【試し読み】豹変した幼なじみの恋の罠!?~無敵御曹司の独占欲は想定外です~

作家:沢渡奈々子
イラスト:龍胡伯
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2020/8/18
販売価格:800円
あらすじ

「灯里を俺のものにするためならなんだってする。それこそ家の力だって利用するよ、俺は」――灯里と礼は生まれた時からずっと一緒の、いわゆる幼なじみという間柄。礼は京条グループの御曹司でいつも無邪気に灯里の後をついてくるような『わんこ』だ。彼女はそんな人懐っこい礼を弟のように思っていた。なのに二十歳の誕生日パーティで、灯里は礼から突然プロポーズされる。庶民の自分に京条家の嫁は無理と断ろうとするものの、実は気づかない内に花嫁教育をされていたのだ。しかも礼の『わんこ』がそのためのお芝居だったと知らされ、灯里は怒りのあまり彼を殴ってしまう。しかし本性を出した礼は灯里に怒涛のアプローチを開始してきて……。

登場人物
香月灯里(かつきあかり)
誕生日パーティでの突然のプロポーズ&『わんこ』だったはずの礼の豹変ぶりに困惑する。
京条礼(きょうじょうれい)
京条グループの御曹司。『わんこ』を演じるのをやめ、灯里に猛アプローチを開始する。
試し読み

 京条きょうじょうれいは、日本最高峰の私立大・惠鳳けいほう大学の中で最も有名な男子学生だろう。
 日本人ならほぼ誰でも知っている大企業・京条グループの御曹司であり、かつ目の覚めんばかりの美貌を湛えているからだ。
 一見すると冷淡に見えるいわゆるクールビューティだが、上品で穏やかな雰囲気も併せ持っているのは、さすが生まれながらのセレブといったところか。
 つやつやとした暗褐色の髪から覗く切れ長の瞳は、理知的で頭の良さが見て取れる。彫り深い目元からすっと通った筋を持つ隆鼻からは強い意志が感じられ。美しい弧を描く口元は上品で、そこから零れる声は多くの女子の脳髄を痺れさせるほどに色っぽく響く。
 礼は見た目だけで多くの人間を魅了するに十分な要素を備え持っていた。その上『京条家御曹司』というバックグラウンドがさらに彼の価値を釣り上げているわけで。
 実際、途轍もない数の女子学生たちが、時には男子までもがあの手この手で礼に取り入り、媚び、どうにかして『京条礼の彼女』もしくは『京条礼の友人』という、光り輝く肩書きを手に入れようと躍起になっている。
 過去にはストーカー行為に出た者もいたが、礼には常にSPがついているため、その都度排除されてきた。
 しかしそんな数多な者たち──特に女子にとっての最大のハードルは、実はSPなどではなかったのだ。

