【試し読み】聖なる魔女と悪魔の騎士3
イラスト:石田惠美
レーベル:夢中文庫ペアーレ
発売日:2020/8/28
販売価格:900円
あらすじ
娼館『聖なる魔女の館』を切り盛りする元修道女のユーフェリナ。彼女は実は魔女の末裔で、力に目をつけた『魔剣士』ウィルガイストと契約を結んでいるものの、未だ力は使いこなせていない。そんなふたりの前に、娼館の臨時用心棒として異国の美女が現れる。美女がウィルガイストを「イシュア」と呼んだことで、彼の知られざる過去が明らかになっていくが――「おまえとの契約も白紙に戻してやるよ」一方的に突き放されたユーフェリナは、にやにや顔の黒魔術師を連れて、貴族の街に潜入することになり……!? 不良修道女×エロ悪魔のダークラブファンタジー!第3巻!ついに最終章に突入! 話題のWEB小説を電子書籍化!
登場人物
見習い修道女。魔に魅入られた人の瞳にひそむ黒い炎を視る力『魔女の目』を持つ。
魔剣士。『魔女の目』の力に引き寄せられる悪魔からユーフェリナを守る。
試し読み
序章
その日の晩は、魔剣士と契約を交わしてから、三度目の新月に当たる。
彼との契約──彼女に群がる悪魔を、退治すること。
窓の向こうが刻一刻と濃い紫色へと移り変わるのを眺めながら、ユーフェリナは夜がこないでほしいと初めて心から願った。
彼女の魔力に惹かれて集まる魔物どもが、新月の晩に繰り広げる悪夢の饗宴は、何度経験しようと慣れるものではなかった。
だが、文字通り悪魔の魔手からユーフェリナを救ってくれる魔剣士が、彼女を死の恐怖という絶望から無縁でいさせてくれる。
けれど、今日はその魔剣士の存在が、ユーフェリナにとって恐怖と同じだ。
あの地獄の夜、彼女をかばって左腕を失ったウィルガイストへの自責の念に、泣きながら彼に迫ったのは、昨晩──いや、今朝方のことだった。
あの醜態は、思い出すだけで死にたくなる。
慎み深い乙女としてはまずありえない、はしたない行為の数々。
淫魔に身を委ねようなど、太陽神の──敬虔とは言いがたいが──信者としては、破戒行為に当たるだろう。
そして、あの天下御免の女好きに身体中にくちづけられ、わずかでもそれを心地よく感じていた自分が恥ずかしいやら悔しいやら、今すぐに地面に穴を掘って、永久に地下に閉じこもってしまいたくなるほどだ。
きわめつけに、あの切断された左腕の結末ときたら!
そうなると予めわかっていたなら、彼がユーフェリナに怒りを向けなかったのは当然だろう。
思い出すと、自分の失態へのもどかしさは、さっくりとウィルガイストへの怒りにすりかわる。
シグアスはあの男を庇って何やら美談を組み立ててくれたが、結局、何もかもユーフェリナを籠絡するための罠だったのだろう。
それほどにあの男は、どうしようもない淫魔なのだ。
自らの持戒を破って、ユーフェリナにくちづけしたことも──!
