【試し読み】ふしだら社長の初恋~臆病な私たちの普通じゃない関係~

作家:長曽根モヒート
イラスト:すみ
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2021/4/30
販売価格:700円
あらすじ

「それじゃ、普通の幼馴染みじゃないことしようか」──12年ぶりに再会を果たしたのは、ずっと想い続けてきた6歳上の幼馴染み・惣一朗。長く勤めた会社を辞めた愛生は次の仕事が見つかるまでの間、彼が代表を務める職場で働かせてもらうことになった。本命の相手を作らず適当な女性と遊んでばかりいる惣一朗に、愛生は「それなら、私でもよくない?」と身体の関係を持ちかける。一夜でも構わない。遊びと思ってくれていい。でも本音を言えば、今日という日をきっかけに彼が本気になってくれればという僅かな期待があった。毎夜、仕事終わりに身体を重ねるだけ。あの夜をきっかけに、二人は〝普通じゃない〟幼馴染みへと変わっていく。

登場人物
勝俣愛生(かつまたあおい)
長く勤めた会社を辞め、密かに想い続けてきた幼馴染み・惣一朗の元で臨時職員として働くことに。
長渡惣一朗(ながとそういちろう)
愛生の幼馴染み。本命の相手は作らず女遊びは激しいが、仕事のデキる敏腕社長。
試し読み

