【試し読み】冷徹公爵様のよすが妻~嫌われているはずなのに求婚されました~

作家:高遠すばる
イラスト:文月マロ
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2021/10/1
販売価格:400円
あらすじ

「かわいいアデーレ、私と結婚してほしい」――コンラート・フォン・シュナイダーはアデーレ・フォン・マジュラムを嫌っている。ひそやかにささやかれている噂は純然たる事実であり、かつて兄のように慕っていたコンラートは、ある日突然、アデーレを嫌いだしたのだった。……なのに、どうしてこんなことをするの? 周囲の目もあるデビュタントでの求婚の言葉と、その空気にアデーレは応えるしかなかった。――不安な思いで彼の妻となったが、コンラートは今までが嘘みたいに優しく、アデーレを甘やかしてくるように……。昔のように穏やかな時を過ごすうち、アデーレはコンラートの役に立ちたいと思うようになって行動しようとするが……

登場人物
アデーレ
伯爵令嬢。自らを嫌っているはずの幼馴染・コンラートから突然求婚され困惑する。
コンラート
公爵家の若き当主。アデーレには兄のように慕われていたが、突如冷たい態度をとるようになる。
試し読み

 わたしは、悪い夢を見ているのかしら。
 ミモザ色の艶やかな金髪が顔にかかるのをやわらかな手つきで払われる。
 かわいいアデーレ。そう呼ばれるのはいつぶりだろうか。アデーレは、そう口にした青年の、上背のある姿を見上げる。そうして呆然と、目の前に立つ青年の空色の瞳を見つめ返したのだった。

