【試し読み】聖剣の騎士と聖杯の魔術師~想いを封じた婚約者~

作家:蘇我空木
イラスト:逆月酒乱
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/4/27
販売価格:600円
あらすじ

『聖剣の子』リュードと『聖杯の娘』ローゼリア。二人は古くからの言い伝えにより婚約関係にあった。ローゼリアは幼い頃からリュードを慕っていたが、あるとき彼が自分のことを「煩わしい」と話しているのを聞いてしまう。ひどくショックを受けたローゼリアは精霊に頼み、リュードへの想いを心の中に作った箱へ閉じ込めて二度と開かないように鎖で封をする。その鎖は相手にしてもらいたかったことが叶わない限り切れることがない。しかし想いを封じたローゼリアを前に、今度はリュードの様子が変わり……「君を、愛している」──今までの彼からは考えられない甘い言葉と行動に、鎖はひとつずつ切れていくが、彼への想いが戻る気配はなくて……?

登場人物
ローゼリア
『聖杯の娘』として『聖剣の子』リュードと結婚するために、幼い頃より厳しい教育を受ける。
リュード
『聖剣の子』であり、優秀な騎士。婚約者のローゼリアになぜか冷淡な態度をとるが…
試し読み

プロローグ

 夜会で王族の護衛を務める婚約者を探すのはいつもの事。夜風へと当たりに行った王女に付き添っている、と聞いてローゼリアはバルコニーへと向かった。
 庭園を眺める二つの背中を見つけ、声を掛けようとした瞬間──騎士服に包まれた肩が大きく上下した。
「正直に申し上げますと、煩わしいですね」
「あら、彼女は健気に尽くしていると評判ではなくて?」
「それが煩わしいのですよ」
 吐き捨てるように言い放ったのは、婚約者であるリュード・ヘヴリングに間違いない。
 並び立つ王女へと向けた端正な横顔にはひどく苦々しい表情が浮かんでいた。
 今宵は新月。ローゼリアはいつもより強い星々の輝きに背を向け、足音を立てないようホールへと戻った。
 急いで、だけど慎重に。
 今ここで転んだりしたら、きっと立ち上がれなくなってしまう。ローゼリアはドレスの裾をしっかりと掴んで出口へと向かった。
「お嬢様、どうなさいました?」
 付き添いの侍女が慌てた様子で馬車から降りてきた。ローゼリアは何とか表情を取り繕ってみたものの、あまりうまくいかなかったらしい。心配顔で手を差し伸べると乗り込むのを手伝ってくれた。
「ごめんなさい。急に気分が悪くなってしまったの」
「さようでございますか。すぐに帰りましょう」
 ブランケットを肩に掛けられ、ローゼリアは自分の身体が小刻みに震えている事に気付いた。胸の前で掻き合わせ、座席に背を預けると間もなく走り始める。ゴトゴトという揺れに身を任せ、ローゼリアは目を閉じた。
 間もなくローゼリアの自邸、キーヴィッツ家の屋敷に到着した。ローゼリアの不調を知るなり使用人が慌ただしく動き回る。
 ──まだ駄目。皆をこれ以上心配させる訳にはいかない。
 ローゼリアは何度も自分に言い聞かせながらドレスを脱ぎ、身を清め、用意された薬湯を喉へと流し込んだ。
 危うく医者を呼ばれそうになったが、ゆっくり休めば大丈夫だと説得し、早々に寝室へと引っ込む。十分に暖められた部屋でベッドに潜り込み、ようやく一人になった。
「…………ぅ」
 王宮のバルコニーを離れて以来、喉奥からせり上がってくるものを必死で押し留めていた。暗闇と静寂に包まれた途端、小さな呻き声を零す。
 リュードはあまり感情を表に出す性格ではないと思っていた。だがそれは、ローゼリアの前のみだったのだ。
 女性として愛されていないのはわかっていた。彼にしてみれば五つ年下の婚約者はあまりにも平凡な容姿で、「生ける宝石」と称される王女アマンダを筆頭として、美しい令嬢達と比べれば物足りないのは明白だった。その差を埋めるべく様々な努力をしていたものの、成果は芳しくなかったのも認めざるを得ない。
 だけど、まさか──あれほどまで疎まれていたとは。
「うっ…………ひ、っく……ぅあ…………っ!」
 胸が、苦しい。
 まるで肺に棘だらけの蔓が巻き付いているようだ。呼吸をする度に鋭い痛みが走り、更に息苦しさが増していく。
 喉から引きつったような声が出てくると同時にとめどなく涙が溢れてきた。
「う、うぅ…………っ」
 どんなに食いしばっても歯の隙間から嗚咽が漏れてしまう。ローゼリアは布団の中で身体を丸め、膝頭に顔を強く押し付けた。
 密やかに流れる涙が眠りによって止まったのは、そろそろ空が白み始めるという頃になってからだった。

