しく、全身から甘い雰囲気が漂っている。
 だからこそ節くれ立った指や、美しい首筋に浮かぶ喉仏、細身なのにバキバキに割れている腹筋など、男性的な部分を見せられるとギャップにやられてしまう。
「藤崎先生!」
 歩き始めたばかりの私たちの背中に女性の声が飛んできた。
 何事かと驚いて声のした方を振り向くと、カツカツと音を鳴らしながら高いヒールでこちらに駆けてくる女性が視界に入った。
 旭と同じ法律事務所に勤務する、弁護士秘書の加賀美かがみさんだ。
 彼女は目の前で足を止め、肩で息をしながら柔らかく微笑んだ。その視線は旭にしか向けられていない。
「よかった。まだいた」
「加賀美さん。どうした?」
「これ、忘れています」
 茶封筒を差し出した加賀美さんの手から旭はそれを受け取る。
 なんだろうと思ったけれど、仕事絡みなら守秘義務があるので迂闊に尋ねたりできない。
 ふたりの会話を静観しながら、旭と繋いでいない方の手を胸にあてた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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