【試し読み】結婚までの31日間~御曹司とのお見合いは恋のはじまり~

作家:水杜
イラスト:桜之こまこ
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2021/7/30
販売価格:500円
あらすじ

恋愛経験は乏しいけれど結婚するなら恋愛結婚だと思っている絢音のもとに、伯母から見合い話が舞い込んだ。聞けば、世話になっている着付けの先生から頼まれて断れなかったとか。絢音は仕方なく承諾するものの、まったく乗り気ではない。いざ見合い場所へ向かうと、そこにいたのはなんと勤務先の社長の息子で、仕事はできるが無表情で冷たい印象と噂される高浪一志だった! いきなり結婚してほしいと迫ってくる一志に絢音は即座に断るが、人となりを見てから改めて返事がほしいと言われ、ひと月だけ交際することに。たった一か月の交際で気持ちが変わるわけがないと思ったのだが――

登場人物
深田絢音(ふかだあやね)
恋愛結婚を理想としていたが、伯母からの見合い話を断り切れず渋々承諾する。
高浪一志(たかなみかずし)
絢音の勤める製菓会社の御曹司。ルックスは良いが表情が乏しいため冷たい人間だと噂される。
試し読み

第一章 突然のプロポーズ

 愛する人にプロポーズされて結婚するという恋愛結婚は絶対幸せになれると、夢見ていた。
 それなのに、お見合い当日に好きでもない人から『結婚してください』と言われるなんてビックリ仰天だ。
 幸せになれる予感がまったくしない……。

*****

 勤務する『高幸製菓たかこうせいか』オフィスビルの正面玄関横にある桜の木から、いくつもの花びらが風で舞っている。
 私は落ちてくる花びらの合間を通り抜け、風で乱れる背中の中央くらいまである髪を押さえた。
 社員通用口でICカードをセキュリティシステムにかざし、足を踏み入れて守衛室の警備員に忘れ物を取りに来たと伝える。
 エレベーターでロッカー室のある階まで上り、薄暗い廊下を歩いた。時刻は七時を過ぎており、金曜日である今日はノー残業デーのためオフィス内は静まり返っている。
 私のパンプスの音だけが響く中、前方に人影が見えた。誰もいないと思っていたから、驚きで体が跳ねた。
 動きを止めて、様子を探る。ひとりしかいないようなのに、話し声が聞こえてきたからだ。
 あ、通話中か……。
 スマホを耳に当てた状態で歩いている人物は、広報部長である高浪たかなみ一志かずしさん。高浪部長は当社社長の息子でもある。
 いわゆる御曹司であり、そろそろ副社長に就任するのではないかとオフィス内のあちらこちらで噂されていた。
 遠目に見ても、長身ですらりとした彼はルックスの良さが際立っているが、近づくにつれて端正な顔立ちまでもがハッキリと浮かび上がる。
 どんなに整った顔でも無表情なうえ、抑揚のない声で話しているのを見て、冷たい人なのかなと感じた。
 会話の妨げにならないよう息を潜めて、通りすがりに会釈した。部長は話に集中しているためかこちらを見もしない。
 しかし、部長の口から「深田ふかださん」と私の名前が出たので呼ばれたのかと思い、「はい!」と振り向く。
 私の返事に部長も足を止めて、こちらに振り返った。対面する部長は切れ長の目で私を捉えて「ああ、じゃあ……よろしく」と通話を終える。
 どんな用で呼ばれたのだろう?
 今まで業務での関わりがないので、理由が思い浮かばない。
 身長一六〇センチの私は、初めて向き合った部長を見上げた。やはり一八〇センチはありそうだ。
「君、名前は?」
 部長は私の名前さえも知らなかった。私も名前を知らない社員の人がいるから、不思議なことではない。
 では、なぜ先ほど呼んだのだろう?
 疑問に思いながらも、名乗る。
「販売推進部の深田絢音あやねと申します」
「深田さん?」
「はい?」
 不思議そうに名前を復唱するから、私も同じように首を傾げた。
 しかし、部長はすぐになにやら納得したようで「そうか」と呟く。
 何がそうかなのだろう?
 部長は謎を解決できたようだけど、私は解決できていない。
 私にも理解できるよう説明していただきたい……。
 心の疑問を訴えるよう見つめると、通じたのか答えをくれた。
「君のことを呼んだのではない。今電話していた相手から告げられた名前が深田さんで、たまたま同じ苗字だっただけ」
 無表情なうえ、抑揚のない声で言われて、私も静かに返す。
「そういうことですか……失礼しました。お疲れ様です……」
「ああ、お疲れ様。気をつけて帰って」
 気遣いのある優しい言葉だが、やはり表情ひとつ変えない人から言われると萎縮してしまう。
「ありがとうございます」と小声で言うだけしかできなかった。部が違うから、面と向かうのも会話をするのも初めてだった。
 やはり噂通りの冷たい感じはしたけど、怖い人という印象は受けない。
 でも、もう二度と話すことはないだろうからあれこれ考えても意味のないことだ。
 颯爽と歩いて行く部長の後ろ姿を振り返って見、肩をすくめてロッカー室へ足を向けた。

