【試し読み】冷静沈着な部長の求愛は甘やかで、かつ強引に

作家:真崎奈南
イラスト:小島ちな
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2020/9/29
販売価格:500円
あらすじ

IT企業で働く梨緒はクールな二ツ橋部長に恋している。けれど彼は社長の娘と付き合っていると噂だ。切ない片想いが飲み会で爆発、泥酔してしまう梨緒。翌朝、残る記憶をたどれば、自宅まで送ってくれた二ツ橋部長に告白、しかも強引に彼の唇を奪っていた。けれど部長からも濃厚なキスを返されたような……!? 混乱と気まずさで梨緒はそれを覚えていないことにしようとする。しかしある日、祖母との食事に喜んで向かうと、なぜか二ツ橋部長も現れた。先日の告白とキスの件を必死にごまかす梨緒だったが……「今夜のことは忘れたなんて言わせない。絶対に忘れさせてやらないからな」──憧れ上司からの求愛はちょっと強引で、とても甘くて……

登場人物
山宮梨緒(やまみやりお)
飲み会にて二ツ橋部長への募る想いを爆発させ、泥酔。強引に唇を奪ったことを思い出す。
二ツ橋侑磨(ふたつばしゆうま)
目鼻立ちのはっきりとした男前で女子人気が高い。社長の娘と付き合っているという噂も。
試し読み