◇◆◇

 翌日、昼過ぎにベッドから抜け出したローゼリアは鏡の前で途方に暮れていた。
 血色の悪い顔を縁取る長い黒髪は所々がもつれ、その姿はまるで悪霊アンデッドのようだ。特に目の周りは惨憺たる有様で、隈が浮いているだけでなく見事に腫れあがっている。ここまで酷いとどんなに冷やしても隠しきれないだろう。
 とはいえ、このまま部屋に閉じ籠っている訳にはいかない。ベッドへと戻り、縁に腰掛けると胸の前で両手を組んだ。
 軽く目を閉じて意識を集中すると、組んだ手を冷気がふわりと包み込む。無詠唱で魔術を使える者はごく僅か。その稀有な才能は、ローゼリアが高名な魔法使いの子孫であるからだと世間は思っているだろう。しかし、本当は生まれ持った素質だけでなく、幼い頃から続く厳しい鍛錬の成果だと知る者は少ない。
 両手で顔を覆うと熱を持っていた部分が冷えてじんじんしてきた。一度手を離し、少し時間を置いてから冷やす作業を続けると随分ましな顔になる。
 そろそろ着替えようと立ち上がると、せわしないノック音が部屋に響いた。
「ローゼ、起きているか?」
「はい。少しお待ちください」
 寝間着の上にガウンをはおり、ざっと髪をまとめてから急ぎ足で扉に向かう。鍵をあけると廊下の方からドアノブが回された。
「おはようございます、お兄様」
「もう起きて大丈夫なのか?」
「はい。朝食をご一緒できず申し訳ありませんでした」
 気にするな、と優しい笑みを浮かべているのは、両親を亡くしたローゼリアにとって唯一の肉親である兄、ヒルベルト。由緒あるキーヴィッツ家の当主を務める傍ら、優秀な魔術師として王宮に仕えている。
 珍しく体調を崩した妹を心配し、仕事の合間にわざわざ屋敷まで戻ってきたらしい。多忙な彼に手間をかけさせてしまった。申し訳ないと思いつつ、今は嬉しさの方が上回ってしまう。
「まだ顔色がよくないな。まったく、無理をしすぎだと昨日言ったばかりだろう」
「……申し訳ありません」
「いくら『聖杯の娘』と言えど、お前は一人の人間なんだ。役目も大事だが、休むのを忘れないように」
 ──「聖杯の娘」
 それは、世間から呼ばれるローゼリアの別名。
 その呼び名を耳にした途端、昨晩の出来事が脳裏に浮かびあがる。ローゼリアは静かに深呼吸をしてから淡い笑みを浮かべた。
「はい、以後は気を付けます」
 いつもなら抵抗してくるはずの妹が素直に従ったのが意外だったらしい。ヒルベルトは目を見開いてから一層柔らかく微笑んだ。そして彼は今日から一週間、体調不良を理由にローゼリアの予定を全てキャンセルしてきたと告げた。
