【試し読み】過保護な陛下はケモノな秘密を淫らに鎮める

作家:友野紅子
イラスト:龍胡伯
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/4/13
販売価格:900円
あらすじ

「さぁ、君の発作を鎮めるにはもう少し刺激が必要だ」──ウサギ獣人のシエラは病に苦しむ妹に飲ませる薬を買うため、故郷を離れ帝都に出て働くことを決意する。何のつてもなく帝都に出てきたシエラだったが、2年前に出会ってから密かに思いを寄せていたハルシオンと偶然再会し、働き口を紹介してもらうことに。しかし彼に連れられ向かった先はなぜか皇宮。なんと彼はバーラント帝国の皇帝だったのだ。シエラは獣人であることを隠したまま、さらには日常的に起こる発情を〝発作〟とごまかし、ハルシオンの専属髪結い師として働き始めるが、あるとき発情に苦しむ場面を目撃されてしまう。そのうえ彼はその解消に協力すると言ってきて……!?

登場人物
シエラ
ウサギの獣人。妹の薬を買うために帝都に働きに出たところ、想い人であるハルシオンと再会する。
ハルシオン
バーラント帝国の皇帝。帝都に出稼ぎにきたシエラを自らの専属髪結い師として雇う。
試し読み

 両手に大きな鞄を抱えて玄関先に立つ私を、パパとママが心配そうに見下ろしていた。
「シエラ。帝都の薬屋は貴族連中を相手にべらぼうな値で商売をしていると聞く。持たせてやった金額では到底足りないだろう。……ひと晩考えた。やはり今からでも、帝都行きは考え直して欲しい。俺は可愛いお前をひとり帝都にやることが心配でならない」
 最初に口を開いたのはママではなく、普段寡黙で口下手なパパだった。
 そのことに少し驚くと共に、私の身を案じて言葉を選んで語るパパの心が嬉しかった。
「ありがとうパパ。だけど、このまま村でおばばの煎じ薬を飲んでいても、ミリアの体調はよくならない」
 ミリアというのは、五歳下の妹だ。私は彼女が産まれた朝のことを、今でもまるで昨日のことのように覚えている。
 おくるみに包まれた小さな赤ん坊におっかなびっくりで伸ばした手。それをまだ目も開かないミリアはもみじみたいな手でキュッと握り、たしかに笑ったのだ。
 そのクシャクシャの笑みを目にした瞬間、なんて可愛いのだろうと思った。同時に、私が小さなこの子を守っていこうと決めた。
 ミリアは気管支に持病を抱え床に伏していることが多かったから、私はよく枕辺に寄り添って咳き込む細い背中をさすってやった。彼女の調子がいい時には、たわいのないおしゃべりで一緒に笑い合った。
 大切なミリアをなんとしても病から回復させてやるのだと、私は決意の滲む目でパパを見つめた。
「足りない分は仕事を探して、そのお給金で賄うわ。……私は帝都に行く。そして必ず、ミリアの薬を買うわ」
 私の答えに、パパはなにかを堪えようとするみたいに拳を握り締め、唇をグッと引き結んだ。
