【試し読み】私にだけイジワルな年下上司が甘く翻弄してきます!
あらすじ
損害保険会社のベテラン営業事務・陶子(とうこ)のポリシーは、仕事とプライベートをきっちり分けること。ところが……「大丈夫ですよ。ちゃんと秘密にしておきますから」急遽本部長の代理として配属された年下の有能上司・諒(りょう)に、予期せずプライベートな一面を知られてしまった! 爽やかで男女問わず人望のある彼だが、陶子の知られざる姿を知るなり意地悪な笑みを深め――「女性を虐めたいって思ったの、陶子さんが初めてです」保ってきた公私のラインを侵されバランスを崩された陶子は、諒の甘いささやきに抗えなくて――。
登場人物
真面目に地道に仕事をこなすベテランの営業事務。仕事とプライベートはきっちり分ける派。
本部長代理として配属された年下の上司。爽やかで仕事もデキるが、意地悪な一面もあり…
試し読み
ついに、この日が来てしまった。
「朝比奈諒です。急遽営業本部長の代理を務めることになりました。よろしくお願いします」
久世陶子はオフィスの後ろのほうから、広い窓から見える青空を背にした男を呆然と眺めていた。彼が挨拶を終えると拍手の音が聞こえて、陶子も慌てて手を叩いた。
新卒でこの損害保険会社に勤めてもうすぐ十年。ついに上司が年下になってしまった。
この場にいる全員が、朝比奈諒の存在は知っているはずだ。若いのに入社時から評価が高く、三十手前の二十九歳という若さで品質管理部の課長に就任され、話題になっていた。女性からの人気も高く、「可愛い」「爽やか」などと言われているのは耳にしたことがある。
どうして他部署の諒が挨拶をしているかというと、営業本部の部長が入院となったらしく、その代理に急遽彼が選ばれたらしい。営業部の誰かが選ばれるのが普通だろうに、彼が選ばれたということはそれほど期待されているということだ。
挨拶を終えると彼は部長が座っていたデスクに荷物を持ってきたらしく、整理を始めた。
営業本部は営業部と陶子がいる営業サポート部で構成されていて、仕事で関わることが多いため、島が隣り合っている。数列の島を見守るようにこちら側を向いているのが部長のデスクだ。前部長はかなり年上だったため、若い人があの席に座っているのが不思議でならない。
(三歳下の上司か……)
驚きはしたものの陶子はただひたすら指示された仕事をするだけだ。
パソコンに向き直り、溜まりに溜まった仕事を片付けていく。
営業サポート部の仕事はその名の通り営業部のサポート。彼らがとってきた仕事を元に、陶子たちが請求書や契約書を作成したり、データの管理をしている。営業部の二十人に比べて営業事務は十人にも満たないため、事務の仕事量が多い。
「久世さん、ここ教えてください~」
「はい」
陶子は黒い眼鏡の縁を持ち上げて、後輩の指導をする。
真面目に地味に働いているうちに、陶子は営業事務の中で一番のベテランとなってしまった。
お給料はそこそこだけど安定して慣れた仕事。毎日会社と家の往復で大きく変化のないこの生活が気に入っていた。
「久世さん、ちょっと良いでしょうか」
仕事に集中していたら、部長代理の諒に話しかけられた。振り返ると整った顔立ちに圧倒された。
「はい。久世陶子と申します。よろしくお願いします」
彼の名前は知っているけれど、こちらは名乗っていない。陶子の名前は座席表などで見たのだろう。
陶子が挨拶をすると、彼は驚いたように目をまるくした。けれどすぐに表情は切り替わり、口角を上げた。
「朝比奈諒です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる姿はどこか幼さを感じる。それほど若いというわけでもないだろうに、年下というだけで陶子にとっては「若い」とカテゴリー分けされる。
「あの、久世さんが営業事務で一番長く勤務されていると聞いたので、具体的な業務内容をお伺いしたく、ミーティングのお時間頂戴しても良いでしょうか?」
「……はい。わかりました」
「ありがとうございます。午前中は予定が詰まっているので、午後イチで設定させていただきます」
微笑む顔が爽やかで眩しい。ほんのり茶色の髪は短く切られていて清潔感がある。けれどきちんとセットされているからか、野暮ったさもない。陶子を覗き込む大きく丸い目はまるで人なつっこい犬のようだ。どちらかというと可愛い顔のわりに体型はしっかりしていて、シンプルな黒のスーツが型を崩すことなくぴたりとハマっている。
