【試し読み】偽装彼氏とチョコレート
あらすじ
コンビニ店員だった真斗に突然告白されたエミリ。あまりのことに驚きつつも、よく知らない人とは付き合えないと断ってしまう。それから半年、フィットネスクラブでナンパに困っていたエミリをさり気なく助けてくれたのはあの真斗だった。ナンパ避けにしばらく偽装カップルを装ってはどうかという真斗の提案に同意するエミリ。だが、次第に優しく気遣いのできる真斗に惹かれていることを自覚する。自分が年上だということやどうやって気持ちを伝えたらいいのかを悩んでいると、元ミスキャンパスだという真斗の後輩が現れて――ナガオエレクトロニクスを舞台に贈るピュアラブストーリー
登場人物
派手な見た目のせいで恋愛経験豊富なイイ女だと思われるが、実は恋愛偏差値は低め。
爽やかな塩顔イケメン。しつこいナンパ対策として偽装カップルを装うことをエミリに提案。
試し読み
一 髪型ひとつで
ある秋の日の昼休み。勤め先、ナガオエレクトロニクス株式会社、通称ナガエレの食堂にて。
私、折川エミリは、いつも仲よくしてもらっている先輩ふたりに、久しぶりにこんなことを尋ねられた。
「エミリ、彼氏は?」
「たまにはエミリちゃんの恋バナも聞きたいんだけど」
女子社員同士の何気ない恋愛トークなのだが、私はこの手の質問をされるのが苦手だ。
「残念ながら、相変わらず彼氏はいません」
私の答えに、ふたりはつまらなさそうに頬を膨らせた。
「男の人にとっては、高嶺の花なのかなぁ」
「エミリ、綺麗だもんね」
大変ありがたいことに、私は社会人になって以来、綺麗だと言ってもらえるようになった。週に二日ジムに通って体型を整えているのと、もともとの身長の高さもあって、モデル体型だと褒めてもらえるのは嬉しい。化粧映えのする顔のおかげで平凡なすっぴんをそれなりに仕立て上げられるのも幸運だ。加えてウェーブをかけた長い髪が、イイ女感を演出してくれている。
だけど、私は決して高嶺の花と言ってもらえるほどの女ではない。なぜなら生まれてこのかた二十五年、一度もまともな恋愛などしたことがないのだ。派手な見た目のせいで恋愛経験豊富に見られるが、実際の恋愛偏差値は昨今の小学生よりも低いのではないかと思う。
私の恋愛に興味津々な様子のふたり、篠田瑠衣さんと金森ほのかさんは、どちらも少し前に彼氏ができてとても幸せそうだ。ふたりを見ていると恋愛への憧れが高まるのだけど、私はなにをどうすれば恋人を得られるのかわからない。
好きになった人が自分を好きになるなんて奇跡が、私にも起きる日が来るのだろうか。私にはもう何年も、好きな人すらいないのだけど。
「そういえばエミリちゃん、前に告白された人とはそれっきりなの?」
金森さんの質問に、私は啜っていたうどんを吹き出しそうになってしまった。話の流れから、私もちょうど彼のことを思い出していたのだ。
「ごほっ……! 金森さん、覚えてたんですね」
瑠衣さんがテーブルに身を乗り出すように前のめりになり目を輝かせる。
「私その話知らない。詳しく聞かせてよ」
たまには私の恋バナを、というリクエストに応え、私はその件について話すことにした。
あれは約半年前のこと。
会社帰りに行きつけのコンビニで会計を済ませると、レジを打っていた男の子が釣銭を差し出しながら声をかけてきた。
「突然すみません。ちょっとお話、いいですか?」
彼のことは、このコンビニでよく見かけていた。とても感じのいい店員だったと記憶している。茶髪のふわふわしたマッシュヘアで、ヒールを履いた私よりも背が高く、青年というよりはむしろ少年という感じの、爽やかでかわいらしい男の子だ。おそらくバイトの大学生だろう。
彼はレジカウンターを出てもうひとりの店員に声をかけ、私を店外に連れ出した。
「俺、上田真斗っていいます。この店でバイトしてる学生です。この店であなたのことをよくお見かけしてて、ずっと素敵な人だなって思ってました。俺の方は完全に恋愛感情アリアリですけど、もしよかったらお友達になってもらえませんか?」
恋愛感情アリアリ? これってまさか、告白?