一、やらかしてしまった夜

「絶対成功させるぞー!」
 金曜の夜。居酒屋二階のお座敷席の一角で高らかに発せられた声に続いて、グラスを合わせる音が響き合う。
 テーブルを囲んでいるのは同じIT企業で働く六人。男性三人はシステムエンジニア、その向かいに座る女性三人はWEBやアプリ開発の手伝いをしつつデータ入力などもこなす事務である。
 賑やかさの中、山宮やまみや梨緒りおはみんなと同じように笑顔でお酒を口に運んだあと、テーブルの対角線上に座っている侑磨ゆうまへと目をむけ、うっとりとため息をついた。
二ツ橋ふたつばし部長、格好良い」
 思わず梨緒の口からこぼれ落ちた心の声に、女子の真ん中に座っている秋谷あきたに小春こはるが「声に出てるよ」と苦笑で指摘する。
 梨緒は慌てて緩んでいた表情を引き締め、心の声が小春以外の誰にも聞かれていないのを確認し安堵した。
 梨緒と小春は同期の二十八歳、そして小春の向こうに座るもうひとりの女性、冬澤ふゆさわは梨緒の二つ年上の先輩社員である。
 一方の男性三人は、小春の前に座っているのが小春とお付き合いしている男性で、平井ひらい。今日の集まりは、平井の先日のプレゼンがうまくいったことへの労いと応援、そして単純に部長の奢りで飲みたいという欲求の元に開かれたのだ。
 梨緒の前に座る男性、岡田おかだも同じプロジェクトメンバーで、平井と共に三十二才。
 それから梨緒がさきほどからどうしてもチラチラ見てしまうのが、二ツ橋侑磨。艶やかな黒髪、前髪はわずかに目にかかるほど。身長は百八十センチ、色白の細面で目鼻立ちのはっきりとした男前だ。
 三十五才で部長職に就き仕事もできて常に冷静沈着と、大人の男の魅力に溢れている。
「もう、二ツ橋部長! 本当のこと教えてくださいよ。彼女いるんですか?」
「別にどっちでも良いだろう。くだらないことを気にするな」
「気になりますよ!」
 冬澤と侑磨のやり取りに対し、梨緒は耳を澄ます。侑磨の彼女の有無は、梨緒にとっても知りたくてたまらない事だ。
 なにせ本人が今のようにプライベートをあまり喋りたがらないため彼女がいるのかどうかもハッキリせず、梨緒を初め社内でも、二ツ橋に憧れている女子たちはヤキモキさせられている。
 冬澤が梨緒をちらり見てから、ずずずっと侑磨の隣まで移動し、口元に手をあててなにか囁きかけている。
 侑磨が驚きで目を見開いたあと、呆れたように肩を竦めてみせた。その反応に、また冬澤が「もー!」と口を尖らせて納得いかない顔をする。
 親密な態度に、梨緒は膝の上で拳をぎゅっと握りしめた。
 彼女が侑磨としか話をしていないのは気があるのではなく、ただ単に目の前に座っていたから。そう強引に理由づけをするも、冬澤の侑磨を見つめる目が自分同様うっとりしているため落ち着かない。
 そもそも今日の飲み会は、女子は小春と梨緒のみの参加だった。小春が梨緒の気持ちを汲んで、彼氏の平井に侑磨を誘って飲みに行きたいと前々から話をしていたのだ。
 しかしどこかで噂を耳にしたらしい冬澤が、就業時間が終わると同時に「私も一緒に行っていい?」と願い出たのだ。
 動揺はしても先輩の頼みを無下にすることは出来ず、その場で小春と梨緒は首を縦に振ることになる。と同時に梨緒は、冬澤が侑磨へと親しげに話しかける姿を普段からよく見かけていたため、きっとこうなるだろうなという覚悟もしなくてはならなかった。
 そして、実際目の当たりにし気持ちが挫け、梨緒は静かに席を立ったのだった。
 向かった先は二階の廊下の奥にあるお手洗い。個室から出て手を洗い、鏡に映った浮かない顔にため息をつく。なかなか侑磨に話しかけられないでいる自分を見兼ねて小春が作ってくれた折角のチャンスだというのに、上手く活かせず情けない。
 このままじゃいけないのはわかっている。この飲み会のために、しっかりと栗色に染め直した肩ほどの髪を指先で整えてから、梨緒は気合を入れるように深呼吸した。
 席に戻ろうと体の向きを変えた瞬間、廊下から勢い良くドアが開けられる。トイレに入ってきたのは冬澤で、梨緒は微笑みかけながら入れ替わるように出て行こうとしたのだが、「ねぇ、山宮さん」と呼び止められた。
 立ち止まり振り返ると、冬澤は先ほどまで梨緒がいた鏡の前に立ち、口紅を直し始めながら続きを口にする。
「席を代わってもらいたいんだけど、良い?」
「……えっ。は、はい。構いませんけど」
