【試し読み】不動産王に愛された私~強引御曹司に攫われ溺愛生活~

作家:吉田行
イラスト:上原た壱
レーベル:夢中文庫ペアーレ
発売日:2020/7/17
販売価格:800円
あらすじ

大好きな古いビルが再開発で取り壊される!? 平凡なOL希恵子は黙っていられなかった。「あなた、見る目がないんじゃない? このビルの良さが分からないの」食ってかかった相手は、実は大手デベロッパーの御曹司・枢(かなめ)。「古いものより新しいもののほうがいい」と譲らない。「お前の考えを改めてもらう。洗脳といってもいいかな」 華やかな高層ビルを枢は自信満々に見せてまわるが、同調しない希恵子。なぜかそれを気に入った枢は希恵子に迫りはじめる。「賭けるか、一週間でお前は落ちるよ」──いきなり始まった同居生活は甘く眩しい毎日。真逆な二人が生み出すマリアージュ。枢が注いでくる愛情に希恵子の気持ちが傾いて……!?

登場人物
星枝希恵子(ほしえだきえこ)
新しいものより古いものが好き。大好きなビルの取り壊しに胸を痛めるが…
土樽枢(つちたるかなめ)
大手デベロッパーの御曹司。物怖じしない強気な希恵子に惹かれ、同居を申し出る。
試し読み

1・合わない二人

 金曜日の夕方は必ず定時にオフィスを出る。
「お先に失礼しまーす」
 もしかしたらデートと思われているかもしれない。星枝ほしえだ希恵子きえこは新卒で就職して二年目の二十三歳、一番輝いている年齢だ。
(早くいかないと特製ハンバーグが無くなっちゃう)
 だが繁華街の人込みをすり抜けて早足になる希恵子の脳内には甘い雰囲気などみじんもなかった。
 希恵子の勤める職場は巨大ターミナル駅を囲む高層ビルの中にある不動産会社の事務所だ。ビルのロビーを出てしばらくは高層ビルの谷間が続いていた。
 だがある道を越えると急に建物の高さが低くなる。小さい店が増え、時代が逆戻りしたようだ。
 希恵子はその中でも一番古そうなビルの前に立った。左右の建物に挟まれたそのビルは一階部分が緑色のタイルに包まれている五階建てだった。かなり古ぼけたビニールのひさしがついている。その下に喫茶店のドアがあった。
「こんばんは」
 希恵子がドアを開けるとベルが鳴った。それほど大きくない店内は四人掛けの席が六つにカウンター席が十席だった。希恵子はまっすぐカウンターの左端に座る。
「いらっしゃい、ハンバーグでいいですか?」
 おしぼりとお冷を出してくれた白髪の老婦人が優しく微笑む。希恵子もにっこりと笑い返した。
「はい、まだありますか?」
 老婦人はくすくすと笑う。
「大丈夫ですよ。今日はあなたが初めてのお客さんだから」
 時刻は五時半、まだ夕飯には早めの時刻だった。希恵子は思わず舌を出す。
「だって、先月は食べそこなっちゃったから」
 巨大ターミナル駅から少し離れた場所にある喫茶店『それいゆ』は昼と夕方にだけ営業している小さな店だった。働いているのは老夫婦二人だけでランチとディナーを出している。
 その古ぼけた店にしてはランチ単価千五百円、ディナーだと二千五百円はする。コーヒーだけでも六百円だった。ふらりと入りそうになった人間が店の前に出してあるメニューを見て引き返すこともよくあった。
 だが一度でもここの食事を食べればその金額がけっして高くないと思うはず、希恵子はそう確信していた。コーヒーは注文を受けてから一杯ずつドリップするし、料理はどれも美味しかった。
 希恵子が楽しみにしているのは、ディナータイムに十食だけ提供される特製ハンバーグだった。通常メニューとは違い、肉から店で叩いて作るそれは肉汁があふれ出し、今まで食べたどんなハンバーグより美味しかった。
 だが特製だけあってディナーセットで三千円もする。だから希恵子は月に一度、給料日の後の金曜日に注文することにしていた。
 先月は残業で七時過ぎに来店したらすでに売り切れだった。今日こそ絶対に食べるつもりで意気込んでやってきたのだった。
「どうぞ、サラダとスープです」
 ディナーセットにはサラダとスープが付く。サラダは新鮮な野菜に自家製人参ドレッシングがかかり、スープも出来合いのものではなく一から店で作っている。今日はジャガイモだけのシンプルなスープだった。
「うん、美味しい」
 希恵子が美味しそうに食べるのを夫人は嬉しそうに見守っている。『それいゆ』の店主夫婦はこの若い常連をいつも暖かく迎え入れてくれた。