1、

 今日で何かが変わるかもしれない。
 勝俣かつまた愛生あおいは期待と緊張の入り交じる胸を押さえ、姿見に映る自分を挑むように見据えた。
 最低限の化粧を施した顔は、全体的に小作りでひな人形を思わせる純和風な目鼻立ちだ。通りすがりに目を惹くような派手な印象はないが、どこか甘えたような口角の上がった唇と大きな黒い瞳は愛嬌があって親しみやすい。
 しかし今はそんな印象もかき消え、不安げに視線を揺らし緊張に顔を強張らせていた。
(変じゃない、変じゃない)
 胸の中で自分に言い聞かせるように、薄桃色のブラウスのリボンタイを何度となく撫でつける。膝丈のタイトスカートは、ついさっきまでパンツスタイルにすべきか迷っていたが、ふとするとやはり着替えようか、といまだに決められない。
 いつもはこんなに優柔不断ではないはずなのに、やはり今日という日に込められた期待と不安のせいだろうか。
 服装規定のない職場はこれだから困る。出勤初日に何を着ても不安でたまらないのだ。愛生が憂いているのは服装だけではないけれど。
(でもそうくんは、本当にいいのかな)
 頭に幼馴染みの男の顔が浮かんだ。
 最後に会ったのは十二年前、まだ愛生が高校生の頃だった。
 今日久しぶりの再会を果たすが、あれから彼がどんな風に成長しているのか、今日まで何度も想像しようとしたが上手くいかない。
(こんな風にまた会うことになるなんて……)
 ここ数ヶ月を思い返し、つい深々とため息をついてしまう。
 二ヶ月前に愛生は無職になった。就職してからずっと勤めていた会社だったが、色々なことが積もり積もって限界だったのだ。要領のいい者なら辞める前に次の職を見つけることもできただろうが、愛生にはそんな余裕がなかった。
 しかし毎月の家賃や光熱費は待ってくれない。次の職が見つからないまま二ヶ月が経とうとしていた頃、たまたま弟からかかってきた電話で窮状を伝えたところ、それなら幼馴染みを頼ってはどうかと提案された。
 ──実家で隣に住んでいた六つ年上の幼馴染み・惣一朗そういちろうは、現在は会社を興してそれなりに忙しくしているらしい。
 聞いたとき、愛生は断ろうかと思った。幼馴染みだからという理由で雇ってもらうのは気が引けるし、最後に話したときの気まずさがぐっと込み上げてきたからだ。しかし彼に再会できるチャンスに心が揺れて、判断が遅れた。
 結果あれよあれよという間に本人の元へと連絡が行き、「雑用でもいいのなら」と向こうはあっさり了承してくれた。次の就職先が決まるまでの間という曖昧な条件では難しいかと思ったけれど、たまたま人手が足りておらず彼にとっては渡りに船だったのか、愛生が思うほど気まずい最後ではなかったのか。どちらにしろ仕事は必要なので話はとんとん拍子に進んだ。
 二日前に電話で少し話をしたが、向こうは忙しい様子であまり個人的な話をする隙はなかった。
 以前よりも少し低くなった彼の声に緊張はしたものの、その一貫してビジネスマンとしての姿勢を貫かれたことで、愛生は逆にホッとした。雇ってもらうからには子どもの頃のことなど関係なく働きたいからだ。それに、たとえ子どもの頃仲良くしていた間柄とはいえ、十二月頭のこの時期に、能力もわからない新人を雇い入れようとしてくれているだけで愛生にはありがたかった。
「よし、行こう」
 気合いを入れ、何かあったときのために予定より少し早めに家を出て、事前に聞いていた駅まで電車で移動し、そこからオフィスが入っているというビルに向かう。
 最寄り駅の名前からオフィス街だとは思っていたが、予想以上の高層ビルなので一瞬入るのを躊躇した。
(でか……前の会社よりもずっと大きいところじゃない。家賃も高そう)
 知らないうちに幼馴染みは随分と成功していたようだ。気後れするのを感じながら平静を装い、会社が入っている階でエレベーターを下りると途端にキーボードを打つ音が聞こえてきた。
 あちこちで電話が鳴り、その雑音をシャットアウトするようにイヤホンをつけてパソコンに向かっている者が目に入る。スタッフの数は思ったより多くオフィスも立派で、個人経営の小さな会社と思っていた愛生はその光景に圧倒された。
「もしかして勝俣さん?」
「はい、そうです」
 見れば同い年くらいの人懐っこそうな男性が慌ただしく駆け寄ってきていた。
「社長から話は聞いています。浦和うらわです。どうぞこちらへ」
 いよいよ再会だ。愛生の胸は自然と高鳴った。
 幼馴染みが雇い主になるとはなんとも妙な心地だが、関係性はきっちり割り切り部下として真面目に働く。それは話が決まったときから決めていたことだ。
 多少情けないいきさつで、愛生としてはほんの少し顔を合わせるのが気まずいのだけれど、それでもいざ会うと思うと、やはり興奮が押し寄せる。
 どんな顔をするだろう。どんな姿になっているだろう。そして、今の自分を見て彼はどう思うのだろう。開口一番は何にしようか。
(久しぶり、変わったね……それともやっぱり、雇ってくれてありがとう、かな)
 もう子どもではないし、余裕のあるところを見せたい。
 期待と不安が最高潮に達し、今にも心臓が口から飛び出しそうな気持ちを必死に抑えてオフィスを横切ろうとしたとき、ふと近くの男が顔を上げた。
「浦和、社長室行くの?」
「そうですけど」
「少し待ってもらったほうがいいんじゃね」
 男は何か含みのある言い方をして、ちらりと愛生を見やった。浦和は得心したように「ああ」と迷うような視線を愛生に向けた。
「そっか……でも社長に来たらすぐ連れてこいって言われてるからなあ」
「なんですか?」
 二人の視線に嫌なものを感じてつい尋ねると、浦和は言っていいことか判断がつかないように口を緩く開く。そのとき、──奥の部屋が騒がしく開いた。
「じゃあ今夜! 楽しみにしてるからね」
 先に出てきた派手な髪色の女がケラケラ笑いながら、くるりとこちらに背を向け、後から出てきた男の首に細い腕を巻き付ける。すぐ脇で働いている人に気づかないわけでもないだろうに、オフィスに相応しくない濃密な男女の空気がこちらにまで伝わってきて、愛生は咄嗟に視線を逸らした。
「わかったって。次は急に来んなよ。俺も色々忙しいんだからさ」
(……ん?)
 耳に心地よいバリトンが響いて、愛生はちらりと視線を向ける。
 女がまるで首にぶら下がったように見えるほど、男の背は高かった。女の細腰に緩く腕を絡めてハグし返す仕草はひどく手慣れているように感じる。
 日本人離れした偉丈夫だ。その体型を際立たせる彫りの深いくっきりとした目鼻立ちと意志の強そうな凜々しい眉。目尻がほんの僅かつり気味の切れ長の目と、粗野にも見える大きな口。しかしその所作や表情は不思議と品があって、大柄な肉体と荒々しい見た目に反してどこか甘い雰囲気を感じる。
 愛生が気を取られたのは、いきなり目の前で男女の濃厚なスキンシップを目撃したからでも、その男の美貌に心を奪われたからでもない。
 十二年という時間を経ても、不思議と一目で誰だかわかる。
 印象的な容貌なのはもちろんのこと、愛生自身が何度も頭に思い浮かべていたからだ。忘れられない存在だったからだ。
「ハハッ、はいはい。じゃあまたね~」
 女は満足したように体を離すと、踊るような足取りで愛生たちの横を通り過ぎていった。横切った瞬間漂うやけに甘ったるい香水の匂いがひどく不快だ。
 その残り香が鼻から消える前に男と愛生の視線が交じわる。刹那、男はぎくりと顔を強張らせた。
 途端、愛生は確信する。やはり、彼は。
「あ、愛生……?」
「久しぶり、惣くん」
 十二年ぶりに再会した幼馴染み──長渡ながと惣一朗は確かに立派に成長していたようだ。
 もう胸の高鳴りは収まっていた。
 かわりに去来する感情に、愛生は見て見ぬふりをした。