「ですが、礼拝は……」
 ローゼリアには一日に一回、大聖堂に赴いて礼拝を行うという「聖杯の娘」としての務めがあるのだ。精霊と対話する能力、「真言」を身に付けた八歳の頃からその役目を負い、昨日まで一日も欠かさず行ってきた。
 ローゼリアの反応を見越していたらしく、ヒルベルトは大きく頷いた。
「大神官様が快く代わりを引き受けてくださったよ」
「そうですか。有難い事です」
「お前は何も気にせず、しっかり養生しなさい」
 頭を優しく撫でてからヒルベルトは仕事に戻っていった。
 再び一人になったローゼリアは暖炉の上を見遣る。その壁には、ウルディーア王国を建国時から支えるキーヴィッツ家の紋章が織られたタペストリーが飾られていた。
 この国には身分を問わず、大人から子供まで知る有名な伝説がある。
 それは親友である騎士と魔法使いが力を合わせ、大きな厄災を退けたという冒険譚。神は二人を祝福し、騎士には聖剣、魔法使いには聖杯を授けた。そして二人の子孫が結ばれた時、それぞれの手で聖剣と聖杯を神の御前に捧げれば、世界は大いなる加護に包まれるだろう、と告げた。
 屋敷には石造りの祠があり、キーヴィッツ家の直系しか開けない扉の奥に祀られた杯が伝説の聖杯だと言われている。それはとても巨大で人間一人で持ち上げられるようには思えない。だが「聖剣の子」と結ばれると羽根のように軽く感じられるのだそうだ。
 キーヴィッツ家の家紋が聖杯を模したハートの形をしているのが証明だ、とローゼリアは父から何度も聞かされていた。
 それに対し、騎士の子孫であるヘヴリング家の家紋は聖剣を模したスペードがモチーフになっている。つまり、ローゼリアはこの世に生まれた瞬間から五つ年上であるリュードと結婚する運命を課せられた。
 その言い伝えは建国より遥か昔の出来事だと言われている。二百年以上前から今に至るまで、必ず先にヘヴリング家の方へと男児が生まれた。そして数年遅れでキーヴィッツ家も子を授かるものの、何故かそちらも男ばかり。何代にも渡ってそのパターンが繰り返され、やはり大いなる加護を受けるのは容易ではないのだと更に世間は伝説を信じるようになった。
 タペストリーを見上げるローゼリアの誕生は、ウルディーア王国だけでなく伝説を知る近隣諸国からも大いに喜ばれた。この娘が「聖剣の子」と結ばれれば、世界に平和が訪れるのだと。
 しかし、その悲願も──。
「わたくしは『聖杯の娘』失格です……」
 ローゼリアの頬を一筋の涙が滑り落ちていった。