あの強引な唇の感触はまだユーフェリナの上に残っている。
声にならない言葉を、直接、唇で訴えかけるような熱っぽさに、ユーフェリナはあっさり陥落してしまったが、あれも悪魔の罠。
もう絶対にあの男に隙を見せてなるものかと決意するが、一方では、ウィルガイストの中をすこしだけ覗いた気にもなり、面映ゆさに怒りの矛先を見失いそうになる。
「ユーフェ」
扉が開く音さえしなかった。いきなり彼女の名を呼んだのは、もやもやをユーフェリナの中に残した魔剣士の声だ。
心臓が胸を突き破って飛び出しそうになる。
あながち比喩とも思えない心臓の暴れぶりは、彼女の全身に冷たい汗を流させた。
「な、なによ……っ」
ケンカ腰に構えると、彼はいつもどおりの薄ら笑いを浮かべて、ユーフェリナに手を差し出してくる。
「そろそろ時間だぜ。いつまでもここにいたら、魔物どもが入ってくるぞ」
目の前の大きな手を、素直に取る気にはなれない。汗ばみ、冷たくなった指先をぎゅっと握りしめると、彼女の躊躇を無視するように、ウィルガイストはその細い手首をつかんで華奢な身体を抱き寄せた。
「なにす……っ」
「いつもどおりだろ。さ、行くぜ。じきに日が暮れる」
アクロシア中の軒先が閉じられ、人々の姿が掻き消える時刻。
ウィルガイストは少女の身体を抱いたまま、五階の窓からふわりと外に飛び降りる。
──彼の腕に抱かれて過ごす一晩は、魔の血が降り注ぐ、悪夢の夜。それがふたりの間の契約。だから、この状況も当然なのに。
戸惑いながら、でも決して離れないように身を預けると、彼の力強い腕が抱き留めてくれる。
なんでこんなに苦しいのだろう。
ただ、後ろめたさから逃れたくて身体を差し出しただけなのに。
このぬくもりがこんなになつかしくて……こんなにも怖い。
顔を見上げれば、彼は西の彼方に消えた太陽を緋色の瞳で追い、それと入れ替わるように現れる異形どもに、楽しそうな、歪んだ笑顔を向ける。
それが魔剣士の生き様だ。ユーフェリナのためではない、刃向かうものを滅ぼそうとする悪魔の本能なのだから。
魔物どものこの世ならぬ断末魔を聞きながら、ユーフェリナは彼の胸に耳を当てる。
すこし弾んだ鼓動は、激しく悪魔と切り結ぶせい。
では、自分の鼓動はなぜこんなにも跳ねるのだろう。ただ彼にしがみついて、ぎゅっと目を閉じているだけなのに。
「ユーフェ、俺から離れるなよ」
そんなふうに言われて、ビクリと心臓が口の代わりに返事をした。
いつもどおりの口調に台詞。なのに、なぜこんなにユーフェリナを惑わせるのだろう。
すっかり悪魔の奸計に嵌められてしまったのだろうか。
罠に絡め取られたことを知り、ユーフェリナはすぐに目を伏せた。
そんなことはない、絶対に。
認めるわけにはいかない、彼は──悪魔なのだから!
「あたしが、魔女の力をちゃんと使えるようになったらね、まずあんたから退治してやるんだから、それまでよ、あんたに守ってもらうなんて!」
「おーお、いつになることやら。ま、気長に待っとくさ、『魔女の目』」
「────!」
皮肉な笑みの代わりに、ウィルガイストはユーフェリナの瞼にくちづけ、剣を構え直して走り出す。
ユーフェリナは瞼に残る感触を払うように、頭を振った。
第1章 さよなら
「こちらに、ユーフェリナ・イェルさんがいらっしゃると聞いて参ったのですが」
『聖なる魔女の館』の門扉をくぐる男は枚挙に暇がないが、この昼日中、きちっとした服に身を固め、髪も整えた礼儀正しい紳士が訪れることなど普段であれば皆無だ。
ゆえに、その来客はユーフェリナにとって、驚きと怪訝で出迎えるべきものではあったが、一階の酒場でひとり、ぼうっとしていた彼女に、それほど強い印象を与えることはなかった。
「はぁ、ユーフェリナ・イェルは私ですが……」
このアクロシアに知人といえば、この娼婦宿の関係者くらいで、外部の人間に知己などいない。商店の親父やおかみさんに知り合いは増えたものの、こうも改まってユーフェリナを訪ねてくる客には覚えがなかった。
しかし、目の前の事象にあまり興味が湧かない。ユーフェリナは呆然と客人の顔を見上げるばかりだ。
近頃、魂がどこかに彷徨い出してしまったのか、心ここに在らずなユーフェリナである。
「あなたが、この店の経営者なんですか?」
「ええ、一応……」
