【試し読み】人間不信の皇帝は孤独な妖瞳王女との愛に溺れる

あらすじ

祖国では『悪魔の瞳』と忌み嫌われるオッドアイを持つリファール国王女オリアナは、十八の今日までずっと塔の最上階に監禁されていた。この度、レイアガルド帝国皇帝ラドルファスの在位五年を祝う祝賀会に、父王に連れられ参加することになった。帝国に害なす者を徹底的に排除するところから『冷徹な正義』と呼ばれ恐れられているラドルファスに向け、父王はオリアナの瞳が『女神の幸福』と呼ばれていると告げる。嘘がバレたら大変なことになるというのに。しかしオリアナの心配をよそに、ラドルファスはオリアナを見るなり、いきなり皇妃に据えると言い出す。そしてさらに冷たく言い捨てる。世継ぎさえ産めばお前の役割は終わりだ――と。

登場人物
オリアナ
『悪魔の瞳』と忌み嫌われるオッドアイを持ち、十八になるまで王城の塔に監禁されていた。
ラドルファス
レイアガルド帝国皇帝。一切の不正を許さない強硬な姿勢から『冷徹な正義』と恐れられている。
試し読み

序章

 レイアガルド帝国の中心にあるブレイザー宮殿、その一室でくしゃみをした人物がいた。
「大丈夫ですか、ラドルファス皇帝陛下?」
 背後からかけられた言葉に頷いて応じた青年──ラドルファス・クリスト・カレスティアは、振り返りもせず手にしていた書類をさっと差しだす。
「晩餐会は夕方からだというのに、朝早くから続々と帝国内の貴族や属州国の王族がここへ到着しているとのこと。おそらく皆が陛下のことを称賛されているのでしょうね」
 ラドルファスから書類を受け取った大柄な男は、大真面目な顔で言った。
 東西に伸びた広大な領地をもつレイアガルド国は、長い歴史において戦を繰り返し、大小様々な七つの国を支配下におき、強大な権力を持つ帝国へと成長してきた。
 ここ帝都に構えた巨大な宮殿がその象徴だ。歴代の皇帝によって増築や改修がなされてきたこの王宮は、堅牢な門をくぐれば、整備された石畳が広がり、意匠を凝らした噴水が中央に造られている。大理石でできた白い建物のファサードは、そこに施された繊細な彫刻の数々ゆえに、訪れた者に感嘆のため息をこぼれさせた。
「セルジュはまだ戻ってこないのか?」
 男の言葉を無視して、本来ラドルファスから書類を受け取るべき皇帝秘書官の名前を挙げると、熊のように大きな男は、さきほどセルジュが出ていった扉の方を見た。
「たしか、献上品のことで部下が呼びにきたきり帰ってきませんね。まさか王宮に入りきらないくらい大きな陛下の彫像とか、飼い猫代わりに黒豹でも連れてきたとかでしょうかね?」
 どちらも過去に実際にあったことなので、ラドルファスは笑うことはしなかったが、代わりに蒼玉のような鮮やかな青い瞳を伏せ、大きなため息をついた。
「では、マハムード。お前でいい。その確認済みの書類を大臣の所へ持っていけ」
「いえ。私は陛下の護衛ですので、この場を離れるわけにはいきません」
 濃紺の詰め襟の軍服に金の肩章を揺らし、マハムードはぴしりと背筋を伸ばした。その腰にはサーベルが収められた鞘が提げられている。
「今は護衛の必要などない。早く持っていけ」
「お言葉ですが……陛下は本日の主役でございます。昨夜も遅くまで公務に当たっておられましたし、今日くらいは少しお休みになっても……」
 おずおずとマハムードが提案すると、ラドルファスが立ち上がった。上背はマハムードよりも高くないのだが、絹糸のような漆黒の前髪の間から冷ややかに睨まれると、多くの人間は委縮して目を合わせていられなくなる。それでもラドルファスの従僕を務めるだけあって、マハムードは逃げだすことはない。
「俺に休息など必要ない。今までもそうしてきたのだから。それよりも他人に任せて政がおろそかになる方が問題だ」
「はい、承知いたしました。すぐに大臣の下へ急ぎ届けます」
 突然マハムードは何か腑に落ちたような顔になって、叩頭すると急ぎ足で部屋を後にした。
 大理石の床に固い靴音を響かせてマハムードが通路を進んでいくと、見知った顔が向こうから歩いてくるのが見えた。
「セルジュ! 陛下がお呼びだぞ。これを大臣の所へ持っていってくれと」
 マハムードが声をかけると、神妙な面持ちをしていたセルジュがハッとしたように顔を上げて立ち止まった。
 線が細く柔らかな面立ちをしたセルジュは、マハムードから書類を受け取る。
「あなたには陛下のおそばを離れないようにと、いつも言っているのですが」
 眉を吊り上げるセルジュに対して、マハムードはにっと笑った。
「陛下は昼も夜も公務にいそしんでおられる。もしかしたら、誰の目もない方が休みやすいのではないかと思い至ってな」