そう認識した途端、私の鼓動が全身に轟き始めた。
暗かったけれど、店の看板の光と街灯だけでも彼の整った顔が赤くなっているのが十分にわかった。きっと勇気を出して声をかけてくれたのだ。
だけど、私は彼をよく知らないし、特に彼を意識したこともない。
「ごめんなさい」
こう答えるのが正しいと思った。彼を悪い人だと思ったわけではないけれど、それが自己防衛に繋がると思ったのだ。
「そっか、そうですよね。本当に、突然すみませんでした」
「いえいえ! びっくりしたけど、嬉しかったです」
彼が無理に笑顔を作っているのがわかって胸が痛んだ。だけどよく知らない人とむやみに繋がって、また傷つけられるのが怖かった。
私はまともな恋愛こそしたことがないけれど、まともでない恋愛なら一度だけ経験がある。そのときに受けた傷の痛みは、今でも鮮明に覚えている。だから私は、人より男性に対しての警戒心が強いのかもしれない。
「実は俺、今日でこの店を辞めるんです。最後にお名前だけ、教えてもらえませんか」
迷った。でも彼の顔を見ていると、名前くらいなら教えてもいいのかなと思った。彼ははじめにきちんと名乗ったのだから、自分が名乗らないのは失礼だという意識もはたらいた。
「折川です。折川エミリ」
「エミリさん。かわいい名前ですね。話を聞いてくれて、ありがとうございました」
彼はとびきりの笑顔を見せ、深くお辞儀をして、仕事へと戻って行った。本当に、最後まで感じのいい青年だった。
店を辞めたのだから仕方ないことだが、それ以来彼には会っていない。
あんなにドキドキさせられたのは何年振りだろう。彼が今どうしているかはわからないけれど、元気にやっているといいなと思う。
今日はジムへ行く日だ。平日通い放題のプランで入会しているから曜日が決められているわけではないけれど、私は毎週月曜日と木曜日に通うと決めている。
私が今通っているのはブロンズフィットネスクラブという、ポップなダンベル型のロゴが印象的な会員制のスポーツクラブだ。ロゴはポップだが、トレーニングに対する本気度が高い層が集まるクラブで、マシンやトレーナーのレベルもそれなりに高い。そしてその分、会費もちょっぴりお高い。
それでも私がこのジムへの入会を決めたのは、吉澤明子さんという美人トレーナーがいたからだ。彼女を見た瞬間、私はこの人についていきたいと思った。
こんがりタンニングされた滑らかな肌に映える筋肉の影。締まるところは締まり出るところは出ている、彫刻のようなプロポーション。加えて、長い黒髪はツヤツヤ、メイクは崩れ知らず、ネイルはいつでもピッカピカ。彼女の美意識の高さとそのポリシーに、私は魅了されたのだ。
私はどうしても彼女のトレーニングを受けたくて、月に一度、彼女のパーソナルトレーニングを入れている。そしてまさに今日こそ、その日である。
「……八、九、十。プラスあと五回いってみよう!」
「えっ、さっき十回って……」
「つべこべ言わずにあと五回! いーち、にー、さーん……反動つけない!」
「も、無理……」
「無理でもやる!」
明子さんのトレーニングは厳しい。厳しいけれど必ず結果に繋がるし、彼女を見るだけでも刺激になる。彼女のパーソナルトレーニングは、私にとって月に一度の楽しみなのだ。
前にそういう話をしたら金森さんと瑠衣さんに「ドMなの?」と聞かれてしまったけれど、もともと超体育会系の私は否定できないかもしれない。
「お疲れさま。今日もよく頑張ったね」
「ありがとう……ございました……」
パーソナルトレーニングのあとは、身体中の筋肉が震えるほどに疲労している。プロテインドリンクを飲みながらベンチである程度身体を回復させ、着替えて帰るのがいつものルーティンだ。
しかしここ最近、私はとあることに煩わされている。
「エミリちゃーん。お疲れさま」
タイミングを狙っていたかのように私の座っているベンチにやって来たのは、松本さんだ。年齢は三十代くらいで、ツーブロックのヘアスタイルが印象的な、見るからにスポーツマンタイプの男性である。
「松本さん。お疲れさまです……」
彼は遠慮もなしに、私の左横にどかりと座った。この距離感が苦手だ。女慣れしている感じがする……というか、いつも馴れ馴れしい。
「今日こそご飯に付き合ってくれないかな?」
「遠慮します。明子さんのトレーニング後の食事には気をつけたいんです」
「高タンパクで栄養価も高い店、知ってるんだけどなぁ」
私はどうやら彼に気に入られてしまったようで、会うたびにこうして食事だ酒だと誘われているのだ。ようはナンパである。
「松本さん、ほんっとめげないですね」
「めげてちゃきみを口説けないからね」
「何度も言いますけど、私そういうの受け付けてないんで」
「うんうん。わかってる」
「わかってるって……」
彼はいくら断ってもニコニコ笑顔を崩さない。この不毛な会話を楽しんでいるようだ。これが大人の余裕というものなのかもしれないが、いつか私が折れるのを待っている。それに、彼はすぐ頷く女より簡単にはいかない女の方が好みなのだと、接しているうちにだんだんわかってきた。
悪い人ではないのだが、私は過去のこともあって、あまりこういうタイプの男性、つまり女慣れした男性が得意ではない。
これ以上粘られるのも面倒だ。嘘は好きではないけれど、もう相手がいると言って諦めてもらおう。
「松本さん。私、付き合っている人が……」
私がそう話し始めたとき。
「エミリさん?」
右から私を呼ぶ声がして、条件反射でそちらを向いた。声には聞き覚えがあった。しかし、そこに立っていたのは見覚えのない青年だった。
黒髪で黒縁メガネ、色白で長身。おそらく私よりも若干年下だ。塩顔と呼ばれるシャープで中性的な顔立ちに、Tシャツとハーフパンツから覗く細長い腕脚が、筋肉質な男性が多いこのジムにおいては華奢に見える。
この子、誰? 私を知っているということは、昔の知り合い?
私がポカンとしていると、彼はムッと顔をしかめた。ただし睨んでいるのは私ではなく、隣に座っている松本さんのようだ。彼は長い脚でズンズンこちらへ歩いてきたかと思ったら、私と松本さんの間に立ったまま割って入った。
「あの。俺の彼女なんで、ちょっかい出すのやめてもらえませんか」
※この続きは製品版でお楽しみください。