男の物言いは失礼極まりなかったが、アクロシア界隈で名の通ったこの娼婦宿の主人が、こんなに若くて美しい──小娘だとは、さすがに男の想像の範囲を超えていたのだろう。
別段、ユーフェリナは気を悪くしたわけではなかったが、あまりにじろじろと上から見られるので、さすがにいやそうに身を引いた。
「これは失礼。まさかこんなに若いお嬢さんが、娼館のご主人をなさっているとは思いもよらず。これはつまらないものですが」
そう言って差し出された菓子折りを受け取りながら、ユーフェリナは高級そうな包装紙にくるまれた菓子と男を見比べる。
「はあ。それで、どういったご用件ですか」
椅子を勧めて茶のひとつでも出すべきなのか、それとも男の正体が知れるまでは客扱いすべきではないのか。
いささか行動に躊躇をみせながら尋ねると、彼は背筋を伸ばして、深々とユーフェリナに頭を下げた。
「申し遅れました。わたくし、ゲルナイト・ノドワールと申します。こちらで弟が厄介になっているはずなのですが」
彼個人の名前は初耳だったが、ノドワールという姓には聞き覚えがあった。
アクロシアの──いや、ロークリンド王国が誇る巨大な商家の名前であり、この店の会計係を務めていたアデットの姓でもある。
「アデットの……お兄さんですか」
「はい。この半月ほど、弟が一度も自宅へ戻っていないので、どうしているのかと訪ねて参りました。弟は、こちらにおりますでしょうか」
以前、アデットを装ったレグラヴィから、アデットには兄がふたりいると聞かされていた。言われてみれば、生真面目そうな表情の中にどこか愛嬌のある顔立ちは、アデットとよく似ている。だが、弟より神経質そうで、眉根には深い皺が刻まれていた。
「あの、今日はここには……」
アデットに化けたレグラヴィは、先日の事件でリリ=ランディの魔術で殺されているが、そもそも彼女の知るアデットはレグラヴィの化けた姿なのだ。本物のノドワール商会の三男坊がどうなったのか、知る由もなかった。
「どこでどうしているか、ご存じではありませんか?」
こういうとき、とっさに気の利いた嘘がつけるユーフェリナではなかった。アデットの兄がやってきたという、最初の衝撃はもうとっくにどこかへ去ってしまって、曖昧に首を傾げた。
「アデットはどこでなにをしているんですか?」
「えっと……どうでしょう」
「昨晩はこちらにいたんですか?」
「……いなかった、ような」
「あなた、ここの経営者なんでしょう? 従業員が出勤していたかどうか、把握なさっていないのですか?」
「そうですよね」
まったく会話が噛み合わず、アデットの兄は苛ついて床をつま先で踏み鳴らした。
「他に話のわかる方はいないんですか? アデットがどこでどうしているのか、それを知りたいだけなんですが」
「……ここには、いないと思います」
こんなとき、男をあしらうのが得意なミリアや、舌のよく回るカユスがいてくれればよかったのだが、生憎とここ数日の多忙さに、ふたりとも昼間はぐっすり夢の中だ。
アデットが姿を消し、シグアスも負傷で用心棒の仕事ができない。
そのため、ミリアは仕事の後もユーフェリナを手伝って帳簿をつけてくれていたし、カユスもひとりで毎晩、店をみなくてはならないのだ。
それに、カユスもミリアもアデットが姿を消した理由をまったく知らない。事情を知るシグアスがベッドに縛られている以上、ユーフェリナひとりで対処しなくてはならないのだ。
「いったい、なにがどうなっているんですか? アデットは、ここにはいないんですか?」
「今は……いないみたいですけど」
これはもう、知らぬ存ぜぬを押し通すしかなさそうだ。死んだ彼には悪いが、無断欠勤されてこちらも困っている──そういう設定にして、今日のところはなんとか帰ってもらおう。遅まきながらに、ようやく頭が働き出した。
いや、確かにレグラヴィは死んだが、よく考えてみればユーフェリナが彼に罪悪感を抱く必要はまったくないのだ。あの男に妙な薬を飲まされ、死ぬほどの恥辱を味わったのはつい最近のことだった。
それに、ウィルガイストが片腕を斬り落とされたのも、元はといえばレグラヴィがユーフェリナを突き飛ばしたからで、その後の、ウィルガイストの片腕に連なる忌まわしい記憶さえも、すべてはあの黒魔術師が元凶なのだ。
いまひとつ意識がはっきりしない中でも、その現実だけは生々しいくらいに胸に刻みつけられていた。
