【試し読み】異世界で追放聖女になったら少年王に懐かれました

作家:桃城猫緒
イラスト:白皙
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2021/8/6
販売価格:700円
あらすじ

高校卒業を迎え、万智は苦手な友人の乃彩と離れた新生活に期待を膨らませていた。なのに乃彩と一緒に異世界へ聖女として召喚!? 打倒魔族!と、聖女になる気満々の乃彩と、聖女に懐疑的な万智。乃彩の卑劣な裏切りに遭い追放された万智は、森を彷徨うなか記憶を失い怪我をした少年と出会った。洞窟でともに暮らすうち少年はすっかり万智に懐くのだが、突然魔族の大群が襲来。魔力を取り戻した少年は魔王ユリア―ド!? 「あんたを世界一幸せな王妃にしてやるよ」いきなり求婚!? 魔族の王として立派にふるまうユリア―ドに甘えられ戸惑いながらも万智は魔界の生活に馴染んでいくが──

登場人物
浅生万智(あそうまち)
聖女として異世界に召喚される。共に召喚された友人に裏切られ、国外追放となるが…
ユリアード
森で出会った美しい少年。記憶を失くし大怪我を負っていたが、万智の看病により一命を取り留める。
試し読み

プロローグ

 万智まちは願った。どうかこれは悪い夢であってくれと。
「おお! なんと美しく頼もしい! さすがは聖女様だ!」
 まるでおとぎ話に出てくるような中世風の騎士や聖職者の格好をした男性たちが、万智の隣にいる女性を褒めそやす。
 その女性──幼なじみの乃彩のあは、この上なく誇らしげに胸を張って言った。
「私が、この聖女ノアが来たからにはもう大丈夫です。皆様、安心してください。必ずや私がファンデシア王国を救ってみせましょう!」
 万智は耳を疑う。この幼なじみとはかれこれ十年以上の付き合いになるが、いつから彼女は救国の聖女なんかになったのだろうか。初耳だ。
 しかしそんなことはどうでもいい。問題は──。
「では、そちらのご友人共々、ノア様のご住居をご用意させていただきます」
「ええ、よろしくね。私のおまけでついてきちゃったとはいえ、彼女は大切な友達だから」
 問題は、ようやく決別できると思っていた乃彩と、また〝友達〟を続けなければいけないことだ。
「あ、あの……。私は自力で帰りますから。その、乃彩とは別行動で……」
 住居の手配をすると言った大臣っぽい男性に訴えるが、周囲の乃彩を持て囃す声にかき消されて、声が届いていない。
 万智は悲嘆に暮れて泣きたくなる。まただ。また誰もが乃彩に注目し、自分には誰も目を向けない。
 乃彩という強すぎる光がそばにいると、万智は自分が霞んで見えなくなってしまうことを知っている。いや、知っているどころではない。もう十年以上もこの虚しさを味わってきた。
 そんな苦悩からようやく今日で解放されるはずだったのに、それは信じがたい超常現象によって阻まれた。
 そう、──異世界に聖女として召喚された乃彩の巻き添えという、理不尽で不思議極まりない超常現象によって。

