【試し読み】純潔寡婦は童貞海神にご執心です

作家:有允ひろみ
イラスト:森原八鹿
レーベル:夢中文庫ペアーレ
発売日:2020/11/20
販売価格:700円
あらすじ

未経験のまま寡婦になってしまったナディア。来月三年の喪が明け自由の身になる。そんな時、腰を痛めたという神父の大叔父を手助けするためネルソン村に出向くことに。そこでオーランドというまるで神話に登場する海神のような肉体を誇る青年と出会い一目で恋に落ちしまう。それはオーランドも同じで、二人はその場で求め合い結ばれた。共に初めての体験で最初は戸惑ったものの、想像以上の心地よさに酔いしれる。ナディアはオーランドに第二の人生を託し、すべてを捧げると誓う。だが王宮で起こった権力闘争により、オーランドの出自が明らかに。なんと彼はこの国の王子だった! そしてナディアは愛人にしかなれないと言われてしまい――

登場人物
ナディア
十九の誕生日に結婚するが翌日に夫を亡くし寡婦となる。三年の喪が明け、あとひと月で自由の身となるが…
オーランド
ネルソン村で出会った青年。神話に登場する海神のような肉体を持ち、一目でナディアと恋に落ちる。
試し読み

第一章 寡婦だって恋をしたい! ~海獣との遭遇~

 自室で医学書のページを繰りながら、ナディア・ルーカスはホッとため息を吐いて窓の外を眺めた。
 寝転んでいたカウチから起き上がり、壁際に置かれた姿見の前に立つ。
 濃い麦穂色の髪の毛にヘーゼル色の瞳。
 身長はさほど高くないが、我ながらなかなかのスタイル美人だと思う。
 ナディアは鏡に向かってしなを作った。そして、きつく結い上げた髪の毛をほどきドレスの胸元を大きく寛がせる。
 むっちりと盛り上がった胸の谷間があらわになり、むき出しの肩に緩く巻いた髪の毛がかかった。
 鏡に映る自分をまじまじと見つめながら、ナディアは深いため息を吐く。
 自分はまだ十分若く健康だし、腰回りは村の産婆が「十人は楽に子を産める」と太鼓判を押したくらいどっしりとして肉付きがいい。
 それなのに普段着るドレスは黒色一択だし、たまに華やかな場に出てもおしゃべりの相手は自分よりはるかに年上の女性ばかり。時折男性と話す機会があっても、相手は枯れた中年かヨボヨボのおじいさんに限られている。
(あ~あ、情けない! 私はまだ二十二歳よ? それなのに、皺だらけのおばあさんみたいに真っ黒なドレスを着て、刺繍とか天気の話ばかりして……。私だって、もっと華やかなドレスが着たいし若い殿方とおしゃべりがしたいわ!)
 ナディアは軽く地団太を踏みながら鼻の頭に皺を寄せる。
 それもこれも、すべて自分が夫を亡くした未亡人だからだ。今現在、ナディアは実家であるコールマン家に出戻り、寡婦として鬱々とした生活を送っている。
(──だけど寡婦になったからには、それも夢のまた夢ね。つくづく、自分の運命がうらめしいわ)
 古い風習を重んじるジェントル層や貴族社会では、結婚相手は親が決めるものであり本人の感情などまったく関係なく縁組みをされる。
 当然、結婚と恋愛は別物。
 妻たるもの、結婚後は速やかに妊娠をして後継者たる男子を産み育てる。
 それはもう女性に生まれついた時から決められた道であり、ナディアもそれに従って結婚し不幸にも寡婦になった。
 もし自分が男に生まれていたら、ぜったいに大学まで進み生物学者としての道を進みたかったのだが……。
(仕方ないとはいえ、つくづく不運だわ……。そもそも、夫とは数えるほどしか会っていないし、結婚したといっても二人きりで話す機会もないままだったんだもの)
 ナディアが結婚したのは、ちょうど十九歳になった誕生日だった。
 結婚式のあと、夫は友人達とともにさほど飲めない酒をたらふく飲んで泥酔。
 神聖な初夜は酒臭い夫とただ同じベッドで眠るだけに終わり、ナディアは清い身体のまま朝を迎えた。
 次の日の午後、夫は友人に誘われて馬で遠乗りに出かけた。
 その途中、落馬して呆気なく他界。
 ナディアは自動的に寡婦になり、いまだ処女のまま熟れた身体を持て余しているというわけだ。
(それもこれもすべて運命なのかしら……。だとしたら、私の一生はずっとこんな感じなの? それだけは御免こうむりたいわ!)
 幸い、ここブライト国の慣習では寡婦になって三年経てば再婚をしてもいいことになっている。しかし、それまでは亡き夫に操を立て、決して不道徳な行動を取ってはならない。
 喪が明けるまで、あとひと月──。
 しかしながら、初婚の相手同様に再婚相手も親が決めるのだから、正直期待はできない。
 それが証拠に、周りにいる寡婦の嫁ぎ先はもれなく干からびた老人か脂ぎった寡男やもおばかり。
 せめて同年代の男性と話くらいしたいと思うけれど、ナディアも参加している寡婦のコミュニティでは、若い男が目の前に来たらできるだけ速やかにそっぽを向くのが望ましいとされていた。
『一度結婚したのだから、若い独身男性は未婚の女性に譲るべき』
 それが寡婦たるものの心得であり、決め事のようになっている。
 そうは言っても、実質まともな初夜を過ごせないまま夫は逝ってしまった。このまま縁がなければ、ナディアは残りの人生を祈りと年寄りじみたおしゃべりだけで終わらせることになってしまう。
 いくらなんでも、それでは自分が可哀想すぎる!
 そうかといって、二度までも愛のない結婚をして一度きりの人生を後悔とともに終わらせる気にもなれない。