「……ねぇパパ、我が子の成長っていうのは目まぐるしいわね。寂しいけれど、私は誇らしくも思えるわ」
 ママがパパの肩をそっと抱き締めて囁く。
 パパはママの言葉にスッと目を細くして、ゆっくりと口を開いた。
「そうかもしれないな。だが、俺の中ではいつまで経ったって、シエラは永遠に『可愛いおチビさん』のままだ」
 それはとても懐かしい台詞だった。ほんの小さい頃、パパはよく逞しい腕に私を抱き上げて『可愛いおチビさん』と呼んでくれていた。
 成長と共にいつしか聞くことはなくなったけれど、久しぶりに耳にするそれは、深い感慨を伴って私の心を熱くした。
「ふふっ。男親の心は時に、女親のそれよりも繊細で複雑ね。……シエラ、パパの思いを知っても、あなたの意思は変わらないのね?」
 ママは慰めるようにパパの肩をトントンッと叩いて、私へと目線を向けた。
「うん。私はもう、決めてる」
 ママの目を真っ直ぐに見つめて断言すれば、ママはふわりと顔を綻ばせた。
「……そう。本当に、あなたは昔から頑固なんだから。お義母様がご自分の代で髪結いを畳もうとしていた時もそうだったわね。あなたは『私がおばあちゃんの技を継ぐ』と言って聞かなかった」
 昨年亡くなった祖母は凄腕の髪結い師だった。段々と村の人口が減る中で髪結い師として腕をふるう機会は減り、晩年は稀にある来客の時以外は田畑でくわを振るっていた。
 だけど、祖母が木の実から抽出したオイルで頭髪を梳けばどんな剛毛もしっとりと艶やかになって落ち着いたし、華やかな結い上げ髪は村の女性の晴れの日を彩ってきた。幼い日に祖母の髪結いを間近に見て、私はその技の継承を誓ったのだ。
 そうして祖母の技は今、余さず私の身になっている。来客の頻度は祖母の時代よりさらに減ったが、私は村唯一の髪結い師としての顔も持っていた。
「あなたの手腕は、母親である私が誰よりもよく知っているわ。だけどシエラ、これだけは約束してちょうだい。くれぐれも自身の安全を第一に考えて。少しでも危険を感じたら、薬のことは諦めて帰っていらっしゃい。万が一、私たちの本性が明るみになれば……分かるわね?」
 射貫くようなママの眼差しを怯まずにしっかりと受け止めて重く頷く。
「うん、約束する。危ないと思ったらすぐに帰ってくるよ」
 ……獣人の歴史は人間に蹂躙されてきた血の歴史だ。特に近世の『獣人狩り』は聞くもおぞましい残虐の限りが尽くされている。
 ママはあえて言葉を濁したが、女獣人が人間の男たちにどんな所業を受けたかは、……言わずもがなだ。
「私はあなたを、もう『おチビさん』とは思っていないけれど、いつまで経ったって『可愛い我が子』よ。可愛いシエラ、くれぐれも行動は慎重に。いってらっしゃい」
「気をつけて行ってこい」
「パパ、ママ、いってきます! ミリアのこと、どうかよろしくね!」
 こうしてパパとママの熱い見送りを背に、私は生まれ育った故郷ラビィ村を後にした。