 しばらくたってから白い皿に盛られてやってきたハンバーグにナイフを入れ、一口ほおばる。
「ああ、美味しい!」
 小声で言ったつもりだったのに想像より大きかったようで、夫人だけでなくキッチンにいるシェフの店主もこちらを振り返った。
「すいません……」
 恥ずかしくて俯くと、店主と夫人が同時に近寄ってきた。
「いいんですよ。いつも美味しそうに食べてくれて嬉しかった。あなたみたいな若いお嬢さんに食べてもらえてありがたい」
「そんな、こんなに美味しいものを食べられてこちらこそありがとうございます」
 すると、二人の顔が少し暗くなった。
「あなた……」
 夫人がそう呟くと、主人がこちらをじっと見つめる。
「あなたが月一必ず来てくれることは知っています。だから、今言いますね」
「え?」
 その声色になにか嫌な気配があった。その時ドアのベルが音高く鳴る。
「こんばんは」
 低い男の声がした。主人がそちらを向いて顔を曇らせる。
「営業時間外にきてくれと言ったはずでしょう。お客さんがいるので後にしてもらえますか」
 その口調に希恵子は思わず振り返った。温厚な主人が珍しくきつい口調だったからだ。
 小さな店内に入ってきたのは背の高い男性だった。スーツ姿なのでサラリーマンだろうか。彼はゆっくりカウンターに近づいてくる。
(えっ)
 自分のすぐ横にいる男性を見て希恵子は驚いた。ちょっと見たことのないほどの美男子だ。俳優と言われても納得するかもしれない。
(それに、お金持ちっぽい)
 自分の目から見ても彼のスーツやピカピカに光る靴が高価なものであることは分かる。
「約束の時間に遅れたのは申し訳ない。だがこれ以上予定を延ばせない。申し訳ないが話を詰めさせていただけないだろうか」
 男の声には有無を言わせぬ迫力があった。二人は親子ほども年が離れているのに──諦めたように主人はカウンターから出ると、一番離れたテーブル席に男と一緒に座る。夫人が慌てて二人に水を持っていく。
「ごめんなさいね、騒がしくして」
 謝罪する彼女に希恵子は思い切って尋ねた。
「どうしたんですか、なんだか深刻そうですね」
 夫人はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「もういいわ、あなたには先にお伝えするつもりだったから──実は、この店を閉めるの。ビルを売却するのよ」
「ええっ!」
 食べかけのハンバーグの前で希恵子は手が止まってしまった。
「こんな話を食事中にしてしまってごめんなさい……今まで何度もビルを売って欲しいという話はあったけど、これは私たち唯一の財産だから」
 この小さなビルは『それいゆ』夫婦の持ちビルだった。戦後すぐに土地を買って建物を作り、ここで住みながらずっと喫茶店を続けてきたのだった。小さいが窓枠や柱にヨーロッパの雰囲気がある。希恵子はこの建物ごと『それいゆ』が好きだった。日本がまだ外国に憧れていた頃の空気を纏っていた。
「ビルを売って、この建物は残るんですか? ここに入りたい人はまだいますよね」
 レトロな雰囲気のあるビルはきっと人気がある。はやりのカフェをやりたい人がいるはずだった。
 だが奥さんは首を横に振るだけだ。
「いいえ、実はうちだけじゃないのよ。この一帯全部を再開発して綺麗にするんですって。あの人は土樽つちたるビルの人よ、知っているでしょう」
 その名前なら希恵子にも聞き覚えがあった。都内にビルをいくつも持ち、大規模な再開発を行っているデベロッパーだった。
(そんな会社がここまで)
 確かに大きな駅の近くだが、まさか自分の好きな店が巻き込まれるなんて。
「みんなこの店が好きなのに、どうにかならないんですか?」
 夫人は寂しそうに笑う。
「仕方ないのよ。このビルもあちこちにガタがきてしまって……実は雨漏りも酷いの。全部直すなんてとても無理。寿命なのね」
 その表情を見ているとだんだん腹が立ってきた。背後では主人と男が低い声で話し合っている。
(このビルの価値が分からないなんて)
 確かにこのビルは古い。だが最近の建築物にはない個性があった。これから新しく作ろうと思っても作れないものだった。
(それをあっさり壊してしまうなんて)
 土樽ビルの開発した複合商業施設なら希恵子も何度か行ったことがある。天を衝くほどの高いビルから見る夜景、煌びやかなブランドショップ。