「ナディア、ちょっと来なさい」
 ある夏の日の午後、ナディアは父親のジョセフに呼ばれ彼の書斎に向かった。そこには母親のエレンもおり、ナディアに一通の手紙を手渡してきた。
 差出人は父方の大叔父であるイアン・コールマン神父。
 彼は若い頃から神の道を志し、今はここブライト国の最も西に位置する海沿いのネルソンという村に建つ教会を守っている。
 現在六十歳の神父には、ナディアも何度か会って話をしたことがあった。彼は気さくで心優しい人であると同時に、常に教区の人々のことを優先する人格者でもある。
 手紙を読んでみると、どうやら教会の祭壇から下りる時に躓いて腰を痛めたらしい。
 腰自体は二カ月も養生すれば完治する程度であるらしく、さほど心配はいらない。しかし、高齢の一人暮らしだし、腰が治るまで何かと不便を強いられるだろう。村人の力を借りると言っても、周りも年寄りばかりだから共倒れになりかねない。
「手紙には心配ないと書いてあるが、無理をしてまた怪我でもすれば、神父としての仕事にも支障をきたすだろう。そこで、だ。ナディア、神父の腰が治るまで彼のそばでいろいろと手伝いをしてあげてもらいたいんだ」
 ジョセフは幼い頃に実父を亡くしており、一時期神父のことを本当の父親のように慕っていたと聞く。医師である彼は日頃何かと忙しく、遠方に住む神父と会えるのは数年に一度だ。
 しかし何かあれば一番に駆けつけるつもりだし、神父の頼みならできる限り叶えたいと思っている。
 それほど大切に思う人だからこそ、今回は一番役に立ちそうなナディアを彼のもとに送り、一日でも早く健康な身体に戻ってほしい──。
 そんな父親の願いを断る理由もないし、そもそも出戻りの娘に家長の頼み事を断るなどという選択肢はない。
 それに、今の鬱々とした生活を続けるよりは、海辺の村で家事などをして身体を動かしているほうがよっぽど健康的だ。
「わかったわ。私、大叔父さまのお手伝いに行くわ」
 ナディアがそう言うと、ジョセフはホッとしたように口元に笑みを浮かべた。
 エレンは少々心配そうな顔をしているが、夫が決めたことに口を出すつもりはないみたいだ。
「私が行けば、きっと大叔父さまも早くよくなるわ。お母さまもそう思うでしょう?」
 ナディアが聞くとエレンも仕方なく、こっくりと頷いて同意をする。
「そうね。あなたなら大抵のことは上手くこなすから大叔父さまも大助かりだと思うわ」
 結婚するにあたり、ナディアはエレンから礼儀作法や針仕事全般をみっちりと教え込まれた。
 もともと新しく学ぶのが好きなナディアは、それ以外にも普通なら家事使用人がするような仕事──例えば掃除洗濯や庭仕事までやってのける。
 エレンはあまりいい顔をしないが、家事は本を読むのと同じくらい面白くて興味深い。
 ナディアは自分が持つ能力を発揮する場を見つけたとばかりに、心を躍らせる。
 それに、もしかするとこれをきっかけにして新しい人生が開けるかもしれない。少なくとも、このままここにいるよりも何倍も楽しそうだ。