第一章 聖女追放

 浅生あそう万智はひと言であらわすと〝おっとり〟している人間だった。
 人並みに喜怒哀楽の感情はあるもののそれをうまく出せず、どうやって表情や言葉にしようか悩んでいるうちにタイミングを逃してしまう。もともと大きな垂れ目と天然で上がっている口角のせいで無表情でも笑顔に見えてしまうために、周囲には万智は怒ったり泣いたりしない人だと思われていた。
 穏やかな両親のもとでひとりっ子として育ったせいか競争心もあまりなく、そのせいか喋り方や動作もどことなくのんびりしている。
 それでも万智は幸せだった。子供の頃から多くを望まない万智は、優しい両親に囲まれ大好きなお人形遊びに興じていればそれで満足だった。
 ──六歳の時までは。
 おっとりした万智が生きづらさを感じるようになったのは小学生になってから。一年生のときに西原さいばら乃彩と出会ってからだった。
「万智ちゃん、もっとちゃんとしないと。みんなに迷惑がかかるでしょ」
 四月生まれで背が高く、クラスの女子で一番足が速くてしっかり者の乃彩は、ことあるごとに万智にそう言った。給食中に、掃除のときに、マラソンのときに。
 万智としてはゆっくりではあるが、給食も掃除もマラソンも時間内に終わらせているつもりだった。先生から怒られたこともない。
 けれど乃彩の目から見たら「遅い。間に合ってない」のだそうだ。
 万智は何事もじっくり丁寧に取り組むタイプだ。急かされると集中できなくなり、本来の実力の半分も発揮できなくなってしまう。
 そんな万智にとって、やたらと乃彩にペースを乱される日々は苦痛になっていった。
 けれど、やめてとは言えない。しっかり者の乃彩はクラスのリーダー的存在で、逆らうようなことは内気な万智にはできなかった。
 それに乃彩は意地悪ではなく、親切で言ってくれている……らしい。万智としてはありがたいと感じたことはないが、母は乃彩に会うたびに「万智の面倒を見てくれてありがとうね、乃彩ちゃん」とお礼を言っていた。そんなとき乃彩はとても誇らし気な笑みを浮かべ、「私、万智ちゃんのこと放っておけないから」と胸を張るのだった。
 万智は思う。きっとこの頃に自分と乃彩の一生の関係は決定づけられてしまったのだと。
 それから学年が上がりクラスが別れても、乃彩は万智の〝友達〟になってしまった。
 万智にとっては不運なことに、乃彩の家は万智の家から近いところにあった。そのせいでいつの間にやら登下校は一緒にしなくてはならなくなり、放課後は外に連れ出され乃彩の好きな一輪車やミニバスケで遊ばなくてはならなくなった。
 ただでさえ運動があまり好きではない万智だったけれど、乃彩がことあるごとに「私はもうこんなに出来るのに、万智ちゃんは出来ないね」と小馬鹿にするものだから、ますます放課後の時間が苦痛になる。
 リーダー格である乃彩が万智をそんなふうに扱うものだから、周囲の友達も次第に万智を見下すようになっていった。
 万智が周りから〝どんくさく〟て、〝引っ込み思案〟で、〝乃彩がいないと何もできない〟というレッテルを貼られていることに気づいたのは、中学校に上がってからだった。
 中学生になっても余計な世話を焼こうとする乃彩に万智はウンザリしていたけれど、思春期を迎え異性を意識するようになってから状況はさらに酷いことになる。
 活発でオシャレが好きな乃彩はとてもよくモテた。学校で人気のある男子の隣に並ぶ彼女はキラキラと輝いて見え、異性に奥手な万智の影をさらに濃くした。