(ここがあんなところになってしまうのかしら)
 確かに華やかで美しい、だがどこも同じように見える。
 そんな無個性なものを作るためにこのビルが無くなってしまうなんて、どう考えても間違っている気がした。
 希恵子がハンバーグを平らげると、食後のコーヒーと共にチーズケーキが出てきた。
「騒がしくしてごめんなさい、これはサービスよ。最後までどうか通ってくださいね」
 小さな、だがずっしりと重いケーキは舌の上でなめらかに溶ける。それを食べ終わった時、希恵子は立ち上がってまっすぐ主人と男が座っているテーブル席へ向かった。
「こんにちは」
 二つのお冷を前に黙り込んでいた二人は同時に希恵子を見上げる。間近で見る若い男の顔は暖かい照明の中で深い陰影が落ちている。その美しさに負けないよう希恵子は声を張った。
「ここ、再開発で壊してしまうんですか? もったいないと思うんです。常連さんもこのビルが好きだし、人気あるんですよ」
「人気?」
 男が目尻だけで笑った。
「店の人気なら分かるが、ビルが人気なんて聞いたことがない」
 希恵子は自分のスマホを取り出すとあるサイトを開く。
「これ見てください。古いビルをまとめたサイトです。このビルも入っているでしょう」
 そこは個人が古いビルの写真を収集したサイトだった。『それいゆ』が入っているこのビルもあった。
「こんなものがあったんだ」
 主人は嬉しそうに画面を見つめる。だが男はそれを一瞥してすぐ希恵子を見つめた。
「これがなにか? このサイトがビルの維持費を出してくれているのか。無料で楽しんでいる人間が何人いても意味はない」
 希恵子はかっと頭に血が昇った。このハンサムな男の偉そうな態度が気に食わない。
「あなた、顧客の声を聞かないの? このビルが無くなると知ったら悲しむのは私だけじゃないのよ。事実が分かったらきっと炎上するわ。お金をかけたプロジェクトにそんなケチがついていいの」
 思わず脅すようなことを口走ってしまった。自分がこんなに気が強いなんて……でも、放っておいたらこのビルが無くなってしまう、それを目の前にしてなにもせずにはいられなかった。
 無言でにらみ合う二人の間に主人が割って入った。
「ありがとうございます。あなたの名前も知らないけれど、何度も来てくれていることは覚えていますよ。この店とビルが好きな人のために続けたい。でも、もう無理なんです」
「どうして、お店は繁盛しているじゃないですか」
 ランチはいつも行列で売り切れているし、ディナーもまもなく客が来るだろう。長年通い詰めている客が大勢いる店だった。
 だが主人は首を横に振る。
「この店はあくまで普通の店のつもりでした。でも、このビルを維持するためには値段を上げなければならなかった。これでも毎年の税金を払うので精いっぱいなんです。ビルの修理費まで賄えない」
 希恵子は絶句した。ここがそれほど綱渡りの経営だったなんて。
「知りませんでした、そんな状況だったなんて」
 主人は寂しそうに笑う。
「私がこのビルを建てた時は、一生やっていけると思ったんです。でも地価がとんでもなく上がってしまった。もう普通の人が気軽に食べられる料金で提供できないんですよ」
 確かに『それいゆ』の客単価は普通のファミレスよりは高い。それでもその値段に見合ったクオリティだから皆通っているのだが。
(私だって月に一度しか来れない)
 一回三千円のディナーは希恵子にとっても安くない。他にも出費があるときつい時があった。
(それでも)
 この店が好きだった。店主の料理も、この店の雰囲気も。
(それが無くなってしまう)
 希恵子はどうしても我慢できない。
 結局は無くなってしまうにしても、出来るだけ抵抗したい。もう一度若い男に向き合う。
「あなた、土樽ビルの社員さんですか?」
 彼の顔が少し怪訝な色に染まる。
「土樽ビルなら沢山高層ビルがあるじゃないですか。新しく建てるだけじゃなく、古いものをリノベーションすることも考えたらいいんじゃないですか? きっと評判になりますよ」
 すると、彼はすらりと立ち上がった。驚くほど背が高い。
「ばからしい」
「は?」
 そんな短い言葉で返されるとは思わなかった。
「古いものを修理しながら騙し騙し使うなんてばからしいと言ったんだ。技術は進化している。古いものより新しいものの方がなんでもいいに決まっている」