 若き王が統べるアリスタリア王国。苺など寒い地域でよく育つ果物が豊富にとれ、また宝石を産出する鉱山をいくつも所有するこの国は、食料こそ他国を頼ってはいるが、先代王の外交の腕と、平和を愛する心によって、ここ数十年の間戦争の魔の手にも、飢餓の危機にも襲われたことがなかった。
 アリスタリア王国の王都はそれは華々しく、赤レンガの敷き詰められた街道や大理石をふんだんに用いた白亜の城は、宝石が特産品ということもあって、それ自体が宝石城と呼ばれるほど。
 国土こそ小さいものの、そこに内包された多くの豊かさを奪われず、ここまで長きにわたる平和を築いているのはまさに賢王とその側近たちによる政治外交のたまものといえた。
 華やかな王都には苺で作られた菓子も、小さな宝石で作られたアクセサリーも売られている。他国では高級品であるそれらは、このアリスタリアでは子供でも買えるような値段で売られている。
 これだけ、この国が豊かなのだ。
 その王都にほど近い伯爵領に生を受けた、マジュラム伯爵領の麗しき姫君──アデーレ・フォン・マジュラム。
 彼女は今、窮地に立たされていた。
「い、嫌です、お父様」
「かわいいアデーレ、お前をひとりでデビュタントとして立たせるわけではないよ」
「わかっております、お父様。わたしが言いたいのは、その、コンラートさまがパートナーというのは……」
「幼馴染だから、気心も知れているだろう、何、身分差など気にすることではない。コンラート坊の父親がそう言っている。何よりコンラート坊の母がぜひにと申し出てきたのだから、お前はなにひとつ気にしなくてよいのだよ」
 違います、そうではないのです、お父様……。
 アデーレは、泣きそうな顔を必死に耐えて、父を見返した。
 アデーレがデビュタントを楽しみにしていなかったわけではない。むしろ、大人への第一歩を登れるのだわと思って嬉しかったくらいだ。
 その浮足立った思いが崩れたのは今。父伯爵が、アデーレのデビュタントのパートナーにと、幼馴染のコンラートを提案してきたからだった。
 アデーレに選ばせてくれるようでいて、その実ただの貴族令嬢であるアデーレに父親への拒否権はない。
 受けるしかないことはよくわかっているのだが、アデーレにはどうしてもコンラートをパートナーとしたくない理由があった。
 ──コンラート・フォン・シュナイダーはアデーレ・フォン・マジュラムを嫌っている。
 デビュー前の令嬢の茶会でひそやかにささやかれている噂だ。
 コンラートはシュナイダー公爵家の若き当主だ。早くに隠居した仲睦まじい前公爵夫妻の跡を継ぎ、公爵領に存在するルビー鉱山を運営し、巨額の富を築いている経営者にしてよく整備された街道の通る、人通りの多く豊かなシュナイダー領の統治者。
 剣の腕も立ち、戦争など行われていない昨今でも、先だって王都で行われた馬術試合では並みいる騎士たちを抑え堂々の優勝を勝ち取った。
 さらに見目も大変に麗しく、鍛えられてはいるがすらりとした体躯に、太陽を透かしたような金の髪と、澄み渡ったサファイアのような目を持つ美青年。
 国王の覚えもめでたく、次期宰相との噂もある。
 そんな富も名誉も美貌もすべて備わったコンラートにデビュタントのパートナーをつとめてもらうことは、それこそアリスタリア王国の令嬢たちの夢である。
 そんなコンラートが、アデーレを嫌っている。
 それは純然たる事実だ。そしてアデーレには変えられないことでもあった。
 コンラートがアデーレを嫌いだしたのは本当に突然だ。
 それまで幼馴染だからといって「コンラート兄さま」と呼びなついていたアデーレを押しとどめ、それ以上近寄るな、と言い放った時のことは忘れられない。
 そのことだけならよかった。けれど以来、コンラートはアデーレの友人をみんな奪っていったり、アデーレに与えられたプレゼントを横から奪い、捨てたりと、それはひどいことをアデーレに繰り返してきた。
 そのあと詫びのように贈られる花やぬいぐるみ、宝石でアデーレの部屋はいっぱいになったけれど、アデーレはそんなものを貰っても悲しみを癒せなかった。
 初めての友達、友達からのプレゼント、そういうもののほうが貴重なのに。コンラートはアデーレを一人ぼっちにすることに躍起になっているらしかった。
 かわりにと渡される贈り物は嬉しくない。だってアデーレを嫌っているコンラートは、きっと自分で選んですらいないのだから。
 屋敷のメイドたちが喜んでアデーレの部屋を贈り物で飾り付けるけれど、アデーレには、それが次からも同じようにアデーレをいじめるぞと言っている予告状がわりの物品にしか思えなかった。
 そんなコンラートと、パートナー。
 悪夢だと思いこそすれ、嬉しく思うことなんてできない。
「アデーレ?」
 やさしい父伯爵がアデーレの顔をのぞき込む。言ってしまおうか。
「でも、けれど、コンラート、さまは」
「ああ」
 父伯爵がほのほのとした笑顔でアデーレを撫でる。アデーレは、その顔を見て静かに口をつぐんだ。
「……なんでも、ないわ……」
 父伯爵とコンラートの父であるシュナイダー前公爵は幼馴染で親友だ。同じく、母同士も。
 そんな父や母は、当然アデーレとコンラートが仲良くすることを望んでいる。
 わたしはコンラートさまに嫌われているのです、そしてコンラートさまが心から恐ろしいのです。
 そんなこと、今目の前で微笑んでいる父と、コンラートを気に入っている母のことを考えれば、言えるはずがなかった。
「デビュタント、楽しみですわ」
 そう言ってアデーレが笑うと、娘の様子に一瞬不安気な顔をした父伯爵は、再び相好を崩してアデーレの頭を撫でた。
「そうか、そうか、楽しみか。それはよかった。さ、アデーレ。ドレスの職人を呼んできたよ。真珠をちりばめようか、生花を飾ってもお前に似合うだろう」
 アデーレ、と呼ぶ母の声がする。きっと母も職人のもとにいるのだろう。
 肩に鉛でも乗っているみたいだ。
 気を重くしながら、アデーレはデビュタントのドレスのデザインを決めるべく、父と母のもとへと歩みを進めるのだった。