 万智も一応人並みに恋をしたことがあったけれど、相手に振り向いてもらうどころか視界にさえ入っていなかったと思う。何せ男子たちの視線は乃彩に向けられていて、地味な万智は彼らの話題に一度も上がることはなかったのだから。
 その頃からだろうか、万智が乃彩と離れたいと強く思うようになったのは。
 このまま彼女といては自分の人生はろくなものにならないと悟った万智だったが、不運なことに気づくのが少し遅かった。
 万智が必死に受験勉強をして受かった高校は、乃彩が運動部の推薦で合格した高校と同じで、貴重な高校時代をまんまと彼女と過ごすことになってしまったのだから。
 そうして、輝かしい青春の思い出など何ひとつできなかった万智だったが、高校三年生を迎えようやく乃彩と離れられる兆しが見えてきた。
 コツコツと勉学に励んできた万智は、スポーツと恋愛に注力してきた乃彩に大きく偏差値で差をつけ、別々の大学へ進学することがほぼ確定した。
 乃彩に志望大学のランクを下げて同じ大学に通おうと何度も誘われたが、当然そんなのはごめんである。
 乃彩の隣ではひたすらどんくさいというレッテルを貼られ、彼女の活発さや明るさの引き立て役になり、恋のひとつも成就しない人生からようやく卒業できるのだ。
 万智は高校の卒業式をひたすら心待ちにした。新しい人生の幕開けと言っても過言ではない。
 今度こそ乃彩から離れ自分らしく生きるのだと心に誓った万智だったが──その希望はあまりに予想外の出来事によって打ち砕かれる。
 それは高校の卒業式の日のこと。
 式を終えた万智は乃彩に見つかる前に帰ろうと、そそくさと校門を出ようとした。
 そのとき、桜の木の下で万智はふと誰かに呼ばれた気がして立ち止まった。威圧的で恐ろしい声だった気がする。
「……誰、だろう?」
 先生に呼ばれたのかと思い振り返ろうとしたとき、聞き慣れた「万智!」と呼ぶ声と共に後ろから腕を引っ張られた。
「万智、なんで先に帰っちゃうの!? 一緒に写真撮ろうよ!」
 それは乃彩だった。彼女に見つかる前に帰りたかったのに、あえなく失敗に終わって万智はガックリと肩を落とす。
「いいよ、写真は……」
 万智は乃彩と写真を撮るのが苦手だ。一緒に撮ると乃彩は漏れなく自分だけ可愛く加工し、万智と差をつけた写真をSNSにアップするのだから。
 そんな写真を卒業式にまで残したくない。仲のよかった園芸部の友達とはもう記念写真は撮ったし、写真に関して思い残すことはないので、万智はもう帰りたかった。
 けれど乃彩はしつこく腕を引き、「ほら、みんな待ってるよ! 最後まで迷惑かけないの!」と叱責してくる。
 乃彩とはもちろん他の人とも約束した覚えはないのに、どうして迷惑になるのか万智にはわからなかったが、それもいつものことだ。乃彩がいつの間にか決めた予定に、万智の拒否権はない。
 悲しい気持ちになりながらも、明日からはもうこんなことはないのだからと自分を鼓舞し、「わかったよ」と渋々返事をしたときだった。
「え?」
 再び誰かに呼ばれた気がして、万智は空を仰いだ。今度ははっきりと、上空から声がした。
「今、誰か呼んだよね? お爺さんの声だった」
「は? 何言ってるの、誰も呼んでないよ。それよりほら、行くよ」
 乃彩に腕を強く引かれたとき、空が眩しく光った。
 その光はどんどん大きくなり頭上まで迫ってきたと思った瞬間──万智は、気を失った。

