【試し読み】美しき氷の王のとらわれ姫は運命の鍵

作家:泉怜奈
イラスト:期田
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2018/10/26
販売価格:600円
あらすじ

正しき運命の姫を娶らねば国に幸運はもたらされない──北の国ノルデアを護る魔女は幼い王子だったヴェリに呪いをかけた。国王となったヴェリはエステルを妃に迎えたが、彼女は原因不明の眠り病にかかってしまう。ある日、王妃によく似た娘がいると聞きオークションに向かうヴェリ。そこで王妃に生き写しのヤスミンと出会い、替え玉にしようと考える。一方、ヤスミンは眠り続ける王妃へのヴェリの深い愛情に強く心を打たれ、その目論見に協力することを決意し身を委ねる。しかし、ヤスミンのヴェリに対する気持ちは大きく変化していき……。究極の選択を迫られるヴェリ、エステルとヤスミンそれぞれの運命は──。真実の愛を見つけられるのか。

登場人物
ヤスミン
奴婢として売買されていた。原因不明の病で倒れた王妃の身代わりとしてヴェリに買われる。
ヴェリ
魔女の呪いにより王妃が眠り病に。替え玉として王妃にそっくりなヤスミンを連れ帰るが…
試し読み

プロローグ

 一歩足を踏み出すごとに体が重くなる感覚に襲われる。それでもアーリアは足を動かし前に進む。
 この重みは自分の罪の重さなのだ。
 目的を果たすまでは諦めるわけにはいかなかった。自分に残された道はこれだけなのだ。
 深夜の森は冷たくアーリアを見つめている。
 微風さえなく空気が止まってしまっているかのような静寂に包まれ、軽やかな葉の先が微かにさえ揺れず、寡黙な守衛のようにただそびえ立っていた木々がざわつき始めた。突然の異変に、不穏な空気に包まれる。
 それを増大させるように不気味な木々のざわめきが激しさを増していった。
『おお、なんということだ。決して許されない重罪を……お前は犯そうとしているのだぞ! 今すぐ引き返すのだ。我々の恥となり汚点となる。それをお前はわかっているのか? アーリア、なんということを……』
 高くそびえる木々の葉と葉が激しく揺れ、摩擦する音がアーリアに囁きかける。午前一時の森の中は星の輝きさえ届かない暗闇で風ひとつなく静まりかえっていた。虫の鳴き声さえここにはない。しかしアーリアが歩く度木々が揺れ彼女に囁きかけていた。
 それは森の精霊の声だ。
 アーリアは立ち止まると、地面に跪き額を湿った土につけ土下座をする。
「お許しを、わたくしは、過ちと知りながら、代々お仕えしている王に恋をいたしました。この気持ちを知った今、もう後には戻れませぬ。どうか、お許しを。王を……わたくしを、お許しください」
 アーリアの渾身の願いをあざ笑うかのように木々が激しく揺れた。葉の掠れる音がざわめきのように大きくなる。
『掟は覆されることはない。だから掟なのだ。お前も王も罪を犯したからには制裁を受けなければならない』
「いいえ、罪を犯しているのはわたくしだけ。王は……わたくしを愛してはおりませぬ」
 絶叫に近いアーリアの声が静寂の森の中に響き渡った。
『同じ事だ』
 その声は最後の罪状を告げる裁判官のように静かで厳格な響きを持ち、アーリアの耳に届いた。
「わたくしは、この世を滅ぼしてしまうかもしれません。愛とはそれほどの力を持つのだと三百年生きてきて初めて知ったのです。もう、生きていくことが苦しくて辛い。こんな風に感じることが人を心から愛することなのだと知りました。わたくしは、王の命が途絶えてしまうのならこの世などなくなってしまっていい、そう本気で思っています。わたくしはそれを実現させるでしょう。不老不死のこの身を滅ぼすことになったとしても……。いいえ、そうなればいいと思ってさえいるのですから」
 小高い木々が暴風に襲われているかのように激しく左右に大きく揺れ、ざわめきは騒音へと変わっていく。しかしアーリアはひるまなかった。彼女の決意は固く、どんな脅しにも揺るがない。そんな信念を持っている。
 地面の土で汚れた額を上げるとアーリアはゆっくりと立ち上がり、密集した森林の狭間からかすかに見える輝く星空を見上げた。
「お許しください。わたくしはもうこれ以上、生きていたくはないのです。王のいないこの世など……その苦しみに耐えることなどできそうにありません」
 魔女アーリアの頬を透明な滴が流れ落ちた。
 それが涙だということを彼女は知らなかった。