◇◆◇

 がたんと馬車が音を立てて大きく揺れ、浅い眠りの海を漂っていたローゼリアがゆっくりと目を開ける。それに気付いた侍女が「もう間もなく到着いたします」と控えめな声で教えてくれた。
「ありがとう。……やっぱり、空気が違うわね」
 酔い対策に窓が細く開けられている。そこから入ってくる風が緑の気配をたっぷりと含んでいるのを感じ、ローゼリアは思わず大きく息を吸い込んだ。
 降って湧いた休暇は早くも四日目。
 初日と二日目は部屋に閉じ籠り、碌に食事も摂らずに泣いてばかりいた。三日目ともなるとさすがに涙も枯れ果てたらしく、ローゼリアは重い身体を引きずるようにして兄へと面会を求めた。
 何の前置きもせず「別邸に行かせて欲しい」と頼んだ時点で何かを察したのだろう。だけど追及するような真似はせず了承してくれた。
 キーヴィッツ家の別邸は王都から馬車で半日ほどの距離にある。近くにある森には聖泉があり、代々その管理を任されているのだ。今は本邸にいる執事の甥夫婦が住み込みで管理をしているが、元々は引退した当主夫婦が余生を送る場所として建てられたと言われている。とはいえ、ローゼリアの両親は突然の事故で逝去しているので、そこに住む事はなかった。
 三年前に祖母が亡くなり、二年前に両親が急逝。キーヴィッツ家は悲しい出来事が続いてしまった。だから、「聖杯の娘」の嫁入りがこの重苦しい空気を払拭するチャンスだろうと周囲からは言われていた。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
 別邸の家令夫婦がにこやかにローゼリアを出迎えてくれる。いくら昨日のうちに魔術で報せを出してあるとはいえ、突然の訪問なのには変わりなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ただいま戻りました。……急に来たりしてごめんなさい」
 物理的に距離を置けば少しは胸の痛みが和らぐかもしれない。そう思い至った途端、ローゼリアはとにかく王都から離れたくて堪らなくなってしまった。保養地ではなく別邸を選んだのは、祖母の遺品整理でもすれば気が紛れるだろうという思いがあったからだ。
 到着した途端の謝罪を家令夫婦は慌てた様子で否定する。ここはお嬢様の家でもあります。いつお越しいただいても構いません。という言葉に力なく微笑んだ。
 夜会を途中で抜け出した日以降、婚約者であるリュードからは何の音沙汰もない。兄が使いを出してくれたが、訪問はおろか見舞いの手紙すら届かなかった。とはいえ、今までも彼はローゼリアが何度も招待しなければ屋敷へは来なかったし、誕生日や季節のイベントの時以外に手紙を受け取った事もないので普通の反応だろう。
 ずっとそれを、彼は多忙ゆえにあまり頻繁に連絡ができないのだと思っていた。今はそんな勘違いをしていた自分がいっそ滑稽にすら思えてくる。
 長時間の移動で疲れはあったものの、ただ座っていてはまた悲しみに沈んでいくのが目に見えている。せめて手と頭だけは動かそうと、ローゼリアはかつて祖母が使っていた部屋へと赴き、書斎机の周りの整理に取り掛かった。
 祖父はローゼリアが生まれて間もなく病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。とても仲が良い夫婦だったと聞いているから、祖母の悲しみはさぞや深かったに違いない。葬儀を済ませると、この部屋に長い間閉じ籠っていたらしい。
 今のローゼリアはその気持ちがどんなものだったのか、痛いほど理解ができた。書斎机の抽斗ひきだしを開け、中身を机の上に出していると思わず涙が零れそうになる。
「…………あら?」
 全て取り出したはずなのに不自然な重さが手に残る。空っぽの木箱と化したものを軽く揺すってみると、底面からカタカタという音が響いてきた。
 何気なく抽斗をひっくり返したローゼリアは思わず目を丸くする。まさか、こんな場所にもう一つ収納が隠れているとは。僅かな窪みに指先を引っ掛け、手前にゆっくり引いていく。少々ガタつきながらごく浅い箱が引き出され、中にはノートと思しき冊子が収められていた。
 黄ばんだ表紙には何も書かれていない。ページが波を打っているからだいぶ古いものだろう。ローゼリアはノートを手にソファーへと移動した。
 少しでも乱暴に扱ったらすぐに破けてしまいそうだ。そっとページを捲ると乾いた音が立った。そこに並んでいたのは、流れるような美しい文字。この筆跡は間違いなく祖母のもの。
 祖母は夫を失ってからの日々を密かに綴っていたらしい。ただその日にあった出来事や食べたものが淡々と書かれてはいるが、インクが丸く滲んでいる箇所が所々に見受けられる。手紙を書くのが好きだった彼女は、こうやって文字を書く事で正気を保っていたのかもしれない。
 きっと祖母はこの日記を残しておくのを望まないだろう。不要な書類に紛れ込ませて処分しようと考えながらローゼリアはページをっていく。そして一番新しい日付が書かれたページに辿り着いた。下半分が空白のページを何の気なしに眺めていると、ある文字に視線が吸い寄せられる。
「これ、って…………」
 もしかすると「それ」は願望が生み出した幻覚かもしれない。天井を仰いでから目をきつく閉じる。大きく深呼吸をしてから目を開け、再びノートに視線を落とした。

※この続きは製品版でお楽しみください。

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。