「シエラー!」
 村を出て山麓のウェスト町に続く道を進んでいたら、後ろから声を掛けられた。
「パティオ」
 振り返ると、従弟のパティオが必死の形相でこちらに駆けてきた。
「村を出るって話、本当だったのか!?」
「ええ。帝都に下りてミリアの薬を買ってくるわ」
「危険だ!」
「分かってる。だけど、このままおばばの薬に頼っていてもミリアはよくならない。帝都の最新の調剤薬を飲ませてやるの」
「だけど……っ」
 言い募ろうとするパティオを緩く首を振ることで制す。
「ごめんなさい、パティオ。心配してくれるあなたの気持ちは嬉しいけれど、もう決めたことだから」
 私の断言に、パティオは感情を堪えるようにグッと唇を引き結んで俯いた。
「……ちゃんと、帰ってくるんだよな?」
 パティオは長い間を置いて顔を上げ、不安そうな目で問いかけた。
「ええ、ミリアの薬が買えたら帰ってくるわ」
「俺、待ってるから! お前が帰ってくるのを……」
 もしかしたら、パティオは続きにさらになにかを伝えようとしていたのかもしれない。だけど、私は熱の篭もった目をした彼の言葉を、それ以上受け止める勇気がなかった。
「馬車の時間があるからそろそろ行かなくちゃ。それじゃパティオ、いってくるわね!」
 あえて明るく別れを告げ、くるりと身を翻す。
「気を付けろよ!」
 ヒラリと手を振ることで応え、逃げるように走り出す。背中に彼の視線を感じていたけれど、一度も振り返らずに駆けた。
 そうして山壁を曲がり、彼の姿が見えない場所に辿り着いてから、やっと足を緩めた。
 ……パティオは優しくて、村一番の働き者だ。年の頃もちょうど釣り合っており、周囲も……そしておそらくは彼自身も、私との結婚を望んでくれている。
 だけど私自身、どうしてもパティオと夫婦になる実感が持てずにいる。ラビィ村で彼と所帯を持って、子供を産んで……? 思い浮かんだ未来の光景に背筋がヒヤリとした。
 次いで二年前に出会った彼の姿が脳裏をよぎった。
「って、今はこんなことを考えている場合じゃないわ! 帝都に行って、ミリアの薬を手に入れることだけに集中しなくちゃ!」
 振り払うように呟いて、再び歩みの速度を上げた。
 私はこれまで、ザラザラとした違和感を覚えながらずっと見て見ぬ振りをしてきた。だけど今、この違和感が明確な形を結び、私に「生涯の伴侶は彼ではない」と突きつけていた。
 ……パティオには申し訳ないけれど、彼と夫婦になって過ごす未来はあり得ないのだ。
「さぁ、もう町は目前よ! 気を引き締めていかなくちゃ!」
 自分を鼓舞するように声にして、一旦足を止め荷物を下ろす。自由になった手でフードを整え直し、顎下でしっかりとリボンを結んでから再び歩き始めた。
 私たち獣人は、侮蔑を込めて動物と人間の合いの子のように語られることも多い。しかし、獣人の『獣』は聖獣の意だ。
 聖獣とは言わずもがな、姿形を自在に操り人型に転じることもできるとされる天上の生き物だ。その系譜である私たちは姿形を変えることこそできないが、耳や尻尾を人の目から消し去ることができた。
 私も日頃からウサギ獣人の特徴である耳と尻尾は隠して暮らしている。それでも本性というのはふとした折に出現してしまう。
 一般的に本性が現れるシーンはふたつ。ひとつ目は驚きや戸惑い、喜びや悲しみといった感情が大きく動いた時だが、これらは自身を律することで比較的コントロールしやすい。仮に耳や尻尾が出てしまっても、すぐに消し去れば気づかれる危険性はそう高くない。
 これよりも厄介なのが、ふたつ目の発情による本性の出現だ。ウサギ獣人は元来、季節を問わず一年中が発情期で、かつ、その発現については自身でのコントロールができない。
 ラビィ村では、発情を抑止する効果のあるハーブを焚きしめることで極限まで発情の頻度を抑えているが、村外にあってはそうもいかない。ハーブを詰めた小さな袋を持っているが所詮気休め程度だ。
 しかも問題は、耳と尻尾という見た目ばかりではない。ひとたび発情が起こってしまえば、性衝動が落ち着くのを待つしかないのだが、体の火照りに身を捩りながらひたすら時が経つのを待つというのは本当に辛い。とはいえ、こればっかりはウサギ獣人の性であり仕方のないことだった。
 ……それでも、ヘッドドレスやヘアキャップの装いが一般的なこの国の文化には救われているわね。
 この国では、街を行き交う高貴な女性たちはヘッドドレスが、それ以外の女性たちはヘアキャップの着用が一般的だ。旅装だとそれがフードやローブに置き換わる。
 かくいう私もヘアキャップの上にさらに外套のフードを被った状態だ。これならば万が一耳が現れてしまっても誤魔化せるし、尻尾はスカートの下に十分に隠せてしまうから、この衣装文化にはどんなに救われているか知れない。
「ごめんください」
 私は帝都行きの馬車の乗車券を手に入れるべく、ラビィ村から一番近いゴルドン商店の戸をくぐった。
「おや、シエラさんじゃないか。めずらしいね」
 ウェスト町の端に店を構えるゴルドン商店は、ラビィ村の住人が外界と接触する唯一の場所でもある。
「今日は乗車券を買いに来ました。帝都行きの馬車に空きはあるでしょうか?」
「帝都だって!? ひとりでかい?」
「はい」
 顔馴染みの店主は心配そうに幾つか質問を重ねた後、唯一空席のあった帝都直行の高速馬車の乗車券を融通してくれた。
「え!? でも、この乗車券はすごく高いんじゃ……」
「なに、これしか空きがないんだ。こっちの事情なんだから差額はいらないよ。それよりも帝都へのひとり旅なんて、道中くれぐれも気をつけるんだよ」
「どうもありがとうございます! いってきます!」
 店主にお礼を告げて店を出ると、乗車券を手に足取り軽く馬車駅へ向かった。