近くで見ていると、肌のつやすら違うような気がする。たった三歳。でも、二十代から三十代の三歳差は大きい。
「じゃあ僕は研修に行ってきますので」
にこりと微笑まれると、じろじろ見てしまったことが申し訳なくなって、視線をそらした。
「……いってらっしゃい」
少しすると、陶子のメールソフトにはスケジュールが追加された。研修中だろうに、パソコン作業をしているみたいだ。就任初日から忙しいものだ。
陶子は追加されたスケジュールをすぐに承認し、また仕事に戻った。
お昼休みを挟んで午後一で、指定された会議室へ向かう。
陶子の会社はオフィスビルの一階から五階を借りていて、会議室は五階にまとまっている。陶子のいる二階からエレベーターを使って上がり会議室フロアに着くと、会議室が並ぶ質素な白い壁が続く。目的の扉をノックして会議室に入るとすでに諒は座っていて、真剣な表情でノートパソコンを睨んでいた。
「……お疲れ様です。お待たせしました」
「久世さんお疲れ様です。さっそくすみません」
「いえ」
六人用の会議室は狭く、圧迫感がある。陶子は諒の座っている斜め前の席についた。
「さっそく営業事務の構成と業務内容を教えていただきたいのですが……」
「はい」
陶子は、新人用に作成している構成図と大まかな業務内容を見せるため、会議室に設置してある大画面モニターとパソコンを繋げた。
「営業サポートは今七人体勢です。役職のついている人はいないので、一応私が一番長くて、次に五年目の二人、それから二、三年目の方がいます。結婚などで退職する方が多く、入れ替わりが激しいですね」
「……人数は足りてますか?」
「足りていません」
陶子は即答した。以前から思っていたことだ。
「なるほど、了解です」
諒はすごい速さでキーボードを打つ。打鍵音が静かになると「続けてください」と諒が手のひらで促す。
「業務内容は、営業の方が持ってきた仕事を部長が各々に振り分けますので、そこから契約書作成、見積、請求書作成、売上管理などをしています。数字を扱う大事な仕事なので、確認作業にダブルチェックを実施したりしています」
「担当営業も含めてのダブルチェックですか?」
「いえ。サポート部内のみです。営業の方に書類を渡して確認している人もいますが、忙しさからかそのまま提出されることも多いので、こちらでチェックするようにしています」
何度か営業から、間違っていたとクライアントに指摘された等、強く注意を受けたことがあるので、余計にだ。営業には確認する人がいないのでこちらは完璧な仕事をしなければいけない、と陶子は気をつけている。
「営業は……二十人ですよね。取引先は五十弱」
「はい」
陶子は強く頷いた。言いたいことは、彼ならわかってくれそうだ。
「……それはきついですね。さっき勤怠確認しましたけど、確かに事務の方の残業時間が多いんですよね。特に久世さん。前の部長は何か対策はとられました?」
陶子は黙り込んだ。
これを言うべきかは悩む。でも、面倒なことになるかもしれない。目の前の代理部長が、信用できるとも限らない。陶子が今ここで「部長には管理能力がない」と告げたとして、それが部長に伝わったらそれはそれでややこしいことになる。
「特に、対策はとられていないです」
陶子は様子を見ることにした。大きな変化は望まない。多少の不満はあるものの、変化するくらいなら現状維持で充分だ。
「……わかりました。ありがとうございます。ちなみに、部長の持っていた案件の引継ぎって」
「誰も何も」
「ですよね」
諒は息を吐いた。
「まあ急だったからしょうがないか……」と小さく呟いた。
「とりあえず営業部のほうの業務整理をして、同時進行でサポートの方の業務バランスも見ていきます。それから人員確保も」
「……助かります」
諒の言葉は純粋にうれしい。でも、今まで口だけの上司なんて山ほどいた。だからあまり期待はしていない。
「僕は代理でここに来ましたし、部長が帰ってきたらいなくなるかもしれませんが、ここにいるうちは精一杯やらせていただきます。不満や心配なことがあったらぜひ教えてください」
なかなか熱意のある人みたいだ。若さゆえだろうか。