ようやく対応を決めたユーフェリナが、顔を上げたときだった。店の扉がふたたび開き、誰かが店内へ入ってきた。
「ただいまぁ、ユーフェリナさん」
戸口に立つ、両腕にあふれるほどの荷物を抱えた人物を見て、ユーフェリナは我が目を疑い、次の瞬間には悲鳴をあげていた。
「アデット──!」
「あれ、兄さんじゃないですか。どうしたんです、こんなところで。女買いにきたなら、夜来てくれなくちゃ。それともユーフェリナさん狙いですか? ダメですよ、彼女には男がいるんだから」
ユーフェリナの驚嘆を無視して、アデットは軽口を叩いてみせ、兄の怒りを買った。
「貴様、半月もなしのつぶてで、なにをしていた! 家の手伝いもしないで、こんな下品な場所で仕事などと──おや、これは失礼。そうでなくとも親父の機嫌を損ねているのに、帰宅もしないとはどういうつもりで……」
「まあまあまあ、俺にもいろいろ仕事ってのがあるんですよ。もう子供じゃないんだし、ゲルナイト兄とユアンセ兄のふたりで家業は切り盛りできるでしょう? もう僕のことは死んだと思ってあきらめてくれって、父に伝えといてくださいよ」
「バカなことを言うな! とにかく一度家に……」
「ちょうどいい機会ですから、親父どのに、アデットは馬車に轢かれて死んで、身元不明のままイヴァスラードに埋葬されましたと伝えてください。これが埋葬証明書です」
弟のわけのわからぬ提案に抗議を続けるゲルナイトだったが、アデットに背中を押されて戸の外へ追いやられると、そのまま閉め出されてしまった。
「やれやれ、すいませんねユーフェリナさん。身内がご迷惑をおかけしまして」
扉に鍵をかけて振り返る彼は、ユーフェリナのよく知る愛嬌たっぷりで、きわどい発言をさらりとした笑顔で告げる会計係のままだった。
「な……なんであんた、どうして!」
瞬時に心に武装を施し、ユーフェリナは後退った。今や彼は、ユーフェリナにとっての絶対悪であり、悪魔よりもタチの悪い存在なのだ。
「俺だってこんな恥辱はありませんよ、まったく! あなたのおかげで」
ユーフェリナに食ってかかったアデットだったが、脳天にゴツンという硬い音をあげさせ、床にうずくまった。
「口の利き方を知らぬ小僧だね、おまえは。ユーフェリナさま、お気に障ったら申し訳ございませぬ。これこのとおり、躾のならぬ小童ゆえ、わたくしが鎖につないでおきましたので、存分にこき使ってくださいまし」
突然、空中からもやもやと姿を現したのは、豊満な胸を張って己の存在感を声高に主張する『至高の魔術師』だった。
リリ=ランディが前触れもなく姿を現すことには、だいぶ耐性がついてきたが、今日は「まあ、こんにちは」というわけにはいかなかった。
「リリ=ランディさん! こ、この人どうして……死んだはずじゃ……」
アデットの兄から受け取った菓子折りを胸に抱きしめ、ユーフェリナは浜に打ち上げられた魚よろしく口をぱくぱくさせる。
「小生意気な小僧ゆえにひねり潰してやろうかと思いましたが、黒魔術師というのもなかなかに珍しい存在でございましてね。殺すには惜しいと思いましたゆえ、わたくしが飼うことにいたしました。ユーフェリナさまにはご不快なものをお見せすることになるやもしれませぬが、ご安心を。このとおり、わたくしの意に逆らうことはできませぬ」
リリ=ランディが手のひらにふっと息を吹きかけると、彼女の手の中に、鎖の形をした光が浮かび上がった。
その先はアデット──レグラヴィと呼ぶべきか──の首に巻きついている。
もちろん、現実には何も見えないのだが、それはリリ=ランディの魔術が見せる幻覚だ。
「これは強制の術でございまして、わたくしの思惑に反した動きをこの者が行えば、たちまち鎖が首を絞めて彼を殺しましょう。わたくしに絶対服従すること、そしてユーフェリナさまの敵にならぬこと、これをこの小僧に命じてありまする。これまでどおり、この店で働くように申し渡してございますので、遠慮なく」
「──え、でも……」
いくらユーフェリナの敵にならないと言われても、この男には辛酸の数々を舐めさせられているし、これまでどおりアデットとしてこの店の会計を任せる、という気にはとてもなれなかった。
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