   ***

 ──十二年前。
 愛生は雪が降るのを待っていた。
 今日という日が転機となって、今までとは違う人生の幕開けになる。そんな期待を胸に、どこまでも暗くどんよりとした夜空を見つめていた。
 ロマンチックとは言いがたい。けれど愛生にとってはそれまでの人生で一番心ときめく夜だった。
 まだ高校に上がったばかりの幼さが強く残る容貌で、子どものように小さな鼻先を真っ赤にさせながら横目で隣に座る男を見やる。
「こうやって惣くんと話すの、いつぶりだっけ」
「さあ、しばらくぶり? お前も受験で忙しかっただろ」
「まあね。惣くんも受験のとき大変だった?」
「余裕」
 惣一朗の乱暴な物言いは昔からだ。ともすれば傲慢にも聞こえる言葉も、常に笑顔でどんなことでも易々とやってのける彼が言うと真実にしか聞こえない。
 家が隣同士で、両親が仕事で留守がちだった惣一朗はしょっちゅう愛生の家に預けられ、愛生と二つ下の弟と三人で過ごしていた。
 年上の惣一朗は子どもの頃から器用で要領がよく賢かった。対して愛生は集中すると周囲が見えなくなるたちで、幼少期は他の友達と衝突することも多く、何かあるとすぐ惣一朗に泣きついた。弟も似たり寄ったりだったので、自然と惣一朗は兄貴分として、まるで三兄妹のように育った。
 しかしそんな関係も、三人が長ずるにつれて自然と薄れていった。いつまでも三人で留守番している子どもではない。各々学校やバイト先など同世代の交流が増えて、会わない時間が自然と増えていったのだ。最近ではたまに玄関先で顔を合わせる程度になっていた。
「彼女とはどうなの?」
 本当は聞きたくもないのに、大人ぶってそんなことを尋ねると、惣一朗は首を傾げた。
「ああ、別れた」
「あ、そうなんだ」
 残念に思わなくてはいけないはずなのに、愛生の心を満たすのは安堵だった。
 成長期を迎えて身長も伸び、体躯も良くなった惣一朗には気づけば彼女がいた。いつまでも子どもではないのだから当たり前だ。だが初めて見たときは衝撃だった。ショックすぎて思わず「その人と結婚するの?」と聞いてしまったくらいだ。
 惣一朗は移り気なのか何なのか、その後も相手はコロコロと変わったが、それを見るたびに愛生はなんとも言えないモヤモヤを抱えてしまう。
 だからこそ、彼が大学卒業を機に実家を出る前夜の貴重な時間、他でもない自分を誘ってくれたのは嬉しかった。何か特別な意味があるのだろうと期待した。
 あまり会わない日々の話題は尽きなくて、どうでもいいことをべらべら喋り続け、惣一朗は笑って「落ち着け」と、それでも静かに聞いてくれた。
 ふと空を見ると、星も月も見えない分厚い雲が広がっていた。
 なのに雪が降る気配はなくて、愛生は落胆を覚える。
(やっぱり、そう上手くはいかないか)
「愛生?」
 静かに名前を呼ばれ、我に返る。つい物思いに耽って黙ってしまっていた。
 明日からはもう何気なく顔を合わすこともなくなるのだ。そう思うとこの時間が勿体なくて、少しの沈黙も作りたくなかった。
「えっと、それでね……──っ」
 しんと澄んだ空気を吸い込んで再び口を開くと、ふいに温かな唇が重ねられた。
 ほんの僅か、懐かしい惣一朗のにおいが肺を満たす。
 さっきまで見えていた傍らの街頭の灯りが遮られ、ぼやけてはっきり見えないほど近くに惣一朗の瞳があった。
 何をされたのか、すぐにはわからなかった。
(今のって……もしかして……)
 温かな息が愛生の頬を撫で、今まで見たこともないほど至近距離に惣一朗の顔があることが、信じられなくて、驚いてしまって、息をすることも忘れてただただ凝視する。
 ──キス、した? どうして? なんで?
 なんて言えばいいのか、どう反応すればいいのかわからず、ただ体温がぐぐっと上がる。
 頭の中が沸騰しそうだ。マフラーを巻き付けた首のあたりから蒸気が一気に放たれるような心地を覚えていると、惣一朗はふっと顔を引いて左右非対称の笑みを浮かべた。
「もしかして、はじめてだったか?」
 その途端、愛生は言いようのない衝撃を覚えて、咄嗟に口を開いた。
「何言ってんの。初めてじゃないよ」

※この続きは製品版でお楽しみください。

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。