 短いような長いような夢を見ていた気がする。
 騒がしい人の声で万智が目を覚ますと、双眸に映ったのは厳めしい石造りの建物の天井だった。
「……何?」
 万智は必死で記憶を辿る。確か自分は卒業式の後に、空から降ってきた光に呑み込まれた気がする。そして意識を失ったはずだけど……ここはどこだろうか。
 辺りを窺いたいのに頭がぼんやりしてなかなか体が起こせない。すると、何やら滑稽な話し声が耳に入ってきた。
「間違いありません。神官様の声を聞き応えたのは私です。私こそがこの世界を救うために参上した聖女です!」
「なんと素晴らしい! この可憐さ、聡明さ、勇敢さ。ノア様こそが伝説の聖女様だ!」
「召喚は成功だ! 万歳!」
「これで我が国は助かる! どうか我らに救いの手を、聖女様!」
 聖女? 召喚? 日常生活ではなかなか耳にしない言葉ばかりだ。強いて言うならゲームの話題だろうか。
 ということは、ここは病院ではないのだなと万智は悟った。人が寝ている病室でそんな話を声高にしている大人などいない。
 それならば一体ここはどこなのだろうと疑問に思い、腕に力を籠めて重く感じる体をえいやっと起こした。しかし。
「……え?」
 周囲の景色が視界に入り、万智は目をしばたたかせたあと呆然とする。
 天井と同じ石造りの厳めしい壁の部屋、壁に飾られている十字架によく似た巨大なレリーフ、自分が倒れていた床には何やら光る魔法陣のようなものが描かれている。
 しかしなんといっても万智を驚かせたのは、周りに立つ人々がみんな奇妙な格好をしていることだ。槍を持ち、鎖帷子くさりかたびらの上からレリーフと同じ印のついた前掛けをしている若者。金で縁取りされた真っ白いローブと帽子をかぶっている老人。緋色のガウンを着てヒラヒラの襟飾りをつけた中年。
 まるでお芝居の衣装を着て、騎士と聖職者と大臣の役でも演じているみたいだ。
 ただし、お芝居にしてはあまりにもリアリティがある。どの衣装も毎日着こんでいるようなくたびれ具合があるし、何よりこのどっしりした石造りの室内がお芝居用の舞台には思えない。
 そもそも、お芝居の舞台で自分が気絶していた理由がわからない。
 この意味不明な状況に頭がおかしくなりそうになったけれど、ひとつだけ〝もしかしたら〟と思える仮説があった。
 以前、友達に勧められた小説で読んだことがある。『異世界召喚』というものを。
 とある平凡な少年が、地球と似ているがまったく別の世界に、役割を与えられ召喚されてしまうという内容だった。
 万智は今の状況がその小説とよく似ていると思う。一見、昔のヨーロッパ風な建物や衣装ということも同じだ。
(いや、まさか。そんな馬鹿な)
 異世界召喚なんてあり得ないと、万智は軽く頭を横に振る。けれど、目に映る景色はあまりにもリアルで、これが作り物には見えない。
 お約束として頬もつねってみたが、やっぱり痛かった。夢ではないようだ。
 そんなふうに万智がひとりで必死に現状を理解しようともがいていると。
「おや。聖女様のご友人がお目覚めになられたようですな」
 聖職者らしきひとりの中年男性が、万智が起きたことに気づいて言った。
(聖女様の……友人?)
 その言葉に、万智はなんだか嫌な予感を覚える。そういえばさっき……『ノア様こそが伝説の聖女だ』とかなんとか聞こえたような。
 万智がそこまで考えたときだった。
「万智! よかった、目が覚めたのね!」
 人の輪の中心にいた人物が、万智に向かって駆けてきた。
「の、乃彩!?」
 嫌な予感は的中した。まさか、異世界召喚という非現実的な舞台に、乃彩まで一緒だったなんて。
 ただでさえ頭が混乱しているのに、乃彩と一緒にいたくない。彼女と一緒だと冷静に考えられなくなるのだから。
 うっかり眉根を寄せそうになった万智だったけれど、乃彩が「無事でよかった!」と抱き着いてきた瞬間、そのぬくもりに少しだけ安心してしまった。
 もしこれが夢じゃないのならば、知人がいるのは心強いかもしれない。たとえ苦手な幼なじみだって、たったひとりで右も左もわからない世界に放り出されるよりはずっとマシなはずだ。
「乃彩……。よかった、いてくれて。一緒にもとの世界に帰れるように協力──」
 万智がそこまで言いかけたとき、抱きついている乃彩が耳もとで「シーッ」と小声で囁いた。
「万智は何も言わないで。私の言うことに頷いていればいいから。絶対に余計なことは言わないで」
「へ?」
 意味がわからず、万智はポカンとする。ただひとつわかることと言えば、乃彩の命令は絶対で、その命令は必ずと言っていいほど万智にろくな結果をもたらさないということだけだ。
 万智はさっそく後悔した。一瞬でも乃彩と一緒でよかったなどと思ってしまった自分を悔やむ。十年以上も彼女から惨めな思いをさせられてきたというのに、慣れない状況に気が緩んでしまった。
 周囲の人たちがふたりを見ながら「おお、なんとお優しい聖女様……」「麗しい友情だ」などと安っぽい感動に酔い始めたのを見て、乃彩は万智から離れると彼らに向き直った。
「もう故郷に帰れないことは悲しいですが、私には友が、そして温かく迎えてくださったファンデシア王国の皆様がいます。これは神様のお導き、私は勇気をもって聖女の務めを果たしたいと思います!」
 乃彩のその台詞を聞いて、万智は顔を青ざめさせた。
(え? 故郷に帰れない……って言った?)
 まさか、もう二度ともとには戻れないというのだろうか。それはあまりにもショックだ。しかも、この訳のわからない世界でまたも乃彩の友達という呪いに縛られなければいけないのだろうか。
 信じられないような悲惨な現状に万智は眩暈めまいすら覚えるが、乃彩と周囲の人間は大いに盛り上がっている。
「おお! なんと美しく頼もしい! さすがは聖女様だ!」
「私が、この聖女ノアが来たからにはもう大丈夫です。皆様、安心してください。必ずや私がファンデシア王国を救ってみせましょう!」
 その勇ましい宣言に、周囲の人たちがわぁあっと湧いた。もはや誰の耳にも万智の声は届かない。
 現状を受け入れられず混乱と絶望で呆然としている万智を気にかけてくれるものは、この場には誰ひとりいなかった。