「そんなことがあるわけないでしょう。早く戻ってください」
 妙案だと思ったマハムードは、ぴしゃりと否定されて肩を落とす。
「そもそも、セルジュが戻ってくるのが遅いからこうなったんだ」
「それは申し訳ありません。ですが、私もただ油を売っていたわけではありませんよ」
 含み笑いを浮かべたセルジュは大臣の下へ書類を届けた後、マハムードと共に執務室へ戻ってきた。
 セルジュの言った通り、ラドルファスは机から一切顔を上げることなく、真剣な表情で書面に目を通している。
「陛下。実は献上品のことで、ご相談させていただきたいのです」
 恭しくお辞儀したセルジュの右肩に、一つに結んだ赤髪がはらりと垂れる。
「どうした、献上品ごときでその国を贔屓することはないと毎度言っているはずだ」
 書類から顔も上げずに、ラドルファスは一蹴する。
「それはお伝えいたしました。実はリファール国から、王女を献上品としてぜひ贈らせてほしいと申し出があったそうです。王女が晩餐会へ出席するということではないようで、他の品物と同じように扱っていただいてかまわないとリファール国王が熱烈に語り、対処に困っているとのことで、私が呼ばれたわけですが……」
「リファール国?」
「はい。レイアガルド帝国のはるか北に位置する小国ですね。一応、属州国ではあります。領地のほとんどが山岳地帯で、昔は鉱山の資源などもあったらしいですが、度重なる自然災害で今はほとんど牧羊や農耕でなんとか生活しているような貧国です。書庫で調べてみたのですが、今まで特に不正など問題を起こしたことはないようです」
 それで戻ってくるのが遅かったのかとマハムードは目配せすると、セルジュが小さく頷いてみせた。
「王女を献上だと? 断れ。女にかまっている時間などないとな」
 ラドルファスの薄い反応は想定内だったので、セルジュはそこで踏みとどまる。
「陛下はそう仰って、縁談を何件もお断りになり、もう五年が経ちます。たしかに大臣たちを一新して慌ただしくしていた最初の年は、それも仕方がなかったと思います。ですが、現在は各国も落ち着いてきております。それでも水面下で権力の奪還をもくろむ不届き者もいるかもしれません。そうなった場合、どうします?」
「斬り捨てるまでだ」
 迷いなく答える主の姿に、セルジュは感心したようにすっと目を細める。
「ですが、陛下の御身に万一のことがあったらどうなさいますか? おそらく五年前以上にこの国は混乱の渦に巻き込まれるでしょう。その際、多くの犠牲が出る可能性もございます。ですが、今のうちに正統な後継者がいるとなれば、各国も簡単に動けないはずです」
「正統な後継者か。それで妃を娶れと?」
 ラドルファスはちらりと視線を上げた。
「慣例通りなら正妃の子でなければ世継ぎと名乗れませんが、陛下が認めたとなれば、元老院も反対はできないでしょうから、婚姻はせずともお子を設けるだけでも可能かと。もちろん、お相手はそのリファール国の王女でなくても、本日晩餐会へ出席する予定のご令嬢の中からお好みの──」
「わかった。その献上品の王女とやらを連れてこい」
 話は終わりだとでもいうように、ラドルファスは再び書面に目を通し始める。
「ここに、ですか?」
「謁見の間まで行く時間が惜しい。俺は忙しいのだ」
 謁見となれば、こちらも改めて服装を整え、時間をかけてそこまで行かなくてはならない。今日のような祝いの日ですら普段の公務を欠かさないラドルファスの意見はもっともだった。
「かしこまりました。すぐに連れてまいります」
 セルジュは頭を下げかけて、眉をひそめた。
「それと、別件なのですが、前皇帝レイアガルド四世の娘の行方についてご報告を──」
「ふん、修道院を抜けだした娘だったか」
 ラドルファスは小さく鼻で笑う。
「はい。それがまだ見つかっておりません。全力で捜索にあたっているのですが、何ぶん人員も少ないので……」
 前皇帝の正妃は、彼が討たれた時に自ら命を絶った。しかし彼に囲われていた残りの女性たちはすべて各地の修道院へ送られ、その後の生涯を慎ましく過ごすことを余儀なくされている。男児に恵まれず、娘ばかりが数名誕生したが、彼女たちも親と離され、いずれかの修道院で生活しているはずだ。その中の一人が先月姿を消したというのだ。
「すでに宮殿の中に潜り込んでいるとかはないですかね」
 マハムードが言うと、セルジュはキッと彼を睨んだ。
「それだけはない」
「断言できるか?」
 そうはっきりと聞かれると、言葉に詰まる。
「まあ、いい。生きていたところで小娘には何もできまい」
「はっ。では、リファール国王と王女を連れてまいります」
 改めて頭を下げたセルジュは、そつのない動作で執務室を出ていった。