「そうか。そうしてくれると助かるよ。おまえは明るいし何よりも身体が丈夫だ。きっと神父も喜んでくださるだろう。さっそく手紙を書いておまえが行くことを知らせるとしよう」
 ジョセフは言い、机の引き出しから便箋を取り出した。
「お父さま、大叔父さまは今現在腰を痛めてお困りなのでしょう? だから私、準備ができ次第出発しようと思うんだけどそれじゃいけない?」
「いや、早ければ早いほうがいいとは思うが……」
「じゃあ、そうするわ」
「では、すぐにでも辻馬車を手配しないと──」
「それには及ばないわ。私、自分で馬車を引いていくから」
 コールマン家は爵位こそないものの、所有する土地の広さでは下級貴族にひけを取らない。厩には馬が二頭おり、幌付きの荷馬車もある。
 普段なら馬の世話をする使用人が御者を務めるのだが、今はちょうど怪我をしており長旅は無理だ。
 生まれつきのお転婆であるナディアは、幼い頃から馬の扱いならお手の物だ。必要とあらば裸馬にも乗るし、御者の真似事なら何度もしたことがあった。
 心配する両親を説き伏せると、ナディアはさっそく荷造りをして自ら馬車の用意をする。
 白夜の国であるブライト国の夏は、一日中太陽が沈まない。
 よって、いねむりさえしなければ夜でも馬車を走らせることが可能だ。
 そうと決まれば、できるだけ早く出発したい。そう思い、テキパキと準備を整えて必要だと思われる荷物を馬車に積み込んでいく。
 出発の時が来て、ナディアは早々に御者席に乗り込んだ。
「では、行ってきます」
 見送ってくれる両親や使用人達に手を振ると、ナディアは愛馬に出発の合図をした。
 牝馬は軽くいななき、軽やかに馬車を引き始める。
(ああ、これで少なくとも二カ月間は、お父さま達の物言いたげな視線から逃れられるわ!)
 はっきりとは言わなくても、両親が自分に早く再婚をしてほしいと思っていることはわかっていた。
 おそらく、喪が明け次第しつこいほどそういった話をしてくるつもりだったはずだ。
 そういった意味では、大叔父が腰を痛めたことはナディアにとって家を出る格好の理由になった。
 もし可能ならば、そのまま実家に帰ることなく、どこかで家庭教師の口でも見つけられたら──などと思ったりしている。
(とにかく今は少しでも早く大叔父さまのところに行かないと)
 父親曰く、ネルソン村はここから馬車で一日かかる場所にあり、百十数人いる住人はほとんどが老人であるらしい。今でこそ活気がなく寂れた地だが、その昔は近隣の海を牛耳る海賊達が住み着いておりたいそう賑やかだったようだ。
 コールマン神父は昔から好んで辺境の地にある教会を渡り歩き、その地に住む人々の生活を見守ってきた人だ。
 ネルソン村もご多分に漏れずかなりの田舎町らしいが、この際贅沢は言っていられない。
(どこであろうと、あの家でいつ再婚話を持ちかけられるかビクビクしながら暮らすよりはずっとましだわ)
 キャビンには当面の暮らしに困らないほどの食材を積んできたし、自分の荷物もたっぷりと入っている。
 とりあえず、新天地へ──。
 ナディアは手綱を強く握りしめると、ウキウキとした気分で馬車を走らせるのだった。