***

 午後の帝国議会を終えて居住エリア内にある私的な政務室に戻ると、机の上にはいつも通り俺宛ての複数の封書が置かれていた。
「ラナウェイ、いつも言っているが重要な物以外はお前の裁量で返事をしたためるなり該当部署に取り次ぐなり、適当にやってくれて構わんぞ」
「ええ、ええ。ハルシオン様から連日聞かされておりますゆえ、よく存じ上げておりますよ。ですのでお言葉通りに私が事前に目を通させていただき、重要な物だけを選りすぐり、置かせていただいております」
 俺の近習きんじゅで乳兄弟でもあるラナウェイは、母親のビオラによく似た柔らかなライトブラウンの目と髪をした好青年で、いつもにこにこと微笑みを浮かべている。しかし同色の瞳は、ラナウェイとビオラとで決定的に違う。物心ついた時からずっとラナウェイを間近に見ている俺は、優しげな笑みとは裏腹にその眼光が刃のように鋭く、常に隙なく周囲の動向に気を配っているのを知っていた。
 そうして柔和で感じが良いと評される奴の本性が、ひと癖もふた癖もあり、相当に食えない性格をしているのもよく知るところだった。ただしこれは、奴が俺の最も頼れる側近で気の置けない親友であるという事実を動かすものではない。
「はぁ~。どうせ各方面からの嘆願書の類だろうが」
 常よりも紛糾した議会ですっかり精魂尽き果てていた俺は、政務机から目線を逸らし、手前の応接ソファに腰を下ろした。
「お疲れのところ恐縮ですが、一番上の一通はご覧になった方がよろしいかと」
「今日は疲れた、後だ」
「左様ですか。そういうことなら仕方ありませんね。私が彼女を迎えに行くといたしましょう。我が恩人を放ってはおけません」
 ……迎え? 恩人?
「おい? いったい、なんのことを言っている?」
「ウェスト町のゴルドン商店の店主が、わざわざ早馬でシエラ嬢の帝都来訪を報せてきたのです。もっとも、ハルシオン様がそれほどにお疲れでは仕方ありませ──」
「ゴルドンから早馬で寄越された手紙だと!? それを早く言え!」
 シエラの名前を聞かされた俺はラナウェイの言葉尻を遮り、弾かれたようにソファから立ち上がって、机の一番上に置かれた封書に手を伸ばす。
 逸る思いで書面を開き、流麗な文字で綴られた文章を目で追った。
【シエラ嬢が今朝早く、うちの商店に帝都行きの長距離馬車の乗車券を買いに来ました。手持ちの銀貨が足りなかったようで、乗り継ぎの馬車を選ぼうとしておりましたので、当方で満席と偽り運賃差額無しで直行の高速馬車を融通いたしました。帝都到着予定は早くとも午後六時頃ですが、宿の手配などはなさっておられないご様子。慣れない帝都でなにかあってはと思い、念のため早馬を立てご報告させていただきました】
 読み終えた俺は、書面を胸ポケットに押し込みながら、壁の振り子時計に目線を向けた。
 時刻は間もなく午後六時を回ろうかというところ。
「疲れなど吹き飛んだ! 俺が彼女を迎えに行く!」
「お気をつけて」
 皇宮の裏門へと繋がる隠し通路を走り出す俺を、ラナウェイはいつも通りの澄ました表情で見つめていた。しかし、すれ違いざまの視界に映る奴の口角が僅かに綻んでいるように感じたのは、きっと気のせいではないはずだ。俺もラナウェイも、シエラには返しきれないほどの恩があるのだから。
 裏門の前で外套のフードを深く被り直すと、懐から上級使用人の身分を示す通行証を取り出し、何食わぬ顔で提示して門番の前を通過する。皇宮を背に馬車駅に続く道を足早に駆けながら、ふいにシエラと出会った山中での出来事が脳裏を過った。
 事の起こりは二年前。即位から十カ月ほどが経った時分、シエラの故郷の村やウェスト町に近い地方領で領主の交代があった。その新領主の就任式典に列席した帰路で、俺の新政権に反対するミリタリア前皇帝派に大規模な刺客集団を放たれた。
 同行していた隊員の半数以上を亡くし、俺自身大怪我を負いながら這う這うの体で山中に逃げ込んだ苦い記憶。しかし同時に、俺の運命を左右する出会いをもたらした出来事でもある。
 ……あれからもう、二年になるのか。
 俺は束の間、かつての記憶に心を飛ばした──。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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