 突然のお願いに、梨緒の頭の中がほんの一瞬真っ白になる。冬澤と交換したら侑磨との距離が一気に近づき、話しかけるチャンスも掴めるかもしれない。
 緊張で掠れ声になりながらも、なんとか返事をする。期待に胸が高鳴ると同時に、入店時、侑磨の近くの席を確保しようと躍起になっていた彼女の行動を思い出して不思議になる。
 そんな思いが顔に出ていたのだろう。冬澤は梨緒に目を向け、わずかに眉根を寄せる。
「二ツ橋部長はもう良いのかって顔しているわね。脈ありならガンガン行くつもりだったけど、まったく相手にしてくれないんだもん。残ってる方に行くしかないじゃない」
 どうしてそんな簡単に侑磨から他の男性に乗り換えられるのかと、納得できない顔をした梨緒に対して、冬澤はふんっと鼻で笑った。
「あなたも二ツ橋部長狙いだろうから教えといてあげるわ。社長の娘と付き合ってるって噂を耳にしたからさっき確認したけど、彼、肯定も否定もしなかった。本当に付き合ってるかもね」
 胸の中に隠していた侑磨への思いを見抜かれていたことに動揺してうろたえたところへ明かされた先ほどの内緒話の内容に、目の前が真っ暗になった。
 恋人がいるかもという噂が、社長の娘という具体的な人物像が追加されたことでより現実に近づいた気持ちになり、梨緒はすっかり言葉を失う。
 化粧を直した冬澤に促され、梨緒も一緒にみんなが待つ座席へと戻った。宣言通り、梨緒が座っていた席へと冬澤が歩を進めていく。梨緒も動揺がおさまらぬまま、侑磨の前に腰を下ろした。
「山宮、顔色が悪いな。飲みすぎたのか?」
 侑磨から声をかけられ、梨緒はハッと顔を上げる。作り笑いを浮かべてふるふると首を横に振った。
「そ、そんなことないです。照明が暗いから、そう見えたのかもしれないですね。まだまだ飲みます!」
 自分たちの頭上にあるライトを見上げつつ必死に誤魔化したあと、梨緒は力なく侑磨に微笑みかける。
「あの、二ツ橋部長」
「なんだ?」
「……そ、それ美味しそうですね。何ていうやつですか? 私も飲みたいです」
 本当は、社長の娘と付き合っているかどうかが気になって仕方がない。せっかく話ができる距離まで近付けたのだから、冬澤のように確認したらいい……のに勇気が出ない。
 肝心なことには触れず、その上、色合いからたぶんレモンサワーだろうなと分かるのにもかかわらず何のお酒を飲んでいるかなんて聞いてしまった。自分自身に苦笑いを浮かべた梨緒の腕へと、小春が横からするりと腕を絡めた。
「確かレモンサワー頼んでましたよね。私も飲みたいし、頼もうか?」
 梨緒が笑顔で返事をすると、小春が「すみません!」と店員を呼んだ。追加注文し、程なくしてテーブルに運ばれたレモンサワーをちびちび飲み始めた梨緒へ、侑磨はいつもと変わらぬ冷静な表情のままで忠告する。
「山宮、酒に強くないなら無理して合わせることはない。それくらいにしておけよ」
 梨緒は「平気です」と答えたが、侑磨の顔には信じていないと書かれている。実際はそこまでお酒に弱い方ではなく、しかも今夜は飲みたい気分でもあったのだが、心配してくれているのは純粋に嬉しかった。梨緒が思わず口元を綻ばせた時、平井が「質問です!」と手をあげて割り込んできた。
「二ツ橋部長、昼休みに女子が騒いでたんですけど、専務の娘と付き合ってるって本当ですか?」
「え? 俺、副社長の娘だって聞いたけど! 実際、どっちと付き合ってるんですか?」
 平井から岡田へと話が飛び火すると、もちろん冬澤も「社長の娘でしょ?」と口を挟んだ。
 梨緒は飲みかけたレモンサワーを噴き出しそうになりながらも、それにどう答えるのかと侑磨をじっと見つめる。
「俺が誰と付き合っていたって関係ないだろう。放っといてくれ。くだらないこと聞くな」
 彼は冷めた顔でそうバッサリと切り捨てた。部下の男性ふたりは「そんなこと言わないで教えてくださいよー」とおどけた様子で明るく食い下がったが、梨緒は完全に黙り込む。
 自分に言われた訳ではないというのに、さっきの侑磨のひと言が胸に深く突き刺さったのだ。
 噂通りに社長や専務や副社長の娘だとは限らない。「付き合っていない」と否定しないのは、お付き合いしている女性がいるからかもしれない。
 そんな風に梨緒なりに解釈してショックを受けていると、冬澤が「すみません!」と店員を呼んだ。追加でお酒を注文した声に続いて、梨緒も「あと、生ビールも!」と声を張り上げたのだった。

