【試し読み】幼馴染の騎士が婚約者?~契約結婚のあとに見つけた愛~

作家:雪村亜輝
イラスト:にそぶた
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2018/11/13
販売価格:600円
あらすじ

少し複雑な環境に生まれたせいで結婚を嫌う伯爵令嬢アメリアは、父の決めた男性と結婚するか修道院に入るか、という選択を迫られ、つい「好きな人がいる」と嘘をついてしまう。偽装結婚でもいいから何としても婚約者を用意しなければと相手を探しに町に出るも、暴漢に襲われそうになるアメリア。その危機を救い出したのは、幼馴染で凛々しい騎士となったクルトだった。事情を知ったクルトは、彼も同じような境遇で利害が一致しているからとその相手を引き受けてくれることに。しかし、婚約者となったクルトからは過保護なほどに尽くされる。そのうちアメリアは偽装結婚をする罪悪感と、クルトへの気持ちの変化に戸惑うようになり──

登場人物
アメリア
結婚嫌いで独身を貫いていたが、妹の結婚を機に父親が決めた相手との結婚か修道院かという選択を迫られる。
クルト
アメリアと同じく結婚を望む両親や次々に持ち込まれる見合い話を回避するため、偽装結婚を持ち掛ける。
試し読み

「お姉様」
 明るい妹の声を聞いた途端、嫌な予感が胸に広がる。
 振り返ると、妹のエルゼが走り寄ってきた。
 やや上擦った声。
 綺麗な薄紅色に染まった頬。
 今まで何度も見てきたものだ。
 とうとう妹まで、向こう側に行ってしまうのか。
 ため息をつきたい気持ちを堪えて、アメリアは妹に微笑みかける。
「エルゼ、どうしたの?」
 可愛い妹のエルゼ。
 人見知りで、おとなしくて。いつも姉であるアメリアの傍から離れなかった。
 それなのに一年ほど前に知り合った男性と、あっというまに恋に落ちてしまった。
 そうしていま、結婚すると告げた友人達と同じような顔をして立っている。
 口にする言葉は、きっと。
「私、結婚するわ。トリスタンがプロポーズしてくれたのよ」
 それは予想していた通りの言葉だった。
 アメリアはその男と数回しか会っていない。
 だが噂によると地方の貴族だがそれなのに裕福であり、しかも嫡男らしい。
 妹に苦労をさせることはないだろう。
 それでも彼が、父を納得させるだけのものを持っていなかったら、結婚を許可することはなかったのにと、未練がましく思う。
 もしくは、悪い男で妹を騙していたなら。
 父は独裁的で、たとえ妹がトリスタンを深く愛していたとしても、こちらに利益のない結婚を許さないだろう。
「そう。おめでとう、エルゼ。あなたと離れるのは寂しいけれど、幸せになるのは嬉しいわ」
 姉として模範的な言葉を口にして、抱きついてきた可愛い妹を抱き締める。
 結婚に反対しているわけではない。
 妹が幸せになるのは嬉しい。
 ただ周囲から向けられる、次はお前だとでも言うような視線が心底煩わしい。
「あなたのお母様にはもう報告したの?」
「ええ、とても喜んでくれたわ。ああ、忘れていたわ。お父様がお姉様を呼んでいました。伝えてほしいと言われて」
「……そう。わかったわ」
 答える声が、思わず低くなる。
 父が言いたいことは、まさに今、アメリアが煩わしいと思ったばかりのことに違いない。
 まだ若い妹でさえ、貴族の女性としては結婚がやや遅いほうなのだ。
 その妹よりも四歳も年上で、今年で二十二歳にもなろうとしているアメリアが結婚しないことを、父は疎ましく思っているに違いない。
 妹と別れ、父の部屋に向かいながら大きくため息をつく。
 父は伯爵家の長女であるアメリアが、この年まで独身を貫いているのが気に入らないのだ。
 だが、何と言われても結婚する気などなかった。
 そして、父にだけは言われたくないとさえ思っている。アメリアが結婚を嫌悪しているのは、まさにその父のせいだからだ。
 アメリアにはふたりの兄と妹がいる。だが、兄妹すべて母親が違う。
 下の兄など、アメリアと数か月しか年が違わないのだ。
 父には一番上の兄を生んだ正妻と、その他の兄妹達の母である愛人が三人いた。
 兄妹の仲は悪くなかったが、当然のことながら母親同士の仲は最悪で、いつも罵り合い、憎み合っていた。そんな姿を幼い頃から見続けていて、結婚に夢など持てるはずがない。
 それは兄達も妹も同じだったはずだ。
(それなのに……)
 アメリアは唇を噛み締める。
 一番上の兄は、伯爵家の跡継ぎだ。
 結婚しないわけにはいかないし、その相手も父が決めた。さいわい、嫁いできた義姉は穏やかで、アメリア達にも優しく接してくれた。