     ***

灯里あかりちゃ~ん! 袖引っかけてボタン取れちゃったよ~!」
 昼休みの大学の中庭──取れたボタンをぶんぶんと振り回しながら、礼が私の元に駆け寄って来た。辺りを見回すと、ちょうどいいベンチがあったのでそこへ座る。
「あー、はいはい。縫ってあげるからシャツ脱ぎなさい」
 私はため息混じりで、目の前のわんこに向かって手を差し出した。
「はぁい」
 礼が急いで脱いだシャツを受け取り、バッグの中からソーイングセットを取り出す。こんなことは日常茶飯事。だから私が普段持ち歩くバッグには、救急セットやらハンカチ数枚やらいざという時の携行品が常に入っている。
 礼や友達からは「四次元ポケットみた~い」と言われているけれど……友達はともかくとして、礼からだけは言われたくないのよね。
 ぼやいていても仕方がないので、ボタンの色に似た糸を適当な長さに切り取り、針に通してからちくちくとシャツに縫いつけていく。我ながら器用になったものだわ。
 そんな様子を、私を器用にしてくれた礼が目を輝かせて見つめている。ベンチの隣を陣取り、手元を覗き込むようにして。私の一挙手を絶対に見逃すまいとしているみたい。
「さすが灯里ちゃん、手馴れてる~」
「誰のせいよ、まったく。……あぁっ、ちょっと破れちゃってるじゃない。せっかくの高級ブランドのシャツが……」
 一体、このシャツ一枚何万円するんだか。庶民にはそうそう手が届かない代物だというのに、この子はほんとにもう……!
「えへへへ、ごめ~ん」
 ため息をつく私に、一応謝罪の言葉を口にした礼。悪びれる様子なんて微塵も見せず、舌を出している。「反省の色って何色かなぁ?」って表情かおをして。
「……ほら、できた。破れたところはちゃんとお店で直してもらうんだよ?」
 処置を終えたシャツをパン、と音がするほどに振った後、それを礼に手渡した。礼にしてみれば、わざわざ直してもらわずこのまま処分したところで痛くもかゆくもないんだろう。でもそんなもったいないことは私が許さないのを、礼もちゃあんと分かっているので、お店に直しに出すはず。
「分かったぁ。ありがとう灯里ちゃん! 大好き!」
 そう言って礼は私に抱きつき、ほっぺにチュウをした。これは十五年前から受け続けている、ある意味ルーティンのようなものなので、今さら動じたりなんかしない。
 イケメンが台無し……私が悲しくなるわ、まったく。
 わざと大げさにため息をつく。でも私の気苦労に気づきもしない礼は、首をちょこんと傾けながらきれいな目を少し大きく開いて私をじっと見つめてきた。
「ねぇねぇ灯里ちゃん、来週俺たちの誕生日だよね? 二十歳の誕生日だから、うちで家族だけでパーティしない?」
 これは礼が私にお願いごとをする時の仕草。無駄に整った顔と大きな図体をしているくせに、こんな仕草がやたら堂に入っているというか似合っているのは、礼がわんこすぎるから。惜しい、実に惜しい。
 こんな調子で本当に京条グループを継げるのかしら──と心配になる。
「ねぇ礼。家族だけ、って言うけど、私は家族じゃないからお邪魔じゃない?」
 そう、私と礼には血のつながりなど一滴もない。『親戚』というカテゴリーにすら属していない、他人オブ他人。
 家族水入らずと銘打つパーティに私が参加するのは、どう考えてもおかしいと思うの。
「だからぁ、灯里ちゃんの家族と、俺の家族だけで、ってこと! ちなみに灯里ちゃんのおうちにはもう招待状出しておいたから!」
「早っ」
「俺、とっておきのプレゼント用意してるから、楽しみにしててね!」
 私の手を取ってニコニコニコニコと、当然のように当日の話をする礼。こういう時だけは行動が早いんだから。
 私はふと思い立ち、礼の瞳を覗き込んだ。
「礼……私、その日約束あるんだけど、って言ったら?」
 少し芝居がかった口調で、おずおずと言ってみる。
「え……」
 その太陽のような表情が一転して雨雲を孕み始めた。たちまち礼の目尻に涙が溜まっていく。
「れ、礼?」
「あ、灯里ちゃんの二十歳の誕生日を、い、一緒に祝えないなんて……俺……」
 うつむいて肩を震わせる礼。あ~、やっぱりこうなるかぁ。半分予想していた反応に苦笑しつつ、礼の背中を擦る。
「じょ、冗談だよ? 空いてるから! 毎年誕生日は礼と一緒に祝ってたでしょ? ちゃんと予定空けてあるから大丈夫!」
 少しの間の後、礼ががばりと顔を上げた。
「ほんと!?」
「う、うん!」
 すべすべの頬には涙の跡など微塵もなく、瞳は沢山の星を散りばめたようにキラキラと輝いていた。
 ホッとする気持ちと、いろいろ残念に思う気持ちとが、複雑に混じり合う。
 あぁ……礼の背後に大きな尻尾がぶんぶんと振られているのが見える。もう、このゴールデンレトリバーめ。マックスって名づけちゃうぞ。
「よかった! 約束だからね!」
 礼が自分の小指を私のそれに絡ませ、上下に揺さぶった。
「分かった。私もちゃんとプレゼント用意してあるからね」
 これは本当。毎年のことだから誕生日の二週間前までにはいつも用意している。
「ほんとに? 嬉しいな~。楽しみにしてるね!」
 どうやら機嫌を直したらしい礼を見て、安堵の笑みを浮かべる。なんだかんだ言って私も礼には甘いのよね。
 これが私とこのわんこの日常だったりする。
 ──だから、この時の礼がとある決意をしていたなんて、私は気づきもしなかった。

