【試し読み】聖なる魔女と悪魔の騎士4

あらすじ

『魔女』ユーフェリナは、レグラヴィと共に潜入した貴族の街で、新たな主と契約を結んでいた『魔剣士』にたどりついたが――「さっさとここから消え失せろ」彼にふたたび突き放された時、ウィルガイストの魂の色を視る! そしてついに彼女の身体に宿った『天眼石』の力が覚醒して……!? 明かされる魔女の真実と、ウィルガイストの壮絶な過去。『シヴァドール』とは、いったい何なのか。すべてを視たユーフェリナが選んだ道は――? 不良修道女×エロ悪魔のダークラブファンタジー!最終巻! 話題のWEB小説を電子書籍化!

登場人物
ユーフェリナ
見習い修道女。魔に魅入られた人の瞳にひそむ黒い炎を視る力『魔女の目』を持つ。
ウィルガイスト
魔剣士。『魔女の目』の力に引き寄せられる悪魔からユーフェリナを守る。
試し読み

第6章 契約の対価

 ──あ、まただ。

「フェネ、こっちだよ」
 ハディールのやさしい声に名前を呼ばれると、胸の奥がざわざわと揺れる。
 駄目だと何度も自分に言い聞かせてみるが、ハディールの姿が見えるたびに鼓動が激しくなる。そのうち心臓が止まってしまうのではないかと危ぶむほど、呼吸が苦しくなった。
「──また来たのね。本当にいい加減にしないと、いつか取り返しのつかないことになるわよ」
 呆れる声で突き放しても、彼は一向にへこたれた様子もなく、星明かりがほのかに照らす泉の淵へと彼女を誘った。
 隣に腰を下ろすと、ハディールは待ちかねたようにフェネリーゼの手を取る。
 前回の逢瀬から二ヶ月ほど経過していたせいもあり、彼は久々にまみえる少女を抱き寄せると、待ちきれずに唇をやわらかくついばんだ。
「もっと早く来たかったんだけど、家がごたついててね。やっと機会を見て抜け出してきたんだ」
「……そんな無理をして来なくてもいいのに。ここだって見つかったら危険なのよ」
「だから、危険じゃなくするために、お母上に会わせてもらえるとうれしいんだけど」
 ハディールはフェネリーゼの蜂蜜色の髪を撫でながら、頑として首を縦に振らない少女に、困った笑顔を向けた。
「無理よ、ウィジカはウィジカの中だけで生きていくもの。余所よそ者の介入なんて許すはずがないわ。一族の末端ならともかく、あたしは族長の娘なんだから」
「そんなに近くで婚姻を重ねていては、いつか血が腐るよ。近しい者の血は危険だ」
「でも、それが掟なんだもの、仕方ないじゃない。あなた、たぶん族長の前にその姿を晒したら、瞬時に首を刎ねられるわ。そうでなくともロークリンド国王は、魔術やまじないの類が嫌いで、ウィジカを排除しようとしているでしょう。こうして森の奥に隠れ潜んでいるけど、いつ見つかるとも限らない。ロークリンドの人間がウィジカの娘をたぶらかそうとしていると知ったら、間違いなく族長の逆鱗に触れることになるわよ」
 彼に触られるたびに高鳴る胸を鎮めようと、ため息とともにフェネリーゼは言った。どうにもならないのだから、立ち去ってくれればいいのに。そう願わずにいられない。
 とはいえ、実際に彼がフェネリーゼの許を去ってしまったら、しばらく虚無から立ち直れそうにないこともわかっている。
 彼が姿を見せなかったこの二ヶ月、寝ても覚めても落ち着かず、食事もまともに喉を通らず、今日は来るだろうか来るだろうかと、森の周辺に魔力の結界を張り巡らせて、彼の気配を探していた。
 その煩悶はんもんが永遠となったら、いったい自分はどうなってしまうのだろうか。
 だが、こうして現実に彼と出会い、その身体のぬくもりを感じていると、どうしようもない恐怖に襲われる。こんなことがいつまでも続くはずがないのに。
 今は族長が病がちで、魔力による結界が薄れているが、本来であればとっくに見つかり、ハディールは殺され、自分自身も処罰を食らっているはずだ。
「僕は君の母上を説得してみせる自信があるんだ。ああ、どうすればいいんだろう。僕は本気で君が好きなんだよ、フェネリーゼ。この二ヶ月だって、早く君に逢いたくて逢いたくて、剣の稽古さえ手につかない有様だった。本当に君の母上が許してくれないのなら──このまま君をウィジカから連れ去ってしまいたい」
 フェネリーゼの細い身体を強く抱きしめながら、ハディールはやるせないもどかしさに、深いため息をついた。
「ハディール……」
 初めて出会ってからもう一年近くが経過している。
 最初の頃は彼の言葉に戸惑い、嬉しさ半分、迷惑半分といったところだったが、幾度かの忍び逢いを重ねていくうちに、フェネリーゼはハディールに抱きしめられ、唇を合わせることにこの上ない喜びと幸福感を抱くようになっていた。
「ねえ。いっそ本当に……君を連れてこの森から遠くへ行ってしまうのはどうだろう。それほど君の母上がロークリンドをいとうのであれば国外へ、誰も僕らふたりを知らない場所で、静かに暮らすんだ」
 一瞬、目の前に、彼の語る幸福な未来が色鮮やかに現れた。