 数か月違いの兄はある貴族の女性に惚れられ、その熱意にほだされる形で、婿入りした。相手が同じ伯爵家。しかも嫡男がおらず、彼女が唯一の娘だったことから、父はこの結婚を喜び、大いに後押しをした。
 兄達の結婚のあと、次はお前だとばかりに、何度も見合いをさせられた。でも兄達のように、父の言うなりになるつもりはなかった。
(言いがかりに近い形で、すべてを断ったわね)
 そのときの、父の苦い顔を思い出してようやく笑みが戻る。
 妹もまた、見合いの話を何度も断っていた。
 だがアメリアと違い、妹は父に反抗しているわけではなかった。
 好きな人がいると告げられたときの衝撃は、今でも忘れることができないくらいだ。妹は反対されると思って黙っていたようだが、父はそうしなかった。
 相手が裕福だったからかもしれない。
 結局、母達のことを引き摺っていたのは自分だけで、兄達も妹も、さっさと自分の幸せを手に入れてしまった。
 結婚なんかしない。親の思い通りになんてならない。
 そう息巻いていた友人達も、今ではひとり残らず既婚者。
 母達の呪縛に捕えられていたのは、自分ひとりだけだったのだ。
 兄達や妹、さらに友人達が幸せになったことを、妬むような気持ちはまったくない。ただ、次はあなたの番よ、とばかりに幸せを強要されるのだけは、受け入れられなかった。
(むしろ結婚が幸せだなんて、よくそんなに盲目的に信じていられるわね)
 父の正妻だった義母だって、最初は幸せだったはず。
 まさか三人も愛人を抱え、それぞれに子どもが生まれるなんて想像したこともなかっただろう。
 むしろ愛などで結ばれた下の兄や妹より、政略結婚をした上の兄のほうが、まだ救いがあるのかもしれない。
(とにかく私だけは、父になんて言われようと絶対に結婚なんかしないわ)
 そう決意を固めながら、アメリアは父の部屋の扉を叩く。
「アメリアです」
「……入れ」
 答える父の声は少し不機嫌そうだ。
 どうやら説教されるくらいは、覚悟をしなければならないらしい。
 父に聞こえないようにため息をつき、アメリアは部屋の中に足を踏み入れた。
「お父様、お呼びでしょうか?」
 ここは父の私室ではなく、書斎だ。
 部屋の壁面には本棚があり、さまざまな本が詰め込まれている。部屋の中央には大きな机があり、父はその机の前にある椅子に座っていた。
 もう四十代も後半だというのに、艶やかな黒髪には白いものなどひとつも混じらず、こちらを見つめる青い瞳には強い光が宿っている。
 さすがに四人もの女性に愛されているだけあって、昔から見た目だけは良い父だった。年を重ねるにつれてその容貌には渋さが加わり、今でも女性からの誘いが絶えないらしい。
 忌々しいのは、兄妹達の中でも自分が一番父に似ていることだ。
 艶やかな黒髪も、青い瞳もまったく同じ。白い肌も、細面で少し神経質そうな顔もよく似ている。母は兄妹達の中でも一番父に似ている娘を生んだことを誇りに思っていたようだが、あいにくアメリアにとっては、少しも嬉しくないことだった。
「アメリア、エルゼの結婚が決まったようだ」
「そのようですね。さきほど、エルゼから聞きました」
 にこやかな顔でそう返答する。流れから自分の結婚話になることは、もう想像できている。ここからが勝負だと、笑顔のまま身構えた。
「これで、残ったのはお前ひとりだな」
「ええ、そうなってしまいましたね」
「いずれ、この家は跡継ぎであるコンラートが継ぐ。いつまでも嫁がない娘が居座っていては、クラーラもやりにくいだろう」
「あら、お父様はそんなに早く引退するおつもりですか?」
 兄と義姉を引き合いに出されて、アメリアは首を傾げながらもそう反論する。
 だが正直、家の体面よりもこのふたりを引き合いに出されるほうがやりにくい。
 義姉は優しい人だが、たしかにいつまでも嫁がない妹がいては扱いに困ってしまうだろう。
「では、私は地方の屋敷にでも移りましょうか。そこならエルゼの嫁ぎ先も近いですし、お義姉様にもご迷惑をおかけしませんから」
 伯爵である父は、地方に領地を持っている。普段は管理人に任せているが、それを引き継いで管理人になるのも良いかもしれない。
「……アメリア。お前が選べるのはふたつ。ひとつは、家を出て修道院に入ること」
「修道院?」
 地方で暮らすのも良いかもしれない。
 何しろお見合い相手がいない。舞踏会に参加することもない。そんなことを考えていたアメリアに、父は静かにそう告げた。
 まさか修道院に入れられるとは思わず、声を上げる。
 そこに入れば、たしかに結婚はしなくても良いだろう。
 だが外部との接触を断ち、ただ神に仕える生活などしたくはない。
 アメリアは結婚を嫌っているだけで、世を捨てたいとは思ってはいなかった。