第一章

(一)

 アウリス王の第一王子誕生を祝おうとノルデア国の町中はカーニバルで賑わい、酒場は一昼夜人で埋め尽くされ眠ることなく賑わっていた。
 アウリス王は山頂の断崖の岩に隠れるように建築された城のバルコニーから小さく見える城下町を眺めていた。
「ありがたくも息子を授かった。これでこの国も安泰だな。アーリア」
 寄り添うようにして王の隣に立つ、漆黒の豊かな長髪と澄み渡るような空色の青い瞳を持つ美女に王は確かめるようにそう言った。
「はい。これでノルデア国は子供が十六歳になるまで豊作に恵まれ、ありとあらゆる自然災害からこの土地は守られることでしょう」
 ノルデア国はエメラルド海と呼ばれる海に面した西の国オクシーダと、内陸に続く山岳地帯と豊かな土地を持つ東の国オリエントに挟まれており、南には隣接した国の中で最も広大な領土を持つメリディアナがある。ノルデアはそれら三国に囲まれ、王アウリス=コスティの妃はメリディアナ国の姫で、両国は婚姻により良好な関係を築いていた。
 アウリス王、アウリス=コスティは誰もが目も見張る見事な蜂蜜色の金髪と醒めるような碧眼の持ち主の美しい王だった。メリディアナ国の姫である妃との間に王子が生まれたことで、ノルデア国は安泰だと言えた。
 ノルデアには国を護る不老不死の魔女アーリアがおり、彼女の魔力による予知能力で国への災難を避けることができ、子宝に恵まれれば、繁栄を約束されていた。王の子供が十六歳になるまではあらゆる災害から守られるという言い伝えがあるのだ。農業大国であるノルデア国は恵まれた温暖な気候が続き、豊かな土地を守ることができほとんど自然災害もない。
 アーリアの予知能力で他国からの侵略を防ぐことができることも、ノルデア国を救っていた。
 魔女アーリアの噂は隣国にまで広がっており、ノルデアを攻めようとする愚かな者はいない。しかもアーリアは国民からは祭り称えられるほど崇拝された存在だった。
「しかし……まだ第一王子だけでは安心してはいられない。もっと子供を授からなくてはならない。アーリア、お前の予知で何かわかっていることがあるなら申してみろ」
 王の発言にアーリアは一瞬言葉を失い、奇妙な間が空いてしまったことに慌てて返答する。
「わたくしには、ノルデアの安泰は感じられても、危機は感じませんので、今後子宝にも恵まれることと思われます」
 嘘をつくのは得意ではなかった。なんとか平常心を装いアーリアは王の目を見ずに済むようにお辞儀をしてそう答えたのだが、王は奇妙に感じたに違いなかった。
 これから訪れるであろう最悪の事態を王に告げる覚悟が、この時のアーリアにはなかったのだ。
 その事実を知った時、彼女は自分自身の気持ちに気づいたのだ。三百年ノルデアの王に仕えてきたアーリアが初めて持った感情……。灼熱のような胸の痛み、そして高揚感。王のことだけを考え国を護ってきたアーリアは、その忠誠心とは別の独特な感情をアウリス=コスティに持ったのだった。
 恋をするという感覚を知らなかったアーリアは発熱したように熱くなる体を持て余した。それが起こるのは常に王のことを考えたときだった。次第に予言者としての能力にも疑問を持たざるを得ない事態に陥っていった。
 これが恋と言うものなのかもしれないと、初めて疑念を持ったのは、第一王子を王妃が身籠ったと知らされた日からだった。
 アーリアはその重大な出来事を予言することができなかったのだ。
 何という失態。一体自分の能力に何が起こったのか……理解不可能だった。
 完璧を要求される予知能力の世界で、重大な子孫に関する予言ができなかったことにアーリアは追い詰められていた。
 当初、心優しき王は予言できなかったアーリアを問い詰めることはせず、ただ王妃の懐妊を喜んでいた。そして王子の誕生を切望していた王であったが、アーリアから生まれてくる子の性別についても知らされないことに不信感を抱き、疑念を投げかけてきた。
「アーリア、正直に答えてくれ。そなたが妃の懐妊を我に言わなかったのは、その子が王子ではないからか?」
 美しい王の碧眼は光り輝き、アーリアは眩しすぎて視線を逸らしてしまう。
「いえ、確かに、王妃は王子を身籠っておられます。ご安心くださいませ」
 美しき愛する王はアーリアを見据えたまま首をかしげ、眉間に皺を寄せた。