 私、香月かつき灯里が持つ礼への評価は、ズバリ『残念なイケメン』だ。
 私たちは生年月日も生まれた病院も一緒、住んでいる場所もお向かい同士、そして幼稚園から大学までずっと同じ学校に通っている、典型的な幼なじみという間柄。
 普通の幼なじみと違うところと言えば、礼が日本でも指折りの素封家そほうか・京条家の一員だということ。
 京条家の事業は江戸時代に旅籠はたごを開業したことから始まった。それは明治後期には海外賓客接待用の宿泊施設『グランドホテル京条』へと姿を変え、今では『京条グループ』として、業種もホテルだけではなく多岐にわたっている。
 礼はその本家の長男なのだ。つまりセレブ中のセレブというわけ。
 一方、香月家は元々小さな大名家の流れを汲む旧華族の家柄だったのだけれど、とうの昔に没落して父は普通のサラリーマン、母は茶道を、祖母は華道を教えて生計を立てている。
 そんな家で育った私は、ごく普通の金銭感覚と一般常識を持つ庶民で。
 私と礼──完全に立場が違う二人だけれど、双方の両親の関係がとても良好だったおかげか、生まれた頃から何かと一緒に過ごして育ってきた。
 礼は私のことを庶民だからと見下すこともなく、友達──むしろ本当の家族のように思ってくれて。小さい頃から同じ目線に立って、庶民の生活を経験してくれた。逆に私も、礼のご両親にはいろいろなところに連れて行ってもらったり、庶民じゃできない経験をさせてもらった。
 だから私は、礼の家について必要以上に畏怖することはなかった。というより、その頃は超弩級の大金持ちがどういうものなのかが、よく分かっていなかったから。
 だから礼を特別扱いしたりしなかったのだ。
 その結果──ご覧の通り、礼は私にとてもとても懐いている──と言えば聞こえはいいけれど、依存していると表現しても差し支えないくらい、私にべったりな人生を送ってきた。
 昔からよく転んだり洋服を破いたり汚したり──『ドジとおっちょこちょいと不注意の詰め合わせ』のような生活をしていた礼の面倒を見てきたのは、何を隠そう、この私だ。
 もちろん京条家にはメイドもいれば運転手もいる。その上、礼にはSPもついているので、実は私が面倒を見る必要はない。これっぽっちもない。
 それなのに礼はお坊ちゃま由来のわがままを発動し、頑固なまでに私ばかりを頼って生きてきた。
 私もまた、そんな幼なじみを突き放すことができずに、十年以上もその役割を引き受けてきたのだ。