 結婚をしないという約束を守らなかったとしても、妹も友人達も愛している。
 もう二度と会えないわけではないだろうが、それでも簡単に会えなくなるなんて嫌だった。
「……もうひとつは、何ですか?」
 こう尋ねるということは、もう父の提案を受け入れたも同然だ。悔しいけれど、アメリアにはそうするしかなかった。
 父の答えはもちろん、これだ。
「もうひとつは、私の決めた相手と結婚することだ」
 とうとう、逃げられなくなった。
 父の淡々とした言葉に返答せず、俯く。
(どうしよう。どうしたらいいの?)
 結婚から逃れる方法を、必死に探す。
(エルゼが断っていたのは、好きな人がいたから。父はそれを許していた。だったら私もそう言えばいい?)
 アメリアは悲し気な顔をして父を見つめた。
 叶わないかもしれない恋に苦悩していた、妹の姿を思い出す。あのように演じればいい。
「……お父様。実は、私にも好きな人がいるのです」
「お前に?」
 妹のときとは違い、父はすぐに信じようとしなかった。
 今まで散々、結婚などしない。母のようにはならないと言い続けてきたのだ。たしかに信じられないだろう。
「はい。あの、その人は伯爵家より少し身分が低くて、嫡男でもありません。お父様に許していただくことはできないと、諦めていました」
 不審に思われないように、伏し目がちにそう言う。
「お前なら、私が何と言おうと自分の望みを貫きそうだが」
 だが父は、思っていたよりもずっとアメリアのことを理解していたようだ。
 たしかに自分なら、そうするだろう。そう思いながらも、今さら引き下がることなんてできない。
「彼が止めたのです。今に、私にふさわしい人間になってみせるから、それまで待っていてほしいと」
「……ううむ」
 父は、かすかに声を上げて考え込んでいる。
 信じてくれたのだろうか。それとも、まだ疑っているのだろうか。息を呑んで、父の言葉を待った。
「だが、待つと言ってもお前はもう二十二歳だ。これ以上待つことなどできない。お前の母は知っているのか?」
「何も知りません。それに、年のことは自分でもよくわかっています。でも、私は彼でなくては嫌なのです」
 必死にそう訴えると、父はまた黙り込んだ。
 この父が、身分の低い男との結婚を許すとは思えない。だから、そんな父の要求を撥ね退けて、地方の領地に逃げてしまえばいい。
 相手はいないが、いわゆる駆け落ちだ。
「わかった」
 だが予想に反して父は、やがて諦めたようにそう言った。
「え?」
「このまま未婚でいられるよりは、多少問題があっても結婚を許したほうがいい。そうすれば今までの見合い相手も納得するだろう。その男をここに連れてきなさい」
「で、でも……。そんなことを言って、まさか彼を排除するつもりでは」
「そんなことはしない。とにかくお前が結婚してくれるのなら、多少のことは目を瞑ろう。近日中に、その彼を連れてきなさい」
 そう言うと父は、話はもう終わりだとでも言うように手を振る。
 こうなってはもう何を言っても無駄だ。
 アメリアは仕方なく引き下がる。
 扉を閉めると、廊下にある窓から橙色の光が差し込んでいた。
 もう夕方なのだ。
 その光を見上げていると、焦燥がこみ上げてくる。
(どうしよう……)
 とにかく修道院に入ることは避けられたが、連れてくる相手などいない。
(まさかお父様が許すなんて思わなかった)
 身分が少し低いとしか伝えていない。
 それなのに相手がどんな人間で、何をしているのかも聞かなかった。それだけ父にとって、自分の存在は悩みの種だったのか。
 誰にも会わないようにして自分の部屋に戻ると、大きくため息をついた。
 可愛い妹の幸せを喜びたいのに、そのせいでこんなことになってしまったという思いが胸にある。
 なんて嫌な姉だろう。
「それに、あんな嘘までついて」
 自己嫌悪から、溜息をついた。
 好きな人などいない。
 結婚したくないという我儘が、ここまで大事になってしまったことに少しだけ反省する。
 でも兄も妹も、どうして結婚に夢を抱けるのだろう。
 あんなにいがみ合い、憎しみ合っていた母親の姿を見ていながら、どうして自分だけは幸せになれると思えるのだろう。
(とにかく、今さら嘘だなんて言えない。何としても婚約者を用意しないと)
 婚約者のふりをしてくれる人を探さなければならない。
 欲を言えば、結婚するふりまでしてくれる人がいい。
 形式上だけ夫婦になって、一緒に暮らすこともなく、一年か二年で離婚してくれる人。
(そんな都合の良い人なんて、いるはずがないけれど)
 それでも探す努力だけはしなければ。

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