「では……なぜ、お前は我に、妃の懐妊を隠していたのだ?」
 王の声色は辛辣なものだった。
 アーリアは咄嗟に姿勢を正すが、視線を合わせることができなかった。
「お許しください。確かでは……なかったので」
「どういうことだ!」
 王の冷たい声が石灰岩で覆い尽くされた広間に響き渡った。
 アーリアは床に額を擦りつけるように頭を垂れた。
「わたくしの……わたくしの……予知能力は弱まっているのです。それをこのたび思い知りました──王妃の懐妊は予測できませんでした」
 静寂が冷たい部屋を包み込み、更に部屋の温度を下げたようにアーリアには感じられた。王の視線は辛辣にアーリアに注がれており、微動だにできず、緊迫感で息さえするのもはばかれるほどだ。
 その緊迫感を解いたのはやはり、王だった。
「ふん、いったい……どうしたのだ? 不老不死の不滅の魔女が恋でもしたか? 一体その相手は誰だ? 我がその相手とお前の恋を許すと思うな。この手で火にかけて灰にしてやる」
 王座から立ち上がりアーリアの目の前まで突き進んできた王は、彼女に指を差しそう告げた。
 アーリアは王の言葉の衝撃を受け止めるだけで精一杯だった。
 心臓が凍結されたように冷たくなり、全身が石のように硬くなった。
 王の手がアーリアの顎にかけられた更なる衝撃にアーリアは為す術もなく、王に為されるがまま顔を上げさせられ、目を合わす。
 その澄み切った碧い瞳にアーリアはしばし見とれた。
 なんと美しく水のように澄んだ瞳なのだろう。
 この瞳を決して汚してはならない。
 この時、アーリアは素直にそう思った。
「お前は誰を愛しているのだ?」
 その言葉はアーリアの全身を矢で突き射されたくらいの痛みと衝撃を与えた。答えられる言葉はこれしかない。
「わたくしは、ノルデア国王に仕える身、わたくしのすべてはあなた様のものです」
 嘘ではなかった。それは紛いもない真実だ。
 王はアーリアに微笑んだ。
「よかろう。今回の件は大目に見てやろう。しかし、体調が悪くて予知ができぬのなら、そう伝えてくれ」
 アーリアは安堵のあまり額を床に擦りつけ土下座した。
「はい。仰せの通りに。申し訳ございませんでした」
「もうよい。お前の揺るぎない忠誠心を見ただけで満足だ。アーリア、決して我を裏切るな」
 王の言葉がアーリアの胸を突き刺した。まるで槍でひと突きされたかのように。
 返事を聞かないまま王は席を後にし、立ち去った。
 アーリアは独り取り残された王座の部屋で体を震わせていた。寒かったからと言い訳はできるだろう。
 しかしそれだけではなかった。アーリアは涙を流していたのだ。内面から、心臓がある奥深くからこみ上げる悲しみと絶望感を抑えることができなくて、体が、感情が欲するままに泣き崩れるしかなかった。
 こんなに激しく揺さぶられるような感情を未だかつて経験したことのなかったアーリアは、ただただ翻弄されなすがままに流されてゆく。
 濁流に呑まれるかのごとく、涙が溢れるまま、嗚咽を漏らし、号泣し、これからのことを考える。
 ノルデア国を護る不老不死の魔女アーリアにも侵してはならない掟がある。それは、恋をするということだ。魔女の格付けが上がれば上がるほど掟は厳しくなる。恋をするだけ……、ただそれだけで災いが起こり、予知能力が弱まることはアーリアも知っていた。
 今まさにその状態の中にいるアーリアは否が応でも王に恋していることを認めざるを得ない。
 アーリアはそのことに関してもうすでに自身の気持ちと向き合っていた。
 今はただこの不老不死と決別したい。王亡き後、生きていくことの方が怖かったのだ。
 恐怖など感じたことがなかった。喪失感さえ感じなかった。それが自然の摂理だと納得し、不老不死の魔女こそが最大の権力者だという教えとともに、亡くなっていく人々をただ自然の摂理だと捉えることで心を揺るがされないように訓練してきた。
 そのような教育を魔女は受けていたからだ。
 そしてその命の炎が消え去る自然の摂理は王にも迫っていた。
 アーリアはその事実を王には告げていない。いつ、どんな風にそのときが訪れるのか。
 アーリアの心を打ち砕き、破滅へと誘うほどの破壊力がある王の最期の時……その時が訪れるまで……残された時間は限られていた。