 馬を駆り続け、翌日の明け方にはネルソン村のはずれに到着した。
 途中何度か休んだとはいえ、ほとんどぶっ続けで進み続けたのは、それだけ心が逸っていたから。
 村は思っていた以上に寂れており、通りすがりに建っている家のほとんどが無人で、中には朽ちて倒れかけているものもあった。
 しかし、ここまで来れば、もう両親の目は届かないし自由気ままに振る舞うことができる。
 思えば寡婦になって以来、常に窮屈な思いをして暮らしてきた。
 しかし、もうそんな生活も終わりだ。
 これからは自分の意志に従って生きよう。
 家庭教師の口がなければ、どこかの貴族に雇ってもらい家事使用人として働いてもいい。
 多少貧乏でも心の平穏を得るほうを優先させたいし、自分さえ納得していればそういう人生を送るのも問題ないと思う。
 考えれば考えるほど、そんな未来がいっそう魅力的に思えてくる。
「自由って素敵!」
 ナディアは声に出してそう叫ぶと、機嫌よく鼻歌を歌い始める。
 引き続き海岸線を走っていると、目前に切り立った岸壁が見えてきた。
 その先に石造りの教会が建っている。
 小さいけれどどっしりとしていていかにも頑丈そうなそれは、かつて海を行く船達を案内する灯台の役割を果たしていたと聞く。
(さあ、あと少し!)
 だんだんと近づいてくる岸壁は高く切り立っており、そのはるか向こうには果てしなく続く水平線が見える。
 コールマン神父がネルソン村に来たのは、今からちょうど二年前。
 ここに来る前は山間にある村にいたし、それ以前は高い山の中腹にある教会を守っていた。
 ナディアが彼に会えるのは、親族の冠婚葬祭の時のみ。
 けれど、神父は会うたびにナディアをたいそう可愛がってくれたし、いつも面白い土産話を聞かせてくれた。
 カトリック教徒である彼は一生独身を通す。
 ナディアにとってのコールマン神父は、常に尊敬の対象であり畏怖の念を抱かずにはいられないほど孤高の存在だ。
 そんな彼のもとで暮らす日々は、きっとこれまでの生活をリセットし新たな道を行く節目になってくれることだろう。
(もしかすると、私も神の道を行きたいと思うようになるかも……)
 一瞬そんなことを考えたナディアだったが、それからすぐに首を横に振って否定をする。
(いいえ、せめて一度だけでも誰かと恋をしたいわ。そして、本当の〝愛〟というものを知って人生の素晴らしさを実感するのよ)
 これまでに一度たりとも恋に落ちたことがないナディアだ。
〝愛〟といえば家族愛とか神への愛しか知らず、異性との向き合い方も今ひとつわからないままだ。
 友達は皆異性に対する〝愛〟について声高に語り、賞賛しては大袈裟に声を震わせたりする。
(いったい〝愛〟の何が、そうさせるのかしら? 私だって、それくらい強く誰かを愛してみたいわ。だけど果たしてそんな人に巡り合えるかどうか……)

※この続きは製品版でお楽しみください。

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