第一章 皇帝への献上品

 ブレイザー宮殿のもっとも高い尖塔ではためく深紅の国旗には、金色の獅子が描かれている。太陽はまだ高く、白壁の王宮を照らしていたが、王宮の門には高貴な馬車が連なり、正装した王侯貴族たちが続々と中へ入っていく。どの人々の手にも、レイアガルド帝国の五代目の皇帝カレスティア一世の在位五周年を祝う晩餐会の招待状があった。
 晩餐会は夕方からだったが、忠誠心を見せようと少しでも早くカレスティア一世に謁見を願いでる者たちが、競うように朝早くから到着しているのだ。しかしながら、謁見は決められた時間にならないと開始されないときっぱりと断られ、せめて祝いの献上品だけでもと王宮の宝物庫や食料倉庫にどんどんと最上級の贈りものが運び込まれている。
「晩餐会まではまだ時間があるのに、もう忙しいんですね」
 若いメイドが賓客への茶を用意しながら、不安そうな顔をする。
 在位五周年というきりのいい年の祝典に、王宮内も久しぶりに賑やかになっていた。
「あなたは入ったばかりの人ね。ええと、名前はなんだったかしら?」
「ジョセフィンです」
「ああ、そうだったわね。私はマチルダよ。前回の晩餐会は去年の秋だったから、私も久しぶりだわ」
 てきぱきと手を動かしながらマチルダが答える。
「えっ、半年も前なんですか?」
「そうよ。先代のレイアガルド四世は頻繁に宴を開くから、毎日準備や後片付けでうんざりだったけど、今の皇帝陛下は最低限の行事の時しか晩餐会を開かないから、メイドも不要だと数も減らされてしまって。今回は規模が大きいから期間を決めて大人数を雇ったみたいだけど、このままの人数にしてほしいわ。本当にギリギリの人数で、一日中仕事をしないといけないんだもの」
 マチルダはそう愚痴をこぼした。
「やっぱり恐いお方なんでしょうか? その……先代皇帝を討ったんですよね?」
「私も直接見たわけじゃないけど、五年前のあの日、王宮内は大混乱で、とばっちりを受けないようにしばらくは隠れていたわね。そのあと、陛下は各国に監視役を送っていて、少しでも不正が疑われれば容赦なく罰するそうよ。ついた異名が、『冷徹な正義』」
 マチルダは脅かすように声を低くしてジョセフィンに身を寄せた。
「だけど、きちんと仕事をすれば何も言われることはないし、普段は陛下に御目にかかる機会もないから安心して。選ばれた人しか、おそばに置かない方針らしいの」
「それは残念です、お仕事を認めてもらえれば侍女に召し上げてもらえると聞いていたので」
 ジョセフィンの顔が曇る。
「それは先代の話よ。しかも侍女じゃなくて、皇帝陛下の愛妾にされるとかで、贅沢な暮らしをさせてもらっていたみたいだけど、私はそういうのは嫌だったから、絶対に王宮の奥には近づかないようにしていたわ。先代が討たれた時に、愛妾たちやその子どもたちも王宮から追いだされたみたいだし、行かなくて本当によかったと思ってる」
「今の……ラドルファス皇帝陛下にそういった方は……」
「ないようね。お大臣様たちは早く正統な世継ぎを立てるために結婚を勧めているそうだけど、公務の邪魔だとすべて断られているらしいわ」
「そうですか……陛下に会うのは難しいんですねえ」
「当たり前よ。真面目に働くのが一番。間違っても陛下に媚びを売ったりしないようにね。本当にラドルファス皇帝陛下はそういったことには厳しいの」
「わ、わかっています。それでは、お仕事にいってきますね!」
 ジョセフィンはにこりと口元に笑みを浮かべると、茶器と焼き菓子を載せたワゴンを押しながら部屋を出ていった。

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