 その言い草に希恵子は頭に血が昇った。
「なんて……なんてことを」
 自分だけじゃない、主人の前でこのビルを馬鹿にされたようで頭に来た。
「あなたがそんなことを言ってもいいの? 個人的な意見でも土樽ビルを代表することになるのよ」
 若い男は黙って希恵子を見ている。そんな風に見つめられると、怒っているのになんだか恥ずかしい。
(どうしてそんなに見つめるのよ)
 やがて、彼の薄い唇がゆっくりと開いた。
「俺の言っていることが土樽ビルの総意と思ってもらってもかまわない。あまり人に名刺は渡さないのだが、君には特別にあげよう」
 差し出された名刺には、黒いインクでこう記されていた。
『土樽かなめ
 その名前に記憶を刺激される。どこかで見たことがあった、どこかで──。
 不意に店の扉が開いた。入ってきたのは黒い制服に身を包んだ初老の運転手だった。
「枢様、そろそろ移動しませんと次の会合に間に合いません」
 彼は運転手の方を向いて言った。
「大丈夫だ、もう話はついた。行こうか」
(そうだ)
 やっと記憶を名前が結びついた。
『土樽枢』
 雑誌で見たことがある。彼は国内有数のビル経営企業、土樽ビルの御曹司だ。
(この男が)
 古いビルを馬鹿にし、新しければいい、そんな男が跡継ぎだなんて。
(許せない)
 『それいゆ』を出ていく枢の後を希恵子は追った。細い道を塞ぐように大きな黒塗りのクラウンが停まっている。
「あなたが土樽ビルを継ぐんですか?」
 車に乗り込もうとする枢の背中に声を投げかける。
「一応その予定になっている」
 彼は振り返ってこちらを見た。その立ち姿はそのまま雑誌のグラビアになりそうだ。希恵子はその美しさに負けぬよう、睨みつける。
「それでは土樽ビルの将来も暗いですね。客のニーズを把握できず、自分の好みで価値あるものを潰すなんて。あなたの代でつぶれるんじゃないかしら」
 彼の表情が変わった気がする。怒らせただろうか──でも、このくらい言わないと気が済まない。力では彼にかなわないのだから。
「俺は好みで言っているんじゃない。ニーズというが、新しいビルの方が必要とされているに決まっている。不動産のサイトを見ればいい、築浅の方が賃料を高く設定されている」
 言い返せなかった、確かにそうだ、でも……古いビルにもいいところはあるのに。
「確かに新しいビルは綺麗だけど、全部似たようなものじゃない。ガラス張りできらきらしていて、でもそれだけ。中に入っている店も同じようなもので見分けがつかない。そのうち飽きられるわ」
 二人はしばらく黙ってにらみ合っていた。最初に動いたのは枢のほうだった。
「一緒に来い」
「何するのよ?」
 不意に腕を取られて車に乗せられる。彼の手は大きくて自分の腕がすっぽりと包まれてしまう。
「新しいビルがどれも似たり寄ったりだって? よく見もしないでよく言ってくれたな」
 クラウンの後部座席は広くて希恵子の足が伸ばせるほどだった。だがのんびり乗っているわけにはいかない。
「私をどうするつもり? 誘拐するの」
 すると枢は鼻で笑う。
「お前が古いものを好きなのは、新しいものに手が届かないからだろう。新しいものの良さを知ればきっとそっちが良くなるはずだ」
 運転手が慌てて運転席に座り、振り向きながら尋ねた。
「ど、どうされるのです? お父様との会合は」
 枢はなんでもないように伝える。
「予定変更だ。どうせ大した話じゃない。土樽ビルを回ってくれ」
「はい、承知いたしました」
 黒いクラウンは細い路地をゆっくりと進んでいる。希恵子は広い座席の隅で小さくなっていた。
「どこへ連れていくのよ」
 枢は横目で自分を見て小さく笑う。
「お前の考えを改めてもらう。洗脳といってもいいかな」
 ぎょっとした。自分はなにをされるのだろう。
「変なことをしたら許さないわよ。泣き寝入りなんかしないから」
 こんな有名人でしかも美男子が自分をどうにかするはずがない、とは保証出来ない。相手が弱ければ態度が変わる人間はいくらでもいる。
 体を固くしている希恵子を見ながら枢はくすくすと笑った。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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