 私が帰宅して数分後に、伯母の藤倉ふじくら祐子ゆうこさんと祐子さんの息子で私の従兄のあたるじんくんが来た。
 私の母は二十年前に病気で亡くなっていて、その後は父と暮らしている。母の姉である祐子さんは近くに住んでいることもあり、母が亡くなってからはいろいろと世話をしてくれた。
 伯母さんと呼ばれるのを嫌うため、子供の頃から祐子さんと呼んでいる。
 中学生になるまで、父が仕事の時はいつも藤倉家で過ごしていた。
 仁くんは私よりも二歳上の二十八歳。年が近いので、一緒に遊ぶことも出かけることも多かった。大人になっても、交流は続いていて、頼りになる兄的な存在だ。
 仁くんは小学生から高校生まで剣道をやっていた。だからなのか、体型はがっしりと筋肉質で、姿勢が良い。
 まだ部屋着に着替えていない私を見て、祐子さんが口を開く。
「帰ってきたばかり? 遅かったのね」
「お財布を忘れたのをスーパーで気付いて、会社まで取りに戻っていたの」
「まあ! 絢音はしっかりしているようで、たまに抜けるから心配だわー」
 成人しても心配されて、苦笑いする。祐子さんには、いくつになっても子供に見えるようだ。
 しかし、子供にはできないことを祐子さんは言った。
「絢音、明後日は暇よね?」
「仕事は休みだけど、コンビニ巡りをしようかと思ってるの」
「そう、暇なのね」
 祐子さんにとって、コンビニ巡りは忙しい用事に入らないようだ。新作のお菓子を探すのが私の趣味だけど。
 でも、予定を聞くのは何らかの頼み事があるのだろう。
 お菓子探しは明日やればいいかな。
「暇とは言いたくないけど、どうして?」
「お見合いしてもらいたいの」
 思いもよらない要求に「は?」と、私と仁くんの声が重なった。
「お見合いしたいとは思っていないよ」
 私が拒否すると、仁くんも不機嫌な声で問う。
「なんで絢音に見合い話なんか持ってくるんだよ?」
 祐子さんは、仁くんを一瞥する。
「仁が口出しすることじゃないわ。決めるのは絢音だからね。でも、私と森山先生の顔を立ててほしいの。その後はお断りしていいから、形だけのお見合いをしてくれない?」
「形だけ?」
 私が聞くと、また仁くんが口を挟む。
「そんなの時間も無駄だし、結婚する気もないのだから相手に失礼にもなるだろ?」
 仁くんのもっともな意見に、私は同意した。
「仕方ないのよ」と祐子さんは引き受けざるを得ない事情を説明する。
 森山先生とは、着付け教室を営んでいる年配の女性で、祐子さんはそこで働いている。着付け教室は、森山先生のご主人が経営する呉服屋に隣接していた。
 呉服屋の店頭に森山先生も顔を出すことがあり、懇意にしている客も多いらしい。
 そこであるお得意様から、息子が、結婚相手を探していて見合いを何度かしているのだが、なかなか決まらない。森山先生に誰か良い娘さんはいないかと相談した。
「で、絢音に白羽の矢が立ったのよ。森山先生と何度か会っているでしょ? 今どき珍しいくらい礼儀正しい娘さんで笑顔がかわいいと言ってたわ」
「それは、どうも……」
 褒められて悪い気分にはならないけれど、お見合いするかどうかは別問題だ。返事を決めかねている私に対して、祐子さんは「お願い!」と両手を合わせた。
 明後日とは急な話である。それもまた事情があって、その日にお見合いする予定だったお相手が突然断ってきたそうだ。
 だったら、中止にしたらいいのだが……誰でもいいから探してほしいと息子さんに言われ、急な話だから引き受けてくれる人が見つからず、困り果ててお願いしてきたと……。
 話を聞く限り、その息子さんとやらは強引で自分勝手な人に思える。
 何度もお見合いしているくせに、いまだに決定しないのも相手に求める条件が厳しいのではないだろうか。
 もしくは、その人自身になにか致命的な欠点があるとか?
「でも、お見合いはねー。一応聞くけど、どういう人なの?」
「森山先生は真面目な人だと言ってた。そうそう、どこかの会社の御曹司らしいわ。そのお客さんの旦那さんが社長」
 祐子さんの返事に、また仁くんと「えー?」と声を上げた。
 御曹司?
 形だけとはいえ、私みたいなのが相手でいいの?
 同じことを仁くんも疑問に感じていたようだ。
「そんな人に絢音が合うわけがない」
「私もうちの姪では釣り合わないと言ったのよ。でもね、同じような立場のお嬢さんを求めているのではないそうなの。誰でもいいというのではないけど、気立てが良くて、元気な人がいいって」
「それで私と言われても、困るんだけど」
 理由を聞いても納得できない。仁くんと顔を見合わせて、腕組みした。
 結婚願望はそれなりにあるが、お見合いで結婚したくはない。私は恋愛結婚が希望なのだ。
 でも、苦悩している様子の祐子さんを見て、頑なに拒否するのをやめた。断っていいというなら、会ってみようかな。
「わかった、行くよ」
「絢音、ありがとう!」
 祐子さんは肩の力を抜き、安堵の笑みを浮かべた。
「でも、絶対断るからね」
「うん、わかってるわ」
 念押しして、お見合いに挑むことになった。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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