 日中とは言え、森の奥深くは薄暗くジメジメしており、体温が奪われていくのを感じるほどだ。
 アーリアは目的の場所に向かってただひたすら歩いていた。
 高くそびえる木々はアーリアを監視するように、一時も彼女から視線を逸らさない。それを感じるだけに、早く目的地に到着したいと焦りが増した。
 アーリアが望んでも相手が望まなければ、堂々巡りのまま目的地には永遠にたどり着くことはできない。魔女としての能力が落ちている今はアーリアには為す術はなかった。
 愛してしまった王がこの世を去った後のことをアーリアはどうしても考えてしまう。愛する人を亡くしたあと、永遠に生き続けるこの身を……。そんな苦しみを味わいながら生き続けなくてはならない自分の運命を終わらせる方法を、アーリアは考えざるを得ない。
 人が長く生きられないことを哀れんでいたはずの自分が、今度は永遠の命を授かっている自分を哀れむときが来るとは、アーリアには想像もできなかったことだった。
 人は、不老不死の魔女よりは遙かに幸せだと今のアーリアには思えた。
 アーリアは、この辛い現実から逃れるために、不老不死を終わらせる方法を探したのだが、どの文献も決定的な方法についての部分が曖昧で結論には到達していない。
 これでは埒があかないと、アーリアは師匠である魔女イシスを訪ねることにしたのだった。
 アーリアのいるノルデア国と西の国オクシーダの国境沿いにイシスは住んでいる。それだけを頼りにアーリアは国境沿いの森を彷徨っていた。
 何度も訪れたはずの場所がまるで初めて来ることのように感じ、不安になるが、懸命にイシスに会いたいと訴え続けた。
 何時間歩いただろうか……。アーリアはもしやこのまま会えないのではないかと不安になったとき、目の前に大きな木々の奥にたたずむ石造りの家が現れた。
 引き寄せられるままにそこへ向かい、ドアの前にたたずんだ瞬間、アーリアは部屋の中にいた。
 妖艶な雰囲気を纏う漆黒の艶やかな長い髪、繊細なガラス細工のごとく透き通るサファイアのような濃い青い瞳を持つイシスの姿がそこにあった。彼女はアーリアがよく知るその人に違いなかったが、更に艶めかしさが増したように見えた。
「アーリア」
 甘美な低く掠れた声で名を呼ばれると、背筋に甘い快感が駆け抜けたような震えが走り、アーリアは凍り付いたように動けなくなった。
 一歩一歩、ゆっくりと、まるで焦らすように彼女はアーリアに近づいてきて、目の前で止まった刹那、唇に柔らかくそれでいて冷たい感触がし、キスをされたのだと自覚した。
 それと同時に、アーリアの体は拘束から解かれたように力が抜け、動けるようになった。
「ふふっ、まるでわたくしを恐れているような顔をしている。もちろんここへ来ることも、どうしてここに来たのかも知っている。なんと愚かなことよ。もうお前は魔女としては地に落ちている」
 魔女の世界で最高級の地位を維持し続けている権力者のイシスに、わからないことなどないのだ。
 イシスはアーリアに告げた。
「お前は、本当に死ぬ方法を知りたいのか? 愛を知ったというだけで、不老不死の特権を捨てるというのだな?」
 アーリアはその目を見て頷いた。
 そっと耳に寄せられた唇から発せられた言葉にアーリアは息を呑み、そして決意したように頷いた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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