 花を模したシャンデリアがきらきらと輝く。
 夜の月をかき消すほどの明るい室内で、バルコニーのすぐそば、大広間の隅で壁の花となっているのは、頭に白い百合の花を飾り、真珠のちりばめられた美しい白のドレスをまとったアデーレだ。
 ミモザ色の髪を娘らしい緩やかなシニヨンに結ったアデーレは、父曰く、求婚者が殺到するほど美しい、らしい。
 お父様は親の贔屓目が強すぎるんだわ、とアデーレはため息をついた。
 なぜなら今の今までアデーレに近寄ってきた相手はパートナーのコンラートのみ。
 コンラートから離れたくてあちらこちらへ歩くけれど、コンラートがしっかりとアデーレの腰を抱いているから離れようにも離れられない。
 まるで婚約者か恋人のような態度に、アデーレは頭を抱えそうになった。
 ──コンラートさまは、わたしに恋人を作らせないつもりなのだわ。
 デビュタントにとって、初めての舞踏会は結婚相手を探すための重要な場所だ。
 こうやって邪魔をされれば、ただでさえ冴えないアデーレには結婚はおろか婚約者さえ作ることが難しくなるだろう。
 いくらなんでも、人生にかかわるような意地悪をされるとは思っていなくて、アデーレは泣きたい気持ちになった。
「コンラートさま」
「なんだ、アデーレ」
 冷たい声が降ってくる。周囲を睨みえるようなまなざしのコンラートは、とてもこの舞踏会を楽しんでいるようには見えない。
 やんわりとコンラートを引き離そうとしても、意地悪なコンラートはピクリとも動かず、離れてはくれない。到底、婚約者探しなどできない現状。困ったアデーレは思考を巡らせた。
 どうにかして、コンラートの目をかいくぐれないだろうか。
 と、給仕が飲み物を配っているのが遠くに見えた。
 アデーレたちと反対側の壁の近く、令嬢らが給仕から受け取った、花弁の浮いたカクテルをおいしそうに飲んでいる。アデーレは口を開いた。
「あの、その……」
「なんだ、聞こえない」
 アデーレのほうを見ないで答えるコンラートに、アデーレは肩を落とした。
 別に、見つめあって話がしたいわけではないけれど、こんなのはあんまりだ。アデーレだって、数少ない友人とは目を合わせて話すのに。コンラートにとってアデーレは目を見て話す価値すらないと言われているようで悲しかった。
「飲み物、を……。喉が、乾いたので」
「わかった」
「……え?」
「アデーレ、ここにいるんだ、いいな」
 コンラートから離れたい一心での頼みは、けれど一蹴されると思っていた。
 それならそれで、自分で取りに行けばいい話だ。そう思っての言葉だったのだが、コンラートはアデーレに移動するなと言い含めたあと、速足で給仕のほうへ歩を進めた。
 呆然とそれを見ていたアデーレだったが、はっと気が付いて、コンラートに見つからぬよう、バルコニーへと逃げた。
 ヒールが鳴る。どきどきしながらたどり着いたカーテンの向こうで、アデーレは息をひそめた。
 夜風が涼しい。寒いくらいだ。
 星が少しだけ見えて、月を守るように瞬いている。
 見上げた空は雲の一つもなくて、アデーレの心の中とは逆に晴れ渡っていた。
「コンラート、さま」
 アデーレは小さくつぶやいた。
 コンラートはどうしてアデーレを嫌うのだろう。
 幼いころは仲が良かったと思う。コンラート兄さまと言って後ろを歩いて回って。
 花冠を作ってくださったコンラート兄さま。野良犬からかばってくださったコンラート兄さま。
 ──アデーレをお嫁さんにしてくれると言って微笑んでくださった、やさしい、やさしいコンラート兄さま。
 アデーレは、幼いころに確かに抱いていた恋心を、いつどこでなくしてしまったのかも忘れてしまった。ただ気づいた時にはコンラートが恐ろしくなっていて、同時にコンラートからは嫌悪の感情を向けられていることを知っていた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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