 それから三十分後。
 万智は乃彩と一緒に、ワイン色の絨毯が敷かれた豪奢な部屋で待機していた。
 なんでもこれから国王と王太子に謁見するらしい。それまで休憩をとって欲しいとのことで、テーブルにお茶と色とりどりのお菓子が用意されているこの部屋へと案内された。
 給仕係がお茶を淹れ終わると、乃彩は万智とふたりだけにして欲しいと言って人払いをした。そして部屋から給仕係たちが出ていくと同時に、「万智」と向かいの席の万智に向かって凄むように呼びかける。
「いい? さっきも言ったけど、絶対に余計なことは言わないで。万智は私の言うことにただ頷いていればいいから」
 何をそんなに口止めしたがっているのかはわからないが、それ以前に万智はわからないことだらけだ。
「待ってよ。ここはどこなの? 私たち、もうもとの世界に帰れないの? 聖女が国を救うってどういう意味?」
 不安で矢継ぎ早やに質問すれば、乃彩は面倒くさそうに「んもう。万智って本当に手がかかる」と言って、足を組みながら長椅子にもたれかかった。
 万智より先に目が覚めていた乃彩の説明によると、ここはファンデシアという王国だそうだ。乃彩も詳しくはわかっていないけれど、どうやら地球とは違う世界らしい。
 なんでもこの世界は今、魔王とその手下の魔族たちによって危機に陥っているらしく、魔王の力を退けられる唯一の存在として聖女を呼び出すことにしたのだそうな。
 ファンデシア王国に残された伝説によると、聖女は異世界から召喚するということで──。
「……それで、私たちが召喚されちゃったの?」
 自分の予想が大体合っていたことにまたしても絶望を覚えながら尋ねた万智だったが、きつく睨みつけてきた乃彩の「違う!」という一括に、ビクリとして口を噤んだ。
「召喚されたのは私! 私だけが聖女として召喚されたの! 万智はおまけ! 近くにいたから偶然巻き込まれただけだから、そこんとこ絶対に勘違いしないで」
 テーブルに身を乗り出してきてまで叱責する乃彩に、万智は驚きながら「わ、わかったよ……」と答えた。別にそんなに怒らなくてもいいのにと思いながら。
「そ、それで……私たちこれからどうなるの? もうもとの世界には帰れないの?」
 聖女だろうがおまけだろうがどうでもいい万智にとって、一番重要なのはそこだ。こんな得体のしれない場所から一刻も早く帰りたい。
 けれど乃彩の口から飛び出したのは、そんな切なる願いを一刀両断するものだった。
「無理みたいよ。昔召喚された聖女は一生をこの世界で過ごして、救世主として称えられて生きたんだって」
「そんな……」
 万智の目にジワリと涙が浮かんだ。
 もう大好きな家族に会えないことも、慣れ親しんだ家に帰れないことも、悲しすぎる。それにあれだけ頑張って受かった大学も、一度たりとも通えないのだ。乃彩と離れこの春から新しい人生を迎えようと思っていた万智にとって、あまりに残酷だ。
「嫌……。帰りたい、帰りたいよぉ」
 不安と絶望で万智がさめざめと泣きだしてしまうと、乃彩はテーブルのタルトをとって口に運びながら、「ああ、もう、泣かないの。泣いたってどうしようもないでしょ」と冷めた声で言った。
 彼女は何故そんなに淡々としていられるのか、万智には不思議だ。もとの世界に帰れないことが悲しくないのだろうか。それどころか、さっきのやりとりを見るに聖女として召喚されたことを誇らしく思っているようにさえ見える。
「乃彩は寂しくないの? もう家族に会えないのに」
 涙をぬぐいながら聞けば、乃彩は楽しそうに胸を張って言った。

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