「灯里ちゃ~ん! 帰ろ!」
 大学の講義が終わるとすぐに、礼は私を迎えに来る。もちろん、私の時間割や教室はすべて把握済みだ。
 大教室の入口に立ち、大声を張る礼は相当目立つ。その姿に見とれる女子多数、呼ばれている私をじろじろと見る女子多数。私をも巻き込んでの注目の的だ。
 もう……恥ずかしいことこの上ないんだからね、この状況。
「私のことはいいから、先に帰りなよ、礼……安斎あんざいさん待たせてるんじゃないの?」
 安斎さんとは礼の運転手さんのことだ。毎日大学まで礼と……それから私のことも送り迎えしてくれている。もちろん最初は断ったんだけれど、礼があの調子で泣き落としてくるものだから、一緒に登下校せざるを得なくなってしまった。
「何言ってるの? 灯里ちゃんを一人で帰すなんて俺、できないよ! 一緒に帰ろうよ!」
「私、バイトがあるから」
 もう一度言っておくけれど、私はあくまでも庶民なの。
 授業料がバカ高いこの大学に通うのだって、いい成績をキープして返済不要の奨学金を勝ち取っているんだから。それに多くの大学生がそうするように、バイトだってしている。
 だから今日は一緒に帰れないの──そういう意味で「バイトがある」と伝えたにもかかわらず、
「あ、そっか。今日バイトの日か~。じゃ、行こう?」
 当然のようにそう言って、礼は私の手を取った。何気なくつないでいるようで、その手は力強く私のそれを掴んでいるので、振り解くことなどできない。
(はぁ……)
 私は諦めて、礼の後について行った。
「お帰りなさいませ、礼様、灯里様」
 校舎の外の車寄せには黒塗りの超高級車が停まっていて、そのドアの側には安斎さんがそれは品よく佇んでいた。「京条家の運転手たる者、これくらいの所作はできて当たり前です」という涼し気な笑みを浮かべて。
 私が「いつもありがとうございます」と言いつつ頭を下げると、安斎さんは恭しくお辞儀をし、後部座席のドアを開けてくれた。礼と私はすかさず車に乗り込む。そして助手席にはSPの御影みかげさんが座った。
「安斎さん、灯里ちゃん今日バイトなので」
「心得ております」
 安斎さんは礼の言葉をすんなりと受け入れ、車をスムーズに発進させた。
 そう、私はアルバイトをするために、運転手つきの高級車で勤務先まで通っているのだ。もう何が何やら……ただただカオスすぎて笑うしかない。
 そもそもアルバイト自体も、礼から大反対された。
『買いたいものがあるならこれあげるから、バイトなんてしないで!』
 泣きそうな顔の礼から、私の名前が刻まれた黒いクレジットカードを突き出された時には、軽くめまいがした。当然、それを受け取ることは断固として拒否した。
 そしてすったもんだの末、私はバイトする自由を勝ち取ったのだ──京条グループ傘下のカフェでなら、という条件を呑んで。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
 私が働いているカフェは本屋に併設されていて、コーヒーを飲みながら本を読むことができる。私からは姿は見えないけれど、礼は店舗内のどこかのテーブルについてコーヒーを飲んでいるだろう。勉強や読書で時間を潰しながら、私がバイトを終えるのを待っているのだ。
 最初はカウンターから近い席を陣取っていたのだけれど、あまりにもまじまじと働きぶりを眺めてくるので、私が耐えられなくなった。一度真剣に怒り、カフェのバイトを辞めて京条に関係のない場所で働くと宣言した。すると今度は見えないところで待つ、という妥協案を提示された。
『お願いだから、俺の知らないところで働いたりしないでよ。心配で勉強も手につかなくなっちゃうからぁ……』
 涙混じりに訴えられ、私はまた折れるはめになった。
「キャラメル・マキアートのLで、キャラメルソース増量できますか?」
「はい、かしこまりました──四五〇円になります」
 接客業は嫌いじゃない。大学を卒業したらそういう方面の仕事に就くのもいいかも知れないなぁ……なんて、秘かに思ってる。就職にはまた礼が口を挟んでくる気もするけれど、さすがにその時は従うつもりはない。
「こんにちは」
 私の前に一人の男性が立った。名前は知らないけれど、ほぼ毎日来てくださる常連のお客様──好青年風のイケメンだ。スーツを着ているのでサラリーマンだと思う。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
 営業用スマイルでそう返す。彼はいつもコールドブリューを注文するのだけど、今回もやっぱりそうだった。爽やかな笑顔でコーヒーを受け取ると、彼は「こちらこそ、いつもありがとう」と言い残し、レジを離れていった。いい人だぁ。
 ここでバイトを始めてもう半年が経った。初めこそ礼や運転手につき添われた私を訝しげに見る人も多かったけれど、今では笑い話にしてくれる。仕事も楽しい。
 このアルバイト生活になんの不満もなかった──京条の息がかかったお店だということさえ除けば。
「お先に失礼しまーす」
 上がる時間が来たので身支度をしてお店から出ようとすると、私の目の前に例の常連のサラリーマンさんが来た。さっきの『コールドブリュー』の人だ。
「あの」
「はい? 何か?」
「俺、そこの高澤たかさわ商事で働いてる、島野しまの弘樹ひろきって言います。前から、カツキさんのこと可愛いと思ってて──」
「え? どうして私の名前……って、あ、名札……」
 カフェの店員は全員、ローマ字で名前が彫られたネームプレートを着用することになっている。私の胸には当然『KATSUKI』と書かれたものがついているわけで。
「君がいるからずっとここに通ってたんだ。もし時間があれば、この後食事でも一緒に行かない?」
 彼氏いない歴=年齢の私。こんなイケメンに誘われるなんて生まれて初めてです!
 こ、これは遂に初カレができてしまうのでしょうか?
「あ……りがとうございます。は──」
「灯里ちゃ~ん!」
 はい、喜んで──そう継ぐことはできなかった。聞き慣れた声と、べったりと背中に張りつく感触が、私の言葉を遮ったから。
 あー……そういえばいたね、この子が。
「……礼、重い」
 地面にめり込む勢いで、思い切り体重かけられてるし! 礼は身体が大きいからそれなりに重いんだってば、もう!
「バイト終わった? じゃあおうち帰ろ? 俺たちの家に
「礼、先に帰ってていいよ。私、この人と──」
「あ、彼氏いたんだね! いきなり変なこと言ってごめんね、忘れてくれるかな! じゃあ!」
 島野さんは私の言葉を遮り、早口で挨拶したかと思うと、すばやくきびすを返して走って行った。
 すごく顔色悪かったな……具合でも悪くなったのかな。あぁ、せっかくのチャンスがぁ……。
「っていうか、礼のこと彼氏って言ってた。完全に勘違いしてるね、あの人」
 背後の礼を見上げると、島野さんの方をじっと見つめていた。そして私の視線に気づくと、ほんの少しだけ眉を吊り上げる。
「そんなことより灯里ちゃん、ダメじゃない。知らない男になんかついて行こうとしたら! 男は狼なんだからね!」
 さ、帰るよ──そう言って礼が私の背中を押した。

※この続きは製品版でお楽しみください。

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。