「わかりました。ありがとうございます」
陶子はこの数十分で、諒に対する評価が上がった。もともと評価の良い人なので気になってはいたが、若いのにしっかりしている。
「では、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
お互いに頭を下げた。
「じゃあ僕はこのまま外回りに出てきます」
二人でエレベーターに乗り込むと、諒は腕時計に目を落とす。
「承知しました。スケジュール表に書いておきますね」
「助かります」
陶子は二階で降り、諒はそのまま一階だ。就任初日でこんなに忙しいもの? コキ使われてない? と心配になる。
正直なところ、前の部長には期待していなかった。
業務量過多も、自分ががんばれば済むと思っていたし、特に目立った趣味もない陶子にとってはそれでよかった。
仕事に戻ると、また陶子のパソコンには会議のスケジュールが入っていた。四時から、部長との会議。部長というと諒のことだ。いったいいつの間に会議を入れる時間があったのだろうと感心する。
陶子はまた、承諾を押して仕事に戻った。
「戻りました」
「おかえりなさい」
しばらくして諒が陶子の後ろを通り過ぎ部長のデスクに着く。何か書類とパソコンを持って、またオフィスを出て行った。同時に、営業部の全員が席を立つ。目立つ行動に気になり諒の公開スケジュールを覗くと、営業部での会議が行われているみたいだった。それが終わったらすぐに陶子たちサポート部との会議だ。
初日なのに飛ばしすぎではないかと心配になる。
四時になり営業サポートの全員も席を立つ。会議室に向かう途中のエレベーターで「朝比奈さんかっこいいからうれし~」とはしゃぐ声がした。
五年目の安藤夏帆だ。彼女は陶子の次に一番長く働いている人で、いつも膝上のスカートをはいていて真面目には見えないがまともな仕事をする女性だ。今までの部長に比べたら若いしかっこいいし、浮足立つのも仕方ないだろう。陶子にとっては仕事をちゃんとしてくれればそれでいい。
営業サポートは七人、全員女性だ。会議室に全員集まると、全員が諒のことをうっとりと見ているのがわかる。みんな二十代だし、そうなってしまうのもわかる。陶子ももっと若かったら新しい若くてかっこいい上司に夢中になっていたかもしれない。……いや、陶子の場合はそうとも言い切れない。
「みなさん急に招集かけてすみません。サポート部のみなさんともきちんと話をしておかないと、と思いまして。先ほど久世さんに構成や業務内容については教えていただきました」
諒は、会議室モニターとパソコンを繋げる。モニターには、パッと表が映し出された。
「それから、営業担当の業務量や振り分け内容も確認しました。そのうえで、サポートのみなさんが大変な仕事量をこなしていると聞きました」
いつの間に作ったのだろう。陶子が渡した資料をもとに、まったく別の資料が完成されていた。
誰がどの程度業務を請け負っているか。営業一名に対してどのくらいのクライアントを持っているか、などが詳細にわかりやすくまとまっていた。
陶子は思わず眼鏡の縁を上げて食い入るように見入っていた。色もついているが最小限になっていて、文字の大きさもバランスよく配置されている。こんなに見やすい表は初めてで、感心していた。
「上に人員確保の依頼は出してあります。なのでしばらくの間ですが、もう少し辛抱いただければと思います。それから、週に一回こうやってミーティングを開催させてもらって情報共有をお願いします。本来なら営業とサポートのみなさんとミーティングを行うべきなのですが、営業のみなさんは外回りが多くなっているので、営業の業務内容は僕がまとめます」
サポートのみんなの目は、さらに輝く。
今まで仕事量が多く大変だったことをわかってくれる人がようやく現れた。みんなには王子様のように見えるのだろう。
陶子だってそうだ。仕事の環境が良くなるなら、平穏な生活がさらに満たされる。
「いつまでになるかわかりませんが、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
すっかり事務の全員は諒に懐柔されていた。
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