 スマホの音楽が鳴っている。梨緒は重いまぶたをわずかに持ち上げながら、枕もとへと手を伸ばしてそこにあるはずのスマホを探す。
 しかし、いくら手を彷徨わせてもいつもの場所にスマホはなかった。むくりと身を起こしてぼんやりと部屋を見回す。テーブルの上にそれを見つけ、のろのろとベッドを降りた。
「……はい」
「梨緒、おはよう!」
 電話の向こうで小春の元気な声が響き、梨緒は思わず険しい顔になる。
「寝てた、よね?」
「うん。今起きた。……あぁ、頭が痛い」
 苦笑いしていそうな声音に気怠く返事をして、梨緒は手荒に前髪をかきあげる。
 そして、自分の部屋の床に靴にバッグや上着が投げ捨てたように散在しているのをじいっと見つめ、失敗したと気落ちする。
「昨日、飲みすぎちゃった。……まさか私、二ツ橋部長に変に絡んだりしていないよね?」
 昨夜の記憶が曖昧なため梨緒は焦り気味に問いかける。しかし小春がなかなか言葉を返してこなく、生まれた妙な間に一気に怖くなっていく。
「ちょ、ちょっと。なんで黙るのよ!」
「覚えてないの? けっこう二ツ橋部長に説教じみたこと言ってたじゃない」
「はいっ? や、やだ。まさかいくらなんでも二ツ橋部長に説教なんてそんなこと……」
 瞬間、脳裏に昨夜の記憶らしきものが蘇る。衝撃な断片に、梨緒の言葉が途切れた。顔は強張り、手からスマホが落下する。
『こら、二ツ橋~! 付き合ってるのか、付き合ってないのかはっきり言いなさいよ! 男のくせに、男らしくないわね!』
 説教したかもしれない。……いや、確実に説教した。してる。間違いない。
 自分の中にある認めざるを得ない記憶に、梨緒は「いやーー!」と絶叫する。涙目で頭を抱える傍、「梨緒!」とスマホから呼びかけられて震える手を伸ばす。
「わ、わたし、他にはなにもやらかしてないよね。お願い、大丈夫だって言って」
 再びの小春の沈黙にひやりとしながら、梨緒は恐る恐る昨夜の記憶を辿り始める。
 居酒屋では、侑磨の隣を陣取り、ビール片手に「恋人はいるのか」と絡んでいた。侑磨が苦笑いを浮かべながらのらりくらりと質問をかわすため、その態度が梨緒の不満を煽り、さらにしつこく問い詰めるという悪循環を生み出していた。
「店を出るまではずっとそんな感じだったけど、そのあとのことは私は一緒じゃなかったから分からない。二ツ橋部長に連れられてタクシーに乗り込んだ時、梨緒は大泣きしていたんだけど。それは覚えてる?」
 侑磨とタクシー。大泣き。小春から発せられたキーワードが、梨緒にさらなる記憶を蘇らせていく。
 店から出た途端、感情が一転した。なぜかひどく悲しくなって大泣きし始めた梨緒を皆は引き気味で見つめていたが、侑磨だけは違った。きっと年長者だからだろう。「仕方ないな」と覚悟を決めた様子で、梨緒の腕を掴んだのだ。
 しかしそのあと……。思い出した記憶に、また梨緒の手からスマホがするりと落ち、一気に顔から血の気がひいていった。
 タクシーに乗り込んだあと、「なにがそんなに悲しいんだ」と呆れ口調で問いかけてきた侑磨の胸ぐらを掴み上げ、大声で訴えかけた。
『だって私は、二ツ橋部長が好きなんです!』
 ほとばしる思いの丈を侑磨へとぶつけてスッキリしつつ、家の前でタクシーを降りた。しかしふらついてまともに歩けずにいると、見兼ねた侑磨もタクシーを降り、部屋まで送ってくれることに。
 そして、親切心で送り届けてくれた侑磨を、あろうことか、今まさに自分が座っているこのベッドへと押し倒し……、
『二ツ橋部長が本当に大好きなんです! 本気ですってば!』
 と、泣きながら侑磨の唇を強引に奪った光景が、鮮明に脳裏に浮かび上がる。
「どどどどうしよう。私、大変な事をしてしまった」
 震える両手で顔を覆うと、スマホから「どうしたの? 何かあったの?」と小春が繰り返し呼びかけてきた。梨緒は目を泳がせながらスマホを掴み取る。
「な、なんでもない。なにもないの。そう。なにも覚えてない。だって私、酔ってたから」
 自分自身に暗示をかけるかのごとくそう呟き、梨緒は無理やり笑みを浮かべた。
「だ、だからもし、もしもだけど、二ツ橋部長が昨日のことでなにか言っていたら教えて。誠心誠意謝らなくちゃ」
 最後に「お願いね」と付け加えて一方的に通話を切り、梨緒は真顔になる。枕に顔を埋めて「あーーっ!!」とひとしきり叫んだあと、梨緒は震える指で自分の唇に触れた。
 侑磨の唇の柔らかさも、なんとなく覚えている。ベッドの上で、侑磨を押し倒し、何度も何度も唇を押し付けた。胸の中で燻っているもどかしい愛しさを伝えたかったのは最初だけで、段々と気持ちよくなってしまって、体も熱くなり、本能のままにキスをした。
 続けて、震える両手を涙目で見つめて項垂れる。部長の胸元を必死にまさぐった記憶もあるからだ。
 シャツ越しに感じた胸板の厚さ。直に触りたくなり我慢できず、シャツのボタンを外しにかかって……。
 梨緒はハッと顔を上げ、目を見開く。侑磨の上に跨がっていたはずが、そのあと何故か侑磨を見上げる体勢へと変わって、またキスをした。
 さっきの記憶と違うのは、自分が侑磨に押し倒されていて、貪るようなキスをされたこと。
 侑磨の首の後ろに手を回して、必死に引き寄せて、無我夢中でキスをして……。
『……あっ、……んんっ』
 その瞬間の熱が湧き上がってきた気がして、梨緒はぞわりと体を震わせた。
 甘く喘いだのは確実、でも肝心のそのあとの記憶が一切ない。
 もしかしてシテしまったかもと慌てて自分の身なりを確認するが、服はシワになっているだけで一切の乱れなく昨日のまま。
 状況からシテないという結論に至るも、本能のまま溺れるように繰り返したキスや、押し倒された時に目にした侑磨の色っぽい顔を思い出すと、考えがグラグラ揺らぎだす。
「あぁもうどっちなのよっ!」
 モヤモヤした気持ちに翻弄されながら、梨緒は大きく叫んだのだった。

※この続きは製品版でお楽しみください。

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。