 太陽の恵みの降り注ぐ大地で、汗と土に汚れて、小さな家でひっそりと日々を暮らす。それは、なんとすばらしい未来図なのだろう。
 だが──。
「馬鹿なことを言わないでちょうだい。あたしはウィジカを継ぐ身なのよ。母の具合もあまりよくないし、たぶん、近いうちにあたしがウィジカの族長になる。あ、あなたのような余所者となんて、一緒にいられるはずがないのよ」
 彼の提案をすぐさま退け、フェネリーゼはハディールの胸から離れた。
 このまま彼に身を委ねていたら、甘い夢に悪酔いしてしまいそうだった。
「お母上は、そんなに悪いのかい?」
 フェネリーゼの母親の病など初耳だった。ハディールは娘の両肩に手をかけ、彼女の顔を覗き込む。
 この一年の間に伸びた金色の髪が、彼女の目の前で風に揺れた。
「もう病も長いのよ。魔術師は自分の死期もきちんとわかってるし、驚くことじゃないわ。あたしが族長を継ぐのも、遅くても半年以内のこと。だから、そうなったらもうあなたとは会えないわね」
 ハディールの手を払って背を向けると、フェネリーゼは暗い森の空を振り仰いだ。
「そんな! あと半年でもう会えなくなる?」
「半年もないわ。じきにあたしは族長を継ぐために聖堂に入って、ウィジカの象徴である魔石に魔力を籠めなおさなくてはならない。母の力が弱まっているからこそ、あなたも易々と森の中へ入ってこられるのよ。次期族長として、魔石の鍛錬があたしの最初の役目だから、たぶんあなたに付き合うのは、これが最後──」
 ハディールは蒼玉の瞳をめいっぱい見開き、フェネリーゼの後姿を声もなくみつめて肩の力を落とした。それでも、首を横に振る。
「いいや、駄目だ。僕にはフェネをあきらめることはできない。こっちを向いて、僕の目を見て、フェネリーゼ」
 ふたたび彼女の肩をつかみ、ハディールは強引にフェネリーゼを自分に向き直らせた。
「僕の気持ちはもう、いやってほど理解してもらっているはずだ。君は? フェネリーゼの気持ちを僕は聞かせてもらっていない」
「────」
 彼の裏表のない蒼玉は、嘘やごまかしを受け入れてくれそうにはなかった。フェネリーゼは思わず顔を背けて視線を外したが、ハディールの大きくあたたかな手が彼女の頬を包み、無理やり自分のほうへフェネリーゼの目を向けさせる。
「フェネリーゼ、頼む。君の正直な気持ちを聞かせてほしい。そんな勝手な掟に一方的に君を連れ去られるなんて、僕はいやだ」
「……そんなこと、聞かないで」
 ハディールの勢いに負け、フェネリーゼはまつげの下に瞳を伏せて、弱々しく答えた。
「決まっていることで、どうにもならないのよ──ハディール。私をここから連れ出したって、どうせすぐに見つかって殺されるだけ。ウィジカの魔力を甘く見てはいけないわ。ロークリンドの国王が厭うのも無理はないのよ、本気になれば、一族の魔力は一国の武力に匹敵するわ」
「そんなこと知るもんか! そんな理屈はどうでもいいんだ、ただ僕は、君の本当の心を知りたいだけだ。フェネが僕を嫌いで、二度と顔も見たくないというのなら……」
 フェネリーゼの心と最もかけはなれたハディールの言葉に、彼女はむきになり、若者の厚い胸を両の拳で叩いた。
「そんなわけないでしょう! あ、あたしは……ハディールに死んでほしくないのよ。一緒にいられなくたって、どこかで生きていてくれさえすれば、あたしはそれでいいのよ! この世のどこを探してもハディールがいないなんて……そんなの耐えられない! 愛してるのよ、こんなにもあなたのことを」
「フェネ──」
 いきなり、息が止まるほどに強く抱きしめられ、フェネリーゼはそれ以上、言葉を続けることができなかった。
 ハディールの唇が少女のすべてを奪うように覆い、フェネリーゼの唇を激しく求めた。
 そうしていながら、言葉の代わりに力強い腕で彼女の細い腰を抱きしめ、自分の中に閉じ込めてしまう。
「……ハディール」
 豹変した彼に怯えながら恐々とフェネリーゼが顔を上げると、蒼玉の瞳の青年は苦しそうに目を細め、何度も何度もフェネリーゼにくちづけた。
「その言葉が聞きたかった、ずっと──。君は決して心の中を見せてはくれないから、不安でたまらなかったよ。でも、だったらなおさらだ。ロークリンドにも、ウィジカにも、君を奪わせたくない」
「仕方ないのよ……」
 あきらめの言葉をその朱色の唇からこぼすと、フェネリーゼの瞳から、涙も一緒にこぼれ落ちた。
 ハディールは頬を流れていく涙を舌で舐め取ると、柔い少女の身体をもう一度抱きしめ、ゆっくりと草の上に横たえる。
「そんな言葉だけで君を失うのはいやだ。仕方がないなんて、誰が決めたんだ……」
 フェネリーゼの淡い蜂蜜色の髪と、月色に似たハディールの長い髪が重なり合った。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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